[前回のあらすじ]
・博麗霊夢を追い詰めるマッシブーン(乗っ取られている)
・しかしフェローチェに妨害される
・雨に打たれながらマッシブーンのことを思いだす霊夢
追記 最後の文章を変更しました。
「ふざけんじゃないわよアンタ。」
ずばっと斬り込むような素早い蹴りを浴びせながら、フェローチェは言った。それを両腕でガードをしたマッシブーンが、真っ白な足を振り払う。
背中から倒れ込んでごろごろと転がり、すぐ立ち上がった彼女は化け物を訝しげに見た。
「私の知ってるマッシブーンって、ネズミを蹴り殺したら怒るような奴なんだけど?」
「……ほう、俺が見た記憶とは随分違う。全く、中途半端な記憶といい、お前といい、厄介事が多いな。だが退屈ではない。」
「私を退屈凌ぎに思ってるなら死ぬわよ。その言い振りだと、まるで誰かがアンタの身体を奪ったみたいね。とんだゲテモノ趣味。」
「下手物?掘り出し物の間違いだな。この男は、俺に強い肉体と面白い記憶をくれたぞ。外の世界だけじゃない。"うるとらほーる"を通じて俺は色んな世界を見る。理解できるだろう?こんなに心が躍るのは本当に久しぶりだ。世界が何百倍にも広がった……!」
腕を広げて空を見上げ、感嘆している様子を見せるマッシブーン。眼中には、目を見開いて固まっているフェローチェなど一片たりとも映らずに。
「井の中の蛙とはまさにこのことよ。」
「いい加減その猿芝居をやめなさい」
「どうだろうな。」
「……早く。蹴り殺すわよ。」
「お前も親しかったのだろうな。やれやれ、いつものように記憶を完全に引き継げたなら、俺がマッシブーンのふりをしてやれたのに。」
「……親しくない。だけどお前は、お前は、アイツよりずっとずっと醜いわ。」
「どこがだ?言ってみろ。」
「他者を奪ってまで生きることにしがみつく、その愚かさがよ!!」
怒りの表情で飛び掛かったフェローチェ。一瞬にして彼の前に現れ、足蹴りを放とうとする。しかしすぐさま後ろに下がったマッシブーンによって攻撃は避けられる。それどころか彼はくるりと背後を向いて逃げ去った。
「やはり愚かだわ!お前も誰も、私に素早さで敵うはずがないのよ!」
叫んだと同時に踏み出した右足は、地面を衝撃で抉りながら、細長い真っ白な身体を前方へと動かした。遠ざかる赤い背中に、数秒とかからずに追いつけるような速度で迫る。
赤い背中は少しの間逃げていた。だが、少し進んだのち、ばっと振り返り、その真っ黒で不気味な両目と銀のクチバシを向ける。残像が無くなる寸前、既に彼は腕を振り上げて技を発動していた。
技は、意思一つでどんな姿勢からでも即座に放てる。故の、不意打ちのアームハンマー。
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「ッ!!」
刹那、フェローチェは全力で横に避けることだけを考え、瞬間移動したかのようなスピードでアームハンマーの範囲から逃れた。
ずどおおおおおおおおおおおおおおん!!大地を割ろうとする音を何重にも重ねたようなけたたましい音が、フェローチェの耳をつんざこうとした。そして土煙の風圧が彼女を吹き飛ばす。
(クソッ!危うく潰される所だったわ……!)
心の中で悪態をつきながら、フェローチェは木にぶつかった。
(確かに速い。強い。言うだけはある……)
深い煙の中で。マッシブーンの姿をした者は感嘆していた。しかし彼は肯定ばかりではなく、強い否定の感情を抱いていた。
(だが、お前よりも速いものはある。例えば雷だ。暗雲から放たれる稲妻より速い者はどこにいる?雷神に速度で敵う者がどこにいる。雷とは、絶対的だ。)
古い神様の、八つの雷鼓を浮かべたあの浅黒い背中を思い浮かべながら、マッシブーンの姿をした者は思考し続けた。
(数多の肉体を乗っ取ってきた。人も妖怪も、神でさえも我が物にした。その中で最も強いのは何だったろう。……考えるまでも無く、それは雷神。)
真っ赤な肉体が、酷く歪む。
姿形を変貌させる。
(この世で最も速く、最も強い神とは──)
模倣
天満大自在天神
不意に煙の方角へと投げられた大木が、空から降る雷に打たれて地面に落ちた。ごおごおと燃える葉と幹を、灰色の雲から降り注ぐ雨が消そうとする。
辺りが急に暗くなったので、フェローチェは困惑していた。白い身体を濡らす豪雨と、突如鳴った雷の音に、彼女は不穏を感じずにはいられなかった。
そして。
煙が晴れた先にいたのは、マッシブーンではない。
そこには、自身を優に超える身長をした、暗雲の色をしていた、神々しい雷鼓を背中に浮かべた、天満大自在天神という名の雷神が仁王立ちしていた。
(……誰よ……)
フェローチェは、その無尽蔵を思わせる膨大な神力を、直接感じることは無かったが、何故か動けずにいた。まるで動いた瞬間に死んでしまうような、全く根拠のない想像に慄いていた。
そして雷に打たれた。
どがあああああああああああああん。
爆音と白い稲光が、フェローチェを瞬く間に襲った。美しく白かった身体は少し黒焦げ、ふらっと倒れた彼女の腹部を雷神は蹴った。距離が離れていたはずだが、いつの間にか彼はフェローチェの前にいて、目にも止まらぬ速さで足蹴りを放っていた。
しばらく吹っ飛んだ後、ごろんと倒れた彼女の側に、今度はマッシブーンがいた。真っ赤な筋肉は膨張し、銀色の口は瀕死のフェローチェの方を向き、黒くつぶらな瞳は無機質にこちらを覗いている。
朦朧とした意識で彼を見ながら、微かな声をフェローチェは出した。
「……かえし……なさいよ……」
口は小さく動いて、憎らしかったはずの名前を呟いた。
「マッシブーンを……」
気にも留めずに、真っ赤な怪物が銀色の口を突き刺そうとする。
その後ろが、霧でぼやけていた。
血塗れの伊吹萃香が姿を現す。
同時に、マッシブーンの背中を凄まじい強さで殴っていた。
あまりに突然の一撃に、技の発動さえ叶わない。殴られた途端にマッシブーンの身体に弾け飛ぶような衝撃が加わり、そのベクトルはただ前方へと向く。
「ぐぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!」
喉が張り裂ける程叫びながら、マッシブーンはいくつもの障害物を巻き込んで吹っ飛んだ。自身よりも大きな岩に当たっても、その勢いが弱まることは無かった。
「悪いね」
角の折れた橙色の頭は、半分ほど赤い液で染まっていた。目は丸く開かれていたが、やがて徐に閉じてゆく。
「酔うのに……時間……かかった……」
そして、萃香はどさっと地面に倒れた。
(酒呑だ!酒呑以外に有り得ん!!酒呑ッッ!!!!)
怒りと痛みに悶えようにも、未だ宙にいるマッシブーンにはどうしようもない。やっと地面に触れて転がり続け、細長く血を撒き散らした。
(酒呑に殺されること……それだけは避けねばならない……模倣も使えん……雷神になったのが間違いだったか……あれは魂の格が違う……)
思考が止まらないまま、地面に刺さった銀色の口で呼吸をすると、マッシブーンは土を吸ってしまった。咳き込む度に、痛々しく血液が噴き出される。
身体を無理矢理動かす。ぐぐぐとマッシブーンは四本脚で立ちあがり、前を向き、よろよろと歩いた。
そこには誰かがいた。
博麗の巫女がいた。
ざぁざぁと雨が降っている。
マッシブーンは息を繰り返した。
黒くつぶらな瞳には、地面にお祓い棒を突き立てた博麗霊夢が鮮明に映っている。頭に付けていた赤いリボンは無い。髪は酷く濡れ、目元にまで垂れている。
マッシブーンが、理性を失ったかのようにゆらりと動き、両腕を伸ばして飛びかかった。
博麗霊夢の瞳孔が赤く染まる。
彼女が手を伸ばし、橙色の分厚い結界が二重に展開された。マッシブーンは両手で結界に掴みかかり、それから自身の針状の長い口を強く打ち付けて結界を壊そうとした。
ぐぐぐぐぐぐと尖った先端を押し付け続ける。結界は全くひび割れない。
不意に霊夢が手をかざすのをやめ、お祓い棒を両手に持つと同時に、突然結界は脆くなってぱりんと割れた。キラキラと輝く霊力の粒が、雨粒に紛れて消える。
前のめりになったマッシブーンの腹を、悍ましい程霊力が込められたお祓い棒で、低い姿勢をとりながら博麗霊夢は殴打した。
血を吐いて吹き飛ぼうとするマッシブーンの背後には、いつの間にか霊夢がいる。更に背中を殴打すると、体の内側が霊力で弾け飛びそうになる感覚に、マッシブーンはまた血を噴き出した。
すぐに後ろを向いて殴りかかる真っ赤な怪物に、博麗の巫女はもう一度結界を張った。ずがががががががががががと暴走したように殴り続けると、ついに橙色の障壁はマッシブーン自らの手で破壊される。目の前の博麗霊夢を強く殴ると、それは霊力で形作られた幻影であった。
周囲を虫の眼で素早く確認し、マッシブーンは上空を見る。羽をぶぶぶぶと動かし、水滴を弾き、一目散にマッシブーンは飛んだ。
凄まじい勢いで昇り続ける彼の目に映るのは、空に浮いている博麗霊夢と、一面に浮かんでいる眩い数々の光の玉だった。
どかんどかんどかんどかんと次々にマッシブーンを襲う『夢想封印』。爆発音を轟かせる程、マッシブーンの勢いが落ちていく。とうとう最後の一つが命中し、黒焦げになりながら、真っ赤だった怪物は地に落ちていった。
赤い目をして見下ろしていた博麗霊夢が迫る。落ちていくマッシブーンに、さらに追いつける速度で迫る。
お祓い棒を構えて迫る。
雷のように迫る。
赤い目をして迫る。
地面に激突し、煙を立てた怪物。
その胸元に、お祓い棒が深々と突き刺さっていた。
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「なぁ、霊夢」
「何よ。こんな夜遅くに。」
紅魔館からマッシブーンが帰ってきた夜。何かレミリアと話していたみたいだけれど、その後にあいつはやけに神妙な口ぶりで私に言ってきた。
「頼みたいことがあるぜ。そうしなきゃぐっすり眠れそうにない。」
「約束は嫌いよ。」
「まぁまぁ、戯言みたいなもんだ。ちょっと聞くだけ聞いてくれよ。」
「……何。」
「いつか俺の頭がおかしくなって、もしもお前を殺そうとしてきたらよ。お前に俺を止めてほしいんだ。」
「………」
私は寝床から起き上がってすぐにお祓い棒を掴み、黙ってマッシブーンの方に向けた。
「おい、無言で構えるんじゃねぇ。レミリアのことは知ってるだろ?アイツは運命が見えるんだとよ。そしたら俺は、どうもいつかお前を殺そうとするらしいんだ。」
「あんな馬鹿の言葉を真に受けるんじゃないわよ。それともあんた、腹の中でそう企んでるの?」
「んな訳ないぜ。ないけどよ……」
「ならいいじゃない。もう寝るわよ。」
私は静かにお祓い棒を置いて、もう一度布団の中に潜った。マッシブーンの気配がまだ近くにある。彼は忠告するように言った。
「……もし、本当に俺がお前を殺そうとしたら。躊躇するんじゃねぇぞ。迷わず俺を殺せ。」
目を瞑りながら私は冗談のつもりで言った。
「躊躇なんかしないわよ。私を誰だと思ってるの?」
辺りが静まり返る。
彼はしばらく沈黙していたが、やがて笑いながら言った。
「……クックック。安心したぜ。お前はそういう奴だったな。冷酷で無慈悲で、最も強い人間か。それじゃあ約束な。」
「はいはい」
適当に返事を返す。それっきり会話は起きなかった。
冷酷で無慈悲。私ってそう思われていたのか。でも、すぐに当たり前だと思った。
初めて出会った時のことを思い出す。こんな見た目の妖怪が急に現れたのだから、あの時は私を襲いに来たのだとつい思い込んでしまった。
けれどこの男は、ただこの幻想郷に観光しに来ただけで。思ったよりも馬鹿で無鉄砲で、命を大事にしない奴だったのだ。
だから、こんなに酷い約束を私に結ばせたのだ。冷酷で無慈悲なのはむしろマッシブーンの方だ。たかが16年しか生きていない人間に何を求めているんだ。私だって、誰かの命を奪うことは嫌なのに。
そのはずだったのだけれど。
いつの間にか、私が普通の心を失っていたことに気付かせてくれたのは、紛れもない、マッシブーンだった。
初めは怖かった。そりゃあ、最初に妖怪を退治したのは、まだ8歳の時だ。道端を歩いている犬を怖がる年頃だろう。それが、だんだんと妖怪を打ちのめしていくうちに感覚が麻痺していった。一々殺し合うのが面倒だから、紫とスペルカードを考案した。それでも襲ってくる奴は退治した。
だからマッシブーンを見た時、私は陰陽玉をぶつけた。時々そのことを思い出して酷く不愉快になる。
こんなにも善良な奴の命を、奪おうとする人間に私はなりたくなかった。
守ろうとしてくれた日からずっと。償いにあんたを守りたかった。
けれど私は、あんたと交わした約束を破るような、冷酷で無慈悲な人間じゃないから。
ねぇ。今すぐ起き上がって、私に礼を言いなさいよ。
親指を立てて、私に……
既に色を失った目で、傷から滲み出してくる血液を見つめながら、私は呼吸をし続けていた。
そこには、胸にお祓い棒を突き刺され、仰向けに倒れている彼がいた。
動かなくなった彼を、私は呆然と見つめていた。
"心有る者の特権だろ?"
呼吸が落ち着いた途端に、酷い胸の痛みで顔が歪む。
私の目元を、奇妙な雨が伝っていた。
喪失異変 ─後編 完
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