マリオネット   作:らるいて

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その十七

 起きると、目の前にはガラス片が散乱していた。驚いて思わず飛び起きてしまう。訳も分からずガラス片を眺めていると、ぼやけた視界の端に人が倒れていた。夕乃さんだ。近づこうと一歩進む。動くと服の隙間から何かが落ちる。ちらりと見ると、紅真九郎様へ、と書かれた茶色の封筒。心当たりもなく気になったが後回し。今は夕乃さんが優先だ。そのまま夕乃さんに駆け寄る。

 

「夕乃さん! 大丈夫ですか!」

 

呼びかけながら夕乃さんの首を触る。脈はある。鼻の前に手をかざす。呼吸もしている。倒れている理由がわからない以上下手に動かすのも危ないがほっと息を吐いた。そしてどうしたものかと周囲を見渡す。嗅いだことのある薬品の匂いも、見覚えのある部屋も、ベッドで寝ている銀子も、目の前で倒れている夕乃さんも、全て思考の外に吹き飛んだ。紫が、倒れている。

 

「紫! どうした、大丈夫か! 怪我は……ない」

 

慌てて駆け寄り、夕乃さんと同じように確認すると、紫も異常はない。その後の行動も同じ。ここは山浦医院。だが山浦さんがいる様子はない。何故かと逡巡したところでようやく、何故ここにいるかを思い出した。この状況の原因も見当が付いた。途端に怖気が走る。病葉だ。病葉が原因ならば、これは毒。それも、あの病葉の。最悪の場合は、このまま。

 

「っ! くそっ!」

 

最悪が浮かび上がり、それをかき消すように焦る心を抑えつけて考える。そこで先ほどの封筒の正体に思い至る。あれは病葉が残したものに違いない。急ぐ。僅かに花瓶の形を残していたガラス片を踏み、砕けるが気にかける余裕はない。封筒を掴み上げ乱暴に封を開ける。中にはA4サイズの紙が三枚。三つ折りの紙を広げて食い入るように見る。一つは依頼に、銀子の状態に関する所見。違う、これじゃない。一つは病葉からの個人的な手紙。今後に関する助言とでもいうべき行動指針。違う。これでもない。最後の一つは薬についての説明書。封筒を逆さにして振るう。小さな注射器が手に落ちる。紙に書いてあった、対価と釣り合わせるための薬。だが、それも今はどうでもいい。紙をひっくり返して裏面を見ても、封筒に手をつきこんで漁っても他には何もない。紫や夕乃さんに関する情報は何もない。

 だが望みはある。俺が目覚めて体に異常を感じないことと、手紙を読む限り病葉が敵対的でないことだ。病葉が敵であるならば、俺に毒を盛ってそのまま俺が目覚めることはなかっただろう。わざわざ手紙を残すことが、俺が目覚める前提であることが、病葉が敵でないことの証明になる。だから、紫にも夕乃さんにも毒を盛っていない。そんなことをすれば俺が怒るのは確実で、病葉がそれをわからない筈がない。敵対する気がないならば、紫にも、夕乃さんにも手を出さないはずだ。だから、二人が倒れているのは別の理由。例えば、例えばそう。俺が倒れたのと同じ理由。風通しが悪かったから、病葉の毒を貰った。それだけのことなのだ。見れば窓は開け放たれ、流れる風がまとめられたカーテンをわずかに揺らしている。窓は開いていなかった。だから病葉が開けたのだ。これも証拠になる。そう自らに言い聞かせながら、注射器をポケットに入れる。病葉を信じるならば、できる事は二人が起きるのを待つだけ。紫の隣まで歩いて座りこむ。安らかに呼吸する紫の髪を一撫でして、いつのまにか握り潰していた三枚の紙と封筒を広げる。せめて、ふたりが起きるまでに内容の把握をしておこう。そう考えて、今度はゆっくりと落ち着いて再び読むことにした。

 

手紙の内容は今後に関する助言。と言っても書いてあることはひどく単純で、病葉が怪しいという結論に至るのに用いた情報源に対しての確認。及びその情報源を用いた虚村の調査。ただし情報源が虚村に操られている可能性もあるため他の手段での裏付けを取る。なんていった基本的な事ばかりだ。とはいえ、最後の他の手段というのは現状、難しいのだが、これについては夕乃さんや紫と相談するしかないだろう。

 

 診断書に書かれていた事の概要は病葉と話したことと同じだったが、それに加えて具体的な暗示の内容に関する予測にまで踏み込んでいた。病葉の薬は使われていない事、虚村の暗示にかかっている可能性が高いことは既に知っていた情報だ。暗示の内容の詳細は不明だが、いくつかの根拠から予測はされていた。紅真九郎と逢引の末に謀った心中、その後に紅真九郎の姿を見て起こした錯乱、この二つは俺自身が経験したことで、病葉に必要だと言われ伝えた情報だ。他には、実験的に紅真九郎を害すると告げた時の攻撃性と書かれている。病室に入った時、銀子が花瓶を振りかぶっていた理由はこれだろう。これらの条件と通常状態では異変が確認されていない事実から、紅真九郎に、俺に対して情緒不安定になっているとのことだ。

 虚村の狙いが俺だとするならば、暗示とやらの発動条件に俺を設定するのは当然だ。だからこそ、俺が銀子を助けなければいけない。思いを新たにしていると、小さなうめき声が聞こえた。同時に緊張から心臓が高鳴る。紫からではない。夕乃さんだ。夕乃さんに駆け寄って声をかける。

 

「夕乃さん、大丈夫ですか」

「うぅん。……真九郎さん?」

 

さっきと同じ言葉。だが脈や呼吸を確認するまでもなく、今度は返事があった。まさに寝起きといった様子でよたよたと体を動かし、上半身だけ起き上がったところで夕乃さんは目を開いた。焦点が合っていないのか、頭が働いていないのか、そのまま一拍間が空いて俺の名を呼ぶ。それから首を左右に動かして周囲の様子を確認しているようだ。なにかあったのか、息を呑んで待つ。

 

「えぇっと、ここは、たしか……」

「山浦医院です。病葉と会うために――」

「――そうでした! 真九郎さん大丈夫ですか、怪我はありませんかどこか痛い場所は、調子のおかしなところはありませんか? 体がだるいとか痺れるとかほんの少しでもありませんか?」

「は、はい大丈夫ですから――」

「――本当ですか? 無理はいけませんよ。真九郎さんはほっとくといつも無茶ばかりして心配させるんですから。真九郎さんに何かあったら私は、いえ、本当に何か少しでも違和感があれば教えてくださいね」

「いや、はい、分かりました。夕乃さんも大丈夫ですか?」

 

夕乃さんの言葉に俺が説明をしようとした途端に夕乃さんは何があったか思い出したようで、早口に捲し立てられる。圧倒されながらもいつもと変わらぬ調子に内心ほっとした。様子がおかしなところはない。気が付いた様子もない。それでも一応の確認として夕乃さん自身に体調を聞く。すると夕乃さんは立ち上がって体を軽く動かしながら答える。それに合わせて俺も立ち上がった。

 

「そう、ですね。……特に異常は感じません。心配の必要はないと思います。それよりも、病葉は何処に行ったか分かりますか?」

 

質問に俺は封筒を取り出しながら答える。注射器は既に別のポケットに移している。

 

「病葉なら、帰ったみたいです。この封筒が残されていました。夕乃さんも見ますか?」

「はい。お願いします。……診断書と、手紙、ですか」

 

夕乃さんは渡された封筒から三枚の紙を取り出す。銀子の診断書と俺宛の手紙、そして薬の説明書だったものだ。

 そう、だったもの、だ。読み返している時に気が付いたことだが、薬の説明書の文字は時間の経過とともにどんどん薄くなっていた。光に反応したのかなんなのかわからないが、現在ではすっかり白くなっていて元々なにか書かれていたことに気が付くことは不可能になっていた。それでも俺の心臓は大きく音を上げ、唾は渇き、冷汗が背中を伝う。気づかれないように平静を装って入るが、夕乃さんが起きてからずっと、この調子だ。

 薬の説明書によると薬は興奮剤。コカインだの覚せい剤だのと同種の所謂アッパー系の薬。主な用途は痛み止め、性的な快楽の追及、全能感、そして、戦意の高揚(殺人の覚悟)。俺は揉め事処理屋としてそれをしなければならない時が来る。分かっている。それでも躊躇してしまう、躊躇してきた。だからだろうか。自身でも分からないうちに薬をポケットにしまって、俺は薬のことを黙っていることにした。紫には確実にバレるだろう。夕乃さんもいつまでも気づかないなんてことはありえない。たとえば何か隠し事をしても二人とも黙っていてくれるはずだ。だが、これに関して詳細を知られれば確実に捨てるだろう。それが悪いとは言えない。俺自身この薬を使いたくはない。だが、使わないと断言することもできなかった。今の今まで殺人を忌避し続けてきたが、今度こそはそれから逃げることはできない。もし、その時になって覚悟ができなければ、その時は、この仕事を続けることはできない。やめるだろう。法泉さんのように、存在だけで抑止力となる程にとは言わない。それでも。銀子が襲われたのだ。護るのだ。それすらできないようでは、俺が、俺自身を許せない。だからこそ、この薬は必要になる、かもしれない。だから隠し持つ。

 

「……特に変なところは……ないですか。いきなり真九郎さんが倒れた時は驚きましたが……そういう理由だったんですね。これ、ありがとうございました」

 

こちらの葛藤に気づいた様子はなく、夕乃さんは診断書には軽く目を通すと頷いて手紙を読みだした。手紙も読み終わり、最後の一枚を確認すると呟くように声を出す。手紙には白紙を付ける作法がある、なんてのを聞いたことがある。夕乃さんならばもっと詳しい筈だ。だからこそ、夕乃さんは疑問に思わなかったのだろう。夕乃さんは次いで視線を窓の方に向けた。俺と同じように空気の流れが悪かったという結論に至ったのか、得心した様子で礼を言いながら封筒と併せて三枚の紙を返してくる。俺はそれを受け取ると封筒にしまった。

 手紙には薬の情報はなかった。つまり、俺のポケットにはいっている薬がどういうものなのか、知る手段は病葉に聞くとか、そんな無茶を除いて他に無い。それ以前に薬の存在に気づかれないのが前提だ。内心を悟られない様に、乾いた口を開く。

 

「病葉に会うときは空気の流れに注意ですね」

「まったくです。あれだけ重装備だったのに、それでも毒を撒いていたなんて、いえ、あれも油断させるための罠だったんでしょうか」

「かなり動きにくそうですから、そのデメリットを考えると、罠ってことはないんじゃないですかね。ただあれだけじゃ防ぎきれないってだけで。なんにせよ、昨日のあの予防薬は苦いだけの意味があったみたいでよかったです」

 

夕乃さんは、きょとんと目を丸くして、その後にくすりと笑って頷いた。違和感はない。誤魔化せただろうか。勘が鋭いからだめかもしれない。つられて笑うでもなく、夕乃さんを眺める。すると今度は夕乃さんが口を開いた。

 

「ふふ。なんにせよ、紫ちゃんが起きるまで待ちましょう。その後今後の行動を確認します。といっても、病葉さんの手紙の通りに動けば問題ないでしょう。ですから確認です」

「そう、ですね。流石というか、なんというか。かなり参考になる助言でした」

 

病葉の助言は、簡潔故に外せない内容だった。言われなくても思いついただろうことだ。それでもと詳細を考えようとするが頭が回らない。少し落ち着かないと名案は浮かびそうもない。俺と夕乃さんは二人、会話もなく紫が目を覚ますのを待つことにした。

 

 

 

 少しして、紫が起きると心がわずかに軽くなった。夕乃さんが起きて安心していたとはいえ、心のどこかで不安だった。だが、それとは別の心配事が浮かび上がって気持ちが沈む。紫に嘘は通用しない。隠し事は難しい。嬉しいのは本当の事なので、紫に声をかける。

 

「おはよう、紫」

「んむぅ。あぁ、おはよう。真九郎」

 

幸いにして紫の寝起きはいい。夕乃さんより短い時間で復活した。それから夕乃さんと同じように周囲を見渡すと、憔悴した様子で抱き着いてきた。よほど病葉が怖かったのだろう。あの状態で手の届く位置まで近づかれ、さらに手を伸ばされたんだから当然だ。それこそ死神の手か何かに見えたに違いない。しっかりしているとはいえ、やはり七歳なのだ。紫は顔を俺の腹に埋めながらくぐもった声で甘える。

 

「……ごめん。すこし、このままがいい」

 

体と声はわずかに震えていた。返事の代わりに頭を撫でる。すると腹にかかる圧が少し強くなって、代わりに震えが収まる。ふと視線を感じて夕乃さんを見る。夕乃さんはじっと俺を見ていたが俺と目が合うと、目を逸らして居心地悪そうに苦笑した。俺もそれにつられて苦笑いする。あぁ、まったく、しょうがない奴だ。

 

 

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