「本当にごめん!」
「え?」
俺がお椀一杯の『味噌汁』を飲み終わった時。俺が手を合わせて黙っていると、急に巫女服姿の彼女が頭を下げて謝ってきた。
冬真っ盛りの朝、こうして神社の中に入れてもらい、温かい物を振る舞われるのは稀に無い厚遇であろう。しかも俺に頭を下げてくると来た。なんかもう、優しすぎて怖い。いやいや騙されてはいかんぞと、あの夜の俺を射抜くような赤くて冷たい視線を思い浮かべた。
もしかして裏があるのか?『この味噌汁がお前の最後の晩餐なのよ、本当にごめん!』とか言ってきそうですらある。やっぱり理不尽。
「……あんたを退治しようとしたこと、ちゃんと謝りたくて。」
「あぁ……」
何かと思えば、彼女は謝罪がしたいと言う。
これには正直驚いた。俺を問答無用で殺しかけた彼女が、そんな慈悲に満ちた心を持っていたとは夢にも思わなかったからだ。
「別にいいぞ、もう。こうやって美味い物くれたし、さっきもあの鬼との真剣勝負とやらを断ち切ってくれたし。」
「……そうそう、それも謝りたかったの。あいつ、最近暇そうだったから、きっとあんたを見てビビッときたんだと思うわ。」
「俺、強そうだしな。自分で言うのも何だが。」
「……強そうじゃなくて。あんた強いよ、
「うわっ」
俺は嫌そうな声を出して驚く。なにせ、急に話しかけてきた彼女は周囲を漂っていた霧が集まったことによって現れたのだ。驚くのも無理は無いし、また戦うのは嫌なのでうんざりするような声を出すのも致し方ない。
「俺を殺そうとした奴二号じゃん」
「ちょっと待ちなさいよ。まさか一号って私?」
そんな巫女服ガールの至極当たり前の発言は無視しつつ、俺と鬼の幼女は話を続ける。
「やれやれ、あんなのぜーーんぶ演技に決まってるだろう。あんたと本気で戦いたいが為の鬼ジョークさ、
「馴れ馴れしいな、
「だから殺すとか嘘だって!……最後の方は本気だったけど。」
「おい?」
微かな、とんでもない小声が聞こえてくる。俺の背筋はひやっとした。
彼女をまじまじと見てみると、あの白黒ボールアタック(仮)を受けていたにも関わらず、ぴんぴんとしている上に傷一つ無い。なかなかに頑丈である。俺の胸筋とどっこいどっこいって所か。
だから少し想像する。もしもあの時、霊夢が俺と彼女の戦いに割り込んでこなかったら、一体境内にはどちらの死体が転がっていたのだろうか。全く、末恐ろしい幼女だった。
「まぁまぁ。仲直りしようよ、血鬼。」
「……痛いぞ」
「ありゃ鬼の性分ってやつなんだ。仕方ないんだ。だからさっきのことは水に流してさ、そんでまた殺り合おうじゃないか!」
「その肩叩くの痛いぞ!」
猫撫で声で和解を持ちかける彼女が、俺に近付いて肩をがんがんと叩き、少しずつダメージを与えてくる。何だこの嫌がらせ。喧嘩売ってんのか。
「まぁね、私も怪我人のあんたと無理矢理戦ったこと、ちょっとは悪いと思ってるんだよ。あんた、霊夢のせいで死にかけて
悪びれず彼女は言う。本当に悪いと思っているのならさっさとこの嫌がらせを止めて欲しい。彼女は慰めてるつもりなのだろうけれど。
……ちょっと待て。
「……四日間、だと?」
「そうそう。四日間。」
(……!!)
その言葉を聞き、俺は勢い良く立ち上がった。
「おっ、続きやるかい?」
「ちょっと待っててくれ!」
せっかく暖まった体を冷やす愚かな行為だと分かっていながら、俺は雪の舞い散る外へと出る。そのまま周囲をきょろきょろと見回し、ぼんやりとした記憶を頼りにとある場所へと到着した。
(……やっぱりだ……畜生。)
そこは、変わらず神社の境内。しかし、そこは俺が通ってきた穴があったはずの場所。今はもう何も無く、辺りはがらんとしていた。
(ウルトラホールが無くなってやがる……!)
俺はがっくりと崩れ落ちた。
ウルトラホールとは、俺がこの世界に辿り着くまでに通ってきた穴のことだ。一度開けば三日間、ウルトラホールは世界と世界を繋ぎ止める。しかしそれは逆に、三日を過ぎれば無慈悲に閉じてしまうということでもある。
だから俺は、ウルトラホールでいろんな場所に観光しに行った時、必ず三日以内に帰る事にしているのだ。例えどんな場所に行ったとしても、だ。アローラに行った時だって、俺は悔し涙を飲んでそのルールを徹底した。
そしてもし、ウルトラホールが万が一閉じた場合、俺は次に開く時を待たなければならない。だが、その『次』こそが未知数、闇の中。下手すれば何十年も開かない可能性だってある。だからこそ俺は細心の注意を払って、三日ギリギリを攻める日々を送っていたと言うのに。誰がすぐ現地民に殺されかけて四日間寝込むなんて予想するんだ。
「クソがぁーーーーッッ!!」
俺は魂から叫んだ。悲鳴に近いその叫びは、神社の中でぬくぬくとしていた二人にも届く。
「何よー。どうかしたのー?」
「おいおい、何もそんなに叫ばなくたっていいじゃないか。たった四日間だぞー。そのままぽっくり逝ってたよりはマシだろー?」
「霊夢……二号……。」
神社の中から俺に話しかけてくる二人。そういえば、彼女たちはまだ知らない。俺がウルトラホールによってこの世界にやって来た、いわば異世界の住人であるということを。
そして、異世界の住人たる俺には、山のように積もる勢いで降るこの雪と寒さを凌ぐ術は無い。必要なのは、あったかい住処。俺はがっくりと崩れ落ちたまま、大声で言った。
「頼む!ここに住まわせてくれっ!!」
「「へ?」」
俺は全てを話すため、立ち上がった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「……つまり、あの夜は私を狙ったんじゃなくて、たまたま私の近くにそのウルトラホールとやらが開いただけ、ってこと?」
「そうそう。」
そして俺は、色んなことを彼女たちに話した。
自分がウルトラジャングルという場所からやって来た存在であること。ウルトラホールがこの世界と繋がったことが原因であること。そして、そのウルトラホールが消えてしまったせいで俺は帰れず、住む場所が無いこと。他にも些細なことをいくつか話した気がするが、どれも大して重要なことじゃない。
彼女たちは黙って俺が話すのを聞いていた。巫女服少女の方は何度か頷きながら腕を組んで聞き、鬼の方は終始酒を飲んでいた。まぁ何にせよ、二人が俺の嘘みたいな話を何も否定せずにいてくれたのは少しだけ助かったような気分になった。
霊夢はため息を長めに吐いて、それから言った。
「……
「いや。それはもう良いんだって。」
「それにしてもねぇ。異世界かぁ。」
彼女が遠い空を眺めるように言った。つまり、絵空事の世界を聞き流すように上の空で答えた。
「……信じられないだろう。だが、こう、何か、違和感というか……デザインが違うだろう。そこら辺の妖怪や人間と、俺は。」
「あんたの見た目は愛嬌があるもんねぇ。妖怪っちゃあ妖怪なんだけど、ちょっと違う気がする。」
「……!そうだろう!二号!」
「あんたいい加減その呼び方止めてよ」
鬼の少女が不満そうに言う。俺は意外と根に持つタイプなのだ。思い知ったか、戦闘狂め。
「ま、私は信じるよ。あんたのこと。霊夢は?」
「信じる。」
「おー、断言したね。お得意の勘かい?」
「それもそうだけど……合点がいくもの。」
「確かにねぇ。」
二人はお互いに頷き合う。なんだか俺だけ蚊帳の外のようだった。
「おいおい、合点って何だよ。」
「あぁ、分かった分かった。教えるから。」
鬼の少女は笑ってそう言うと、大きな瓢箪を横に置いて俺の方を向く。そして彼女は話し始めた。
「血鬼。私はあんたのこと、ずっと人間呼ばわりしてただろう?」
「そうだな。」
「それはね、あんたを人間と判断するしか無かったからなの。」
彼女は続けて言った。
「あんたは霊夢の『妖怪を弾く結界』に反応しなかった。そして、あんたの反応からしてあんたは神でもない。この世界で喋れる生き物ってのは、人間と妖怪と神ぐらいしかいない。だから残った答えとして、あんたは人間。私も霊夢もそう思っていた。」
「消去法ってやつか。」
「……でもあんたが異世界から来たって聞くと……合点。あんたは妖怪でも神でも、人間でもなかった。私達じゃ到底辿り着けない何か。それが多分、あんた。」
鬼の少女はそう言い終わると、横に置いた自分の瓢箪を再び持ち上げて、ぐびぐびと酒を飲み始めた。しばしの沈黙の後、彼女は酒を飲むのを止めて息を吐き、そのまま話を続ける。
「ま、私があんたを人間と判断したのは、『人間の』あんたとの真剣勝負を
「だな。人間とかいうヒョロガリがこんなに素晴らしく洗練された筋肉を付けられる筈が無い。」
「言うじゃないか。私と筋肉比べといくかい?」
「……勘弁してくれ。」
俺は元気無く言った。隙あらば戦闘を行おうとする彼女のせいで、疲れ知らずの身体にどっと疲労感がのしかかる。そうして気怠さが現れたと思えば、腕や胸の辺りがずきずきと痛んできた。別に恋の病とかの類では無い。単純に、さっき殴られたりした痛みが今更はっきりと自覚出来たのだろう。
俺は静かに寝転がった。
「というわけで霊夢さん。俺がこの神社に住むことを許可してくれないか?」
「寝転びながら言うな」
ごもっともである。俺は気怠そうに身体を起こした。
「モノを頼む時は誠意を見せるのよ。はい土下座」
「オーケー!」
「待って!冗談。」
俺が目にも止まらぬ速さで土下座をしようと床に手をついた瞬間、巫女服姿の彼女が慌ててそれを制止した。
「あんたが頭下げると床に穴が開くのよ……」
「俺は口が人一倍尖っているからな。しょうがない、邪魔だし収納するか。」
「……引っ込められるの?」
「無理だけど」
「何なのよ!」
良いツッコミだ。俺は心の中で腕組みをした。
それにしても度々思う。この口は色々と不便すぎる。肉も魚も食えないし、木の実エキスや血を吸うことしか出来ないし、硬度はダイヤモンド並みだとかで無駄に硬い。
それにこうして土下座の邪魔になることだってある。いっそ一生引っ込んでくれねぇかな。普通の口にしてくれなかった奴らのことを俺は一生恨み続けるだろう。
その忌々しい口をこつこつと叩いていると、巫女服姿の彼女が目を細めて言った。
「……あんた、名前は血鬼だっけ?」
「いいや。マッシブーンって名前だ。以後よろしく。」
「あれぇ?血鬼は血鬼だろぉ?」
顔を赤らめた鬼の少女が口を挟む。
「そりゃ昔の名だ」
俺は淡々と答えた。
俺が名前を明かせば、彼女も名前を明かす。彼女ははっきりとした口調で言った。
「私は
妖怪退治。その言葉を耳にして、俺は鬼の少女の方を見た。そこには『矛盾してるだろ?』とでも言いたげに、にやりと笑っている彼女がいた。
「あんたに一つ、聞く。」
しぃんと、音が無くなってしまった錯覚。彼女の一声で、辺りは急に緊迫した空気になった。
彼女は真顔で俺を見つめる。美少女に見つめられて胸がドキドキするのは当たり前だが、今のそれは恋とかそういった感じの物ではなく、至近距離でライオンに見つめられる感覚に近い。まぁライオンより俺の方が強いけど。
じゃあ、彼女はどうだろうか。この巫女服姿の少女に俺が勝てるイメージが、果たして思い浮かぶ日は来るのだろうか。
多分、博麗霊夢は強い。あの夜の戦いがそうだ。彼女はきっと殺そうとすれば俺を殺せたし、俺は彼女を殺せなかった。あの時俺が妖怪でないと証明出来たのは、本当に運が良かったことなのだった。
そんな彼女が俺に凄まじい威圧感を与えて聞くこと。俺はそれを、唾を飲むこともままならず黙って聞くしかなかった。
やがて彼女は口を開く。
「……食費はどのくらいかかるの?」
「いらないぜ。」
俺はサムズアップをし、断言する。マッシブーンにとって血は嗜好品。普段は何も食べなくたっていいのだ。
彼女は少し驚いたような顔をして、そして口元に微笑を浮かべた。年相応の笑顔に俺が少し驚けば、それがばれたのか彼女はすぐに真顔に戻ってしまう。彼女の後ろでは、鬼の少女が俺のサムズアップを真似している。外は薄暗く、雪がまだ降っていた。
少女が口を大きく開いて言った。
「合格。」
その瞬間、ぱちぱちと一人分の拍手が起きる。しばらくの間、その音が止む事は無かった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「言い忘れてたけど、私は
「あれ?酒呑童子じゃないのか?」
「そりゃ昔の名前さ」
晴れて博麗神社に居候することが決定したその後のこと。大酒飲みの少女、伊吹萃香の自己紹介も僅か十秒という速さで終わり、暇になった俺は博麗神社の巫女であり管理人でもあるという凄ぇ少女から、一つだけ、と注意をされた。
曰く『外に出るな。人里には絶対に近付くな。』と。
「なんで?」
「神社にあんたを匿ってるのがバレると色々とまずいのよ。悪いけど、外出は諦めなさい。」
うーん。納得はいくけれども。うーん。
いきなり幽閉宣言、人権を無視されるという仕打ちに思わず不服の反旗を翻しそうだ。しかし、巫女である彼女の言い分もまぁ痛いぐらいに十分理解出来たので、仕方なしと俺は神社の中に大人しく閉じこもっておくことにした。
それから、彼女は俺の食費が本当に必要無いのかを何度も何度も聞いてきた。まさかそんなにその件について執着してくるとは思わなかったものだから、何だか涙が出そうになった。相当金欠なのだろう。一緒に住む以上、ある程度は協力をしてやらねば。
「でもたまには味噌汁くれよな。」
「それぐらい言わなくてもあげるわよ。」
色々と話しているうちに日もだんだん暮れていき、霊夢は二人分の晩御飯をちゃぶ台に並べ始めた。湯気を昇らせながらことんと置かれたのは、白米、漬物、朝飲んだのと同じ味噌汁の三つ。
(質素すぎる……)
「何よ?その憐れむような顔は。」
マッシブーンに唯一存在しない筋肉、それは表情筋。俺の顔はぴくりとも動いていない、というか動きようが無いはずなのだが、彼女はその無の境地から見事に俺の心情を読み取ったようだった。
生憎この尖った口では米も漬物も食えないし、俺には誰かの食事を観察する趣味も無い。なので、あてもなく外の空気を吸いに行った。
深夜の、それも雪の降り注ぐ外は馬鹿みたいに寒い。
しかし、不思議と不快ではない。縁側に腰掛け、その寒さも案外悪くないと思いつつ、俺は静かに一人で考え事に耽ることにした。
「やぁ。雪を見ながら飲む酒はさぞかし美味いだろうねぇ。」
……しかし、いつの間にか横にいた鬼の少女によって、孤独な時間は呆気なく終わりを告げる。彼女は大きな瓢箪を持ち、俺に近付けてきた。
「あんたも飲むでしょ?朝は飲まなかったけれど。」
「俺は未成年だ。無理だよ、悪いな。」
「その未成年ってのは何だい?」
「酒を飲まされない魔法の言葉だ。」
「何だい。最初から下戸って言えばいいじゃないか。……でも残念。鬼の前じゃそんなの通用しない。ほら!」
「!」
「ほら、さっさと飲みな!ほら!」
(……コイツ。)
何という強引な手段。彼女は自分の瓢箪の穴を、あろうことか無理矢理俺の口に被せてきた。こうなってしまえば俺は息が出来ず、哀れにも酒を吸い込むしかない。
(………)
鋭利な口先が瓢箪の中の酒に浸る。今まで未成年などというちゃんちゃら可笑しい言い訳でアルハラを回避してきた俺だが、正直少しは興味があったし、彼女もにこにこと笑いながら期待していることだし、思い切って俺はそのまま血を吸うように酒を飲んだ。
ごくごくと音が鳴る。我ながらいい飲みっぷりである。初めて飲んだ酒の味は、すっきりとした爽やかさを感じさせた。
「ふぅ。なかなか。」
「おっと。言い忘れてたけどその酒、毒入ってるから。」
「ぶふぉぉっ!?」
「あっはっは!冗談冗談。」
初めて飲んだ酒の味の、その爽快感に浸る余裕も無いまま、彼女の冗談のせいで俺はハイドロポンプを口から出す。
「そういうこともあるかも知れないって話さ。あんたも貰い物には気を付けな。」
「げほっ……だからって今言うことじゃねぇだろ!」
俺は怒鳴った。
彼女の不思議な点、その三。嘘を嫌っていたくせに、意外と冗談が好きなこと。それも悪質な。
「で、どうよ。私の酒は。美味いだろう?」
「……思ってたよりも飲みやすい。芳醇な香りと爽やかな味も良い。悪くねえ。」
「だろ?へへへ。」
ぜひとも逆張りしたかった所だったが、至高の味に嘘はつけない。俺が正直に感想を告げると、嬉しそうに彼女は笑った。
「この酒はね。人も妖怪も、神も虜にするのさ。」
「……この世界には神がいるんだな。」
「おうとも。千年も前からいろんな神がここに存在する。そんなかでも、特に強かったのは
「これから神殺し一号と呼ばせてもらうぜ。」
「おいおい!私は殺して無いよ。そいつ、
「ふーん。ぼこぼこ?」
「そうそう。顔を思いっきり蹴ったり、角を折ったり、腹に穴を開けてやったりしてさ。」
「生々し……やっぱり殺してるじゃねぇか!」
「違う違う!ぼこぼこにしただけだよう!」
可愛らしい言葉で可愛らしく言う鬼の少女に、俺は恐怖を覚える。
彼女の昔話は雷神だの鬼神だの、随分とスケールが大きい。それに、横でぐびぐびと酒を飲んでいるこの伊吹萃香がその神達と肩を並べていたと言うのだから、朝にコイツと戦って五体満足でいる自分が実に不思議である。
「ま、それももう何百年も前の話さ。」
萃香はそう言って、
「ふぅ。少し語りすぎたね。」
再び瓢箪に口をつけた。
辺りが静かになったので、俺も再び思考に耽る。この静寂の時間は先程伊吹萃香によって邪魔されたものとばかり思っていたが、彼女の話は決して迷惑なものでは無かったし、かと言って無駄なものでも無かった。
むしろ、ぼんやりとしていた思考がまとまったのは彼女のおかげだと言える。人という言葉、妖怪という言葉、そして鬼という言葉。その全てが、俺を一つの確信へと至らせた。
「この世界では……人と妖怪が、共に暮らしているのか。」
「不思議かい?」
「あぁ。不思議だよ、本当に。」
彼女は静かにゆっくりと酒を飲んだままでいる。その異様なスローペースに滲む違和感。もしや、彼女は自分と同じように俺が昔を語り出すのを待っているのかも知れない。しかし当の俺はというと、申し訳ないことにあまり長々と話すつもりは無かった。
「それはあの子の理想だった。人と妖怪が共に存在を支え合う、幻想のような世界、だっけな?」
続けて言う。
「萃香、約束は好きか?」
「好きだね。そんでもって必ず守る。」
「だよなぁ」
彼女ならそう答えると思ってた。必ず守るだなんて聞かなくても分かっていたし、俺もそうでありたかった。だからこそ、俺は余計に深く、添えた十本の指が沈み込むように深く自分の首を絞め、吐き出すように語るのだ。
「結構昔にさ、約束をしたことがあったんだ。いつか必ず会いに行くってな。そうやって何年待たせていると思う?」
「………」
「多分、千年ぐらいだ。申し訳ねえってレベルじゃねえ。殴ってやりたいもんだ。ずっとその子を待たせて、会えずにいる馬鹿のことをな。」
口が軽くなっているのは酒のせいだろうか。柄にも無く憂鬱な気分なのは酒のせいだろうか。ならば、やはり酒という物は恐ろしい。
それは人だの妖怪だの神だのを魅了してしまうし、渋谷の駅のホームで泥酔している酔っ払いを容易く生み出してしまうし、こうして誰かの口を軽くしたりセンチメンタルにしたりと被害は甚大である。
そして、そう考えながらも俺は酒をごくごくと飲み続ける。恐ろしい、もしや既に依存症の兆候が?
「なーんだ。あんた結構いける口じゃん。大したもんだよ。」
「そりゃどうも。初めて飲んだけど良いもんだな。」
「えっ!?……まさかあんたの住んでた
「酒が無いと死ぬのかお前は?……頷くなよ。」
「当たり前よ。酒の無い人生なんて、それこそ酔狂。鬼は酔わない生き方を知らない。」
断言してみせる萃香。酒狂いもここまで来れば立派なものだ。かくいう俺も、ごくごくと酒を飲む。飲まない鬼もいるかも知れないだろ、と思いながら。
黙って渡された瓢箪にいつまでも口を突っ込んで喉を鳴らしていると、鬼の少女である伊吹萃香がぽつりと言った。
「酒はさ、良いもんだよ。笑えて美味くて、そんでもって酔っぱらえる。馬鹿騒ぎして腹の底から笑って、みんな吐き出すんだ。自分の本音とか、あんたみたいに背負ってる悩みをね。」
「………」
「誰も彼も酔うのは平等。それに、何かを背負って悔やんでるあんたは少なくとも悪くない。鬼の好きな、正直者の塊さ。」
「………」
「だいたい、そんなに気に病むことかぁ?それ。思い出したならいいじゃないか。その『あの子』ってのにさっさと会ってやればいい話じゃないか。」
変なの、と静かに萃香が笑う。そんな彼女の言葉に用意した物は何も無く、俺はただ黙っていた。
「ま、今は私と酒を飲もう。心に溜まってるもん全部吐き出して、立ち上がるのはその後でいいんじゃないの。……ははっ。いや、それにしてもねぇ、千年ってのは酷いよねぇ。」
「ごもっともだ。萃香。」
「……だからこそあんたはその子に償わなきゃいけない。天真爛漫に。自由自在に。背負った罪を償う為に歩き続ける、そんな生き方に……」
萃香は言った。
「酔えるよ、マッシブーン。あんたが望むならね。」
にやりと笑った。
「……でもね、私に話したのは駄目だったねぇ、マッシブーン。あんたが嘘つきの生き方を望んだって、私はこれからあんたを殴ってでもその子へ謝らせに行かせるからね。覚悟しときなよ?」
瓢箪を返し、萃香が『ぐぉっぐぉっ』と異様な音を立て、飲み干すように酒を飲んだ後。雪の降る中、彼女は付け加えて言った。
「ちなみにどんな奴なのさ。その子の名前は?」
萃香が頬杖をつきながら俺に尋ねる。さて、どう答えるべきか。
「分からずじまいだ。まだ生きてたらいいんだがな。」
「あ、そうだ。俺、明日には博麗神社出るから。」
「え?」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「おいおい。霊夢まで同じ反応かよ。」
「だってあんた、昨日ここに住むって……もう忘れたの?」
「忘れてねぇよ。まぁなんだ、心変わりってやつだ。せっかく来たからにはこの
朝、博麗霊夢は怪訝そうな顔を浮かべた。
博麗神社という名の住処を見つけ、鬼と殴り合ったり酒を飲み合ったりしたその翌日のこと。俺はゆったりと目を覚まし、霊夢へ別れを告げ、ちょうど神社を出ようとしているところであった。
「それに、行くにしたってどこに行くつもりなのよ。」
「そうだな……まだ決まってないんだけどな。それで、ちょっと聞きたいんだが。」
「何よ。」
「血を合法的に吸える場所とか無い?」
「退治するわよ?」
彼女がお祓い棒を俺に向ける。早朝のせいか彼女はどこまでも気怠げで、黒々とした目を鈍く輝かせていた。
それは、あの夜の赤く染められた目では無い。不思議と少しだけ安心した気になった。
「……いや、そういえばあったわね。血を吸える場所。」
「マジかよ!」
「ええ。神社の裏にある森をずっと奥に行くと、大きくて真っ赤で
彼女は悪趣味であることを十二分に強調し、それから言った。
「名前は紅魔館……吸血鬼の住む館よ。見つけたらすぐに分かると思うわ。」
「なるほど。その吸血鬼たちから血を略奪するってこった。よし、そんじゃあ行ってくるぜ!」
「……待ちなさい、マッシブーン。」
神社を出ようとした矢先。霊夢が無機質な声で俺を制止する。
「もし本当にここを出るつもりなら、二度とこの神社には来れないと考えて。」
「え?何でだ?」
「……妖怪はね、温厚だったり知能があったり、人に手を出す気の無い奴はみんな人の姿をしているの。だからこそ、人間の姿をしていない妖怪はそれだけで危険とみなされるし、体裁が悪くなる。……あんたみたいにね。」
「でも俺妖怪じゃないぞ。」
「私があんたのこと妖怪と勘違いして殺しかけたのを忘れたの?」
「……うーん。」
そう言われればそうだと唸る。いくら俺の体が隅から隅まで妖怪じゃないとしても、この世界で誰かが妖怪と言えば俺は妖怪になるのだ。
「この世界にあんたと私、二人きりだったら私だってあんたを自由にしてやれる。……でもそうはいかない。今、この瞬間でさえ誰かから見た私は博麗の巫女で、あんたは危険極まりない妖怪。」
彼女は声を荒げもせず、弱々しさも無く、ただ喋る。特徴的でないこともまた特徴的。不気味さすら垣間見えると言えば彼女に失礼だろうか。だが、
「神社に匿うのはいい。結界を張ってあんたを隠してしまえばいい。それはいいのだけれど、もしもあんたがこの神社を自由に出入りすることになれば必ず目撃者は出る。……噂はすぐに広がる。あんたを退治しろという声も出得る。それは私にとっても、あんたにとっても凄く不味いこと。」
だが、それがきっと彼女だった。
「引き返しなさい。私に妖怪以外を退治させないで。」
迫られた二択など、彼女にとっては初めから一択のようなもの。俺にとっても一択のようなもの。
「……妖怪退治専門の巫女だもんな」
故に二択。されど答えは初めから……
「短い間だったけど世話になった。ありがとな。」
決まりきっていた。
「……理由を、聞いても良いかしら。」
彼女がお祓い棒を下ろすと、地面に乾いた音が響いた。
「霊夢、約束は好きか?」
「嫌いよ。守らなきゃいけないから。」
「だよな。」
決して嫌いという部分に同意したわけではない。『守らなきゃ』なんて、嫌々でもない、義務でもない。天真爛漫かつ自由自在に、俺は俺の
「会えなくなるのは寂しいけどな、俺にも守んなきゃなんねえ約束がある。それを守れるのなら、たとえお前に殺されることになったって俺は構わないんだぜ。全力で抵抗するけどな!」
俺がそう言い切ると、彼女は依然と無表情を張り巡らせたまま口を開く。しかしそこから発された言葉は何も無く、手に持つお祓い棒を握りしめ、やがてそのまま徒らに閉じる。そして彼女はもう一度口を開いた。
「分かったわ。」
次に見たのは、彼女の困ったような笑い方。
「萃香!」
「……ん〜……なんだよぅ。」
「ここら一帯を霧で覆いなさい。あんたなら出来るでしょ。」
「……ふぁ〜ぁ。」
霊夢に呼ばれ、襖を開けて出てきた萃香がふらふらと外に出る。長い橙色の髪を揺らして、立派な角を生やした少女はしばらく歩いた後に止まって、小さな身体で大きく背伸びをした。
天に突き出した両手。驚きに満ちた最初で最後の光景を、最後に彼女は見せてくれたのだった。
「……鬼符……『ミッシングパワー』!」
小さかったのは束の間。
「……!!」
山よりも、神社よりも大きくなった彼女は、更に霧となってそこら中を覆い尽くした。霧の中で自然と身体は外へと動く。何も見えない白い世界で、誰かが俺の胸に手を当てた。
この日、博麗神社は一瞬だけ姿を消した。
それは鬼の気まぐれか、それとも巫女の策略か。突如現れた深い霧の噂は、やがて黒い翼を広げた少女の元へと届く。
「
「
「違うわよ。知らないの?天狗のこと。ろくでもない新聞を作るために飛び回ってる連中のことよ。」
「そんな天狗は知らねぇなあ」
霧で顔の見えない彼女が俺の胸筋に触れたまま、しばらく時間が過ぎた。
「……あんたの腕と胸に残っていた陰陽玉の霊力を元に、補強して『溜まり場』を作ったわ。ここから立ち昇る霊力の狼煙を合図に、あんたはまたここに帰ってきなさい。」
「いいのか?」
「いいの。……私はあんたを退治しないと約束する。あんたも……ちょっとは自分を大事にしなさい。不快なのよ、だから約束。」
さっき約束が嫌いと言ったくせに。そう思い、だんだんと深さを増す霧を少し手で払い、もう一度彼女の顔を見た。
……普通に真顔だった。
「さっさと行きなさい!」
「おう!約束は必ず守るぜ!」
俺は言った。
かくして、この幻想郷という地で、マッシブーンの観光録は始まる。
その瞬間は誰にも見られることも無く、霊夢は立ち尽くし、萃香は漂い、森はざわめき。彼の足音が消えて霧が晴れる頃には、雪どけ水がきらきらと日に照らされ輝いていた。
「さてと。私も少しここを離れるよ、霊夢。やりたいことが出来た。」
「……あいつに何か言わなくて良かったの」
「水を差すようなことを言いそうだったんでね。……で、
「変わらずよ。今も使えないわ。」
「……そうかぁ。酒飲む?」
「朝から酒を飲む巫女がどこにいるのよ。」
呆れた顔をしてみせて、霊夢は空を見上げる。
「それにしても、案外辛いものね……」
「空を飛べないってのは。」
少女が、包帯の巻いてある自分の腕を静かに押さえた。
博麗霊夢の能力の消失をきっかけに。
異変もまた始まった。
千年杉が待ってる 完
紅魔館編は全六話ぐらい
そのうちの二話が結構後に出ます
追記 萃香は雷神も鬼神も殺していません