筋肉蚊の楽しい幻想郷観光   作:すくぇ

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 お待たせしました

【前回のあらすじ】
・雷神を撃破したが、これまで乗っ取られてきた全ての魂を倒さなければいけないことが分かった
・元々、マッシブーンの中には二つ魂があり、既に空っぽだった片方が乗っ取られていた。それこそが本物のマッシブーンの魂であり、今までマッシブーンを動かしていたのは生き残った人間の魂だった
・人間が殺される寸前、博麗神社で作ってもらっていた霊力の溜まり場から霊力でできた博麗霊夢が現れた

7/12
追記・戦闘描写をかなり足しました。
  ・最後の文章を削りました。



七十二、 全ての縁を紡いだ貴方へ

 

 

 (博麗霊夢!)

 

 その姿を乗っ取る者は知っていた。迸る霊力から伝わる、歴代最強の巫女。何故ここにいるのかは知らない。髪も身体も、服もリボンも青白い彼女は、全身が霊力で造られていた。

 

 ゆらりと髪が揺れると、刹那の動きで博麗霊夢がお祓い棒を構えて突き刺そうとする。瞬時に見切り、がっと片手で掴まれたお祓い棒は、先端から霊力による凄まじい衝撃を彼に与えた。

 

「ガァッ……」

 

 四本脚を摩擦させて後退りし続ける乗っ取る者。次にはもう、大きな陰陽玉が彼を正面から弾き飛ばしていた。

 

「博麗ィィィィィィィィィィィィィィィィ!!!!」

 

 完全に勝利した筈が、突然横入りした人間が妨害してきた。怒りは、それだけではない。

 

 (マッシブーンである私を真っ先に!いつから見ていた、この戦いを!どうやって見ていた!?)

 

 脳裏に浮かぶ、あらゆる不条理を可能とする者の存在。もし、彼女が目覚め、この魂の世界の戦いに関与していたなら。

 

 (悠長にし過ぎた……!こうなれば博麗霊夢を乗っ取った直後、外の世界に脱出しなければならない!私ならば可能だ、私ならば!)

 

 自らを彼方へ追いやる陰陽玉を、乗っ取る者はマッシブーンの身体で全力を込めた。完全に勢いを殺すまでに、時間はそうかかりそうになかった。

 

 

 

 

「………」

 

 一方で、人間になった男は、膝を崩したまま茫然と彼女の背中を見つめていた。

 

 彼は、確かに今、博麗霊夢に命を救われた。しかし内側にあったのは安堵ではない。正体を暴かれ、秘密を知られた苦しさが紛らわせられない程に充満していた。

 

 (……霊夢……)

 

 汗はまだ全身から噴き出ている。息は落ち着かず、腕にも足にも力が入らない。マッシブーンだった時の姿とは百八十度違う、貧弱な人間。

 

 博麗霊夢が振り返ることを、彼は恐れていた。

 

 

 

 

 霊力で造られた少女は振り返らない。

 

 代わりに、人間の胸の奥から、小さな声が聞こえた。

 

『よかった』

 

 声色は震えていた。

 

『生きてた』

 

 現実の世界では、雨はとうに止んでいた。

 

『あんたを救えて、よかった……』

 

 しかし、ぽつぽつと降る雫が、胸にお祓い棒が突き刺さった真っ赤な身体を濡らしていた。

 

 

 

 

 男は胸の奥を締め付けられるような、目の奥を絞られているような感覚がした。

 

『──おい、マッシブーン!私の声が聞こえるか!』

 

 今度は別の声がした。

 

『……レミリアスカーレットより、敵討ちに感謝する!お前はもうその辺で寝転んでいろ!後は博麗霊夢がどうにかするはずだ!何、出来ないのか!?おい……』

 

 別の声が押しのけられて、別の声がした。

 

『おいマッシブーン!雷神殺すだなんて痺れちゃったよ!でもね、お前諦めてんじゃないよ!数千年ものの角を折られたんだ。生きて帰って、酒呑みに付き合うくらいしなきゃねぇ!』

 

 次々に、声がした。

 

『マッシブーン!私、よく分かんない!分かんないけど、お願い、死なないで!』

『生きて帰りなさい、マッシブーン。また紅魔館に来て、話をして……メイドの仕事を手伝って頂戴。』

『『立ち上がれよマッシブーン!お前は悪くねぇ!私たちがついてるぜ!』』

『皆がお前を見守っている。皆が力を貸している。そして、私の主との約束を果たさなければ生涯許さんぞ。マッシブーン。』

『聞こえるかーー!!私も人間だったんだ、マッシブーン!誰かを犠牲にしたとか、お前だけは気にすんな!私と違ってお前は良い奴だ!私たちが一番分かってんだ!』

『生きてッ!絶対に生きて帰りなさい!!話したいことがあるの、絶対に!!』

 

 がやがやと。わやわやと。

 

 楽園の素敵な巫女に、高貴な吸血鬼姉妹に、伝説の鬼に、瀟洒なメイド長に、二人の魔法使いに、最強の妖獣に、不老不死の少女に、真っ白な月の怪物に。

 

 

 

 

 そして、目の前の霊力で造られた博麗霊夢には、既に神降ろしが行われていた。

 

 いつの間にかそこに立っていたのは、風神──月光を呑む蒼鬼神──井伊奈良古乃樹。

 

 またの名を、鎌鼬。

 

「久しいな」

 

 白い髪の少女は、着物に身を包んで人間の目の前に無表情で立っていた。

 

 男は、ぽかんとして鎌鼬を見ていた。いつぶりだっただろうか。死んだのか、クワと慎ましく暮らしているのか、手紙さえ寄越さなかった彼女を、彼は心の何処かで気にかけていた。

 

「か……」

 

 小さく名前を呟く瞬間、男の動体視力が四つの羽根を動かして此方に腕を振りかぶる真っ赤な怪物を捉えた。

 

 男が叫ぼうとする前に、鎌鼬はさっと怪物の方を向いた。

 

 マッシブーンの上に、巨大な腕と拳が浮かび上がる。人間を粉々に消し飛ばす威力の技、『アームハンマー』が、彼らに致命傷を与えるべく振り下ろされた。

 

 しかし、鎌鼬は涼しい顔をしている。『アームハンマー』はぴたりと鎌鼬に当たる寸前で止まり、背中の風袋はみるみるうちに膨らんだ。

 

 (風神……!?)

 

 乗っ取る者は驚愕せざるを得なかった。雷神が攻撃の神であれば、風神は防御の神。あらゆる攻撃を背中に背負った風袋に吸収する。だが、何故風神がここにいる。

 

 考える前に、乗っ取る者はマッシブーンから大嶽丸に姿を変えた。一瞬にして生成された氷の剣が四方八方から彼らを襲う。しかし、見えない結界が阻むように氷の剣は全てぴたりと停止した。

 

 そのうちの一本の氷剣を、いつの間にか大嶽丸は初めからそこにいたかのように両手に持っていた。鬼神は男を直接刺すように剣を前へと突き出したが、やはり寸前で止まる。

 

「ちぃっ!!」

 

 男が遅れて気付く。大きく膨らんだ真っ白な風袋は、鎌鼬が向きを変えるのに合わせてゆらりと揺れた。

 

「頭を下げろ」

 

 言われた通りに、すぐに人間は姿勢を低くした。そして彼女が手を伸ばした刹那、ごぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉと極限まで強まった風が一度に放出され、風袋は萎み、大嶽丸に声すら出させず、遥か遠くまで消し飛ばしてしまった。

 

 両目は関心を失くし、今度は人間の男を見る。

 

「──奴は他者との繋がりを何一つ持っていない。恐ろしく孤独な奴だ。」

 

 無表情を崩さないまま、穏やかに鎌鼬は言った。

 

「お前はどうだ?比べてみろ。お前を待つ者共は、この上無く騒がしいな。まるで誰かをもてなす酒盛りのようだ。」

 

 男の胸にある霊力の溜まり場からは、がやがやと騒ぐ声が聞こえてくる。鎌鼬が人差し指を出すと、男の髪は強く靡き、風の知らせが一つの光景を見せた。

 

 博麗神社の境内に、真っ赤な怪物が倒れている。その周りを囲むように、人間や妖怪などが集まっている。皆それぞれ必死であったり、心配そうにしていたり、感情を露わにしている。

 

 その中心にいる男に鎌鼬は言った。

 

「思い出せ。この饗宴(饗縁)は、お前自身が紡いだんだろうが。」

 

 息を呑むと、光景はそこで終わった。

 

 男の目を、たった一滴の水滴が潤わせていた。黒くつぶらであった瞳は酷く乾いていたはずだった。

 

 胸も目頭も、燃えるように熱くなった。羨んでいた、忘れていた弱さを、彼はすぐには拭えずにいた。

 

 鎌鼬……

 

 やっと名前を呼ぼうとすると、その前に彼女は仏頂面をフッと崩し、風になって消えてしまった。

 

 後に残る男に、暖かい風が吹く。髪を掻き上げ、涙を吹き飛ばすように。包み込むような風の流れは、一つの伝言を彼に届けた。

 

 "魔法の森の香霖堂に、私の娘が住んでいる。あの子に、愛していると伝えて欲しい。"

 

 聞こえた言葉に彼は一瞬目を見開いた。それから瞳孔を小さくし、徐に立ち上がる。

 

 (鎌鼬。霊夢。皆。──────。)

 

 太陽に照らされたように、彼の心には強い光が差し込んでいた。

 

 (馬鹿だった)

 

 今までの中で最も強い力を胸に抱えながら、彼は両拳を握った。

 

 (皆が俺を見てくれている。)

 

 全ての一人を、全ての一匹を、想起する。その中の一人が、胸の中から彼に話しかけてきた。

 

『記憶は見たから分かるでしょ?』

 

 博麗霊夢は言う。

 

『使って。私の能力。』

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 彼方まで吹き飛ばされ、倒れていた大嶽丸は息をしながらぐぐぐと立ち上がった。

 

「風神だと……」

 

 一体どこまで邪魔をしてくるのか。ふつふつと怒りを沸かす鬼神の目の前に、一瞬で移動してきた鎌鼬が現れる。びゅううううと風が吹き、大嶽丸は両腕で守るようにしながら後退りした。

 

 そうして視界が遮られた彼女の腹に、風が吹く。

 

「ぐ」

 

 腹部を強い力で蹴られた大嶽丸は血を吐く代わりに大きな炎の塊を吐いた。

 

「があっ!」

 

 ぼおおっ、と鎌鼬を燃やし尽くす至近距離の火球が噛み砕かんとする龍のようになる。上半身が呑み込まれる寸前、鎌鼬は風になってその場から消えた。

 

「酒呑の真似事か!」

 

 風と共に移動する妖力を目で追いながら、大嶽丸は腰の宝剣を二本同時に抜いた。

 

 (数百年前とは比べ物にならない強さ!何処で風神の力を手に入れた……!隠していたのなら分かった筈だが……だが、何はともあれ今の奴は妖怪に戻っている。)

 

 風神の姿は防御に特化している故、大嶽丸を殺しきることはできないと判断したのだろう。だが、無敵の防御を捨てたことは鬼神にとって寧ろ好都合だった。

 

 (既にあの人間は折れた!脅威はお前だ、鎌鼬!)

 

 近付いた瞬間に真っ二つにする。大嶽丸が妖力を全身に張り巡らせ、剣を握る両手に力を込め、そう思っていた矢先──

 

 鎌鼬は近寄ることなく、極限まで圧縮された妖力の塊が大嶽丸の四方八方を囲んだ。

 

 (怯むと思っているのか?)

 

 目をこじ開け、神通力により視界を全方位に広げる。一瞬、風になっていた鎌鼬が現れ、妖力の塊を全力で殴った。

 

 鬼の全力の拳を遥かに凌駕する、『疾風』が大嶽丸の背に放たれる。彼女は青筋を立てながら片手に持つ宝剣で疾風をぶった斬った。

 

 間隔を空けず、鎌鼬は険しい目付きをしながら疾風を怒涛の勢いで放った。しかしその全てが、大嶽丸の神速と怪力による二刀流に斬られてしまった。

 

「くだらん」

 

 鬼神が呟くと、風の状態を保つことができなくなった様子の鎌鼬が遠くの方に姿を現した。ハァ、ハァ、と強く息をしている。

 

 (鬼神大嶽丸……格上も格上だ……)

 

 鎌鼬が激しく呼吸をしながら前方を見た。狂気的な笑みを浮かべた大嶽丸が、二本の宝剣を振り上げ、今度は彼女を斬ろうと足を踏み出して走り出す。

 

 (まぁ……だから何だという話だ)

 

 疲労困憊という風に鎌鼬は俯いた。青白い髪が汗と共に垂れ落ちる。まるで斬首を待つかのようだった。

 

 容赦無しに、間近まで近付いた大嶽丸が剣を振り下ろす。

 

 瞬時に、鎌鼬は凄まじい妖力をその身に纏った。

 

 (死力を尽くさぬ理由にはならない。)

 

 彼女は再び風神と化した。大嶽丸による即死の一撃は、全て背中の風袋に虚しく吸収される。

 

「貴様ァッ!!」

 

 目の前の卑怯者に大嶽丸は激昂した。彼女は疲労しているフリをし、鬼神を謀ったのだった。燃える感情の渦中にいながら、大嶽丸は冷静に風神から離れる。

 

 その瞬間、二つの宝剣を握っていた両指が一度に切り落とされた。

 

「!!」

 

 鎌鼬が手で横に空を切り、見えない鎌が鬼神の指を落として血液を噴き出させた。即座に彼女が手のひらを伸ばすと、二匹の龍のような烈風が宝剣を暗闇の彼方へと消し飛ばしてしまう。

 

 (しまっ──)

 

 宝剣を失った大嶽丸が焦燥感を抱く間も無く、鎌鼬が周囲に風を張り巡らせてドーム型の結界を張った。

 

 結界は、狭い空間に二匹の妖怪を閉じこめた。鎌鼬は風神から元の姿に戻り、全身を淡い緑色に光らせる。

 

 鎌鼬は全ての妖力を用い、怒りを込めて奥義を発動した。

 

 "殺風景色"。

 

 

 

 

「………………」

 

 真っ赤な怪物は、鎌鼬を殴った拳を依然として握りながら無機質な目を向けていた。

 

 (ここまでか)

 

 鎌鼬は限界を悟った。霊力でできた彼女の頭の上半分が消し飛ばされている。傀儡のようなものであるから、血も何も出ていない。彼女の身体は青白く光り、今にも露散して消えそうであった。

 

「流石、酒呑の弟子だった。まさか(大嶽丸)を殺しきるとはな。本当に強かった……お前を乗っ取りたかったよ、鎌鼬。」

 

 賞賛のつもりで言葉を述べる怪物は、余裕を持って鎌鼬に近付いた。足音がすぐ側まで聞こえると、鎌鼬は全力で前方を殴った。拳は怪物に掴まれ、ぐしゃりと握り潰された。

 

 青白い霊力が真っ暗な空を昇る。既にその場を去った怪物を、両目の無い鎌鼬は追うことができない。

 

 (マッシブーン。)

 

 彼女は力を抜き、膝から地面に着いた。すると膝は崩れ、彼女はばたりと俯せに倒れた。

 

 (私は呪いに蝕まれていた。変わることを許されなかった。人を愛せば、たちまち死が這い寄った。)

 

 霊力の身体は崩壊しつつある。

 

 (だが、一度死んだからだろうか。私は呪いから解放され、風神として博麗の巫女に降ろされる存在となった。お前を無理に嫌うことなく、お前を守るために全力で戦えた。)

 

 青白い煙となって、彼女は消える。

 

 (嬉しかったよ)

 

 誰にも見せない笑顔を、鎌鼬はした。

 

 

 

 

 (微かに霊力を感じる……奴はまだ見えない。やはり歴代最強か、博麗霊夢。あぁ、今から乗っ取るのが楽しみでならない)

 

 真っ赤な怪物の姿をした乗っ取る者は、四本脚を盛んに動かしながら前へ前へと進んだ。

 

 (ようやくこの幻想郷を抜け出せるのか!外を知る私には、窮屈でつまらない場所でしかなかった。潮時だ、八雲紫。月を手に入れる前に、お前も幻想郷を広くすればいい。貴様の代わりに私が結界を壊してやろう!)

 

 広い視界で暗闇の中から一人の男を見つけると、其方に方向を変えて一目散に走った。

 

 あっという間に距離が縮まる。

 

 (その為に死ね、人間!)

 

 低く浮きながら真正面を見つめる男を、逞しい腕が貫いた。

 

 

 と、思った。

 

 (……な……)

 

 ぶおんと、殴り殺すべく動かした拳が空振りした。何かの間違いか。男はまるで透明人間のように、されど姿ははっきりとしていて、それでいて乗っ取る者の攻撃を避けたのだった。

 

 博麗霊夢の『宙に浮く程度の能力』。その真価は、あらゆるものから浮くことで自身に対する全ての干渉を無視する『夢想天生』。マッシブーンは血を吸うことでこれを無意識に奪い、霊夢の記憶を頼りに完璧に会得した。

 

 

「誰の身体と思ってやがる」

 

 乗っ取る者が振り向くと、そこに人間はいなかった。

 

 代わりに、真っ黒な瞳や銀色のクチバシはこの世の者とは思えない、真っ赤でムキムキな筋肉お化けが浮いていた。

 

 気付いた時にはもう間に合わない。無尽蔵を思わせる程の霊力を肉体に宿し、強靭な筋肉を更に大きく膨らませた彼が、一つの技を放っている。

 

 マッシブーンの膨張した両腕が、一途に妖怪を捉えた。

 

 

 

 

 (やってやろうぜ、マッシブーン)

 

 

 

 

 [ PP 0 / 30 ]

 

「インファイトォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!!!!!!!!!!!!!」

 

 ずがががががががががががががががががががががががが、と無数の拳が真っ赤な怪物を突き刺した。その一撃一撃が絶大な威力を持ち、乗っ取る者の数々の魂を破壊する。

 

 殴られていくうちに、乗っ取る者の姿は次々に変わっていった。真っ赤な怪物。龍の妖怪。貴族の人間。高名な陰陽師。八百万の神。誇り高き大天狗。若く優秀な陰陽師。矮小な人間。

 

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!」

 

 インファイトを放って五秒が経過した。持続時間が終わる。それでもまだ殴り続ける。

 

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」

 

 力尽きるまで、殴り続ける。

 

「オラァッ!!」

 

 やがて渾身の一撃を放つと、乗っ取る者が獣の姿になって遠くに吹っ飛んだ。

 

 

 

 

 息切れしているマッシブーンには見覚えがあった。彼が幻想郷に来たばかりの時に、霊夢を襲っていた妖怪そのものだった。

 

「──よう。久しぶりだな……」

 

 怪物が話しかけると、獣は一目散に逃げた。

 

「ハァッ……ハァッ……!」

 

 舌をでろんと出しながら、乗っ取る者はひたすら扉に向かって走った。

 

 やがて辿り着き、他の誰かに変身しようとしたが、もう魂は残っていない。獣のまま、身体をぶつけてみたり、前足で叩いたり、爪で引っ掻いたが、扉は開かない。

 

「ハァッ!ハァッ!ハァッ!」

 

 全身から汗を噴き出して、獣は必死に虚構の希望を扉へとぶつけた。開けばきっと、博麗霊夢の魂の世界に行ける。開きさえすれば。

 

「何してんだ?」

 

 そこに、追いついてきた怪物が声をかける。獣は全身を針に刺されたような感覚がした。

 

「賭けるしかねぇよ、お前は。俺が自害を恐れるような腰抜け野郎だってことにな。」

 

 無表情のマッシブーンが見下ろす。目の前の敵は死を臆さない。乗っ取る者にはよく分かっていた。

 

 それだけではない。

 

 (理解してしまった)

 

 獣は聞こえないくらいの息遣いで、終わりが来る恐怖に怯えていた。

 

 (あれは、博麗霊夢の能力だ……。それを、お前は持っていた。いや……違う……!模倣などではない……)

 

 思い返すのは、現実世界でマッシブーンの身体を乗っ取り、博麗霊夢と戦った時だった。あの時、彼女は一度も攻撃を透かせる力を使わなかったと、獣は覚えている。その答えが、眼前にあった。

 

 (()()()()()……!お前は、奴から能力を!万物に干渉されない力も……雷を恐れぬ力も……私から、()()()()()()()()()()()()()()()!)

 

 獣は目を見開き、過呼吸になった。

 

 (……いつだ。いつ奪った……いや、今から奪われるのか……?だ……だから……この扉は、もう、開かないのか?お前のために、開くのか。私がそうしていたように、お前に全て、奪われたのか……!?)

 

 獣は理解してしまった。気付かない方が、恐らく楽に死ねた。もしや身体を奪えるかも知れないという淡い希望に、縋り付くことができた。

 

 目の前の怪物は黙って拳を握っていた。しかし、一歩も近付かない。最後に言い残すことを待たれているのか。獣はまたもや理解した。

 

 必死になって、絞り出した言葉。

 

「……な……情けを……情けをくれ……。」

 

 弱き者の命乞いだった。

 

「私は……私は、お前を殺すことができた!その気になれば、会話もせず、即座に殺すことだって!情けをかけたんだ、私は!」

 

 乗っ取る者はひたすらに声を吐き出した。

 

「た……頼む……。お願いだ……。私を……許してくれ……」

 

 獣が言葉を止めると、真っ暗な世界はしばらくの間だけ相応の静けさを保っていた。

 

「お前、その姿で喋れるんだな。」

 

 至極どうでもいいことを呟き、マッシブーンは言った。

 

「そりゃあ誰だって死にたくはねぇ。俺もお前も根っこの部分は同じだ。」

 

 獣が徐に顔を上げる。怪物は変わらず仏頂面をしている。何かが変化するとすれば、それは目の中に映る獣の戦慄した表情であった。

 

「必ず殺すって言ったよな」

 

 一歩、のそりと進んだだけの細い脚に、獣の身体の力はすっかり抜けてしまった。

 

「カッ……!」

 

 上手く呼吸ができなくなり、獣は後退りしようとしたが、後頭部が大きな扉にぶつかった。

 

「アァ……!!」

 

 全身が汗でぐっしょりと濡れている。精神を極限まで擦り減らし、錯乱する。乗っ取る者は目を大きく見開いて発狂した。

 

「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!」

 

 獣が目の前へと飛び出していった。長い爪で、マッシブーンの胸を突き刺そうとした。

 

 だが、殺意を込めた手は軽々と、素早く真っ赤な怪物に掴まれた。

 

 乗っ取る者は、全てを諦めたように動きを止めた。

 

 (あぁ……)

 

 握られた拳が放たれる寸前、頭に浮かぶ言葉は一つしかなかった。

 

 (お前さえ……いなければ……)

 

 ぐしゃり。

 

 獣は頭を潰され、辺りに血を撒き散らした。

 

 

 

 

 魂の世界にぽつりと、マッシブーンだけが立っていた。

 

 ふぅ、と一息吐くと、彼は徐に四本脚を曲げてしゃがんだ。

 

「テメェが最後に吸う血かよ。」

 

 不服そうに言いながら、マッシブーンは滑らかな黒い地面に片手をつき、その細長い銀色のクチバシを獣の死体に突き刺した。

 

 ちゅうちゅう、と彼は血を吸い続けた。終いにごくりと大きく喉を鳴らすと、ふらふらと真っ赤な身体が歩き出した。

 

 (忘れてねえとも)

 

 ゆらゆらと揺れながら歩く。歩いていたが、途中で彼はゆっくりと動かなくなった。

 

 (テメェの血は毒だったな。)

 

 ぷしゃっ、と小さな針状の口の穴から、真っ赤な血が噴き出る。

 

 (そんで意識失ったんだ)

 

 彼は初めて幻想郷にやって来た日を思い浮かべた。あの時の視界には、寒そうな巫女服に身を包んだ博麗霊夢が映っていた。今は誰もいない。少女たちにもう一度会いたいと思ったが、どうやら難しそうであった。

 

 (……これで、乗っ取られる前に、死ねるな……)

 

 彼の意識が朦朧としてきた。胸の辺りに苦痛が広がる。

 

 追憶せずとも、とめどない走馬灯が頭の中を駆け巡った。

 

 無表情で見送る博麗霊夢。にこにこしながら酒を飲む伊吹萃香。人形のような顔を崩して微笑む十六夜咲夜。飛び込んで元気そうに笑ったフラン。柔らかな表情をしているレミリア。美味しそうにうどんを食べていたクワ。満足気な笑顔を見せた八雲藍。真顔で親指を下に突き立てた鎌鼬。旧友の過去を楽しそうに聞いている西行寺幽々子。横で負けじと走っていたフェローチェ。殺し合いに嬉々としていた藤原妹紅と蓬莱山輝夜。静かに眠っている霧雨魔理沙。無邪気な笑みを浮かべたフラン。

 

 ぽろぽろと涙を流して、再会の約束を誓った金髪の少女。

 

 (……結局)

 

 愛憎混在の別れが、鮮明に浮かんでいた。

 

 どこかにいるのであろう彼女に、もう一度会うことは叶わなかった。約束を守れなかった。その想いが、意識の途切れる寸前まで離れなかった。

 

 (……会いたかった……な……)

 

 やがて、目の前さえも真っ暗になる。広がる景色全てが暗闇に包まれた、孤独な魂の世界で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 突然、奇妙な音と共に二つの赤いリボンと裂け目が現れた。

 

 開いた裂け目から、長く美しい金色の髪をした少女──八雲紫が顔を出す。

 

 にこりと笑った少女は手を伸ばした。

 

 朦朧としている意識でも誰なのかがはっきりと分かった。そして、死にかけの彼に大きな衝撃が走った。再び命を吹き込まれたように、身体が動力と意思を取り戻した。

 

 指先を静かに動かす。緩やかに腕を伸ばす。

 

 

 

 

 大きな手と小さな手が、一つに重なった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 幻想郷に魅入られた男 完

 

 





 お読みいただきありがとうございました。残り2話です。文中にも出しましたが、饗縁という曲がとても好きです。
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