筋肉蚊の楽しい幻想郷観光   作:すくぇ

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 今回、フラン視点の部分では彼女の地の文やセリフなどが赤くなっておりませんが、そういう仕様ということでご容赦ください。(決して全部真っ赤にするのが面倒なわけでh)

【前回のあらすじ】
・フランの能力が雷神を回復させてしまった
・追い詰めた?と思ったらフランが焼け焦げて死ぬ運命が見える
・雷神の奥義でマッシブーンは死亡した

 追記 タイトルを『神に抗う鬼一匹』から『フランドール・スカーレット』に変更。



六十九、 フランドール・スカーレット

 

 

 

 

 フランドール・スカーレット。

 大好きなお姉さまがくれた、大切な名前。

 

 けれど、この名前で呼んでくれるのはもうマッシブーンだけ。ずっと昔から私は『狂気』と呼ばれていて、大好きなお姉さまからは嫌われている。

 

 変な臭いのする鬼に殴られまくって、気を失って、気が付くと私は真っ暗な世界にいた。ここ、どこ?不思議に思いながらぼーっとしていると、私を責め立てるお姉さまの叫び声が聞こえてきた。

 

 それが始まり。私がお姉さまに嫌われていたのだと自覚して、うるさいくらいに大泣きして、それからマッシブーンに怒鳴られた、始まりだった。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「………」

 

 真っ暗な世界──タマシイの世界とマッシブーンは言っていた──に閉じ込められて、胸の中のもやもやに構っていると、いつの間にか私は眠ってたみたい。

 

「ふわぁ〜あ……」

 

 大きな欠伸をして、眠り足りない頭をゆらゆらと揺らす。ぱちくりと自慢の赤い目を開けて、眠る前にマッシブーンに言われたことを思い出した。

 

 "明日には色々見せてやるよ。まぁ楽しみにしておけ。"

 

「……ホントかなぁ」

 

 明日って今だよね、とか、色々って何?とか、ぼんやりしながら考える。マッシブーンが言ってたように、真っ暗闇に向かって目を凝らしていると、本当に何かが見えてきた。

 

 (まぶしい!)

 

 真っ先に感じたのは、目が潰れちゃいそうな程の光。地下室を照らす灯りとは比べものにならない閃光。

 

 次に見えたのは、人間が数え切れないくらい歩いている景色だった。

 

 (えっ……?)

 

 息を呑む音がした。もちろん、私から出た微かな音。血が欲しくて唾を飲んだ訳じゃない。眩しい世界で、たくさんの人間がざわざわと歩いている景色と音が、奇妙で愉快でたまらなかった。

 

 (すごい……!)

 

 これが、地下室から出た世界。私を焼く日光がキラキラとしていて、だからこそ綺麗。

 

 (すごいすごいすごい!!)

 

 何百年も暗い場所にいた私には、少し刺激的すぎるくらいだった。

 

 

 

 

 (ダンゴ、ウドン……血液じゃない食べ物!)

 

 (えっ、泣いてる?そんなに美味しいのかな。)

 

 (人間の子供に話しかけてる。可愛いかも)

 

 (なにこの女!態度わるーい!)

 

 マッシブーンを通して感じる世界に現を抜かす私は、それまで抱いていた暗い感情や眠気をどかんと吹き飛ばされた。楽しんだり、不思議に思ったり、白髪頭の妖怪に怒ったり。だってこんなに太陽が眩しいだけで、吸血鬼にとっては最高の気分だもん。

 

 外の世界にいる人間たちは、ただ私たちに血を捧げるために生きているんじゃなかったみたい。みんな忙しなく何かをしている。地下室にいたままだったら、こんなこと分からなかった。

 

 (あー、楽しい……もっと見てたいなぁ)

 

 興奮が治まらないはずの私にも、いつもはぐっすり眠っている時間だからか睡魔が鬱陶しく襲ってきた。今目を瞑ったら意識が消えちゃいそう。分かってはいるけど、瞼がとても重たくなってしまう。少しだけ、と私は目を閉じてしまった。

 

 

 

 

「よう」

「わっ!?」

 

 いつの間にか眠っていたらしい私が目を覚ますと、人間の男が私を覗き込みながら話しかけてきた。思わず変な声を出すと、あぁそうかと人間が呟く。

 

「俺はマッシブーンだ。今は人間の姿だけどな」

「マッシブーン?……人間の時はムキムキじゃないんだ。」

「まぁな。お前、日中はずっと寝てたのか?」

「ううん。しばらくは起きてたよ。マッシブーンが言った通り、刺激的ですごかった!」

「だろ?しかし昼間は何でお前の声が聞こえなかったんだろうな。お前、絶対騒ぎまくってただろ。」

「ひどーい!本当だけど!」

 

 怒った私を横目に、マッシブーンが考え込む素振りを見せる。

 

「ま、いいか。それより今日は滅茶苦茶疲れたぜ!宗教団体をぶっ潰したりよ。お前も見てただろ?」

「えー?多分寝てたかも。」

「ガーンだぜ!いや、その方が良かったかもな。」

「?」

「とりあえず今日あったことを順に話すか。まずはな……」

 

 マッシブーンが今日一日の出来事を語り出した。私は自分で見た記憶と照らし合わせながら、その話を楽しく聞いた。

 

「──そしたらよ、アイツが風を出して守ってくれたんだ!ツンデレってやつだな。あの時は死んだかと──」

 

 そこまで言ったところで、マッシブーンの姿はすっと闇の中に消えてしまった。

 

「あれっ?」

 

 まだ途中だったのに。どうやら私とマッシブーンは真夜中の数十分くらいしか会ったり話したりすることが出来ないらしかった。そのことに気付くまでは、次会った時に「なんで急にいなくなっちゃうの!」と怒ってしまったっけ。

 

 それだけ、夜中にマッシブーンと話せる時間が大切だった。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 ある日の夜、とんでもないことが起きた。あの鎌鼬という妖怪、案外悪いヤツじゃないと思っていたのに、人間に変化してるマッシブーンをいきなり切り裂きまくったのだ。

 

 体の感覚ではまだマッシブーンと話せる時間じゃなかったけれど、至る場所から血が滲み、ずたぼろになっているマッシブーンが真っ暗な魂の世界で倒れていた。きっとマッシブーンが死にかけた時も、こうして私は彼に干渉できるようになるのかも知れない。

 

「ねぇ!起きて!マッシブーンッ!!」

 

 私は全身から汗を噴き出させながら叫んだ。どうしよう。私、何もできないの?このまま死んでいくのを黙って見るしかないの?そんなのイヤ。イヤなのに、何をすればいいのかまるで分からない。

 

 涙が溢れそうになったところで、マッシブーンの身体がだんだんと癒え始めた。びっくりしてまじまじと見つめていると、傷が塞がって少しマシになった彼が目を覚ました。

 

「あ……?フラン……」

「マッシブーン!!」

 

 倒れている人間の姿のマッシブーンに抱き着くと、少し苦しそうな声が聞こえたのでさっと離れた。

 

 私は必死になって、あの鎌鼬という妖怪を私に殺させろと何度も言った。それくらいしか、私が役に立ちそうなことは思いつかなかったから。けれど、彼は辛そうな呼吸を繰り返しながら呟いた。

 

「……傷が、治ったんだ……風に吹かれて、傷が塞がった……」

「どういうこと……?」

「アイツ、何か事情があるに違いねぇ。全部聞くまでは、アイツを殺すのは無しだ。」

「……次こそ死んじゃうよ。そうなったら私……」

「そうだよな。俺は、お前の命も預かってんだ。お前まで死なせるわけにはいかねぇ──」

「違う!マッシブーン!」

 

 怒った弾みから、私は彼の胸倉を掴んだ。私が、私の命惜しさで止めてると思ったら大間違い。

 

「私はどうでもいい!アナタに死んでほしくないの!」

「……それなら約束してやる。俺は絶対に死なねえぞ……!」

 

 たじろいでしまうくらいの気迫に押されて、私はマッシブーンから手を離した。地面にどさっと倒れると、人間の彼は下手くそな笑い顔で親指を立てた。

 

 暗闇の中に消えてしまった後のこと。結局あの八雲藍という妖怪が助けに来てくれなきゃ危なかったけれど、無事に私との約束を守ってくれた。

 

 (ほんっとうに危なかったけどね!)

 

 そのことで私が後から怒ったのは内緒。真っ赤でムキムキ(筋肉がすごい?ことを指す言葉なんだって)な姿になって人里に着いたマッシブーンは、それから毎日とても忙しそうだった。

 

 人間たちのために壊れた家を治して回り、最後には皆から感謝されるようになっていた。今となっては子供たちの遊び相手になってるくらいだ。

 

「すごいなぁ」

 

 心から出た私の声は、真昼間の彼には届かない。純粋に嬉しく思う反面、私だけのマッシブーンが取られた気がしてもやっとする。でもそれ以上に、彼のことを誇らしく思う。

 

 (私、マッシブーンに会えてよかった。)

 

 頬を緩ませて、私は彼の見る世界を味わう。

 

 

 

 

 マッシブーンが人里から帰った次の日の夕方、博麗の巫女や鬼に連れられて彼はうんと高い場所に向かった。どうも冥界という場所でソウシキ?というのをするらしい。

 

 まず最初に、紅魔館とは真反対みたいな場所だなぁ、と思った。何というか、落ち着いた雰囲気。初めて見る世界に私が心を躍らせていると、マッシブーンの目が誰かを見つけた。

 

 (あ……!)

 

 レミリアお姉さま。お姉さまを見つけた途端に、私の心臓の鼓動が速くなった。

 

 (久しぶりに見た気がする……お姉さま。)

 

 大好きなお姉さまと、いつもご飯をくれる人、今は門番をしているらしい妖怪、そして片方の私。

 

 (……?)

 

 何か変な感じ。すごくもやもやする。汗と呼吸が止まらなくなって、私は真っ暗な魂の世界に引っ込んだ。

 

 (私、お姉さまに会えて嬉しいのに……謝りたいのに……)

 

 結局、私は真っ暗な場所から出られなかった。お姉さまの姿を見るのが怖かった。ざわざわとした音だけを聞いていると、すごく楽しそうに聞こえてくる。その音だけで今日は十分だった。

 

「──よう。具合悪いのか?」

 

 マッシブーンが自分の過去を話し終わった頃、鬼たちと一緒に朝までお酒を飲む誘いを断って、彼はここにやってきた。

 

「やっぱアレか、もう一人のお前とべたべたしすぎたからか。」

「違うよ」

「ガチで具合悪いのか!ここって薬とか持ち込めるっけな」

「違うよ」

「どうしたどうした?蹲ってるだけじゃ分からないぜ。」

「わたし……」

 

 意を決して私は告白した。

 

「わたし、お姉さまが怖い。」

 

 ずっとずっと、頭の中にお姉さまがいた。お姉さまは私を責め立てる。内容は分からないけれど、とにかく私に怒りの形相で叫んでいる。きっとそれは、お姉さまの形をした罪悪感。

 

 お姉さまと向き合うことは、私がやった罪に向き合うのと同じだった。

 

 だから怖い。私はそう言った。

 

「そうか。お姉さまとのこと、忘れてないみたいで良かったぜ。」

 

 忘れるわけないじゃん。新しい世界で誤魔化してただけだよ。心の中で独りごつ。

 

「今日の葬式、どんな行事か知ってたか?」

「……みんなでお酒を楽しむ?」

「そりゃ宴会だ。ま、今日の感じなら勘違いしても仕方ねぇが……。葬式は、死んだ奴が安らかに眠れるように祈る行事だ。」

 

 それを聞いた私の体温が急激に冷えた。覚えてなかったけど、マッシブーンの記憶の中にその意味を持つ単語があった。まるで過去の私を咎めるようだった。

 

「前にも言ったが、お前はレミリアが大切にしていた奴を殺してしまった。」

「……わかってる」

「ちゃんと謝らなきゃいけないってことも、お前なら分かってるはずだ。」

「わかってる!」

 

 私は声を震わせて叫んだ。

 

「怖い……!怖いけど、私に謝らせて……マッシブーン!」

「よく言った!」

 

 大きな声で手を差し伸べたマッシブーンに、私はワンテンポ遅れて腕を伸ばす。がしっと掴んできた彼の手は大きくてあったかい。

 

「聞いてたと思うが、会う約束はもうしてる。準備しとけよ、フラン。」

「……!」

 

 驚いたけど、もう怖がらない。逃げたくない。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 それから数日後、マッシブーンは丑満時に紅魔館を訪れて、軽々とお姉さまに会ってみせた。お姉さまは機嫌良く笑っている。近くにはいつもご飯をくれた銀髪のメイド長もいる。この場に私がいるだなんて、誰も少しも思っていないだろう。

 

「──ようこそ我が紅魔館へ。冥界での宴会以来だわ。ところでマッシブーン、貴方は記憶力が悪い方なのかしら?」

「いいや?自慢だがこの頭には数万年の記憶が完璧に残っているぜ。お前に二度と来るなバーカと幼稚な暴言を吐かれたこともな。しくしく」

「素晴らしい記憶力ね。それなら良かった。」

 

 目の前のお姉さまはクスクスと笑って湯気が立つティーカップを手に取った。口の辺りに運ぼうとして、先にマッシブーンに言葉を伝えた。

 

「ま、忘れて頂戴。貴方のおかげでフランとは幸福な日々を過ごせているわ。私は貴方を歓迎する。それで、今日はどんな要件で訪問したの?」

 

 ずきり。どくん。ごくり。

 

「お前に謝りたい奴がいるもんでな。そいつから伝言を預かってるんだ。」

 

 どき、どき、どき。

 

「伝言?誰よ。」

 

 マッシブーンは、日常の会話みたいに軽く私の名前を口にした。

 

「フランだ。」

 

 当然、お姉さまは奇妙な顔をした。お姉さまにとって、私はフランじゃない。

 

「?」

「地下室に住んでるフランじゃないぜ」

 

 マッシブーンはちっとも勿体ぶらずに、謝りたい奴の正体を明かした。

 

「昔、お前たちが狂気と呼んでいて、何かを壊すことが大好きで、今は俺の中にいるフランのことだ。」

 

 パリン、とティーカップが割れる音が響く。指先に力を込めたお姉さまが持ち手を壊して、器の部分が机に落ちた。オレンジ色の液体がテーブルクロスに染みわたり、しばらく誰もしゃべらなくなる。私が今も生きていることを聞かされたお姉さまは、無表情のまま目を見開いて言った。

 

「……いるのか?消えたのではなく……今、お前の中に」

「いる。じゃあ伝言を伝えるぜ。」

 

 あっさりとマッシブーンは答えて、私から聞かされたメッセージを伝え始めた。

 

「"お姉さまへ。まずはごめんなさい。ずっと前に、お姉さまの大切な人を殺してしまいました。ずっと言えなくてごめんなさい。マッシブーンに色々教えてもらって、初めて気づけました。私がしたことは、許されてはいけないことです──」

「やめろ」

 

 お姉さまは伝言を遮って言った。

 

「続きはまだあるんだが」

「やめろと言ったはずだ。やめろ。薄気味悪い。とても、とても不愉快になる。」

 

 私は、胸をひどく殴られたような気分になった。

 

 お姉さまはとても気分を害したような顔をしていた。鬱陶しい気持ちや苛立ちが、隠れもしないで表情に出ていた。そう思っていると、それは鳴りを潜めて、二度と目を覚まさないのではないかと思うほど目を瞑り続けて、すっと神妙な面持ちになって言葉を放った。

 

「合点がいったわ。マッシブーン。貴方がいつか博麗霊夢を殺そうとするのは、貴方の中にいる狂気が貴方を乗っ取って暴れるからよ。……ええ、違いないわね。アレは何かを壊すのが大好きだから。」

「待て。フランは変わったぞ。もう何かを壊そうとする衝動は無くなった。それに、それはな。かつてはフランなりのコミュニケーションだった。誰もそれを間違いだと教えてくれなかったんだ。」

「普通、誰に教えられなくとも分かるでしょう。私が初めて怒りをぶつけた時点で理解すべきだった。だから"狂気"なのよ。貴方、随分肩入れしているようね。気が触れたのかしら?早くその狂気から解放してやらなきゃね。」

「……分かってるぜ!このフランがお前たちを苦しめたのは!確かに肩入れしてるかもしれねぇな!だが許せとは言ってないぞ。許されなくとも謝らなければならない時があると、俺が教えただけだ!責めるなら俺を責めろ!」

「身勝手が過ぎるわね。決して許されないと理解しているなら、謝罪に意味なんて無いでしょう。貴方と狂気は自己満足したいだけ。違う?」

「違うな!満足だの許しだの、結果なんぞ求めていない!この子はただ純粋に謝りたいだけだ!お前たちが忌避したあのフランが、だ!」

「フランじゃないわよッ!!」

 

 両手の拳に力を込めているお姉さまは、マッシブーンの中で見ているだけの私に叫んだみたいだった。頭がぐらぐらした。私は、私の名前は……

 

「コイツはフランだ。狂気なんて呼ばれる筋合いは……まぁあるが。それでも、ずっとお姉さまのことが大好きだった、お前の妹なんだよ。」

 

 マッシブーンが、代わりにそう言ってくれた。お姉さまは歯を食いしばっているし、メイド長は動揺している。

 

「……違う。狂気は……狂気は、495年間私たちを苦しめた諸悪の根源だ……。分かり合えるはずのない……酷く暴力的な人格だ。私の話を聞け、お前は騙されている!」

「騙されてなんかねぇ。って言っても納得しないよな。よし、そんならお前の言う狂気と話してみろ。今変わってやるから。」

「!」

 

 お姉さまが驚いた顔をした。私と話すなんてちっとも思ってなかったのだろう。

 

「元々そのつもりだったけどな。だからわざわざ丑三つ時にやって来たんだ。この時間だけ、俺はフランと話したり変わったりすることができる。じゃあ変わるぜ?」

「待て!話すつもりは無い──」

 

 お姉さまの静止も聞かずに、私はマッシブーンの身体の主導権を半ば強引に握らされた。彼と入れ替わった瞬間、身体に何か特徴でも出るのか、すぐにお姉さまは"私"になったと気付いたらしい。まるで百年目の宿敵に出会ったかのような警戒ぶりだった。

 

「………」

「………」

 

 そうして私たちは、本当に久しぶりに顔を合わせた。

 

「……お姉さま。」

「………。」

「私、マッシブーンにいろんなこと教えてもらって、ずっと謝りたくて……。」

 

 言葉より先にすべきことがある。マッシブーンの身体でしてしまうのは申し訳ないけれど。私は何度も彼と練習したことを思い出しながら、頭を深々と下げた。

 

「本当に、本当にごめんなさい。」

 

 辺りが静まり返ってから、かなりの時間が経った。私は頭を下げたまま、非難されるだけの現実からやはり逃げるように地面を見つめている。

 

「ふざけるな……!」

 

 お姉さまが静かに声を震わせてから、やっと私はおずおずと顔を上げた。

 

「なぜ!なぜ今更なんだッ!貴様がもっと早く変われていたのなら!」

 

 赤い槍を握ったお姉さまが私に大声をぶつける。怒りがありありと伝わるような叫びだった。

 

 すると今度は、奇妙だった。手に握る槍を震わせ、お姉さまはかえって頭を下げていた。でも、それが謝るためのものじゃなくて、さっき私が綯い交ぜにしたような、辛い現実から目を背けるような動作に私には見えた。

 

「貴様が、変われるということに、気付けていたのなら……」

 

 その言葉は、今日聞いたお姉さまの言葉で一番、私の心を鈍く突き刺すものだった。

 

「……もう、今日は帰れ……マッシブーン。」

 

 か細いお姉さまの声を聞いて、私は二人に背を向けた。

 

「二度と私にその存在を認知させるな……。」

 

 ドアを開いて閉じるまでに、決別の言葉が聞こえた。

 

 (さよなら、お姉さま。紅魔館。いままでごめんなさい。)

 

 

 

 

「お疲れさん。」

 

 博麗神社に到着するなり、いきなり後ろからこつんと腰を殴ってきたのは、昔、私を殴りまくってきた伊吹萃香という鬼だった。頭の中のマッシブーンは、適当に俺のフリをしとけと言っている。

 

 振り返って私は言った。

 

「お、おう。お疲れ。」

「おいおい、鬼の前で隠し事は駄目だよ?金髪の吸血鬼。」

「えっ……?」

 

 なんかバレてる?どう返事をすればいいか迷ってると、萃香がにこりと笑った。かつて私に向けた笑顔とは全然違う。

 

「よく分からないけれど、お前は良い方に変わったね。」

「そう、かな。」

「マッシブーンもそう思うだろ?」

 

 困ったので、私はマッシブーンに身体の主導権を返した。

 

「お前、俺たちのことを霧になって見てたな?」

「最近の趣味さ。なぁに、邪魔はしない。」

「別にいいけどよ」

 

 そのまま一緒に酒を飲むか聞かれたけど、マッシブーンはまた断った。博麗霊夢が寝静まっている神社の中にそっと足を踏み入れて、寝床に着くなり彼は私のいる魂の世界にやってきた。

 

「すまなかった」

 

 私に会うなり、彼はどうしてなのか謝ってきた。

 

「口論になっちまったり、強引にお前と入れ替わったり……もっと上手くいく方法があったかも知れねぇ。失敗しちまった。」

「ううん。謝らないで。もう一度お姉さまと話せたのも、お姉さまに謝れたのも、全部マッシブーンのおかげじゃん!私、どう感謝すればいいか分からないもん。」

「……お姉さまとは、あれで良かったのか?」

「うん。ちゃんと謝れたから。」

 

 私はもう二度と、お姉さまに関わらないようにした。それがせめてもの償いだって分かったから。

 

 悲しい気持ちは無視できない。私、お姉さまのことが大好きだった。私があんなことをするまでは、私にさえ優しくて、姉としての愛情を沢山くれた。そんな時があったことを、確かにあったことを忘れることはできない。

 

 ふと、あの酒臭い鬼に言われたことを私は思い出した。マッシブーンはどう思ってるのかな。私は確かめたくなって、珍しく落ち込んでいる様子の彼に尋ねた。

 

「ねぇ、マッシブーン。私って変われたかな。」

 

 彼はすぐに顔を上げて、のしっと立ち上がった。

 

「変われたに決まってるだろ。」

「本当?」

「殴りかかったりしないしな」

「最初だけじゃん!」

「立派に変わったよ」

「そう?」

 

 いつの間にか私たちは近付きあっていて、真っ赤な身体しか見えなくなったから、マッシブーンがしゃがんで私と視線を合わせた。長い銀色の口は私の右肩の上を超えて、見知らぬ方向を向いている。

 

 何も言わなくても、心が伝わったのだと思う。マッシブーンは大きな腕で私をぎゅっと抱きしめてくれた。昔、お姉さまがよくしてくれたみたいに。私の記憶は彼にも伝わっているから、きっとそのつもりでしたのかもしれない。

 

 不意に、暖かかった感覚は消えてしまった。目を開けるとマッシブーンは幻のように消えていた。彼と話したり遊んだりできる時間が、過ぎてしまったのだった。今日はお姉さまの所に行ったから、一層短く感じた。

 

 もう、何も聞こえないんだよね。

 

 私は大きく息を吸って、それから世界中に響き渡るような声で名前を呼んだ。

 

「マッシブーーーーーーーーーーーーーーーーーーン!!!!」

 

 真っ黒な世界に吸い込まれた声を、寂しくなんか思わない。伝わらなくていい。伝わったら、すごく恥ずかしい。だから今叫ぶんだ。喉を鳴らすんだ。声を出すんだ。

 

「だいすきーーーー!!!!」

 

 明日の夜に、この叫びは持っていかない。今、溢れかえった分だけここに置いていくの。

 

 息切れした私は、涙を流しながら笑った。多分、変な顔だった。マッシブーンには絶対に見せてあげない、ぐちゃぐちゃの顔だった。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 それからも色々なことがあった。綺麗な花畑を見に行ったり、フェローチェや橙と異変を解決したり、魔法の森に行って悪魔と戦ったり。特に、悪魔から貰った丸いペンダントは、私とマッシブーンの写真が入っているからとても気に入っていた。得体が知れないぜって彼は気味悪がっていたけれど。

 

 色々事が済んで、博麗神社に戻ってきた翌朝のことだった。まだ朝っぱらなのに、真っ暗な魂の世界に突然マッシブーンが現れた。

 

「あれ?」

「ん?」

 

 何故ここにいるのか、彼もよく分かっていないらしくてぼーっとしている。私もぼーっとして、現実の世界に目を向けてみると、どういう訳かマッシブーンの身体が勝手に動いている。

 

「マッシブーン、今って夜じゃないよね。」

「あぁ。そうなんだが……追い出されちまったみたいだ。今、俺の身体を勝手に使ってる奴がいやがる。」

「え?」

 

 それって誰?さらに頭が混乱しそうになっていると、マッシブーンが冷静に言葉を放った。

 

「どうも身体を乗っ取られたらしいな。」

「……大丈夫?」

「もしかしたら知ってる奴かも知れねぇ。とりあえず様子を見るぜ。」

「ふぅん」

 

 やけに落ち着いているマッシブーン。私はというと、朝から彼と一緒にいられることが嬉しい。

 

 けれど頭は正直で、段々私は眠たくなってきた。寝て覚めて起きたら、またとんでもないことが始まるのかな。マッシブーンと一緒にいると、ドキドキするようなことが沢山起きる。

 

 でも、私は知っている。

 

 どんな状況でも、どんな敵でも、マッシブーンは必ず乗り越える。

 

 強くて優しい、私のマッシブーン……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私を庇って死んだ、マッシブーン。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「残るはお前だ、小娘。」

 

 やり残した簡単な仕事に、手を付けようとするかのように。面倒だと告げるように、無表情で雷神が告げた言葉は、フランドール・スカーレットの耳には少しも入らなかった。

 

 彼女はその場に座り込み、ただ放心していた。魂が抜け落ちたように項垂れていた。

 

 (やはり弱者か)

 

 失せた興味から目を離し、雷神はマッシブーンの死体に手を伸ばした。彼を突き刺す二十五本の槍のうち一本に触れ、無造作に引き抜く。

 

 噴き出た鮮血が、フランの両目をこじ開けさせる。

 

 

 

 

 さわるな

 

 

 

 

 僅かに聞こえた声に、雷神が目を向ける。そして大きく見開く。真っ赤な液が滴る槍の先端を、凄まじい妖力の塊に向ける。

 

 恐るべき大妖怪の妖力を、雷神は認識した。

 

 (炎──)

 

 揺らめく炎の剣、レーヴァテインは遠く離れた雷神の元にまで身を焦がすような熱を放っている。絶え間無く吸血鬼の少女が流す涙は、レーヴァテインの炎で蒸発する。あまりの火力に火傷寸前の肌は、吸血鬼の再生力で常に回復している。

 

 炎の剣は、狂気すら凌駕した憤怒を心の内から引き摺り出している。

 

 (風前の灯火と言うには程遠い、小娘の炎。)

 

 次の瞬間、羽を全開まで広げたフランは雷神の胴体を真っ二つにするべく剣を振るった。咄嗟に雷神は槍で受け止め、激しい音が鳴り響く。ズサァァッ、と足を摩擦させながら彼は吹き飛ばされた。

 

 理解した。

 記憶の底から、二匹の鬼が現れた。

 

 酒呑童子。またの名を伊吹萃香。かつての雷神を追い詰め、数百年が経った今でも脅威として立ちはだかった妖怪。

 

 大嶽丸。雷神と同じく、神としての剛力と神力に優れ、かつての雷神を殺害してみせた伝説の鬼神。

 

 (この天満大自在天神に届き得る妖怪は、いつだって鬼という種族だった。侮ってはならなかった、吸血鬼よ……!)

 

 再び雷神が槍を構える。最後の敵、フランドール・スカーレットは抗い始めた。

 

「触るなぁっ!!」

 

 





お待たせしました 肺炎になって寝てましたが無事です
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