六十五、 愉悦の終わり
雨が降っている。
私の目元を、奇妙な雨が伝っていた。
扉が開く
オマエ
は
乗っ取られる
!
突然、頭の中に浮かんだ言葉の羅列に、私はぞくっとした。
すぐさまマッシブーンの側から離れ、頭に流れ込んだものについて思考する。
オマエは、乗っ取られる?
呼吸を繰り返す。勘は冴えている。分かっていたことだが、やはりマッシブーンは乗っ取られていた。次は私の番か。
能力は恐らく……
殺してきた者を乗っ取る、といったところか。
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──まずは、あの博麗霊夢という巫女に惜しみない拍手を贈ろう。
よくぞ、私を殺してくれた。これにてマッシブーンとしての私は死ぬ。そして今度は博麗霊夢として生きるのだ。何故そうなったのかを、相手など最早いないが、語るにはある人間の話をしなければならない。
人間は幼い子供だった。名前すらもう思い出せないが、他の子供より背が小さく、足がとても速かったので、まるで妖怪のように気味悪がられていたことをよく覚えている。
あの狭い村で惨めに生きることに嫌気が差し、人間は無我夢中で走った。飲まず食わずで走り続け、疲れ果てて妖怪に捕まり、頭から食われれば助かりようがない。ある人間の一生はそこで終わった。
そのはずだった。
次に目を覚ますと、人間はどこまでも黒い世界に立っていた。光は無いが、広げた手のひらがよく見える。そして、目の前にある大きな扉が。
ぎぎぎと音を立てて開く。意識は吸い込まれる。人間は、自分を食った妖怪の記憶をゆっくりと飲み込む。そして気付けば、人間は妖怪に変わっていた。
妖怪は真っ先にどこか見覚えのある小さな村を襲った。喰らった血肉と悲鳴は心地良く、忘れられない。更なる獲物を求めて走っていると、人間だった妖怪は若い陰陽師に退治された。
妖怪は、気付けば陰陽師に変わっていた。恵まれた地位。優れた人柄。もてはやす人々。醜い子供だったことは夢だったのだ。妖怪として人を喰っている記憶も、夢だった。そう納得して陰陽師は充実した人生を送った。
ある日、真実を映し出す鏡の噂を聞いた。噂は本当だったようで、何年もかけてやっと見つけ出せた。鏡に問えば、人間は初めから陰陽師だったのではなく、魂を乗っ取ったのだと知る。
他にも様々なことを知った。人間──いや、私には命を奪ってきた相手の魂を乗っ取れる力があること。あの真っ暗な世界は魂が存在する世界であり、扉は他の世界への出口だということ。記憶を全て見た瞬間、乗っ取りが完遂され、元の魂の中身が消えることなど。とても、とても衝撃的だった。
人々の為に尽くし、最後は孤独に老いて死のうと考えていた私だったが、すっかり気が変わっていた。他者を乗っ取り、殺され、乗っ取ることの繰り返し。その循環を享受することにした。私は人間にも妖怪にも神にもなれる。涙が出るほどに素晴らしい力だ。散々虐げられてきた私には、当然の報いだろう?
数年後、偉大な陰陽師は妖怪の巣窟に足を踏み入れ、その一生を終えた。衰えた体を捨て、新たな一生を迎えるために。
丸くて小さい、本来の魂の姿になった私は、これまで何度も見たことがある大きな扉の前にいた。扉が開かれた瞬間、私は博麗霊夢の身体に移り、彼女の魂を飲み込む。飲み込まれた者は、どういう訳か全く抵抗の意思を失う。そして記憶を最後まで読み取った時、彼女は私に乗っ取られるのだ。
私とて誠実に生きようとしていた時はある。乗っ取った者がどんな生き方をしていたかを理解し、忠実に再現していたことが大半だ。しかし、博麗綾子を乗っ取って以来、私の中を大きな虚無が埋め尽くした。
『退屈』だ。幻想郷という狭い世界に閉じ込められ、私は酷くうんざりしていた。よって、博麗霊夢となり、博麗大結界を破壊する。それが私の退屈凌ぎだ。
「長かったな……」
独り呟きながら、扉が開くのを待つ。マッシブーンとやらの記憶は、今までに奪った誰よりも記憶を得るのに時間がかかった。そして誰よりも興味深かった。
「ククッ」
愉快さに笑いが止まらない。そうだ、外の世界に出たら、まずはあの密林の世界に行こう。渇ききった心が次第に潤うことを夢想する。
「さぁ、開け。」
間も無く、扉は開かれる。真っ黒な世界に眩い光が満ちる。
「私に見せろ……外の世界を!」
叫びにも似た声に呼応するように、扉はぎぎぎと音を立て──
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──扉は、開かなかった。
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代わりに、宙に漂う矮小な魂を。
背後から握り潰すように、大きな手で掴んだ者がいた。
「扉は開かない。」
そこにいたのは、真っ黒な瞳や銀色のクチバシはこの世の者とは思えない、真っ赤でムキムキな筋肉お化け。
「死ぬ前に、何か言いたいことはあるか?」
マッシブーンの怒りに満ちた言葉が、乗っ取る者を戦慄させた。
九章
『幻想郷に魅入られた男』