こうして青年と姫様は城から抜け出しどこか遠い場所で幸せに暮らしましたとさ。―裏―   作:歩(ホ)

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その2

3。

 

 

 それから私のほうから微妙なぎこちなさを残して、一年の月日が流れた

 

 

「どう……かなゼンメイ? 服、変になってないかな」

 

 

 客室を置かれた金淵の鏡の前で、クルクルと自分の尻尾を追い回す子犬のように回るフィル。

 

 フィルと私は今、フィルの思い人が居る隣国へと足を伸ばしている。

 

 来てみれば成程、たしかに来る途中の道は荒れていて小石だらけで舗装もままならない。街も私の国のような石畳ではなく普通の地面だ。

 

 ただ貿易は盛んで自国以上に街には活気が溢れている。というより国からの儲けが少ないから貿易に頼りざる負えないんだろう。

 

 そしてついさっきこの国の王の謁見を済ませたところだ。

 

 名門中の名門にしてその身分に驕れること無く精進してきたフィルは、自国のみならず小国の王すらも耳にしたことがあるほどに噂になっていた。

 

 それに加えて過去にも面識があるために姫との縁談の件はトントン拍子で進み、すぐに姫と会えることとなった。

 

 

「……若、少しは落ち着いたらどうなんですか?」

 

「お、俺は落ち着いてる……ぞ?」

 

「ならなんで聞くんですか」

 

 

 一人称も変わり(フィルが僕は男らしくないとのこと)、昔の面影を残しつつ引き締まった体の青年へと成長したフィルは、椅子に座るとまたソワソワとしはじめた。

 

 それが全て私ではない1人の女性に向けられていると思うと、私は何とも言えない気持ちになった。

 

 絶対に勝てない恋敵、その人を待つフィル。私に入る隙間なんてものは無い。

 

 

「やっぱり、嬉しいですか? 姫に会うのは……」

 

 

 私の心境など、当然知らないフィルに自分の胸の声遠まわしに吐き出す。

 

 

「当然だよ。もう何年ぶりだろうか、……早く会いたい」

 

 

 遠くを見るような目でフィルはそう答えた。

 

 また泣きそうになる。軍の訓練で、あれほどまでに心身共に鍛えたはずなのにそれも意味を成さない。

 

 胸がグシャグシャになりそうだ。もう、この場から去りたい。

 

 私にとってフィルは大切な存在だ。フィルだってそう思ってくれているはずだ。

 

 だけど、それはある一つの見解で大きく意味が異なっているんだろう。そう思うと、さらに辛くなる。

 

 そんな不毛なことを延々と考えていると、コンコンと扉をノックされた。

 

 

「っ!」

 

 

 途端にフィルの背筋が伸びる。そしてすぐに扉が開かれた。

 

 男装をした明らかな女性が開けた扉の奥から、控え目なドレスを身にまとった少女が現れる。

 

 私はその少女の容姿に息を飲んだ。

 

 これほどの美女がこの世に存在するのか。雪のように白い肌は、そのドレスの純白と遜色がない。

 

 たしかにフィルが惚れるのも無理はない。胸も目測では私よりも大きい。

 

 ちなみに私は生まれてこのかたブラジャーというものをつけたことが無い。単に付ける意味がないだけなのだけど。

 

 一瞬その少女と目が合うが、すぐに逸らされフィルの向いの椅子へと腰掛けた。

 

 その後ろにさっきの男装の女性が立つ。

 

 

「久しぶりだね、スラル」

 

 

 フィルから切りだした言葉にスラルと呼ばれた姫は応えない。

 

 無口というより無反応だ。まるでフィルに興味がないようだ。例えれば人形だ。その容姿がその例えを加速させる。

 

 またフィルが口を開き、一言二言言うがスラルは首を振って応えるだけだ。

 

 懸命に話を振るがすぐに話のタネが尽きたフィルは、最後に残していた言葉を口にする。

 

 

「スラルの、『皆が笑える幸せな国』を作れるように今まで努力してきた。きっと作ってみせる。だから、俺と結婚してほしい」

 

 

 昨日までこっそりと私相手に練習してきたおかげか、噛むこともなく早すぎる本題をはっきりとした口調でフィルは言った。

 

 言った後、赤くなっていく自分の顔に気づいたのかフィルは視線を落とす。

 

 その言葉にもスラルは無反応かと思ったが、それは違った。

 

 見れば、スラルはどことなく辛そうに若干眉を寄せて首を傾けていた。

 

 それを見て、私は彼女の心境を悟った。

 

 

「……―――キア」

 

 

 そしてそれを裏付けるかのように、蚊が鳴くようにスラルは誰かの名を呼んだ。

 

 彼女にも……スラルにも思い慕っている人物が居たのだろう。それは確実にフィルではなく別の誰かだ。

 

 でも私はそれを言える立場でもなく、フィルが顔を再度スラルを見たときには元の無表情へと戻っていた。

 

 

「フィル、あなたと……結婚……します」

 

 

 スラルが噛み出すように一言一言言葉を紡ぎ、紡ぎ終わった後フィルの表情は今までに見たことの無い歓喜の表情をしていた。

 

 緊張していたフィルにスラルのその言葉に隠された真意なんてわかるはずもなく、その日の面談は表向きは大成功で終わった。

 

 後日、聞いた話ではスラルは既に幾度となく縁談を蹴っており、父から受ける圧力も日に日に強くなっていたとか。それがフィルとの縁談の成功の一因になったのだろう。

 

 そして一人息子であるが故にフォンブラウン家から猛反対を受けるが、国王であるスラルの父とフィル自身たっての希望でフィルはスラルと婿養子という形で結ばれることになった。

 

 

「ゆ、夢じゃないよな!? なぁゼンメイ!」

 

「浮かれ過ぎです。ほら、明日も王と謁見するんですからもう寝てください」

 

「そう……だな、うん。じゃあもう寝るよ。おやすみ、ゼンメイ」

 

「お休みなさいませ、若」

 

 

 側近としてフィルの護衛を務める私は、部屋から出て扉のすぐ近くの壁へ背を預けた。

 

 遥か東方の地からやってきた私の愛剣、『カタナ』と呼ばれる細見の片刃剣の芸術とも言える波紋を護衛の傍らに眺めていると、ふと、目の端に何かが写った。

 

 

「……あれは」

 

 

 窓の向こうに見えた微かな違和感。それを目で追ってみると向いに見える部屋の一室、その窓から月夜に照らされて真白に輝くカーテンの束だった。

 

 いくつも繋ぎ合わされ地面へと落ちたそれは、まるでおとぎ話に出てくる姫さまが城を抜け出すために使うカーテンのロープ。

 

 そしてそれを伝って降りて行くのは、町人の服を着たスラルだった。

 

 そんなことをしてどこへ行くのだろうか。

 

 ……そんなの簡単だ。おとぎ話の通り、想い人の所へ行くに決まっている。

 

 何度もやったことがあるのだろう。彼女の行動には慣れがあった。

 

 

「若……すいません」

 

 

 そう言葉を残して、私は姫のあとを追った。

 

 暗部の訓練を受けた私が、ただの娘に見つかるはずがない。難なく尾行に成功し、スラルが向かった先は、城下町にある一つ宿だった。

 

 見れば宿の窓は全て都合良く開け放たれていた。

 

 宿向いにある住宅の主人に金を握らせ、宿がよく見える場所から私はその場を観測する。

 

 一つ一つ部屋を確認して、すぐにスラルを見つける。

 

 姫は泣いていた。一人の男に抱きつき泣いていた。

 

 男はスラルが泣きやむまで抱き締めると、淡くスラルの唇に口づけをした。そして一言二言言葉を交わすと、男はスラルを部屋から追い出した。

 

 憔悴したようにトボトボと重い足取りで城へと帰る姫を再度尾行して、私はフィルの護衛へと戻った。

 

 それから10日後、街全体を賑わすフィルとスラルの結婚式が三日三挽に渡って行われた。

 

 

「スラル、君を幸せには出来ないかもしれない。でも、絶対に不幸にはさせない」

 

 

 この言葉は結婚式の最後、式を締めくくる誓いの口づけの時にスラルの無表情の中に何かを見たフィルが弱気になって言った言葉だ。

 

 そして熱意と根気によってフォンブラウン家とのイザコザを解消したフィルが、その悪夢のような報告を聞いたのは、結婚式から僅か10日後のことだった。

 

 

4。

 

 

「―――今、なんて言った……?」

 

 

 フィルはその言葉の重さを受け止めきれず、もう1度言うように言った。

 

 義父たる先王に王として役割・使命などの教えを受けていたフィルの元に、ノックもせず駆け足で入ってきた家臣の一人は再度さっきと一語一句間違わずに同じ報告をした。

 

 

「スラル様が失踪しました」

 

 

 先王の言葉も、私の言葉も聞かずフィルは飛び出しスラルの部屋へ向かった。

 

 あの時のカーテンを繋ぎ合わせたロープが、あるだけだった。

 

 枕を投げ、ベットを引っくり返し、衣装棚を開け放ち、追いかけてきた家臣と私にスラルを探すようにフィルは言った。

 

 城内を駆け巡る中、私は後悔していた。正直、彼女の……スラルの意思の強さを測り損ねていた。

 

 スラルの逢引きを知った時、私はフィルに伝えなかった。彼の想い人が、そんな世俗的なことをするはずがないと彼自身が信じていたからだ。

 

 そしてスラルの容姿を見たとき、私は彼女が意志薄弱な人間だと第一印象を受けていた。

 

 いくら私がフィルのことを好いていたとしても国に関わる問題だ。破談にする気など毛頭無かった。なによりフィル自身が望んでいることだ。

 

 なら私は彼のためにスラルのことは伝えるべきじゃない。

 

 いくら一途でも人間だ。結婚し、子供を産み、永い時を共に過ごせばそこにいずれそこに愛が生まれる。子が繋ぐ愛でいい、それだけあればフィルとスラルは繋がることが出来る。

 

 それも彼女が相手だ。父からの逃げられない圧力。意志が希薄な彼女は、あの男を追いかけるような真似をするはずがない。おあつらえ向きな相手だった。

 

 だが、その予想も全て覆ってしまった。

 

 初夜もまだな内に逃げられる最大の誤算。籠の中の鳥に自力で抜け出された。

 

 

「……ふぅ」

 

 やはりというか、予想通り城の中には居なかった。

 

 誰に聞いても知らぬ存ぜぬ……ただの小娘にしてはよくやる。誰にも悟られることなく、誰にも見られることなく城を抜け出した。

 

 よほど入念に準備していたのか、それとも協力者が居たのか。

 

 今はまだ判断するのには材料が少ない。

 

 彼の居る執務室に戻り、報告を済ませるとフィルは頭を抱えてグッタリと思い息を吐く。

 

 

「若……」

 

「自分に不満があったんだ」

 

 

 心配して声掛けると、フィルはそう言った。

 

 その日からスラルが失踪した事実から逃げるようにフィルは執務に没頭しはじめた。

 

 

「―――きっと帰って来てくれる。あの結婚式に言った言葉は男らしくなかったんだ。今度はスラルを幸せにする努力をしてみせる」

 

 

 食事もロクに取らなくなったフィルの体調を気に掛けて、少しでも執務をやめて休憩するように言ったがクマを溜めた笑顔で見当違いな答えを返された。

 

 驚異的なスピードで抜かりなく書類を仕上げ、家臣と兵を適材適所に振り分けても彼が休むことは無かった。

 

 そうして心身ともにフィルが衰弱したのを見計らったように、あの時の男装の女が私達の目の前に現れた。

 

 遠征から帰ってきた男装の女は、フィルの衰弱しきった顔を見てすぐ様フィルの元へと近づいた。

 

 

「王……少し、お休みになられた方がいい」

 

「いや、しかしな……」

 

 

 両手で頬を掴まれて顔を覗きこまれたフィルは、戸惑って言葉を濁す。

 

 

「適度な睡眠を取らなければ健康を害します。謁見も、そのようなお顔では民達にいらぬ誤解を招いてしまう」

 

「化粧をすれば大丈夫だ。スラルのことも知られていない。それに、仕事も山ほどある」

 

「……貴方がどれだけ仕事を前倒しにしているか、私がご存じないとでもお思いですか? スケジュールを調節すれば、数回の謁見を除いて一月は執務をしなくていいと聞きました」

 

 

 痛いところを突かれ、「うっ……」とフィルが怯む。

 

 たしかにこれだけ仕事をすればそれだけ空きも出来る。それでもフィルは休もうとはしない。誰が言っても、私ですら話にならない。

 

 

「……いいじゃないか。仕事を早く終わらせるのに越したことは無い。怠けるよりずっといい」

 

「強情ですね」

 

「な、なんだ?」

 

 

 机の内側に男装女が回りこむ。そしてフィルの背と膝に手を回すと、一息で持ち上げた。

 

 

「うわぁ!? お、降ろせホーネットっ!」

 

「無理矢理にですが。寝室に運ばさせて頂きます」

 

 

 暴れるフィルを抑えつけてホーネットと呼ばれた男装女は、そのまま部屋を出る。

 

 この女の名前は本当に今知った。知る機会がなければ知る目的も理由もない、その上知りたくも無かった。

 

 私はホーネットの横を併走して、立ち止まるように体を前に出して圧力を掛ける。

 

 

「ホーネット様。王は私が寝室に連れて行きます。王自身も嫌がっていることですし、第一無礼です」

 

「ゼ、ゼンメイは俺の側近のメイドだ! 俺の体調なら彼女が一番よく知っている。だから降ろしてくれっ!」

 

「そうですか……」

 

 

 フィルの目が「よくやった!」と言っている。

 

 だが、一瞬ホーネットの歩が遅くなっただけで、それはすぐさま再加速した。

 

 

「ですが抱き上げついでに寝室まで運んでしまいます。私が今この場を去れば、このメイドは情で動いて王の身勝手を許してしまうかもしれない」

 

「なっ!? わ、私はそんなこといたしません」

 

「ふふっ。今、動揺したな? それが何よりの証拠だ。それに王は既にこんなにも衰弱している。お前がしっかりしていれば、こんなことにはならなかったはずだが?」

 

「っ……」

 

 

 ホーネットが言っていることは8割方当たっていたし、現に彼が弱っているのは無理にでも止めることができなかった私の責任だ。

 

 ホーネットの見下した発言に奥歯を噛み締めて耐えて、私はただホーネットの後ろをついて行くことしか出来なかった。

 

 

「……屈辱だ」

 

「罰です。また同じことをするようであれば、再度この罰を受けることになります」

 

「……うぅ」

 

 

 逆お姫様抱っこで廊下を歩いていれば当然他のメイドや家臣、それに加えて客人にまで見られることになる。

 

 赤くなって縮こまるフィルを見て、悪いと思いながらも私はときめいてしまった。

 

 こんなフィルもありだな、と。

 

 王の寝室に着くと、ホーネットは着替えから寝る準備まで全ての仕事を私から奪い、フィルをベットで横にさせた。

 

 

「もう嫌だ……死にたい……」

 

「ふふっ、王は恥ずかしがり屋だ」

 

「誰のせいだと思っているんだ。誰のせいだと」

 

「さぁ、誰でしょうか? 私にはさっぱり……」

 

「……もういい! 寝るぞ! 寝るからなっ?!」

 

「はい、お休みなさい。明日は執務室は封鎖しておきますので、ごゆっくりと御休息ください」

 

「なっ!? 王が怠けものになってしまってもいいのか!」

 

「貴方なら大丈夫ですよ。あ、それと」

 

「なんだ。まだあ―――」

 

 

 不意に、ホーネットがフィルの頭を抱きよせてキスをした。

 

 

「ホーネット様ッ!!」

 

 

 触れるか触れないか程度のものだったが、私には到底耐えられるようなものじゃなかった。

 

 自然と声にドスが効いた声で叫ぶようにホーネットの名前を言うと、フィルとホーネットの間へと割り込む。

 

 

「よく眠れる御まじないですよ。それではお休みなさい。よい夢を」

 

 

 さっと飛び退いたホーネットは逃げるように部屋から出ていく。

 

 扉を閉めて足音が離れていくまで部屋の扉を見つめ、完全に聞こえなくなったところでフィルのほうを見る。

 

 フィルは唇に指を触れて、呆然としていた。

 

 目の前で手を振ると、すぐにフィルはハっとしたように私のほうを向く。

 

 

「若、ただの戯れですよ」

 

「そう……だな、うん、そうだ。……よしっ! ゼンメイ、執務室から書類を持ってきてくれ、ここで全て済ませるぞ」

 

「いいえ、もう寝てください。既に2日も寝ていないじゃないですか、無理ももう通りませんよ」

 

「……ゼンメイだけは俺の味方だと思っていたのに」

 

 

 そのフィルの子犬のような表情に、思わず揺らいでしまいそうになる。だが、ここで押し負ければホーネットにまた何か言われてしまう。

 

 

「だ、ダメです。寝てください」

 

「……わかったよ」

 

 

 フィルが横になって目をつむる。

 

 

「……」

 

「本当に寝るから無言で隣にただずまないでくれっ!!」

 

 

 グイグイと背を押されて部屋の外まで追い出されてしまう。

 

 そうして待つこと数分。本当に無理だとわかったのか、扉の隙間から洩れる光が消える。

 

 しばらくぶりの寝室前でのフィルの護衛のために、私は壁に背中を預けた。

 

 

「ゼンメイ様。ここは私達が見張りますので、ゼンメイ様をお休みになられては……」

 

 

 扉の両隣に居た兵士が沈黙に耐えかねて、私に声をかける。

 

 

「これも私の仕事の内です。普段はメイドですが、護衛も兼ねています」

 

「……そうですか。ではせめてそこの椅子に座って頂けないでしょうか。その……失言ですが、気が逸れてしまいますので」

 

「……わかりました」

 

 

 兵士の勧めを受けて、廊下の装飾にと置かれている椅子に私は腰を落ち着かせた。

 

 兵士が全く頼りにならないというわけではないが、やはり自分もやっていたほうが安心感が増す。

 

 そしてまた夜の静けさに加えて物音一つ無い沈黙がやってくる。

 

 話は若干変わるが、フィルはスラルが失踪してからあまり寝たがらなくなった。

 

 執務に没頭するのも訳がある。

 

 それは、暇が出来た途端に浮かんでくるスラルのことだった。フィルは彼女の身を想うと居ても立ってもいられないのだ。

 

 一度考え出せばすぐには終わらない。何をするのにも身が入らなくなる。

 

 それは生真面目なフィルには許せないことなのだ。

 

 そしてその発作とも言える症状が彼を苦しめることになる。だけど、それはフィルが安眠するために必要なことだ。

 

 フィルだって分かっている。そしてそれがどうにもできないことを。

 

 フィルが寝てから2時間弱が経過した時、それは起こった。

 

 

「ああああああああぁぁぁぁぁああああぁあぁぁああぁあぁっあああぁ!!!!!!」

 

 

 耳を劈くフィルの絶叫が、一瞬にして沈黙を打ち破った。

 

 これが初めてでは無いわけだがこの兵士達は初めてだったのだろう。

 

 慌てて部屋に入ろうとする兵士を制止して、私だけが部屋の中へ入る。

 

 すぐに奥で眠るフィルの様子を確認する。

 

 

「××××××××××××××××××××××××!!!」

 

 

 切り裂くような鋭利な絶叫、部屋の輪郭をも歪ませれそうなほどの既に言語化できない声が部屋中に響き渡る。

 

 その声の震源には目に混濁を浮かべて顔面を両手で抑えるフィルが居た。

 

 

「若……!!」

 

 

 フィルのベットに寄り乗って私はフィルの体を抱きしめた。

 

 反応して狂乱的に暴れたフィルだったが、しばらくして探るように私の背中に手をまわす。

 

 背中にフィルの爪が突き刺さるほど力強く抱きしめられる。

 

 

「いたっ……!」

 

 

 ビクッとフィルの腕が私から離れようとする。だけど、私はそれをさせないように抱き締める腕に力を込める。

 

 

「大丈夫、大丈夫だから……」

 

 

 それで安心したのか、ギュッとまた抱きしめられた。

 

 子供をあやす様に背中を擦りながら、何度も何度もフィルの耳元で優しく甘く囁きかける。

 

 

「ス、ラル……」

 

 

 枯れてガラガラになった声で、フィルが呟く。

 

 

「スラルは……俺のこと、ぎらいなのか……?」

 

「そんなことないですよ」

 

「な、ら……なんで……いなぐ……なっ、たんだ」

 

「……」

 

 

 言葉に詰まる。彼女が居なくなった理由を、私は知っている。

 

 だけど、どう言ったものかと考えてしまう。真相を知ればフィルはもっと傷ついてしまう。

 

 たとえそれでようやく新しい一歩を踏み出せるとしても、私は彼が傷付くところを見たくない。

 

 

「……ごめん。もう大丈夫……だから」

 

 

 最善な答えが浮かばないまま、フィルは私の腕から離れる。

 

 胸にあった温もりが消えると同時に、寂しくなる。

 

 彼の今の顔は見れたものじゃない。目は血走り、涙と鼻水がとめどなく溢れるそれは、王の威厳なんてあったものじゃない。

 

 

「水、もってきましょうか?」

 

「……うん、頼む」

 

 

 スラルが失踪して数日してから、何度もフィルにはこの発作が起こっていた。

 

 お抱えの医者は姫が戻ってくれば止むといったが、そんなことがすぐできれば苦労はしない。

 

 フィル自身は夢にスラルが出てきて、彼女の身に散々なことが起きて自分の元から去っていく夢を見ると言っていた。

 

 あながち、嘘でもない。

 

 

「王……大丈夫ですか」

 

 

 騒ぎを聞きつけて、ホーネットがやってくる。

 

 

「このことを知っていれば無理に言わなかったのに……私はなんて軽率なことをっ!」

 

 

 顔を伏せて自分の行いを悔いるホーネットを見て、私はなにか違和感を感じた。

 

 それが何なのか、今はわからない。

 

 

「ホーネットのせいじゃない。言わなかった自分も悪かった。心配してくれたホーネットの気持ちは、素直に嬉しい」

 

「王……」

 

「発作は一回だけだから、もう一回寝たら普通に眠れる」

 

「…それでは私が隣ついておきます」

 

「いいよ別に、ゼンメイも居るし」

 

「させてください。王が許しても私が自身を許せない」

 

「う……わかったよ。好きにしてくれ」

 

「はい……!」

 

 

 蝋燭一本の光を残して、フィルの寝室には私とホーネットと、静かに寝息を立てるフィルが居た。

 

 さっき起こった発作の疲れですぐに眠りに落ちたフィルの手を、ずっとホーネットは握り続けている。

 

 そのホーネットの顔は聖母を思わす優しさに満ち溢れた表情をしているが、私にはどうにもそれがおかしく見えた。

 

 先に感じた違和感が、再度私の胸中に蘇る。

 

 そしてその違和感の正体が、すぐわかった。

 

 

 それは、フィルの発作のことはホーネットも知っていたんじゃないのか。ということだった。

 

 

 いくら遠征をしていたからといって自国の王のことだ。耳に入っていてなんらおかしくない。

 

 聞けばホーネットはスラル姫が信頼する側近中の側近だったという。

 

 なら、スラルの想い人のことも、失踪のことも知っていたはずだ。

 

 私の中での最大の謎、どうやって姫は城の外はまだしも街の外へ出れたのか、だ。だがそれもホーネットの協力があれば不可能じゃない。

 

 疑い出すと止まらない。

 

 芽吹いた疑いの目は、瞬く間に成長しはじめる。

 

 

「……そう睨むな。怖いぞ」

 

 

 ホーネットが口を開く。

 

 

「睨んでなんかいません」

 

「ははっ、だが目が怖いのはたしかだ」

 

「……ホーネット様。ホーネット様はもしかして……」

 

 

 このやりとりで私は確信した。

 

 証拠なんてあったものじゃない。私の女として勘が、ホーネットがスラルの逃走の手引きをした協力者だと言っている。

 

 そして、次のホーネットの言葉で私の確信は確固たるものとなった。

 

 

「もしかしてスラル姫のことを何か知っているんじゃないのか? だろ」

 

「……」

 

「当たりだよ。お前が今考えていることは全部せーかい」

 

「やっぱり。……でも、まだ腑に落ちない点があります」

 

「その行動に至った動機、だろ? そんなの簡単さ。王のことが好きで、スラルのことが嫌いだからさ。

 

 子供の頃に会ったのは、なにも王とスラルだけじゃない。

 

 王は覚えてないだろうが私も王と会ったことがあるんだよ。

 

 その時の私の家は荒れててね、やっかいもの扱いされて落ち込んでいた私を励ましてくれたのが王だ。

 

 その王をなんの努力もせずに惚れさせてあまつさえ旅人の男に恋をしたスラルには、心底ウンザリさせられたよ」

 

 

 近くにあった引出しを開けて、中にあった1枚の写真をグシャリと握りしめてホーネットはそれを地面に転がした。

 

 グシャグシャなってはいるものの、それは間違いなくスラル姫の写真だった。

 

 私は、ホーネットに得体の知れない気持ち悪さを覚える。それが同族嫌悪だった気付かずに。

 

 

「まぁスラルも、最後に私のために役立ってくれたからよしとするよ」

 

「姫の場所は」

 

「さあね、今頃どこぞの宿で旅人と宜しくやってるんじゃないかな」

 

「最低ですね」

 

「気持ちを隠したまま傍に居続けるお前よりはマシだよ。いちメイドのお前もこれ以上王には近づかない方がいいよ? 死ぬだけだから」

 

「舐められたものですね。私がそんな大人しく見えますか?」

 

「見えるね。お前は王が……フィルが傷付くのを見たがらない」

 

 

 たしかに、フィルにこの件を言う気は無い。姫が初めからフィルに興味がなかったこと、そしてほかの男を好きになっていたこと、それを今のフィルにとってどれだけ重大なことか重々承知していた。

 

 だけど……コイツは今許せないことを言った。

 

 抵抗は即命に繋がる。だが、これだけは許せなかった。

 

 

「その汚い口で若の名前を呼ぶな、下衆が」

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