【これまでのあらすじ】
幻想郷にやってきたマッシブーン。彼は八雲紫と再会を果たすまで、幻想郷を観光することにした。時は経ち、霧雨魔理沙の魔法によって博麗霊夢は昏睡した。いつ目覚めるか分からない彼女を守ると意気込むマッシブーンだったが、突然彼は記憶喪失になってしまった。
五十七、 黄泉から帰った巫女
七章 最終編
『喪失異変 ─前編』
(おい、紫。まだ寝てるのかい?)
朝の日照りは眩しい。冬の寒さがやや和らいだ頃の今朝、萃香は珍しくため息を吐いた。
彼女は、彼女の親友──八雲紫が冬眠から目を覚まさないことについて長い息をもらしていた。八雲紫は、春が訪れるまでは決まってぐうぐうと寝溜めをしている。よく飽きもせずに毎年寝れるもんだ、と萃香は思った。
(お前のお気に入りの博麗霊夢は意識不明。お前が待ち焦がれていた血鬼は今、記憶喪失になってるらしい。)
萃香は瓢箪から酒をラッパ飲みし、ドンと地面に叩きつけるように置いてから、異世界から来た赤い観光客を見た。
(今は起きない方が良いさ。恋する乙女の気が動転してしまうかも知れない。ま、酒の肴に見てみたいがね。)
マッシブーンは萃香と目を合わせた。彼は今、何も覚えていないらしかった。
「なぁ。俺ってどんな奴だった?」
「ん〜?覚えてないのかいマッシブーン。毎日激しく情熱的に、私と殺し合ってたのがお前さ?」
「そうなのか。じゃ、俺は強いんだな。」
「そうそう。じゃ、日課の殴り合いと行こう。」
「萃香。お前の理想を押し付けるんじゃない。」
話に割り込んできたのは、先程からぐつぐつと油揚げ入りの味噌汁を作っていた九尾、八雲藍だった。
「何を言うんだい?お前が知らないだけで本当のことさ。」
「そうであっても、何も覚えていない者を戦わせる奴がどこにいる。阿呆も大概にしろ。」
「ここにいるじゃーん。いちいち罵倒してくるなよ。お前と戦うってのもいいなぁ、藍。」
「そこの小鬼の言うことは一切無視していいぞ。マッシブーン。」
「あんた、狐に化かされないように気を付けな?マッシブーン。」
「あ、あぁ。」
二匹の大妖怪に挟まれたマッシブーンが、やりづらそうに返事をした。お椀に注がれた味噌汁が3人分、机の上に静かに並んだ。
朝食が始まった。萃香はびゃらららぼっかーんと飲み干した。
「沁みるねぇ」
藍は米を一口食べ、大根の漬物を一欠片食べ、味噌汁を一口分飲むというのを繰り返した。
「今日も油揚げが美味い。」
マッシブーンは、長い口でずぞぞぞと味噌汁を啜った。油揚げが口の中に入らないので、彼のお椀には汁のみが注がれている。彼はすぐに飲み干し、特に何の感想も言わなかった。
「ごちそうさま」
三匹が食事を終える。藍が萃香に尋ねた。
「そもそもの記憶喪失の原因は何だ?心当たりはあるか、萃香。」
「瓢箪で背中をぶん殴ったこと以外には無いよ。一体何だろうね。」
「それじゃないか?」
「………」
「黙って酒を飲むのをやめたらどうだ。まぁいい。紫様なら何とかしてくれるだろう。」
机の上が片付けられ、八雲藍は黒くつぶらな瞳と目を合わせた。
「マッシブーン。まずはお前の覚えている限りのことを教えてもらおうか。」
「分かった。そっちも俺について何か教えてくれ。」
了承したように頷いた藍に、マッシブーンは語り始めた。
「……俺は、ウルトラジャングルという場所に住んでいた。だが、ある日俺のことを気に入らない人間の連中が、何かをしたんだ。」
「何かとは?」
「分からない。気が付くと俺は自分の身体を動かせなくなっていて、偉大な研究員とやらのジジイに長いこと操られていた。だが、不意に俺はジジイをぶっ殺すことができて、あとは連中を皆殺しだ。」
続けて彼は語った。
「一時の自由は手に入れた。しかしその後にまた人間が俺の中へと入ってきた。そいつからは色んなことを教えてもらったぜ。そんで色々あって、その後……。」
マッシブーンがしばらく黙る。それからまた言葉を放った。
「すまない。俺が覚えているのはここまでだ。」
「いや、いい。次はこちらの番だな。」
そう言い、今度は八雲藍が幻想郷に来た後のマッシブーンを説明し始めた。そこには彼女の主観なども混じっていたが、大体は彼女の言葉通りで、マッシブーンは様々な場所を巡った後にここで記憶喪失になったという内容だった。
(ん〜?)
ぼんやりと聞いていた伊吹萃香の酔いが、若干覚めていた。
以前、冥界で行われた宴会がある。その時に萃香と幽々子と、隠れてこっそり聞いていた霊夢はマッシブーンの過去について聞かされていた。
が、今の話はその内容とまるで違う。八雲紫との関係について全く触れられていないし、普段の彼からは想像も出来ないくらい物騒な過去だった。
(八雲紫に出会う前の、さらに昔の話か。ふーん……。なんか勝手に知った気になっちゃってたよ、マッシブーン。あんたってやっぱり面白い奴だね。)
萃香は頬杖をつき、当分紫は冬眠から目覚めない方がいいな、と思った。マッシブーンは八雲紫のことを全く覚えていないらしかった。
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「しばらく安静にしているといい。巫女の仕事は萃香に教えさせる。」
「なぁに簡単だよ。一緒に酒を飲んだり、たまに私と戦うだけさ。」
「やはり私が教えよう。のんべえは使えん。」
「あっはっは」
けらけらしている萃香を無視し、藍は数分だけマッシブーンに境内の掃除などの仕事を教えてから、人里に向かった。
萃香は、縁側で酒をどばどばと飲んでいた。そこにマッシブーンがやってきて話しかける。
「お前たちは、あまり仲が良くないんだな。」
「ん〜?そうでもないが、私と藍は真反対だからね。あいつはちと真面目すぎるよ。」
そう言いながらごろんと寝転んだ萃香。マッシブーンは、それは合わないだろうな、と呟いて巫女の仕事をしに行った。
「ふぁ〜あ……。」
お酒でぽかぽかと温まった身体があくびをした。萃香は目を瞑り始める。やがて彼女は眠りこけてしまった。
「おぁ?」
気付けば、萃香の目の前には暗闇が広がっていた。陽が落ちた空から容赦無く冷たい風が吹いてくる。すっかり冷えてしまった、と彼女は酒をごきゅごきゅと飲んだ。
「ぷはー!迎え酒〜。」
瓢箪を置いた鬼は、暗闇の、灯り一つ付いていない神社の中へ大声を出した。
「おーいマッシブーン!いっぱい付き合え!」
このいっぱいとは無論、一杯ではなくいっぱいのことだ。萃香は夜が明けるまでマッシブーンを拘束しようとしたが、返事は無い。
「寝てんのか?ちぇっ。」
可愛らしく悪態をついた後、彼女は呟いた。
「眠りこけたり、忘れちまったり……。不吉なもんだね。酒でも飲まなきゃやってらんないよ。」
彼女は博麗霊夢とマッシブーンの容態を憂いた。
……というフリをしていた。
「まぁいつも飲んでるんだけどねあっはははははは」
彼女に心配事は何も無い。何故なら酒があるからだ。萃香は霧になって空中に漂い始めた。身体も気持ちもぷかぷかと浮かぶ。そのまま彼女は夜の博麗神社周辺を見て回った。
萃香は、夜中にやるこの行為を多少は気に入っていた。どんちゃん騒ぎが大好物の根っからの鬼ではある。しかし、静けさと星空を楽しむ情緒も多少なりともあった。
そうして彼女が博麗大結界の側にまでぷかぷか浮かんだ時だった。
誰かがいる。
(ん?)
それは、見覚えのある人物だった。寒そうな巫女服に身を包んだ女性。しかし見えてはいけない者でもあった。三途の川を渡ったはずの人物。萃香は目を疑い、彼女のことを思い出した。
先代巫女、博麗綾子。
何百年も前に亡くなったはずの彼女が、そこにいた。
「……おいおい」
彼女の酔いはすっかり覚め、霧から元の姿へと戻ってしまっていた。
「お前さん、綾子か?」
萃香は先代巫女の後ろ姿に話しかける。
真っ赤な巫女服に身を包んだ女性は、くるりと振り返ってにこっと笑う。間違いない、と萃香は思った。彼女の仕草や表情は、全く疑いようもなく博麗綾子だった。
綾子は、博麗大結界が張られたと同時に任命された、二世代前の博麗の巫女だった。当時は歴代の巫女の中でも屈指の実力者であり、それゆえ萃香は綾子を気に入っていた。彼女は霊夢の祖母にあたる人物であった。
「天国から帰ってきたのかい。」
「──未練があってね。」
萃香に尋ねられると、綾子はゆったりと言った。大らかな性格は人や妖怪に好かれ、戦う時はがらりと様子が変わるのを萃香は思い出していた。
萃香が言った。
「何だい、言ってみな?」
「酒飲み勝負!何処かの酒豪とね。」
綾子が微笑みながら言うと、萃香もにやりと笑った。
「いやー!美味いねぇ!美味いかい?私と飲む酒が一番美味いよなぁ!」
「そりゃ美味しいわよ。久しぶりの酒なんだから。」
「そうかい!やっぱり死にたくは無いもんだね!」
元気に酒をごくごくと飲む萃香の横で、綾子はちまちまと飲んでいた。彼女の手のひらぐらいの大きさの盃は、かつて綾子自身が使用していたもので、萃香が神社から見つけ出してきた。
「まだ残っていたとはね。霊夢なら勝手に捨ててそうだけどなぁ。」
「霊夢……。何だかかっこいい名前ね。あの子のこと?」
「あぁそうさ。お前の孫だ。」
萃香は明るい気分を崩さないまま、今の彼女の容体について話をした。
「お前の孫がさぁ、今大変なんだよ?魔法だとかよく知らないが、百年寝たきりになるかも知れないって話だ。」
他人事のように萃香は言い、瓢箪から酒をごくごくと飲んだ。何百万回と繰り返した動作を萃香は止め、少し調子を落とした声で言葉を放った。
「お前に面目ないよ。山で天狗と遊んでなきゃきっと守れた。」
彼女は自分の瓢箪の中をぼーっと見つめながら、笑うことをやめた。博麗霊夢が意識不明になったことへの責任を、萃香は綾子を目の前にしてほんの少しだけ感じていた。
「うん。知ってる。」
「何を?」
「あの子が眠ってしまったってことだけ。貴女に止められたかどうかなんて、私は知らないわ。過去のことを後悔しても無駄だって、昔は萃香が言ってたじゃない?」
綾子がそう言い終わると、萃香はへらっと笑って言った。
「あぁそうさ。それより酒を飲もうって言った。じゃ、辛気臭い話はもうやめよう。」
「あぁ、ちょっと待って。今日は一つだけ頼みたいことがあるの。」
「何だい?」
綾子は困ったように笑った後、鬼の大妖怪に言葉を託した。
「萃香。できればでいいから、できるだけあの子を守ってあげて。あとは人間たちも。ね?」
「……分かった分かった。約束する。それより早く酒を飲もうよ。身体が冷えちまうだろ?」
「うん。夜は短いもの。まだまだ飲み足りないわよ。」
「そうこなくっちゃ!」
そして一匹の鬼と博麗の巫女が、再び酒を飲み始めた。
死者と生者の宵祭*1は朝が来るまで続いた。いつの間にか眠っていた萃香の元に、博麗綾子はもういない。
彼女が目を覚ますと、既に陽は昇っていた。瞼を擦って隣を見ればもぬけの殻となっている。
「………」
萃香は考えた。
あれは夢だったのだろうか。
(どうなってんだろ。ここ最近は、変なことばかりだね。)
夢にせよ現にせよ、彼女は確かに夜空を漂い、亡くなったはずの綾子を見つけ、酒を飲み比べ、約束を交わしたのだった。
萃香は、冷たくなっているおでこをこつんと叩いた。その次は頭の横を叩き、立派な角を叩き、自分が正常であるかを確かめるかのようにした。
(私は……)
例え、あれが夢だったのだとしても、巫女が夢に現れたのはこの日が初めてであり、霊夢が寝込んだ今、偶然のようには思えない。いや、そんなことよりも。萃香は一切の笑みを浮かべずにいた。
(私は、あいつのことを忘れちまってたんだな。)
彼女が思うのは、昨夜の邂逅までに博麗綾子のことを思い出したことが一度も無かったことだった。
ひんやりとした朝の空気に萃香はぶるりと身体を震わせた。酒を飲もうとして瓢箪を持つ。
持った後、彼女は瓢箪を静かに置いた。そこにひょこっと現れたマッシブーンが鬼の少女に話しかける。
「萃香?朝食できたって藍が言ってたぞ。」
「なぁ、マッシブーン。」
萃香は彼に言葉を投げかけた。
「忘れるってのは辛いもんだね。」
鬼の寂しげな後ろ姿を眺めながら、マッシブーンは答えた。
「そうだな。」
ここは死者の寄り付かない、新しい朝だった。
ほぼ1ヶ月ぶりの更新となります。スミマセン。