雪を見るのはいつぶりだろうか。故郷のジャングルは常夏状態だったので、それらが地面に落ちて溶けていく様子さえ新鮮に感じる。
しかし、次々と降る小さな白粒に感動する暇もなく、真剣とは名ばかりの一方的な決闘が勝手に開催されようとしているのが現状だ。背けられるのなら背けたい、目と背中を。果たしてロマンチックとバイオレンスは共存し得るのか?その奇跡の瞬間を今日、俺は垣間見るのかも知れない。
「さーてと。やろうか、
「どこをどう見たらそう見えるんだ?」
思わず突っ込んでしまった彼女の不思議な点、その一。俺を頑なに『人間』呼ばわりすること。こんなにつぶらな瞳に尖った口をした人間がいてたまるか。いや、この世界にはいるのかも知れないが。
「じゃあ、八百万の神の一人かい?」
「おうとも。俺は筋肉の神だぜ。」
「嘘。神様ってのは常に神力を垂れ流してるのさ。でも、あんたからは神力を感じない。」
「ばれたか?」
「ははは。別に隠せるよ?神力なんて。脳ある鷹は爪を隠すってね。引っかかったなぁ人間。」
そして、純粋無垢な笑顔で無駄の無い無駄な頭脳戦を繰り広げてくる。只者ではない、この鬼の幼女。
「なあ。今、滅茶苦茶寒いよな。風邪ひいちゃうし今日はやめとかないか?」
「んあ?ぽかぽかしてるけどねぇ。」
彼女は言った。鬼なりの冗談でも無さそうだった。俺はがたがたと震えながら、彼女の赤く染まった顔を見た。
彼女の不思議な点、その二。紫色の大きな瓢箪を口につけ、ぐびぐびと酒を飲んでいること。それも、今、目の前で。
幼女が豪快に酒をラッパ飲みする様子は滅多に見れない貴重なものだろうが、何とも言えない光景だ。今のうちにその混沌を目に焼き付けておこう。そう思い、俺が黒くつぶらな乾いた目でじっと見ていると、やがて彼女は酒豪も真っ青の一気飲みを止めた。
「あんたも飲む?」
「いや……お前の分が減ってしまうだろう。それに、俺は未成年だ。」
「あぁ。量のことなら心配ないよ」
そう言って、彼女は瓢箪に蓋をした。
「この瓢箪には『酒虫』って奴のエキスが染み付いててね。少量の水を入れただけで大量の酒が出来るって訳なのさ。」
「ほぉ〜。コスパ最強だな。」
「だろう!じゃあ飲め!」
「アルハラやめろ!」
「飲みたいんだろぉぉぉぉ!」
「!」
ふらふらとしている幼女がそう叫んだかと思えば、にっこにこの笑顔で急に俺の方へと飛びかかってきた。そして、彼女の背丈に合わない瓢箪を振りかぶり、思いっきりぶん殴ってきた。
「ぐぅっ……!」
俺はそれを腕で受け止める。じんじんとする痛みに美しく盛り上がった筋肉も痺れそうだ。この瓢箪、相当硬い。
「この嘘つきがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
「この酔っ払いがぁぁっ!」
お互いに叫び合い、俺は瓢箪を押しのけた。彼女は後退りをし、片手に持つ瓢箪を無造作に構えた。さながらそれは金棒を持った鬼のようだ。風格も力強さもぎらぎらとした目も、やはり彼女は鬼なのだという確信に至らせた。
見た目で侮ってはいけないという教訓だろう。しかし、物を乱暴に扱うのは子供じみていて頂けない。そう思い、俺は声を放った。
「物は大事にしろっ!」
子供じみた彼女に負けじと、俺も瓢箪ごと彼女を張り手しようとした時だった。
「っらぁ!」
パァンと乾いた音が響く。
「……!」
目の前から瓢箪が消えた。否、彼女が一瞬で後ろに下げたのだ。そして、空いている手の方で俺の張り手に拳をぶつけてきた。
(
重い拳の打撃がびりびりと身体に伝わる。正直ここまで強いとは思っていなかった為に、そこで俺の思考は硬直してしまった。
そして露わになるたった少しの隙を、彼女は見過ごさない。
「おらぁっ!」
その笑みは崩さぬまま、彼女は瓢箪を持ち替えて懐に潜り込む。そのまま俺の腹に、渾身のボディーブローを一発ぶちかましてきた。
「ぐおおおおおおおおおっ!!」
(傷口に塩っ!)
腹に開けられた穴がまだ完全には癒えてないというのに、彼女は遠慮なく痣の場所をぶん殴った。酷すぎる。鬼かコイツは。鬼だった。
宙に浮いてごろんごろんと自慢の巨体が転がる。背中が擦れる音に耳を傾けていれば、上には瓢箪を振り上げた彼女がいた。
「喰らえッ!」
「っ!そりゃっ!」
仰向けのまま、間一髪でそれを両手で掴む。真剣白刃取りの王、マッシブーンとは俺のことだ。
「投げるぞっ!」
宣言通り、瓢箪ごと彼女を思いっきり投げた。彼女も俺と同じくごろごろと転がると予想したが、彼女は実に柔軟で軽快な動きですとんと着地してみせた。
拍手を送る暇も無く、すぐさま彼女が近付いて来る。俺は急いで立ち上がり、巨大な二本腕で口を挟み、深紅の盾を展開した。
「………」
「……ん?」
彼女の攻撃が来ない。俺の血濡れた盾に恐れを成したのだろうか。
「つまらん」
彼女は一言そう呟くと、その場で立ち止まってしまった。
「本気で来なよ、人間。」
「マッシブーンはいつだって本気だぜ。」
「……私はね、人間がその脆弱な強さで鬼という困難に立ち向かう姿を見たいのさ。それを自分から攻撃もせずに手加減する始末。挙げ句の果てには鬼の前で嘘をつき続ける……」
空気がひりつくような感覚。
「お前は舐めてるんだよ。私を。」
気のせいではない。空気がぴりぴりと、彼女の怒りに合わせるように変貌していく。俺は黙って立ち尽くしていた。
「らしいっちゃあらしいが……度が過ぎるよ。霊夢から話を聞いて期待してたってのに。」
「……知らねえんだよ。霊夢だとか八雲なんたらだとか。」
「お前を攻撃してきた赤いリボンの人間がいただろ。アレが霊夢だ。」
「そりゃ、ご丁寧にどうも。」
「じゃ、お前殺すから。」
「はぁ!?」
何という唐突な死刑宣言。理不尽な世界はまたもやマッシブーンを死に至らせようとしている。
「待て待て!意味が分からん!」
「何だい。《鬼》との真剣勝負はそういうもんだよ。」
「………」
『鬼』。
そんな言葉で、俺は昔を思い出した。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(元気か?少女よ。俺は元気にやっている。)
(忘れてないぜ、お前との約束。あれから長い時間が経ち、お前がどうしているかは知らないが……。)
(会うまで死ねねえよな。)
俺は静かに拳を握りしめた。
曰く、鬼と人間の真剣勝負は決まりごとらしい。なので、俺が人間では無いという事実を除けばこの殺し合いは免れようのない完璧な秩序と言える。でも、鬼のルールなんぞこちらは分かるはずもないし、従う義務はない。しかし悲しきかな。今俺が対峙している者とは鬼。傲慢で(個人の感想)脳筋で(個人の感想)妖怪の代表格とも言える鬼に、そんな話が通じるはずも無かった。
別に従うのが嫌な訳じゃ無い。プライドなどとっくの昔に故郷のジャングルに捨ててきたのだから。だが、俺には誓いがあるのだ。決して破ってはいけない誓いがあるのだ。
「ま、あんたも死にたくないなら強情張ってないでさ。本気で来なさいよ。」
彼女は目を細めたまま、にやりと笑う。
「………」
(……クソッ。)
(俺は
焦りに過ちを犯すなど、愚行の極み。自分の筋を通すんだ、俺。マッシブーンは決して角の生えた幼女なんかに手を出さない。故に、己の身を守り続けるしか無い。
そうして双方が黙って互いを見つめあってから、いくらか時間が経っただろうか。
「……はぁっ。」
先に深い息を吐いたのは彼女の方だった。じりじりと俺に当てていた殺気を引っ込めて、構えていた拳を下ろして、だらんと無気力そうに立ち、いかにも残念そうに彼女は言った。
「丸くなったものだねぇ……私も。
彼女は俺を殺すことを諦めたのだろうか。ならば嬉しいことこの上ないのだが。
「さぁ。お前は一方的に殴られることを選んだってわけだ。そこから動くなよ。十秒もあれば容易く死ねるさ。」
いや違う。より一歩、俺の死が近付いただけだった。南無三。
喧噪などお構いなしにとめどなく降り続ける雪は、やがて辺り一帯を埋め尽くすように積もっていくのだろう。しかし、俺はその光景を見ることが出来ないのかもしれない。だらんと脱力している目の前の鬼は今にもゆらりと動き出しそうである。その姿が、あの赤い目を光らせた巫女服姿の彼女と重なった。
「………」
あの夜、巫女服の少女は俺を助けてくれたのか?
この世界は、『彼女の世界』なのか?
分からないことばかり。頭の中でぐるぐると回る。回ってるうちは、まだ死ねない。
しかし、この状況。どうやって回避すればいいんだ。考えろ、考えるんだ俺。頭を回転させろ、ぐるぐるバットで無邪気に遊ぶ子供のように。
(……待て。)
「
「……あー、違う違う。私はしがない鬼だよ、うん。」
彼女が棒読みで喋りながら目を逸らす。思わぬところで分かってしまったが、どうやら彼女はかの有名な酒呑童子らしい。
そうなると、話が変わってくる。
「一ついいか。」
「何だい。」
「……お前、何歳だ?」
「そうだねぇ。」
「指が千本あっても……数え切れないくらい。」
少女はにやりと笑って答えた。
「なぁーんだ」
「!」
赤く膨張した巨体は一瞬で彼女の側に近寄り、そのまま手をデコピンの形にしてから彼女の額へと腕を伸ばす。そして俺の中指が炸裂する瞬間、彼女は見事と言うべき瞬発力で一歩後ろに下がり、瞬時に正拳突きを繰り出そうとした。
俺はデコピンの形をした手をぐっと固める。二つの拳は、この時初めて盛大に激突したのだった。
「ははっ!どういう風の吹き回しだぁ!?この野郎!」
「……お前みたいな」
「ん?」
「お前みたいな奴に、
「何だとぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
少女は怒りに燃えるが如き声を出し、満面の笑みを浮かべた。睨み合うように合わせていた拳を瞬時に引き、瞬時に片方の拳で俺の拳を殴る。俺も同じ様なことをすれば、あっという間に俺と彼女のラッシュのぶつかり合いが激しく起こった。
「
「
同時に放った拳が衝突したのを最後に、俺たちは同時に後退りをした。
「違うな。俺だって
ゆらゆらと、動きながら構えていた彼女がぴたっと止まる。そして、すぐさまこう尋ねてきた。
「名は?」
「
「……是か非か……」
彼女はそう呟き……
「この技で確かめさせろ」
ふわっと宙に浮いた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
当たり前のように浮くなという突っ込みはさておき。
彼女が天に手をかざす。すると、何か小さな粒の様な物が彼女の手のひらに集まり、次第にそれは巨大な岩石へと姿を変えていった。
「……おいおい。」
巨大な岩石。俺の何倍も大きい岩石。おまけに雪でコーティングしてやがる。それをまさか、俺にぶつけるつもりなのか。
「おいっ!それで何するつもりなんだ!おーい!」
「お前にぶち当てるんだよぉぉぉぉ」
「なんだとぉぉぉぉ!」
分かってはいたが、やはりそうなのか。
酒呑童子。古来から生き、人間の血肉を喰らうとされる伝説の鬼。そして、日本三代妖怪と名高い化け物。
しかし、その実態は小さな幼女の酒狂い。かと言って、見た目通り弱い訳では無い。現に今、俺に隕石を降らせようとするその姿は誰が見ても分かる絶望的な妖怪の王の風格。馬鹿らしい、何故俺はこんな怪物を傷つけまいとしていたのか。
「止めろ!待ってくれ!俺死ぬ!」
「知るかっ!行くぞぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
彼女の叫びにも似た宣言で、神社一つ軽く潰せそうな雪玉が、とうとう俺を目掛けて降ってきた。
「さぁ!お前が鬼だと言うのなら!砕けぇぇぇぇ!!」
「クソがっ!」
悪態をつく暇も無い。
「やってやるよ!『
(覚えねぇけどな!)
俺は彼女の真似っこをするように、天に拳を掲げる。万力に手が壊れてしまいそうなくらい握り拳を作り、有り余る程の力を掌に込め、俺は全身全霊の一撃を雪玉に放とうとした。
「アーム……」
その時。
かつて酒呑童子と呼ばれし
真っ赤な
「ハンマーーーーッ!!」
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「……いいね。いいねぇっ!」
雪が降る。
砕け散った岩を踏み潰し、彼女は狂気の笑みを隠そうともせず曝け出した。
「さぁっ!どっちが先に倒れるかっ!正真正銘、あんたと私の殺し合いだっ!!」
彼女が構える。俺も黙って構えた。
「さぁさぁさぁさぁ!来ないならこっちから!」
「行くが"ッ"ッ"ッ"……」
突如、見覚えのある紅白ボールに横からぶっ飛ばされた鬼の少女。音もなく音速で忍び寄る凶器に、見ていた俺さえも気付かなかった。
「はぁっ。釘を刺しておくべきだったわ。」
代わりに目の前に現れたのは、これまた見覚えのある少女。巫女服の姿は相変わらず寒そうだが、あの凍えるような夜と違ってちゃんとマフラーと手袋を身に付けている。
そう。あの幼女の酒呑童子が言っていた、
(………)
色々と聞きたいことがあったはずだった。なのに、それが濁流のように流れ、にごって混ざってよく分からなくなる。そうして口も体も動かなくなってしまった時、彼女が重い口を開いた。
「おはよう。筋肉お化け。」
「……あいつ大丈夫か?」
「あいつ、頑丈だから。平気よ。」
「おう。」
「………」
「………」
気まずい。そう思っているのは俺だけなのかもしれないが、とにかく空気が重い。だが、俺が思うに、これは当然の事象なのだ。彼女は俺を妖怪と勘違いして危うく殺しかけ、俺はあの紅白ボールを投げて危うく彼女の神社を潰しかけた。故に話しづらい。故に沈黙が続く。
そんな時でも、雪は止むことを知らずに降り続ける。俺が寒さにぶるるんと体を揺らせば、それを見た彼女がぎこちなく口を開いた。
「……あー。寒いし……
「みそしる?」
「……そんなに美味しい?」
彼女が少しだけ微笑む。
この日、俺はその細い口で『味噌汁』を飲み、感動に涙を流したとか、流してないとか。
アームハンマー 威力100
つよくて おもい こぶしを ふるって ダメージを あたえる。じぶんの すばやさが さがる。