山浦さんが帰ってくると、銀子の事を山浦さんに任せて三人で五月雨荘まで歩いた。五月雨荘の前に着くと、部屋に戻らずそこで解散することにする。
「それじゃあ真九郎さん。紫ちゃん。私はおじいちゃんに頼んでみます」
「あぁ。私も騎場に言ってみる」
「俺はルーシーさんに連絡を取るよ」
「はい。それで、また明日集まって、情報交換ですね。……その、真九郎さんは、相手の事情もありますから、難しいかもしれませんけど……」
銀子の件で取り乱した俺が落ち着いた後、山浦医院の待合室や、五月雨荘までの道中で話したそれぞれが今後することを確認する。集まる場所は、五月雨荘。そこが一番情報交換する上で安全な場所だというのに、間違いはない。
最後の確認を終えると、夕乃さんは家に帰る。しばらく紫と五月雨荘の前で話していれば、騎場さんが迎えに来て、紫は車に乗って帰っていく。
俺は二人を見送ってから、自分の部屋に戻る。二人して帰り際に俺を心配する言葉を投げかけてきたが、大丈夫と言った。紫については特に、泊まるとまで言っていたが帰らせた。
たぶん、一人になりたかったんだと思う。
来月になれば離れることになる自分の部屋。無理を言って一人で暮らすといって、用意してくれたその部屋。
部屋を眺めて感傷に浸っていると、紅香さんに連絡していないことを思い出す。この部屋を他人に譲り渡すなら、言わないといけない。とはいえこちらから連絡をとることは難しい。紅香さんのことだから、そのうち俺が言わなくても知るんだろうけど、今度会ったらちゃんと謝らなくてはいけない。この部屋を用意してくれたのも紅香さんなんだから。
紅香さんなら、くれてやったものをどうしようがお前の勝手だ、くらいのことは言ってきそうだ。そんな事を考えながら、玄関に立ったまま部屋を眺めていると、後ろの扉が開いた。
布団も敷かず畳の上に身体を投げ出しながら天井を眺める。
扉を開けたのは環さんと闇絵さんだった。どうやら俺が帰るのを待っていたらしい。
普段は絡んでくる環さんも、俺の顔を見るなり驚いていた。大丈夫か聞いてきて、差し入れと称して精力剤なんてものを渡してきた。俺がそれを受け取ると、ほんとに重症だ、と苦笑して、しばらくコンビニ弁当かー、と言いながら部屋を出て行った。
闇絵さんに関してはもっと短い反応だ。おや、とだけ一言呟くと環さんを残して自分の部屋に帰っていった。
こんな時は、五月雨荘に住んでいてよかったと思う。互いに不干渉。それがここの不文律。普段は仲良くやっていても、一線を越えてはならない。二人はそれを弁えていた。それだけなんだろうけど、気遣いのようなものが、ひどく有難い。今は誰にも会いたくない気分だ。
やらなきゃいけない事はある。ルーシーに連絡して。法泉さんや病葉さんに礼を言って。あるだろう虚村との戦いの為に調子を整えなきゃいけない。でも、そんなこともできなくなるくらいに、今、俺は、弱っている。紫と夕乃さん。二人が居たうちは大丈夫だった。二人が帰ったとたんに、孤独感に苛まれる。
暗い部屋の中で、ただぼーっと。
駄目だ。やるべきことは、やらなくては。夕乃さんが相手の都合がどうとか、言っていたが、アレは間違いなく俺を気遣っての言葉だ。
だからこそ、連絡しなくては。いうことをきかない体に鞭打って、手で頬を叩いて。投げ出された携帯を手に取る。そのために寝返りを打つように体を動かして、畳に触れた頬が湿り気を感じる。畳が濡れている。
可笑しいな。それほど暑くもないのに。むしろ寒いのに。汗をかいたかな。
なんて、気休めにもならない冗談を内心こぼしながら起き上がる。紫の言ったとおりだ。声を出してはいないとはいえ、泣いていたら大分すっきりした。
握った携帯を開ければ、液晶の光が眩しい。少し目を逸らして、眼をつぶったまま部屋の電気を付ける。すこしずつ薄目を開けて、眼が慣れてからもう一度、携帯を見る。記憶よりも時間の桁が減っていることに苦笑して、電話帳からルーシーの番号を選ぶ。時間的に問題があると一瞬ためらってから、まぁ構わないか、と思って再び決定を押す。
耳元に携帯を寄せればプププと番号を入力する音が聞こえて、少し待てば今度は呼び出し音が聞こえる。三回ほど鳴ったところで不意に音が止まり、代わりにルーシーの声が聞こえてくる。
「はい悪宇商会人事部副部長ルーシー・メイです。どうもこんばんは紅さん」
深夜に掛けたにも関わらず、いや、こんな時間だからこそだろう。声を聴くだけで、上っ面だけの営業スマイルが浮かんでくるようだ。慇懃無礼っていうんだったか。とはいえこちらとしても、非常識な時間に掛けたのは理解しているので、気持ち丁寧に答える。
「こんな時間にすみません」
「お気になさらず。慣れてますので」
紫ではないが、嘘ではないだろう。その道で世界的に有名な悪宇商会ならば、海外から連絡が来ることも少なくないはずで、だったら時差で非常識な時間にかかってくることもある。
「それで、こんな時間に何の用ですか」
気にするなと言って、数秒も経たずにこんな時間という。責めているというか、からかわれているというか。苦笑いできる自身に、安堵する。
だがここからは重要な話。だから一呼吸おいて、頭の中で言う内容を整理する。そしてルーシーに要件を告げる。
「虚村の――」
「――分かりました。その話は実際に会ってにしましょう。やっぱり一番信用できるのは、直接、口頭で、でしょう」
一言を言い切る前に単語だけで言葉を遮られる。"虚村"の言葉に反応した。つまり、俺や夕乃さんの予想通り、ルーシーは、虚村について何か知っている。いや、隠している。だから、俺がかけてきた段階で内容を予想していたに違いない。
「日付は、そうですね。明後日の、土曜日の夜8時でどうでしょうか」
その証拠に、時間を告げるルーシーの、電話の向こうから紙をめくる音はしない。思い出す必要もない案件という事だ。予想していたとはいえ、気持ちの良いものではない。ムッとする感情を抑えて、努めて平静を装う。
「分かりました。その時間に。場所は何処ですか」
「……いえ、KILLING FLOOR」
「は?」
それは、もう二度と行く事もないと思っていた、決戦の場だった。
ルーシーとの会話が終わり電話を切る。力が抜けて耳元から右手が勝手に降りると、その勢いのまま携帯が滑り落ちる。畳に当たってはねた携帯が足にぶつかって止まる。右手を見れば震えている。違う。両手が、体全体が震えている。口から笑いがこぼれる。そこで気が付く。怒りによるものかと思ったが違ったらしい。武者震いという奴だ。
高ぶって熱を持った体を冷ますように、その場に立ち尽くす。次いで天井を見上げる。ちかちかと点滅する電灯が眩しくて、眼に悪い。買い換えなければいけないな。そう考えながら眼を逸らしても電灯の残像が焼き付いて、色を変えながら視界に残る。
ほんのわずかな間そうして、身も心も冷めたから寝ようかと布団を敷いて、明かりを消す。布団の中に入り込んで、眼を閉じる。電灯の残像が消えるのを瞼の裏から眺めていれば、いつのまにやら意識は薄れていった。
目が覚める。時計を確認すれば、時針が六と七の間にある。学校に行くのなら十分に間に合う時間。
しかし、そもそも今日は休むのだ。紫と夕乃さん。二人が来るのを待って、情報交換しなければいけない。かつて星噛と戦ったあの場所に、言われなくても付いてくるのだろうけれど、付いてきてくれるように頼まなければいけない。
気分も乗らないし二度寝という贅沢でもしてしまおうか悩んだが、ふと、脳裏に銀子の姿が浮かぶ。一晩明けた今になって、本当に銀子が大丈夫なのか不安になる辺り、自分ながら重症だったらしい。十時になったら、山浦医院に行こうと考える。銀子に会う訳ではないから。山浦さんに話を聞くだけだから。そんな風に自分に言い訳しながら、眼を閉じる。
今、山浦医院に向かっている。走っている。昼前とはいえ冬。まだまだ寒い。犬の散歩や、マラソンに精を出すような人にすれ違う事もない。学生が登校する時間ともズレた午前十時。誰ともすれ違わない。
いくら鈍っているとはいえ、五月雨荘から山浦医院まで十分とかからない距離で、息が切れることもなく山浦医院にたどり着く。そのまま扉を開けようとするが、手袋も付けずかじかんだ手は思うように動かず空を切る。手を口に寄せて、息を吐いて温める。僅かに湿った手がまた冷える前に扉に手をかけて、今度こそ力を入れる。扉は抵抗もなく開いた。
中には待合室には子供が一人その保護者と思われる女の人が一人。おじいさんが一人。そして受付に座る東西南さん。
南さんは俺の顔を見ると手招きして、奥の病室にはいるように言う。指示に従って、病室に入る。
扉を開けると目の前に銀子が立っていた。そう、銀子だ。俺は銀子に呼び出されてあわてて此処に来た。もともと来る予定だったが、それと呼ばれるのとは別の話だ。
出鼻をくじかれたという訳ではないが、昨日の今日で顔を合わせるのは気まずいものがあり、お互い無言のままに見つめ合う。銀子の眼は充血していて、まぶたは腫れている。眠気があるのか普段以上に眼光は鋭いが、今まで泣き続けていた、という訳ではないのだろう。
しばらく銀子を見ながら動かないでいると、銀子の口が動く。
「早く中に入りなさいよ」
「あ、あぁ。悪い」
その声は普段と変わるものではなかった。そのことにひどく安心する。銀子はもう大丈夫。昨日の事を忘れたわけではないが、ただそれだけで気持ちが楽になる。
扉を閉めると銀子は此方に背を向けた。そしてそのまま歩いてベッドに座った。それに一つ声をかけて、昨日と同じように傍の椅子に座る。
そこで気が付く。昨日無かったものが、銀子のベッドの上にある。
それは銀子にすごく似合うもので。無い方が不自然な気持ちになるほどしっくりくるもの。
「それって」
「パソコンよ。見れば分かるでしょう」
「なんでここにあるんだ?」
「そのことは、後でいいわ」
銀子はそこで一度口をつぐむ。眼を閉じて、眉根を寄せている。眠そうだが、眠ろうとしているわけではない。銀子なりに、落ち着こうとしているのだろう。つまり、これからされるのはそれだけ重要な話。
「……その、昨日は取り乱して、わるかっ、いえ。ごめんなさい」
「あれは、どう考えても俺が悪いだろ。銀子が気にする必要は」
「ならいいわ。ありがとうね」
銀子が久方ぶりな気がする笑顔で、言う。すっと、心のもやもやが取り除かれる。これは俺が見たかったもの。守らなきゃいけないモノ。浮かれそうになるが、それだけではない。これは前座。本命はこの先にある。
「真九郎に、一つ、ううん。二つね。聞いておきたいことがあって」
ほら、来た。
「昨日考えたの。真九郎が人を殺すって聞いて。頭が真っ白になって、あんなことしちゃったけど。真九郎が居なくなってから、必死に考えたの。それで、自分なりに踏ん切りはついたというか、無理やり付けたんだけど。どうしても気になることがあって、それを聞かないと結論は出せない。だから二つ。確認させて」
普段から一言二言三言。ただそれだけの言葉の応酬で会話する銀子が珍しく早口でまくしたてる。いや、怒っているときやら、夕乃さん相手の時は別だが。珍しく言葉を続ける。銀子の言葉に頷くと、銀子は意を決したようにその本題だろう言葉を口にした。
「真九郎は、憧れで人を殺すの?」
すぐに紅香さんが思い浮かぶ。
「違う。紅香さんは関係ない」
「……いいわ。じゃあ次。それは誰かの為?」
「それ、は……」
紫や、夕乃さん。そして銀子。それ以外の周りの人の為に、ってわけではない。人を殺める理由を他人に求めてはいけない。誰かに押し付けてはいけない。
そして、これは、確かに、俺の為でもある。俺がこの仕事を続けるために。最初は憧れだった揉め事処理屋という仕事も、もはやそれだけが理由ではない。
言葉が見つからない。それでも何か言わなくてはいけない。
「そうじゃない、とは言い切れない。でも、それ以上に、俺の為だ。それだけは確かだから、だから、その、なんだ。」
許してくれ? 認めてくれ? 違う。銀子の許可も容認もいらない。求めてはいけない。
口にしようにも途絶え途絶えで、繋げられない俺を見て、銀子は、諦めた様に俺を制した。
「そ。なら、いいわ。あんたのやりたいように、やりなさいよ。それで、あとから助けを求めても知らないから……」
昨日のそれとは違う。普段の軽口とも違う。ある意味で、明確な別れの言葉。吐き捨てるようにいったその言葉は、ひどく心を打つ。昨日ほど、ひどい有様ではないというのに。
それ以降しばらく無言でいた銀子だったが、何かをベッドの中から何かを取り出す。A4サイズの薄茶色の封筒。それを一瞬眺めると、俺に差し出してくる。
「はぁ。それから、これ。頼まれてた資料よ。最近あんたを狙ってる連中の」
俺は呆然としながら封筒を受け取る。
「え、あ、ありがとう。でもどうして?」
てっきり銀子は、俺と決別して、情報屋なんてものをやめるものと思っていた。だから、こうして渡してくるのが不思議だった。あるいは、これが最後の仕事なのだろうか。
「私が情報屋で、あんたは揉め事処理屋。頼まれた依頼はこなすわよ。当然でしょ」
「まさか、続けるのか?」
「何? あんたが勝手にするように、私がしたらいけないの?」
「あ、いや、まさか」
ありがとう、という言葉は呑み込んだ。銀子は優しい。どうしようもなく優しい。銀子が一晩考えて、至っただろう答えがこれだったのだから。
気持ち和やかになった雰囲気も、思わずやけそうになる口元も。我ながらチョロいと呆れる心情も、続く銀子の言葉で霧散した。
「その中に、私を襲った人間がいるわ」
手に持つ封筒に、大きな皺が。
なんだかここ数話でキャラがぶれている気がしますが、完結を優先して進めます。
悩んでるとまたエタる。