筋肉蚊は立ち止まった。
やがて動き出す。真っ赤な怪物がのしのしと、倒れているリーダーを見下ろせる所まで歩き、己の信条を捨て、拳を強く握った。
とどめの一撃が今振り下ろされる。
密林の中、二匹は静止していた。あれほど激しい戦いを繰り広げた二匹が、今や植物のように、静かに息をしている。息も絶え絶えのリーダー。無表情で拳を向ける筋肉蚊。
拳は当たる寸前でぴたりと止まっていた。
「羨ましいもんだな。」
感極まって涙を流していたリーダーは困惑した。依然として鼻のすぐ先に至高の拳はあるが、未だ自身を殴り殺してくれない。
血鬼は彼を両手で抱えた。ゆっくりと、四本足がのしのしと歩き出す。
再びコロシアムに入場した時、ぐったりとしているリーダーを一目見て、信者たちは大盛り上がりで叫んだ。
返事をするように血鬼も叫び出す。
「お前ら!」
抱えていたリーダーを無造作に軽く投げ、血鬼はまた叫んだ。
「勝ったのは!俺だぁぁぁ!」
ワァァァァァァァァァァァァァ!!
はち切れるかのような歓喜と感動が膨張し、このコロシアムごと破裂させんとしている。拍手も声も、鳴り終わるのに時間を要した。
再び血鬼が叫ぶ。
「お前ら!今日の決闘は楽しんでくれたか!」
ワァァァァァァァァァァァァァ!!
「またいつか見たいと願うか!」
ワァァァァァァァァァァァァァ!!
「よーし!分かった!よく分かった!日時は未定!予定も立っちゃいねぇ!」
血鬼はピースサインを空に掲げて、大きな声で叫んだ。
「だが!いつか必ず第二回目の決闘を行うことを、ここに宣言する!」
ワァァァァァァァァァァァァァ!!
ワァァァァァァァァァァァァァ!!
ワァァァァァァァァァァァァァ!!
やがて、大盛り上がりの大決闘は完全に幕を閉じた。
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「少しは満たされたか?」
ぐったりとしているリーダーに、血鬼は話しかけた。
「退屈ってのはつまらないよな。分かるぜ。だからよ、死なない程度には競争や闘争に生きるのも良いと思うんだ。」
「………」
「今日、誰も乱入してこなかっただろ。結局俺たちは根っこの部分が同じなんだ。誰も死にたくなんかない。死なない程度に楽しむんだよ。お前と違ってな。」
リーダーが目を細めたまま沈黙する。血鬼は更に言った。
「気に食わないか?確かに俺は変わってしまったのかも知れない。けれど、変わってしまった今の俺を好きになってもらう為に、ちょっとは努力することにしたぜ。」
細い口先が、真っ黒でつぶらな瞳が、リーダーの方を一途に向いている。
太陽の光を浴びる彼の薄暗い影に飲み込まれながら、リーダーは黙って真顔で見つめていた。
「……あ、でもお前が一号を殺そうとしたのは許さねぇ。次やってみろ。本気でお前を殺すからな。」
そう言いながら、血鬼はいきなりリーダーの片足を強く殴った。骨は粉砕され、凄まじい痛みがリーダーを襲う。
「ぐぁぁ……!」
「これで許してやるよ」
言葉が吐き捨てられた後、金髪少女一号がスキマを使ってやって来た。一号は嬉しそうに血鬼へ話しかけ、血鬼は彼女の頭を撫でる。
何とも言えぬ光景を見ながら。外では軽快な演奏が鳴り響き、信者の火山生命体たちが宴や踊りをしている。
リーダーは這いつくばりながら考えた。
(まだ……『殺し』が脅しになると思っているのか……?呆れを通り越して、興醒めしてしまった……。)
彼の頭は妙なほど落ち着いてしまっていた。散々筋肉蚊への興奮と感動を繰り返した反動か、今は彼に対して何も感じなくなっている。肥大化していた信仰心は揺らいでいた。
そして大きな、一つの疑問に辿り着く。
(……本当に)
彼の胸のどこかで引っ掛かっていたことがあった。それは筋肉蚊が信者たち4匹を惨殺した事について。リーダーはマガレの報告でしか聞いていない。実際に目にした訳では無い。
確かめる方法は一つだけある。中心核を使えば、『筋肉蚊の記憶』を引き寄せることは可能だった。しかし本来ならば許されざる行為。禁忌とも言える。それを行えば、自身はもう信者を名乗ることは出来ない。数百年間続けた彼への信仰心を捨てるに等しい行為だった。
筋肉蚊から直接何かの情報を引き寄せることは絶対に行わないと、大昔にリーダーは決めていた。しかし揺らぐ。揺らいで揺らいで、頭ががんがんと痛み始める。リーダーには目の前が歪んで見えた。いつの間にか手は胸に埋まる翡翠色の神器へと伸びている。
呼吸は落ち着いていた。意思は真実を知りたがり、身体は止まろうとしない。まもなく禁忌に触れる。頭は冴え渡っている。彼を止める者は誰もいない。
(本当にお前が殺したのか?)
とうとうリーダーの指先は『
中心核は、筋肉蚊の記憶の全てを引き寄せた。
答えろ。お前は俺を自由じゃなくするか?
当たり前が無くなると辛いんだよ。
ふーん。
仇を打たせてもらえるだろうか?ウルトラジャングルの救世主。
お前、こんなにヒョロガリだったか?笑えるぜ。
何で俺が代わりに死ななかったんだって、今でも思っているよ。
会わせろ会わせろ会わせろ!死んだらお前に会わせてくれよ!
やってやろうぜ!マッシブーン!
「違う」
「違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う!!違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う!!!!」
ひび割れた闘技場の床に向かって、リーダーは今までで一番大きな声で叫んだ。心の底からの激しい絶叫。驚いている血鬼と金髪少女一号を見ることなく、ただ床に向かって言葉を連呼する。残っていた観客たちで騒がしかったコロシアム内が、嘘のように一瞬で静まり返った。
「あぁ!あぁ!あぁ!あぁ!」
過呼吸になったリーダー。細かった目ははっきりと開かれ、銅色の長い髪が顔を覆い隠すように垂れている。血鬼は声をかけようとした。が、その前にリーダーが中心核に手を伸ばした。
「あぁ……もう……生きる意味が無い……俺もお前も……」
彼は中心核を強く握る。すると彼を中心に緑色の光が中心核から溢れ、すっぽりとコロシアムが覆われたのだ。
闘技場内はざわざわと騒ぎ始めた。信者の火山生命体たちは、これが数日前に自分たちを覆った謎の光であることを知っている。だが、一体全体何なのか。無論血鬼にも少女にも分からない。
「おい……何だこれ。リーダー?」
「………」
彼は答えない。聞いてきた血鬼の方を見向きもしない。そして澄み渡った青空に向かって、彼は口を大きく開いて叫んだ。
「これより3分間!この中心核は生命エネルギーを貪り続ける!そして一度きりの超大爆発を遂げる!エネルギーが集まるほど爆発範囲は広くなる!この緑の光の中にいる者は!全員漏れなく消し飛び死に絶える!」
「なっ……」
血鬼が声を上げたのと同時に、彼が手に待つ中心核が殺戮兵器と化した。淡く、それでいて強い光を放ち続ける神器は、コロシアムの中に残っていた火山生命体たちから生命エネルギーを急速に吸収し始めた。
火山生命体たちは火山から生まれ、自らが持っていたり他者から摂取したりする生命エネルギーに依存して生きている。では彼らが空になるまで生命エネルギーを奪われたらどうなるのか。
火山生命体たちは、みな人形になったかのようにバタバタと倒れ出した。辺りは混沌に包まれる。元気に叫んでいた者はぱたりと倒れ、逃げようとした者も吸われるほど動かなくなり、キャッキャと笑っていた者は笑いながら生を終えた。
前の観客席にいた者たちがぼとぼとと落下し、闘技場の中に死体として転がった。この異常な景色に血鬼は狼狽えていた。命を持っていた者たちが次々と呆気なく死んでいく。緑色のドーム型の光はさらに大きさを増す。既に百キロメートル以上、辺りは覆い尽くされていた。
「やめろ!おい!リーダー!」
血鬼は倒れたままの彼の髪を掴む。そのまま顔を持ち上げると、虚な瞳で彼が呟いた。
"──────"
「……な」
血鬼には一瞬誰の名前が呟かれたのか分からなかった。
その後にはすぐに自身の名前であることに気が付く。すると、彼は静かに動揺した。
(……何で、知ってるんだ……)
既に1分が経過した。爆発するまで残り2分。激しい動揺により、血鬼の思考は止まってしまった。
「早く!ここに逃げて!」
いつの間にかいなくなっていた少女の大声が、血鬼をはっとさせた。
金髪少女一号はコロシアムの外で叫び、大きな大きなスキマを開いた。まだ生きている火山生命体たちは必死にスキマへと入っていく。スキマは遥か遠くの場所へと繋がっていた。
(……突っ立ってる場合じゃねぇ!)
血鬼が彼女の元へ向かおうとすると、リーダーが四本脚のうちの一本を強く握っていた。
「邪魔だ!手を離すかこれ止めろ!」
「黙れ」
「あ!?」
リーダーは虚ろに呟いた。
「お前は俺と死ね」
「……勝手に記憶を覗きやがって。本当の俺を見たのか?どうだったよ、俺の生き様は!失望したかよ、おい!」
「黙れ黙れ黙れ……!」
リーダーは依然として生命エネルギーを吸っている中心核を血鬼に向け、叫んだ。
「黙れぇ!!」
そして彼の『忠誠心』を引き寄せようとした。
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中心核はあらゆるものを引き寄せる。それは洗脳に等しい行為をも可能にした。
忠誠心を引き寄せる。つまり、やられた者は必ずリーダーに従う従順な下僕となる。ただし彼の元についていた信者たちはこの力を受けていない。彼らは自らリーダーについていくようになったのだ。
その忠誠も今や散り散りとなった。コロシアムから出ていた者たちのほとんどは一号のスキマに入って避難を終えている。その他大勢の者たちは、コロシアムの中で冷たくなっている。
今の彼に残っているのは、絶対的な意思のみ。必ずや──────を殺し、自分も死ぬという意思。筋肉蚊の記憶が彼を絶望の底に突き落とした。そして彼は生きる意味を失ってしまったのだった。
「──俺の命令を、聞け!」
忠誠心を引き寄せ終わったリーダーが叫ぶ。
「いいから放せ!クソ野郎!」
あっさりと血鬼は答えた。
忠誠心が引き寄せられていない。
(……やはりか……)
リーダーは心の中で呟いた。中心核に引き寄せられないものは無い。しかし血鬼は依然として従わない。
理由は神器にあった。彼が身に付けている三種の神器の一つ、『
「ならばっ!!」
リーダーは中心核を転がし、爆発の為に吸い寄せていたエネルギーの一部を『物理的に引き寄せる』為のエネルギーに使用した。途端にズドンと血鬼は地面にめり込み、凄まじい重力に這いつくばって屈する。
「ぐおおおおお……!」
「まさか!逃げようなどと考えたのか!お前ごとき矮小な
「……てめぇが勝手に信仰してただけだろうが……!」
「あぁそうだ!愚者だった!しかし怒りが治るとでも!?やはりお前は!俺と共にここで死ね!」
「クソッ……!」
爆発まで残り1分。万事休す。
その時だった。奇妙な音が鳴り、怒りの形相の金髪少女一号がスキマを通ってやって来た。
「邪魔しないでっ!!」
一号はうつ伏せに倒れていたリーダーの頭を思いっきり蹴った。
「ぐぁっ……!」
ふわっとリーダーが宙に浮き、追い討ちで彼女は紫色の極太レーザーを放出する。すると血鬼を引き寄せていた力は止まり、中心核は超大爆発の為に生命エネルギーを吸収しようとするのみとなった。
「入って!血鬼!」
「ありがとな!一号!」
焦った様子の少女は大きなスキマを開き、先に自分が入った。そして紫色の空間の中で血鬼が入るのを待つ。だが、すぐさま血鬼は入らない。一号は焦燥しながら不思議に思った。
血鬼は、倒れているリーダーを見ていた。
「………」
彼は目を開けたまま動かない。そんな彼を見つめる血鬼も、しばらく動かない。
「血鬼!早く!」
「悪い!今行く!」
スキマから出てきた少女が急かした後、彼女はまたスキマに入った。
「リーダー」
彼に何かを伝えようとして、それからやめた。
血鬼は一番最初に孤独を埋めてくれた者のことを思い出した。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「き、筋肉蚊!」
赤い怪物は、筋肉蚊というのが自分のことを言っているのだと気付くのに時間がかかった。
「あぁ……!やっと会えた。初めましてだ!貴様を数日前から信仰させていただくことになった、『筋肉蚊教』という名前で!俺がリーダーで、コイツが……」
「副リーダーです。以後よろしくお願いします。」
上擦った声で興奮しているリーダー。落ち着き払った様子で挨拶するマガレ。怪物は黙っている。
「………」
「……ククク。今貴様はこう思っている。『目の前の敵をどう殺してやろうか』、だ!素晴らしい!それでこそ筋肉蚊!それでこそウルトラジャングルの救世主!」
「………」
怪物は両手でジェスチャーをした。
「……えっ。違うのか。何だ……。」
「感謝すべきでしょう、リーダー。彼がその気なら私たちは既にあの世行きの船に乗っていますよ。」
「それでこそだろう!?筋肉蚊とは目に入る者全てをぶち殺すバーサーカーなのだ!今殺されないこと自体むしろ解釈違いッ!!」
「殺されたいんですか?何かあったらすぐ逃げると約束しましたよね?」
「知らん!」
そっぽを向くリーダー。怪物は困惑しているが、きらきらと目を輝かせる男は気付かないまま言う。
「挨拶はこんなもので良いだろう。我々はこれから信者を増やし、大きな大きな貴様への信仰者となる予定だ!楽しみに待っていてくれ!では!さらば筋肉蚊!」
リーダーは素早く帰路へと飛び去り、マガレはにこりと微笑んでお辞儀をする。突然嵐のように来ては去っていった二匹の姿を、後になっても目は追った。
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(会話が出来る奴がいたと知った時、俺がどれだけ救われたと思う?お前なんかには、分からないだろうな。)
口にはしない。感謝と少しの寂しさを抱く。
(最初から俺を崇める必要なんて無かったんだよ)
この祀られ崇拝される関係は、初めから間違っていたのだと血鬼は思った。彼の筋肉蚊への思い込みを正すことなく、放っておいてしまった自分に強く後悔する。
しかしもう遅い。別れを告げる言葉は、別れとするにはあまりにも濁りを残すものだった。
「俺はさ!信仰とかじゃなくて!」
血鬼は目の先にいるリーダーに向けて叫ぶ。
「お前と友達になりたかったよ!」
そして、筋肉蚊はその場を去った。
リーダーは這いつくばりながら、怒髪天を衝くと表すに相応しいほど憤っていた。彼はトドメを刺された気分でいた。
「……違う……違う……!解釈違いにも程がある……!ふざけるな……ふざけるな……!」
今まで必死に追いかけてきた全てが否定され、バラバラになって崩れることすらなく、幻想のように消え去った。
中心核が不安を煽るような音を出して緑色に点滅する。途端に彼の中を、後悔が埋め尽くした。やがて彼は爆発によってそこら中に転がっている死体と共に消滅する運命にある。
スキマは目の前で閉じ、逃げることはもう出来なくなった。金髪少女一号さえいなければ、例え全力で逃げられたとしても筋肉蚊を爆発に巻き込んで殺すことが出来ていただろう。いや、もう彼にとってはどうでも良かった。ただやりきれない気持ちが漠然と残っている。
リーダーは、一生分の恨みと怒りを込めて叫んだ。
「ふざけるなあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!」
中心核が爆発する。
中心核は半径1000km以上のウルトラジャングルを吹き飛ばした。たくさん作られた筋肉蚊の像も、数十年に渡って完成したコロシアムも、広場も噴水も家も建物も、全てが無に帰す。
爆風は木々を薙ぎ倒した。周辺に住んでいた火山生命体たちは爆発に巻き込まれたり、住処を壊されたりした。一瞬にして広大なジャングルの一部は崩壊し、草も木も一つも生えない更地となった。
そしてけたたましい爆音により、最悪の火山生命体が目を覚ます。