はー、と吐く息が白い。
息を手に吹き掛け手をこすり合わせる。
年もとうに明け、冬真っ盛りだ。特に朝は随分と冷え込み、温かくなるのを待ち遠しくと感じる。
視界に入る太陽もまだまだ低い。これは時間帯だけが理由では無いだろう。
普段ならばまだ布団の中だろうか。あるいは朝食の用意をしている頃か。
今日に限って何故こんな時間から外に居るのか。夕乃さんと出かけるのが、デートするのが今日だからだ。
予定では映画の時間に合わせ、昼頃からにしようかと思っていたのだが、夕乃さんの意見により朝食も一緒に済ますことになった。
崩月の家で食べることになると思ったら、別の場所を考える羽目になった。
家まで迎えに行こうとしても怒られた。なんでも、こういう時は待ち合わせをするものなんです。とのこと。
目的地である駅への電車。
まだ通勤のピークではないのだろう。席は大体埋まっているが、立っている人は少ない。
夕乃さんのことだから、少し前には居るだろう。
そう考えて予定より早く家を出たのは待たせないためだったが、ぎゅうぎゅう詰めを避ける効果もあるらしい。
駅へ着くたび人が数人入ってくる。休日だからなのか、子連れの人も多い。
遊園地に行くだとか、楽しみだとか、そういう声が聞こえる。
家族で遊びに行くときに、行きの電車内ではしゃぎすぎて、肝心の着いてからは寝ていた。なんて事を思い出す。
どうにも微笑ましくて、その子供を昔の自分、あるいは紫と、重ねてしまった。
途中乗り換えの駅で気づかず乗り過ごしてしまったせいで、目的地に着いた頃には、電車はかなり狭くなっていた。
駅を出て、駅前の広場に出たところで、あたりは見渡す。
場所はこの辺のはず、なんだけど……
目についたのは数人の男が女の人を囲み、無理やり連れて行こうとしている様子。
しかもその女性に見覚えがある。待ち合わせまではまだ少し時間があるはずだ。
そこから視線を上にあげ、時計を見やると確かに、針は20分ほど前を指していた。
「いいじゃんよ、俺たちとちょっとお茶しようぜ」
「さっきから言ってますけど、人を待っているので離してくれませんか?」
俗にいうナンパだ。普通のナンパと状況が違うのは、一人の女を数人で囲んで居ることだろう。
十人いれば十人が……ひねくれ物もいるかもしれない、九人が美人というだろう。
目鼻口のバランスのとれた整った顔立ちにスラリとした長身。
出るとこは出て要らないところは引き締まっている。
髪は黒いストレートで、脇腹よりも少し上まで伸ばしている。
髪の映えそうな白地の服にケープを羽織り下はロングスカートと、清純な雰囲気を出している。
少し大きめのバッグがわずかに空気を乱しているが。
周りの人間は面倒事には関わりたくないと、広場の中央である筈のここを避けている。
「そんなこと言ってさ、全然来ないじゃん。もう来ないから俺たちと行こうよ」
「それは私が少し早く着きすぎただけです」
こんなやり取りを今から30分は前からやっている。
普通に考えたら待ち合わせの相手が遅刻している、あるいは来ないとなるだろう。
彼女の場合、予定の一時間、いやもう少し前から待っているのだが。
一向に着いて来ようとしない彼女に業を煮やしたのか、とうとう腕を掴んで無理やり連れて行こうとする。
「いいから来いっつってんだろ! この!」
「やめて下さい! 人を呼びますよ」
「呼んでみろよ、さっきから誰も助けようとなんかしてねえだろうが」
「そうでもないみたいだけど……」
誰も助けない、そういったところで、腕を持っていた男が肩を叩かれた。
「あ? 誰だてめえ」
女をナンパしていた男の一人が急に出てきた男に、女に話しかけるのとは違う、低い声で言う。
男がその言葉に対して頭を掻くと、愛しい人の姿を見とめたのか、女が嬉しそうに口を開いた。
「真九郎さん!」
「夕乃さん、遅れてごめん」
真九郎は声を掛けてきた男を無視して夕乃に遅れたことを謝罪する。
「いえ、私が早く着すぎただけですから気にしないで下さい」
夕乃の言うとおり、待ち合わせの時間には大分時間がある。
それでもこういう時は謝罪するべきだろう。
無視されたことがよほど頭に来たのか、甘い空気を出す二人が気に入らなかったのか。
あるいはその両方か、男たちは真九郎に、怒鳴りつける。
「何、君彼氏なわけ? 君みたいなほっそいのより俺たちの方が彼女も好きだってさ。帰っていいよ」
「何が、遅れてごめぇん。だよ俺たちが今話してるだろうが。てめぇはすっこんでろや」
「おう、その子はこの後俺たちとのお楽しみ、があるんだからよー。彼氏君は帰ってくれないかなぁ」
「それとも俺たちとやるか?」
「おいおい、この細いのにそりゃ酷だろ」
ギャハハハハハ
女三人寄れば姦しい、というのは男にも当てはまるようだ。
耳障りな音が鼓膜を揺らす。いくら不良とはいえ一般人と喧嘩するわけにもいかない。
溜息をついて、夕乃に話しかける。
「夕乃さん、少し走りますよ」
「彼氏だなんてそんな、ああでもそうなれば嬉しいというかむしろデートするんだから実質的に恋人? でもそんないきなりじゃ真九郎さんに迷惑ですし、やっぱりきちんと愛の告白をされてからじゃないと――」
話しかけたが不良たちの発言によりトリップしていた。どこにトリップする要素があったのかは果てしなく謎だ。
両手を頬に当て、いやんいやんと体を左右に揺らす。
腕をつかんでいた不良はそれに振り回されて手を放し尻餅をつく。
不良たちは何が起きたかわからず呆けた。普通は女がそんなことしたぐらいで尻餅着く筈がない。
生憎と、崩月夕乃は普通の女ではなく、裏十三家の女だったのだが、それを彼らが知る術はない。
その機を逃さず、揺れ動く夕乃さんの腕を掴む。
真九郎も体を持って行かれそうになるが何とか踏みとどまり、駆け出す。
「――え? っきゃあ!」
それによりトリップしていた夕乃も引き戻され、軽く悲鳴を上げるがすぐに走り出す。
尻餅をついた不良と、それを見ていた不良たちは反応できず囲いから逃れた。
だがすぐに、真九郎たちを追って来た。
もっとも、鍛えられた真九郎と夕乃に一介の不良達が追いつけるはずもなく、簡単に逃げ切れたのだが。
「ふぅ……大丈夫ですか夕乃さん」
「真九郎さんが私の――えっ!? あ! はい! 大丈夫です」
夕乃さんはまさか今の今までトリップしていたとでもいうのだろうか?
いや、さすがにそれはないな。一瞬疑問に思ったもののすぐに否定する。
走ったせいで余計お腹が空いた。
「とりあえず、朝ご飯にしませんか?」
「そ、そうですね。確か公園がありましたよね。お弁当作って来たんです。そこで食べましょう」
「え? そうなんですか。てっきり外で食べると思ってたんですけど」
そう思ったからこそ、時間帯的に殆どの店がやっていないのをがんばって探したのだ。
「あ、あれ? 言ってませんでしたっけ……?」
「何も言われてないですね」
「ごめんなさい」
「いえ、むしろ飯代が浮いてラッキーなんて」
「真九郎さん、いつでも食べに来ていいんですからね。崩月はあなたの家なんですから」
申し訳なさそうに謝るので、それを否定してむしろ助かると伝えたら、
一瞬憐みの視線を受けた気がして、優しい顔でいつでも来ていいと言われた。
いつも迷惑をかけるわけにはいかない。そう喉から反射的に出そうになったのを抑える。
それではいつも通り夕乃さんに、迷惑だなんてとか言われるだけだからだ。
それにここ最近のごたごたで、少し気持ちが変わったのもある。
「そうですね、本当に余裕がなかったらそうします」
「あ……はい!」
前は一週間近く何も食べなかったことがあった。少なくともそんな状況になったら頼ろう。
そんな意味合いで頼ります、という。
すると目を丸くし、めったに見せない驚愕の表情を浮かべたが、すぐに笑顔に変わった。
公園で、日の当たる場所にシートを敷くと、弁当を取り出しそこで食べる。
料理はいつも通りおいしかった。食べ終わった後、これまたいつもの通りに料理の入ったタッパーを渡された。
朝食を済ました後、映画館の開館時間までまだあったので、ゆっくり公園内を回ってから向かう事にした。
適当にその途中、ピンクのバンダナをつけた露天商が目についた。夕乃さんもそうだったのだろう。
「ちょっと見ていきませんか?」
寄ることになった。
近づくと、まだ品物を並べている最中だったようで、店主だろう男はこちらに気付くと品物を並べながら
「いらっしゃい、ゆっくり見てってね」
そういう声はまだ若い。もしかしたら真九郎と同じ年くらいかもしれない。そんな青年が黙々と作業をしている。
真剣な顔なので、声を掛けるのは憚られる。
夕乃さんも並べられているアクセサリーを眺めていて、手持無沙汰だったので一緒に眺めることにした。
見てみると、思いのほか多様な形があるもので、思わず見入ってしまう。
二人して時間を忘れて見ていると、どうやら並べ終わったようで、店主が声を掛けてきた。
「お二人は恋人で?」
「恋人ですか? ええまぁ大体そんな感じですね厳密にいうとまだ恋人未満なんですがもう――」
「えぇっと……あはは」
恋人ではないのだが否定すると夕乃さんが怖いので曖昧に濁しておく。
その様子で店主は何か察したようで、夕乃さんの方に声を掛けている。耳を澄ましても声は聞こえない。
すっとこちらに目をやると、手で一つ品物を取り、見せながら説明しているようだ。
結構長い間、二人話していただろうか。夕乃さんの顔が赤くなっている気がする。
そうなった後でこちらにその品物、ネックレスのようだ。を持ってやってくる。
「お兄さん、ここはこれを買って男を見せないと。御嬢さんも期待してるよ、ほら」
促されるままに夕乃さんを見ると、何か期待するような目でこちらを見ている。
店主はわずかに口元を釣り上げると、続いて説明を始める
「これはここが組み合うようになっててね、恋人同士とかで持つんだよ。チェーンを取り外せばペアリングにもなるよ」
それだけ言うと元の顔に戻り何事もなかったかのように、頬杖をついて座る。
そして空いている片腕で品物の整理を始めた。
夕乃さんは変わらずこちらを見ている。
……少なくともここで買わない選択はできない。
できるほど空気を読めなくはないし、偶然さっきお金に余裕ができたところである。
「これ……下さい」
「まいど」
お金を渡すと店主は妙に腹の立ついい笑顔を見せながら言った。
それと同時に、夕乃さんも期待を隠し切れない様子でニコニコしている。
「夕乃さん、これ」
そういいながら組み合わせてある部分を外し、手を差し出そうとする。
すると店主が荷物を整理するふりをしながら、ごく自然にこちらへ顔を寄せてくる。
「お客さんがつけてあげな、くくく」
そう言ってとてもいやな笑いをしながら元の場所へ戻る。
歯を食いしばり心の中で溜息をつくと夕乃さんに一歩近づく。
夕乃さんは顔を赤くし目を瞑る。何を言ったんだあの店主。少し気になったがそのまま首に手を掛ける。
手を首の後ろに回して金具をつけようとする。
「あっ」
金具が冷えていて冷たかったのか艶めかしい声が出る。
それを必死に気にせず金具を掛ける。
そして手を放す。
目を開け潤んだ瞳でこちらを見つめてくる
「真九郎さん……似合ってますか?」
「似合ってますよ」
視界の隅に映る店主が口元を隠しても、隠し切れていないぐらいにやけていたのが気になったが、気にしない。
急に恥ずかしくなり、目を逸らして背中を向ける。
「そ、そろそろ行きましょうか」
「はい」
歩き出すと後ろから嬉しそうな声が聞こえ、横に並ぶ。
横目で見るとネックレスをいじりながら笑顔を浮かべている。
ふと、こちらを見た夕乃さんと目が合う。妙に照れ臭くて、お互い顔をそむけてしまう。
握りしめていたネックレスの片割れを、手の中で転がして、ズボンのポケットにつっこんだ。