【前回のあらすじ】
・川や火山や温泉を観光した。
・深層には『最後の噴火者』がいる。とても強い。
・筋肉蚊教のリーダーが近々来るらしい。
ウルトラジャングルにはよく雨が降る。
生態系の宝庫、熱帯多雨林である。そういう気候と言えばそれまでだが、例えばうっかり火山がどかんと噴火してしまい、ジャングル中が全焼する危機に陥ったとしても、勝手に雨が火を消してしまう。偶然ではなく、絶対に。何とも都合良く。
まるでウルトラジャングルに大いなる意思があるかのように。
「雨……」
ざーざーと忙しなく鳴る雨の音で、金髪少女一号が目を覚ました。血鬼が、一番出来の良い家を使っていいと言った『ヒト用ログハウス十号』の白いベッドはふわふわしていた。こんなに熟睡したのは久しぶり……と、少女は背伸びをしながら考える。
一つ、金髪少女一号は血鬼に嘘をついていた。それは、彼女が人間ではなく妖怪だということ。
(血鬼は人間が好きだって言った。私が人間じゃないって知ったら、どうなるんだろう……)
ぞくっと寒気の走る怖いことを考えながら、部屋に備えてあった葉っぱの傘を持って、少女は外に出た。村のあちこちに水たまりが出来ている。ぴちゃぴちゃとしばらく散歩をしていると、握った黄緑の茎が激しい音と共に重くなった。
少女の視線の先には、村があった。
突然頭の中を過ったむごい記憶に、少女は葉っぱの傘をぽとりと落とした。雨は更に更に酷くなって、ざーざーとお構いなしに彼女を濡らす。
「はあっ!はあっ!はぁっ!はぁっ!」
湿った草花の上に座り込んだ彼女は過呼吸になっていた。胸を両手で押さえながら必死に彼女はトラウマに抗った。
「いや……」
パチン、パチン、と乾いた音が少女の耳元で反芻された。彼女は異世界に来た驚きと、色んな場所を巡り巡った楽しさから、ひととき過去を見ずにいられただけだった。
雨が降っている。雨が降っている。打たれる場所が違っても、どちらの雨も冷たかった。
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両親のことは覚えてない。自分の名前も知らない。私は何もかも忘れてしまって、気が付いたら森の中にいた。
力も頭も弱い、弱小妖怪。私は生き抜くことに必死だった。雨が降っている中、時折意識を失い、ぐちゃぐちゃになった妖怪の死体に怯えながら私は走った。
「はぁっ!はぁっ!」
荒い呼吸を繰り返しながら、森を抜けて道なりに走っていた時だった。遠くに木の柵で囲まれた村を見つけて、私はそこ目掛けて走り続けた。
幸い、村に住んでいた人々は私を優しく迎え入れてくれた。長老の好意に甘えて、私はその村で暮らし始めた。村には沢山の人が住んでいた。どの人も真っ白な着物を着ていて、貼り付けたような笑みを絶やさなかった。
村には『神さま』が住んでいるのだと聞いた。神さまは普段は山の中に住んでいて、たまに出てきては教えを説いたり、村を守っているのだという。私を住まわせてくれた家主の女性が興奮して言うには、神さまは時々『天の世界』へと村民を連れていくのだそうだ。皆、天の世界を目指して善行を積み重ねているのだと。
「天の世界には何でもあるの。誰もが幸せになれる理想の世界なんですって。」
誰もが幸せになれる理想の世界。私が想像するものは、多分ここに住む人々とは違った。
記憶喪失だったことに皆は驚いたけれども、もっとすごいことを私は隠していた。絶対に言わないけど、私は妖怪で、でもすごく弱くて、人間と仲良くしたいのだ。
人間と妖怪が仲良く暮らせる世界。私の思う理想の世界とは、そんな絵空事だった。
話半分に聞いていた私だったが、次の日に家主の女性が目を輝かせながら私に言ってきた。
「凄いことよ!貴女、神さまに選ばれたみたい!」
「えっ……?」
「ね!私たちのことはいいから、遠慮なく行ってきなさい!短い間だったけど貴女と暮らせて良かった!」
彼女と私はぎゅっと固い抱擁を交わして、深夜に外へと連れ出された。その日も一日中雨が降っていた。泥濘の山道を、案内役の男性と家主の女性とぴちゃぴちゃ登る間、ぼんやりと考え事をしていた。
(天の世界が本当にあるのなら……あるのなら、私は確かめたい。)
灯りの火が暗闇を照らす。道を進めば進むほど、私は期待に胸を膨らませた。
(人と妖怪が共に存在を支え合う、幻想のような世界を……。)
いつの間にか顔は笑みを隠せなくなっていて、私は前にいる家主の女性といっぱい話した。別れはちっとも悲しくなかった。彼女がなお語り続ける天の世界に、すっかり魅了されたのだった。
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そこまで思い出した後、金髪少女一号は考えることを止めた。雨が降っている。体温を奪われながら、やがて彼女はうつ伏せに倒れた。
少女たちは目的地に着いた。洞窟の入り口は大人が悠々と入れるほど大きく、中をしばらく進むと平らな岩肌の上に机と椅子がある。少女が座り、男性と家主の女性は二人で何かを用意し出した。
棚から黒いムチを取り出す。ムチは古くから使われており、年季が入っている。壺から奇妙な黄色い粉を摘んだ女性は、高級そうな容器にさっと入れてから池の水で黄色い液体を作った。
「さ、飲みなさい。天の世界に行くための神聖なものよ。大丈夫!安心していいから。」
「う、うん。」
少女が言われた通りに液体を飲む。
少し時間が経った。
"あの、神さまは……?"
少女は家主の女性に聞こうとして気が付いた。声が出ない。声を出そうとして必死に顔を赤くする。やはり声が出ない。
次には身体が動かなくなった。全身が麻痺したように不自由になり、少女は椅子から転げ落ちた。それを見た二人はお互いに微笑み合う。
「効き目が出てきたみたいだわ。行きましょうか。」
「あぁ」
二人は少女の着物などを剥ぎ取って、裸にした。真っ白な肌のぐったりとした彼女を抱えて、奥の方へと歩き出した。
それから後の少女は、すっかり見た目が変わった。
何十回もムチで打たれた彼女の背中や腕や太ももは赤黒く変色し、時々皮が破けて血が出ていた。死んでしまうぐらいの痛みを叫ぶことさえ出来ず、うつ伏せに倒れながら目と口を虚に開けていた。
「かれこれ五回目だが慣れんもんだな。少し休憩を取る。」
「はいはい、交代ね!ねぇお嬢ちゃん、ムチってどう?浄化されてるのがよく分かるでしょ。私も早く打たれる側になりたいわねぇ。」
ほほほと笑いながら再びムチを打ち始めた家主の女性に、少女は涙と汗とつばをだらだら垂れ流すことしか出来なかった。時折身体がぴくんと跳ね、パチンと乾いた音が繰り返される。少女は何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も死にたくなったが、のどが懇願することを許さなかった。
とうとうムチ打ちは終わった。男性がカンカンカンと鐘を鳴らした後、二人はムチを元の場所に直して帰ってしまった。すると更に奥の奥の洞窟の方から、大きな何かが這い寄った。
「やあやあ。丁度若い娘を食いたかった時に、お前が来てくれたんだ。柔らかくて美味しいのだよ、お前たちは。」
やって来たのは大蛇だった。神さまでも何でもない、ただの妖怪である。
「痛かっただろう?血の臭いがよく出ている。さあ……これからお前を食ってやるから……待ってておくれ。」
水気を含んだ舌なめずりの音に、少女は悟ってしまった。この蛇が村で崇められている『神さま』とやらで、皆は騙されていて、天の世界なんて無くて、全てはこの妖怪が元凶だということに。
「何で散々ムチで叩かれたか分かるかい?みみずのような腫れと滲んだ傷がね、いいんだ!俺が最近よくやってる食い方でね、舌で転がすと血の塩っ気があるし、破けた皮がいいんだ。」
少女は身体を動かそうとした。動かない。
「もちろん綺麗なままの人間を食うのも好きだ。噛んだ瞬間初めて隅々まで広がる血の味ときたら!その喜びを分かち合いたい程だ!つまり、お前は運が悪かったということだな、かかかかか」
低い笑い声が最後の大蛇の声だった。身体は不自由なままだった。このまま食べられるのを待つことしか少女には出来ない。死にたくないも生きたくないも、少女は考えない。永遠の拷問を受けた彼女にとって、それが一番楽な終わりだった。
大蛇は顔を近付け、とうとう動かないままの少女を口の中に入れた。
(くくく、久しぶりのご馳走だ。村の人間共は歳を食った奴が多いからなぁ。)
(しかし、己を神と偽るだけでこんな素敵な暮らしができるとはね。俺も神とやらに祈らなくてはな、かかか……)
(……何だ?)
(何だ??)
(何だ何だ何だ!?何でだ!)
(どういうことだ!意味が分からない!この妖力は!)
(俺は今、
ぱぁん、と何かが弾ける音が洞窟中に響いた。大蛇の首から上がまるごと無くなり、唾液に包まれた少女がどさっと地面に倒れた。
気を失っていた少女がやがて目を覚ました。長い時間が経った。
(まただ)
生き延びた少女は、かえって心に虚無を抱いていた。何も考えられない、考えたくもない。そういう現実逃避のようなものだった。
(私、弱いのに、死んでる)
森の中で彼女を襲った妖怪は死んだ。山奥で人間を貪っていた大蛇は死んだ。全ては死の間際に彼女が振るった圧倒的な妖力による自己防衛だった。そのことを少女は知らない。
とぼとぼと彼女は洞窟を出た。雨が降っている。自分が全裸だったことに気が付き、洞窟の池で身体を洗った後、彼女は紫色の着物を着た。水の中に入った時や服を着る時に、鈍い痛みが全身を走った。ムチで打たれた場所は、それでもほとんど回復していた。
洞窟を出るとやっと彼女は感情を取り戻した。表情も走りも生きることに必死になって、滑りやすい山道を下って滑って、べちゃっと彼女は泥まみれになった。
(ぜんぶウソだった)
はぁっ、はぁっ、と荒い息が聞こえる。その場で考え事を続けた。
(妖怪は人間を食べるのが普通で、人間は妖怪に騙されるのが普通で……でも私は違う……でも私は変……私は変わり者……私は妖怪じゃない……?)
少女は記憶喪失だったが、何となく今までのことはぼんやりと頭にあった。彼女は人間と仲良くすることが夢だった。彼女は彼女以外に人間を好きな妖怪に出会えなかった。彼女は人間に迫害された。彼女は絶望した。
(理想の世界は幻想に過ぎない)
彼女は立ち上がろうとして、また倒れる。
(妖怪は人間と仲良くなれない)
彼女は運命を考えたことがあった。人間と妖怪は互いに対立する運命にあって、抗うことは不可能。そう考えるのも無理は無かった。
やがてまた走り出した彼女は、ようやく村を見つけた。そこは妖怪に騙された宗教家たちの哀れな村だった。それでも、記憶の無い彼女にとってそこは暖かい故郷だった。
村に入ってその場に倒れ込むと、彼女は顔を歪ませて泣き叫んだ。
「うああああああああああああああ!!」
「ああああああああああああ!!」
「ああああ───!!」
悲痛な少女の叫び声に、深夜にも関わらず皆が駆け寄って心配した。山に行ったはずでは……大丈夫かい……どうしたんだい……。大人たちが声をかけても、ムチの傷跡がすっかり無くなっても、少女の心の傷は癒えなかった。
少女は泣きながら言った。
「わたし……妖怪でした……みんなの神さまも……妖怪でした……。もう、やめて……!神さまは死んでしまいました……!もう、誰も犠牲にならないで……!」
途端にざわざわと混乱が広がり、村中がパニックに包まれた。次々と人々は山へと走った。悲鳴も怒声も、少女は聞きたくはなかった。
そこに先程の家主の女性と男性がやって来た。思わず少女はぴくっと目を見開く。
「お、お嬢ちゃん?何があったの?逃げてきたの……?天の世界は?行けなかったの?」
「神さま死んだってなんだ?本当なのか……?神さまは死なないんじゃねえんか?」
二人が段々近付いて来ると、少女は彼女たちを拒絶した。
今後越えることのない痛みが脳裏で反芻される。何故あんなことをしたのに平気でいるのかと、トラウマになりつつある。少女は歯をかちかち振るわせて呟いた。
「いやっ……!」
お構い無しに二人は近寄る。少女は発狂寸前にあった。
「いやいやいやいや!!いや!!」
「落ち着いて!大丈夫!死んだの嘘でしょ!もっかい行こ?またやり直そ?大丈夫!次は行けると思うの!」
「天の世界行けなかったから落ち込んでんだろ?初めてだからなぁ帰って来たのは!また行こう!おじさんも頑張って打つから!」
手を差し伸ばす二人は、二人からすれば天使の施しのような善行であった。
少女には妖怪よりも恐ろしい悪魔にしか見えなかった。
少女は発狂した。
「いやあっっっっ!!!!」
咄嗟に両手が伸びた。差し出された手を握ろうとしたのではない。両手からは奇妙な音を放って鮮やかな紫色の極太レーザーが出された。
妖力を惜しげなく使ったレーザーは、二人どころか村の家などを一直線に消し飛ばした。
奇妙な音が鳴り終わり、そこにはもう二人はいなかった。少女は呆然とした。
ひっ、ひえええええええ。長老の情けない叫び声が遠くから聞こえた瞬間、少女は逃げた。スキマ──いつからその力を身につけていたのかは分からない──を使って少女は遠くへ遠くへと逃げた。
無我夢中で逃げるに至る。
(弱い弱い弱い弱い弱い弱い弱い弱い弱い弱い弱い弱い)
彼女は目だけを大きく開いていた。口は時折ふわふわと開いた。スキマを開いては向こうへ逃げる、その繰り返し。いつしか彼女は止まった。
(弱い弱い弱い弱い)
自己暗示のように彼女は心の中で囁き続けた。
(私、弱い)
ふと森の奥を見ると、空間を切り裂いたような大きな穴があった。ぽっかりと開いている別世界への穴。それはウルトラホールだった。
繋がっている場所はウルトラジャングル。大地をあらゆる植物が覆い尽くし、多様で凶暴な生命体たちが生息する異世界。
どこだっていい。
(弱いから、死ななきゃ?)
少女は世界に飛び込んだ。