俺と夕乃さんは学校を休んで山登りに来ていた。遊びに来たわけではない。病葉に会いに来たのだ。この山は病葉の私有地だそうで、ある程度登ると休憩所があり、そこから先には金柵が設置されていて進むことができない。病葉との待ち合わせ場所もここなので、俺と夕乃さんはこれ以上進むことはせずに、ベンチに座って病葉が来るのを待っていた。
しかし、休憩所に来てから結構な時間が経過している気がする。早めに来たとはいえ、約束の時間が過ぎていると思えるぐらいには。休憩所においてある時計に目をやると、夕乃さんはそのことに気が付いたようで声を掛けてくる。
「1時間ぐらいですか?」
「えーと、そうですね。それぐらいになります」
時計はここに来てから一時間、病葉との待ち合わせの予定時間からは15分ほど進んでいる。法泉さん曰くあからさまに怪しい不審者がいればそいつが確実に病葉とのこと。周囲を見渡してもそれらしい人影はなく、することと言えば夕乃さんと会話をするぐらいのものだ。ただの会話の事もあれば、今回の事件に対する考察の事もある。
「そういえば、お腹の具合はどうですか?」
朝から胃の調子が悪いというわけでもないし、頻繁に用を足しに行っているわけでもない。なので当然額面通りの意味合いではなく、銀子に刺された傷の話だ。
「問題ないです。もう処置はしましたし、銀子は……非力ですから」
事実だ。刃物に毒でも塗られていれば別だったが、ただの刃物だ。だが無意識に言葉に力が入る。自分自身で声を出した後そのことに気が付いた。銀子は夕乃さんや俺と違って体を鍛えているわけではないし、情報屋としては凄腕と呼べるが、戦闘力で言えば年相応の、一般人と変わらない程度しかない。
「そうですか。じゃあ、どう思いますか。銀子さんの事」
夕乃さんは頷くと銀子について話を広げる。銀子を好きだの嫌いだのではなく、銀子が凶行に走った理由。つまりは銀子が狙われた理由だ。
「……情報屋は命を狙われることの多い仕事です。だから銀子は細心の注意を払って、最小限の仕事しかしていなかったはずです。それに銀子は身元がバレるような失敗はしない」
贔屓目が入っているといわれて否定はできないだろうが、客観的に見ても銀子の情報屋としての腕は優れている。だから銀子の身元がバレて襲撃されたというのは、もう一つの理由と合わせて完全に無視できる。
「それに、銀子を狙ってのことなら、銀子が俺を刺した理由がない。……殺した方が早いし確実だ。だから! だから銀子があんな状態になったのは――」
「真九郎さん」
俺のせいだ。俺を狙って銀子が被害にあった。銀子が情報屋なんて危ない仕事を始めたのは俺が揉め事処理屋になったから。だから俺が銀子を守らないといけなかった。それなのに逆に銀子を危険にさらしてしまった。考えてみれば分かったはずなんだ。ヒントはいくつもあった。銀子からも、アイツからも、俺を狙う人間が少なからずいることは聞いていた。聞かされていた。だったら俺は身内を守るために気を配るべきだった。夕乃さんは崩月だ。環さんと闇絵さんは五月雨荘の住人。紫は九鳳院。俺と親しい人間で襲撃を受ける可能性があったのは、銀子だけ。結果論でしかないことはわかっている。そうだとしても俺がもっと気を配っていれば、銀子はあんな状態にならなかったかもしれない。
頭の中でそんな考えがぐわんぐわんと廻って、耐えきれず自分を責めるように言葉を吐き出そうとした。けれどもそれは夕乃さんに止められた。夕乃さんが俺の頭を支えるように、前を向かせるために頬に両手を添えたのだ。
「っ!」
「真九郎さんは悪くありません。真九郎さんのせいじゃありません」
俺の目を見て、きっぱりと力強くそう断じる。その言葉が、声がどうしようもなく頼もしくて、思わず情けない声と言葉が出そうになって、それをすんでで押し止める。戦うと、銀子を救うと決めたのだ。溢しそうになった言葉を、夕乃さんが止めてくれたのだから、例えどんなものであっても弱音を吐くべきではない。だからいつの間にか作られていた握り拳から力を抜いて、手を開く。
「……ありがとうございます。はは、なんだか助けられてばかりで、申し訳ないです」
「家族ですからね!」
照れくささか何かを笑ってごまかしながら頬を掻くと、夕乃さんはその言葉に対して元気よく返してくれた。
「青春か。羨ましい」
そこで急に横から聞いたことのない声が聞こえた、夕乃さんも驚いたのだろう、二人して声の方を見る。
そこにいたのは全身黒ずくめの、声からすると女なのだろうが、見た目からは性別も分からない物体だった。黒ずくめというと闇絵さんが思い浮かぶがその様子は闇絵さんとは大きく異なる。闇絵さんは黒いなりに統一感もあり、上品さを感じさせるような、まぁ、要するに似合っているのだ。だが目の前のこれはただの不審者だ。そもそも服ではない。黒い布を頭から被っている。幽霊のイメージの一つにシーツを被ったやつがあるが、それの黒い版。腹のあたりにある大きなポケットと、目だろう場所のサングラスのような黒いレンズ以外にはなにも付いていない。
「崩月夕乃。と紅真九郎。病葉だ」
呆気にとられている俺と夕乃さんを気にするでもなく、黒い不審者は夕乃さんを指差し名前を呼んだ。次に俺を指差し俺の名を、最後に自身を指差し病葉と言った。あぁ、やはりこいつが病葉なのかと思わず夕乃さんと顔を見合わせる。そして夕乃さんがぽつりと一言漏らす。法泉さんが言っていたこと。
「あからさまに怪しい、不審者……」
「失礼な奴だな。いきなり不審者とは。自分家なんだが……まぁいいか。崩月夕乃と紅真九郎に違いないな? クソババアが、現当主の事な、会うらしい。付いて来い」
不審者……病葉はそれだけ言うと地面まで届いている黒い布を引き摺って歩き出す。布に巻き込まれた土の後が通路のように病葉の後ろに出来上がっていく。まるで蛞蝓だと、その様子を眺めていると病葉は二、三メートル道ができたところで立ち止まり、こちらへ振り返ると一拍置いて、体をわずかに小さくした後手招きした。
ずっと呆気にとられていた俺と夕乃さんだったが、立ち直ったのはほぼ同時だったらようで。俺が立ち上がって夕乃さんを見ると、夕乃さんと目が合った。先ほどまでの間の抜けた空気はなくなり、お互いに頷く。出来上がっていた道を二人で並んで一歩進むと、それを確認した病葉はまた前に進みはじめた。
病葉に連れられて獣道を歩いていくと、古ぼけた小屋が一つあった。小屋の前に付くと病葉はその中に入り、俺と夕乃さんがそれに続く。六畳間ほどの小屋の中は掃除などされていないようで、壁にはカビが、隅の方にはキノコが生え、天井には蜘蛛の巣があちこちに張られている。そんな部屋の中央の床には施錠された扉がある。病葉はしゃがみ込み、慣れた様子で扉を開ける。しかし、あっと声を漏らすとすぐに扉を閉めた。病葉は立ち上がるとこちらを向き、手をこちらに差し出した。手の上には飴玉ほどの大きさの茶色くて丸い物体が乗っている。
「解毒剤を忘れてた。かなり不味いが飲め」
「解毒剤ですか?」
「死なれたら困るんだ。飲まんと先に進まんぞ」
解毒剤を受け取り、軽くそれを眺める。つまりは、ここから先は解毒剤がないと死ぬような場所ということ。病葉の窟なのだから、当然と言えば当然。夕乃さんも指で転がしていた。病葉は扉の鍵をいじっていた。罠の可能性を考えるがどうしようもない。病葉が動く気がない以上先には進めない。なにより覚悟はしてきたのだ。意を決して口に放り込む。
口の中で軽く転がした瞬間、舌から体中に衝撃が駆け抜ける。味覚という本能がこれは毒だと警鐘を鳴らし、即座に手の上に吐き出す。思わず病葉を睨んでしまう。
「真九郎さん!?」
「不味いと言ったが」
「……毒じゃないんだよな」
「間違いなく」
夕乃さんは声を上げるが病葉はある程度予想していたようで静かに言葉を返してきた。その言葉になにも返せず、ただ確認だけ取ると、意を決して解毒剤を口の中にほうる。瞬間、えぐみですらないような邪悪が口を支配する。吐き気がするが、えずくのを抑えてどうにか飲み込む。喉の奥に引っかかり苦しい。少しして喉の異物感が失せると同時にその場にくずおれながら咳き込む。夕乃さんが背中をさすってくれたおかげもあり、すぐに元の調子に戻った。俺が立ち上がると病葉は夕乃さんを指差す。
「崩月も早く」
立場が逆になった。
解毒剤という名の毒物相手の死闘を終えたあと、病葉は扉を開け、そこにあった梯子を降りる。俺が最後尾として梯子を降り、扉も閉める。梯子に明かりはなく暗い。暗闇だ。壁に手を這わせ、一つ一つ気を付けながら梯子を降り切ると広い通路に出た。
学校の廊下よりは広いだろうか。通路の側面にはロッカーのような収納スペースがついていて、段差もある。完全に暗闇だった梯子と比べるとずいぶん明るい。明るいと言ってもせいぜいトンネルほどだが、闇に目が慣れた今ならば十二分に明るい。
そこで病葉は病葉を不審者足らしめていた黒い布を脱ぎ始めた。すると今まで隠れていた病葉の容姿が見える。暗闇でもわかるほどの、病的な白い肌と浮き出た血管。足元まである長く、肌と同じように白い髪。女性らしい丸みを帯びた体。そして何よりも目立つ頭のフルフェイス式のガスマスク。病葉はガスマスクまで脱ぎ終わると病葉はぼやきながら布をたたむ。
「まったく邪魔だ。動きづらい。視界も悪い」
たたみ終わると靴を脱ぎ、まとめてロッカーに突っ込んだ。その様子を眺めながら俺と夕乃さんは固まっていた。女だったということに、アルビノを思わせる容姿に、そして服装に。夕乃さんが、女の方、とこぼすと何喰わぬ顔で答える。
「病葉は母系だ。……呆けるな先に進めん」
女というのは予想できていたはずなので、そこに驚いて言葉が出たわけではないだろうが、病葉の言葉で正気に戻る。そして先ほどの病葉の行動からこの場所が玄関だと気付いた俺と夕乃さんは病葉に倣って靴を脱ごうとし、病葉に止められた。
「土足で構わん。何が落ちてるかわからんぞ」
二人して一瞬止まり、逆再生のように脱ぎかけた靴を履きなおす。病葉は既に通路の奥へ進んでいる。意識したわけではないが、二人で並んでその後を追う。
通路の先には扉。そのすぐ後にまた扉。三つめの扉を開けると今度は等間隔でいくつかの扉が見えた。病葉はその内の一つの前で立ち止まり指差すと、そのまま俺と夕乃さんに声をかける。
「ここだ。入れ」
それだけ言って、病葉は早足で奥に進んでいった。その背を見送ると俺は、取っ手口に手をかけ、夕乃さんを見る。軽く目を合わせ、互いに頷いた後、一度深呼吸して心を落ち着かせる。そして扉を開いた。
中には6畳の広さの和室が広がっていた。扉を開けると目に入るのは座っている、赤い着物を着た老齢の女性。先ほどの案内してくれた彼女と同じように、全体的に白い。しかし、和室の明るさのせいか、着物のせいか、それ以外のせいなのか、案内人以上に不健康そうに見え、今にも死んでしまうのではないかと思うほどにか弱い。こんな人が、現在の病葉の当主なのだろうか。彼女はこちらに気づくと、上品に微笑み、流れるように礼をする。
俺はお辞儀を返し、一瞬躊躇った後靴を脱ぐと畳に上がる。そして促されるままに座る。夕乃さんも隣に座ると、湯気の立ち上るお茶とお茶菓子が出される。
彼女は俺と夕乃さんが席に着いたのを確認すると口を開くと、透き通った声が部屋に響いた。
「いやぁ、よく来てくれました。私は病葉紅葉《わくらば くれは》。裏十三家が一、病葉の当主なんてものをやらせて貰ってます。崩月の戦鬼の方々に遭うなんて私は感激で涙が溢れそうです。およよ~」
「えぇっと……」
本当に涙を溢れさせ、体を小さくさせながら震える。袖で涙を拭いながらくずおれる。流石にそれは予想していなかった。どうしようもなく、助けを求めて夕乃さんを見るが、夕乃さんも言葉を失い目を丸くしている。
「やっぱり無理~。助けて
今度はまるで幼児のように、見た目的には厄介な人の癇癪だが、大声で助けを求める病葉さんに、助けてほしいのはこっちだと天を仰いだ。隣で夕乃さんは瞬きをなんどもしながら、それでも病葉さんから目を逸らさずにいた。
わずかでも動けば部屋の角へ逃げ、手を動かすとより大きな声で喚く。泣き止むまで待つことにしたのは、どうすればいいか戸惑い手の出しようがなかったから、だけではない。恥ずかしいことにずいぶんと遅くではあったが、危険であると察したからである。
最初は直感のようなもの。それに邪魔されて動けなかった。だがそのおかげで気が付いた。涙を拭いた袖が、不自然に変色していることに。夕乃さんは先に気付いていたようで、既に油断なく病葉を見ていた。たとえ弱く見える生き物でも猛毒を持つことがあるように、見た目に騙されて気を抜いてはならない。ましてや相手は裏十三家。病葉。毒を、最凶最悪の毒を以って、裏社会を制してきた一族だ。心から油断を消し去り、相手を見る。
まるでそれが合図であったかのように、途端に泣き声が止む。静寂が部屋を満たす。病葉の当主はくずおれた姿勢のまま顔だけを上げて微笑む。いや、嗤う。
「ようこそ紅真九郎。ようこそ崩月夕乃。ようこそおいでなさいました崩月の戦鬼達。裏十三家が一、病葉家当主
確かな狂気を纏った透き通った声が、部屋に広がり、消えた。
半年振りかぁ。
とりあえずオリキャラにルビを振ってみた。