アスカが無事に帰ってきたのは、使徒戦から2日経った頃だった。精神汚染もすぐに回復し、目立った外傷もない状態だった。
「アスカ!お帰りー!」
「もう学校来ても大丈夫なの?」
「なんや、わりと元気そうやないかい!心配して損したわ!」
学校でみんなが優しく出迎えるが、彼女はプイと顔を窓に向けた。
「あれ?アスカ?」
呼んでみても、ツーンとしてこちらを見ようともしない。お昼ご飯に誘っても、やはりツンとしている。「ひ、一人で食べるからいい!」と言って、席を頑なに動こうとしない。
「何か嫌なことでもあったのかな……?」
レイが心配する横で、ヒカリも「うーん……」と首を傾げてる。
「何か私たち、気に触るようなことしたかしら?」
「うーん……少なくとも、私は皆目身に覚えが……」
「また鈴原が余計なこと言ったのかな?」
「でも、鈴原くんだけじゃなくて、みんなのこと避けてるし……変だよね?」
「うん」
「何なんだろうなあ……」
「けど、よくよく観てみると、私たちを嫌ってるにしては、ちょっと様子が変な気がする」
「そう?」
「なんだか妙にもじもじしてるし、変に緊張してるし……。アスカが本気で嫌ってるなら、もっと嫌な顔すると思うの。でも、そういうわけじゃないから……」
「……なんで今さら緊張してるんだろう?」
「さあ……」
レイやヒカリたちの頭の中は、疑問符で埋めつくされた。
その疑問が解けたのは、その日の帰り道のこと。シンジとレイが二人で家に向かっていると、アスカが何やら小洒落た雑貨屋から出てきた。
「あれ?アスカ?」
「げっ!?なんであんた達がここにいんのよ!?」
「今日は帰りにスーパーに寄ろうと思って……あれ?」
ふと、シンジはアスカの手に透明の買い物袋が握られているのを発見した。おそらく、そこの雑貨屋で購入したのであろうものが、その透明な袋の上から確認できた。
「……それって、写真立て?デザインも凝ってるし、結構値段も高そう」
「!!!」
「あ、もしかして、あの写真を飾る用の……?」
「~~~~~!!!」
そうシンジが訊くや否や、「うっさいわね!」と言ってアスカにぶん殴られた。
仰向けに倒れたシンジを背に、アスカは猛スピードで去っていった。
「「ははははははは!!」」
翌日、その出来事をヒカリたちに話すと、大笑いされた。
「アスカってば、照れ臭かったのね!」
「素直になっときゃ、あの女も可愛げがあるっちゅーのになあ!ああアカン!腹痛い!」
「惣流らしいと言えば、らしい行動だな!しばらくはそっとしておこうぜ」
何が原因で突然照れくさくなったのかは不明だが、アスカの照れによるツン時代はしばらく続いた。もちろん、みんなそれについて深くは言及せず、微笑ましい眼差しでアスカを眺めていた。
だが、一週間もすると、アスカは何事もなかったかのように接してきた。
「ヒカリ!レイ!お弁当食べるわよ!」
「はいはい」
「うん、いいよ~」
「それから!ファースト!あんたも来るのよ!」
「……私も?」
「何よ!?嫌なわけ?」
「……いいえ、驚いただけ。あなたから誘われると思ってなかったから」
「ふんっ!さあほら!もたもたしてないで早く来なさいよ!」
むしろ、以前より友好的になったとすら感じる。
「たぶん、変に意識するのも逆に負けた気になるから、フツーにしようって思ったんだと思うわ」
ヒカリの推察に、みんな納得した。
こうして、アスカはまた無事に、帰ってきてくれた。
日常の生活に戻ってから、しばらくしたある日のこと。学校でとある行事が開催されようとしていた。
「合唱コンクール~?」
あからさまに面倒臭そうな顔をしたのは、アスカであった。
エヴァのシンクロテストがあるため、学校を途中で抜けてきた昼下がり。蝉時雨をかき消す勢いでアスカの声が空気に通った。
「うん、本当は学園祭の時期らしいんだけど、疎開とかで人が少なくなっちゃってさ、規模を縮小するために合唱になったんだって」
そう話すのは、一緒に下校しているシンジ。その彼の隣にいるレイも、彼に続いてこう話した。
「アスカも帰ってこれたから、課題曲、また明日あたり決めると思うよ」
「なーにが楽しくて合唱なんてすんのよ!はあ……日本の学校ってこういう鬱陶しい行事が多すぎんのよねー。連帯感だチームワークだってさ」
彼ら三人の一番後ろからついてきている綾波が、三人に向かって尋ねた。
「合唱って、なに?」
それに答えたのは、レイ。
「みんなで一緒に歌を歌うの。歌声が揃うようにみんなで練習したりするよ」
「歌……」
「綾波さんは、何か好きな歌ある?」
「分からない」
そもそも彼女は、歌を好きだと思ったことがまずない。綾波はどことなく寂しそうな顔でうつむいた。
横断歩道を渡り、そのままてくてくと歩く三人。じわじわと蒸し暑い気候が三人の身体を汗ばませていた。
「合唱……たぶん、レイがピアノ担当になるよね、きっと」
「うん、クラスでピアノ弾けるの私だけだし、そうなると思う。指揮者は、やっぱりシンジくんかな?」
「そうだね、僕がやることになると思う。うちのクラスって吹奏楽部がいないから、こういう時に役割振られるよね、きっと」
「でもやるからには、頑張りたいね!」
「そうだね、合唱自体久しぶりだし……何かの思い出になれればいいね」
わりかし前向きなシンジとレイ、合唱そのもののイメージがつかない綾波、そしてめんどくさがってるアスカ。彼らにとって、この合唱コンクールという小さな行事が、まさか一生忘れられない思い出になろうとは……一体誰が想像し得たであろうか。
各々の家に帰宅後、シンジとレイは夕飯作り、風呂掃除、洗濯物とてきぱき家事をこなしていく。お互いの段取りの仕方も似通っているので、非常に効率よく作業が進む。
「「いただきます」」
夕方の18:00、二人はカレーライスを食べながら、今日の下校中に話していた合唱コンクールについて話した。
「課題曲ってさ、たしか候補が三曲あったよね?」
レイがそう尋ねると、シンジが軽くうなずいた。
「レイは、どの曲がいい?」
「まだ分かんない。とりあえず、先生から課題曲のデータ送ってもらってるし、三曲全部聞いてみようかな」
「そうだね」
二人は食事を終えて、一緒に後片付けも完了させる。その後、二人はレイ、シンジの順番でお風呂に入った。お互いがお風呂に入っている間、学校の宿題を終わらせるのが、彼らの日課になっていた。
「ふう」
シンジがお風呂から上がり、パジャマを着てリビングに来ると、レイが「ねえねえ、シンジくん」と言って話しかけてきた。
「私、課題曲の中だったら、この曲が一番好きかも」
レイはノートパソコンに接続されたイヤホンを、シンジに貸した。シンジがイヤホンを耳につけると、音楽が流れ出した。
ママ 私が生まれた日の
空はどんな色?
パパ 私が産まれた日の
気持ちはどうだった?
「……あ、本当だ、いい曲だね」
「ね!優しいし、歌詞も良いし、これが一番好きかな」
「これ、なんて曲?」
「【生きてこそ】だって」
「【生きてこそ】……か」
生きてこそ
生きてこそ
無限に羽ばたいていく夢
生きてこそ
生きてこそ
その根は深く 太く 強く
その根は深く 太く 強く
「うん、これは良いんじゃないかな?とっても綺麗だし……僕も好きだ」
二人は眼を合わせて、にこりと微笑んだ。
……真夜中の二時。
シンジは、真夏の暑さに寝苦しくなり、変な時間帯に起きてしまった。
目ぼけ眼をぱちぱちと何回か瞬きしながら、ベッドから上半身だけを起こす。
隣には、レイが寝ている。シンジとお揃いのパジャマを着て、すやすやと可愛い寝息を立てていた。
シンジはレイを起こさぬよう、そっと台所へと向かった。台所の明かりをつけて、水道から水を出してコップに注ぎ、それをぐいっと飲み干した。
「……っはあ…………」
コップを流しに置いて、一息つくシンジ。その時、か細い声で「シンジくん……?」と聞こえてきた。
声のする方へ顔を向けてみると、それはレイだった。眠そうに眼をごしごしと擦り、シンジの方へゆっくり近寄ってくる。
「ごめんねレイ、起こしちゃったみたいだね」
「どうかしたの……?」
「いや……。ちょっと暑くて起きちゃっただけだから。あ、レイもお水いる?」
「いる……」
こくんと小さく頷き、自分のコップを出して、シンジと同じようにして水を飲むレイ。
そして、そのままシンジの肩に頭をもたれかかる。寝ぼけているせいか、普段より甘えんぼうなレイの姿を見て、シンジは内心ドキドキしていた。
ふわりとシャンプーの香りがする。自分と同じはずの香りが、なぜこんなにも芳しく感じるのか……。
「ねえ、シンジくん」
「なに?」
「今度の土曜日、一緒にでかけない?」
「どこか行きたいところがあるの?」
「私、ピアノほしいな」
「え!?ス、スペース大丈夫かな……?」
「あ、ピアノって言ってもグランド・ピアノじゃないよ?練習用のお手軽なやつ」
「そっか、そうだよね。えーと……じゃあ楽器屋に行こうか」
「うん」
嬉しそうにはにかむレイ。そして彼女は、そこからさらに言葉を繋げる。
「買い物終わったら、どこかでお昼ご飯食べよ?その後、時間があったら映画とか……。あ、でもピアノが荷物になっちゃうね。買うのは一番最後にしようかな」
……ここまで話して、ようやくシンジはレイの思惑を悟った。レイはシンジとデートがしたいと……そう言っているのだ。
「……そうだね。ピアノは、一番最後が良いかも知れないね。他にもたくさん歩き回るだろうから」
「……!うん、そうだよね」
レイとシンジは、互いに見つめあいながら、優しく微笑んだ。
台所の明かりを消して、部屋へと戻る二人。ベッドへと二人して戻り、一緒に寝そべった。
布団の中で、二人は手を握っている。暑苦しくて起きたはずのシンジも、このレイの体温は心地よかった。
「……こんな日が、いつまでも続くといいね」
暗闇の中で、レイの声が小さく聞こえた。シンジは「そうだね」と、なるべく声色を優しくして返した。
こんな日が、いつまでも続くといいね
それが、最近のレイの口癖だった。その言葉はいつも、何かに祈るように呟かれる。シンジには、その言葉が不安と恐怖によって無意識の内に産み出されたものだと分かっている。愛する人がいなくなったらどうしよう……と、その不安をかき消すために、言葉が口をつくようになってる。だからなるべく、答える時は優しい口調で返す。
なぜ、シンジにそんなレイの無意識まで分かるのか?
「……ねえ、レイ」
「なに?」
「ずっと、僕と一緒にいてくれる?」
……そう。彼もまた……レイと同じ心であるから。
シンジは経験してしまった。参号機が暴走して、レイを殺すことになるかもしれなかった戦いを。
レイは経験してしまった。初号機に取り込まれて、二度と帰ってこないかも知れないシンジを待つことを。
そして、二人は経験してしまった。
父に捨てられ、母の影を追いかけ、人の顔色を伺って……愛に飢えて生きることを。
「ふふふ、もちろん。私たちは、ずっと一緒だよ?」
「ありがとう、レイ」
「ううん、こっちこそ」
本来、自分の中だけしかなかったはずの悲しみ。それを、隣にいるあなたも共有している。それだけで、相手のことを労り、慈しみ、愛そうと思える。
「…………………」
シンジは、レイのことを抱き締めた。ぎゅっと強く、されど優しく。
「どうしたの?シンジくん」
「……その、僕って時々、何もかも辛くなって、全部イヤになって、逃げ出したくなる時があるんだけど……」
「うん」
「そういう時に、自分がされたかったことを、今……レイにしてるんだ」
「…………………」
レイは、シンジの胸の中に潜った。彼の匂いに包まれて、心の底から幸せな気持ちになった。
「……ふふふ、私が今、そんな風に見えたの?」
「え?」
「何もかも辛くなって、逃げ出しそうな、そんな風に見えたの?」
「いや、そうじゃないんだ。ただ……君もきっと、かつてはそうだったはずだから」
「…………………」
「だから……上手く言えないけど、今、できる内に抱き締めたいなって……」
「…………………」
自分の傷を知っている。それはつまり、相手の傷も分かるというのと。だからこそ、シンジとレイがお互いに安心し合えるのだった。
「……そっか、ありがと」
二人は、お互いの暖かさに微睡み始めた。目蓋も重くなり、いよいよもう眠る目前になった時、レイが最後に一言……
「……シンジくん、大好き」
と、それだけ言って、二人は眠った。