黄金船の長い旅路 或いは悲劇の先を幸せにしたい少女の頑張り 作:雅媛
マックイーンに脚部不安の気が出ているというのはタキオン研究所から報告を受けた。
天皇賞を春秋制覇したのだし、春期の残りは休みにしたいのだが、マックイーンが宝塚記念に出るのを非常にこだわっている。史上初の春の三冠を取るのだと鼻息が荒いのだ。
ゴールドシップとしても、まったく無理をするなとは言わない。勝負というのは多かれ少なかれ無理をするものだ。
これが天皇賞だったらゴールドシップも無茶を承知でゴーを出しただろう。
だが、ここでマックイーンが無理する理由がほとんどない。何度も話し合い、場合によっては大げんかまでしたが、マックイーンは宝塚記念に出るという意思を曲げなかった。
マックイーンはそもそもそこまで体が丈夫なわけではないのだ。
特に腱関連については、未来でもそうだったし、現状出ているデータにおいてもあまり丈夫ではない。
このままだと屈腱炎や繋靱帯炎などを発症しかねない。
タキオン博士の研究で、幹細胞移植などの治療方法が確立しているとはいえ、一度やると復帰まで半年は最低でもかかるし、トレーニングもできない関係上実力も落ちてしまう。
宝塚記念を回避すれば、夏休暇を挟んで来年の天皇賞秋まで半年近く休みがとれる。
だからこそ宝塚記念の回避は必須だと思ったのだが、マックイーンは「絶対に嫌ですわ!!」と一切自分の考えを曲げなかった。
なぜマックイーンがそんなに切羽詰まった様子なのか、ゴールドシップには理解できなかった。
最悪、トレーナー権限で出走回避という手もないわけではない。
レース申請はトレーナーの権限だ。ゴールドシップが出走を取り消してしまうことは可能なのだ。
未来でのマックイーンの引退原因は繋靱帯炎だ。できれば歴史を繰り返したくはない。
ゴールドシップがいた世界と、現在の世界では大幅に変わっているのは確かだ。
繋靱帯炎が不治の病だったゴールドシップの過去の世界と、時間はかかるが確実に治るこの世界では、怪我の重さが違うのだ。
スズカのやった粉砕骨折のように、レース中に事故が起きる類の怪我ではない、そうマックイーンは主張していた。
ゴールドシップとしては無理やり出走を取り消すのだけは避けたかった。
沖野トレーナーも最終的にはリスクを全部マックイーンに説明したうえで説得してくれているがマックイーンは頑として首を縦に振らなかった。
「おい、スカーレット!!」
「何よ」
「お前、なんでダービーでねえんだよ!!!」
日本ダービー。
ウオッカのあこがれるレースであり、一生に一回しかチャンスがない、日本有数の大レースだ。
桜花賞でダイワスカーレットの2着に敗れたウオッカだったが、ティアラ二戦目のオークスには参加せず、ダービーに参加するのは既定路線だった。
そこには当然無敗の貴公子であるアグネスタキオンも出走する。
あれだけタキオンと競うことにこだわっていたスカーレットだ。自分とタキオンが参加する以上、ダイワスカーレットもダービーに参加するとウオッカは思っていた。
なのに、スカーレットが選んだのはティアラ三冠の二戦目、オークスだった。
意味が分からなかった。
トレーナーが止めたのか、と一瞬思ったが、ほかのチームならさておき、スピカではそういうことをするとは思えない。
現に沖野トレーナーに確認したが、彼自身、スカーレットはダービーに出るものと準備していたらしく、オークスを選んだことに戸惑っていた。
絶対何か無理している。
親友として、捨て置けなかったウオッカはスカーレットに怒鳴り込んだのだった。
「私は無敗のティアラ三冠を取るの。あとチーム的にも分散した方がいいでしょ。だからダービーは出ないわ」
「そんな建前の話なんて聞いてないんだよ!! この機会逃したら、タキオンさんと一緒にいつ走れるかわからないんだぞ!!」
「わかってるわよ。ダービーを逃したら、二度と走る機会はないかもしれないわね」
「!? スカーレット、何を知ってるんだ?」
タキオンの脚部不安の話は、タキオンもトレーナーも二人には話していない。
同じチームとは言えライバルであるし、タキオンが伝えるのを嫌がったのもある。
だが、タキオン研究所に頻繁に出入りし、マンハッタンカフェとも付き合いのあるスカーレットはその事実にたどり着いていた。
「タキオン先輩。結構脚の状況が良くないらしいわ。ダービーは出れるけど、その後どうなるかわからないって、デジタルさんも言ってたし」
「じゃあなんでダービーに出ないんだ?」
それならば意地でもダービーに出る方向になりそうだが、なんで出ないことになったのだろうか。ウオッカは余計に混乱した。
「カフェさんと一緒にね、いろいろ調べたのよ」
そもそもタキオンが目指すのはウマ娘の可能性の先であり、個別のレースにこだわりがあるわけではない。
だから無理せずタキオンにあったペースでレースに出ればいいのに、タキオンはかなり無理をしていた。
そうしてタキオンをストーキングしてまでスカーレットとカフェが突き止めたのが、謎の遺跡とメジロ家とのつながりだった。
メジロ家へ面会を申し込んだり、関係が深そうなカノープスのキンイロリョテイやイクノディクタスに話を聞いたりして情報をまとめた結果、たどり着いたのがゴールドシップのことだった。
ゴールドシップを想って、タキオンは頑張っているというなら、スカーレットもまた同じように頑張ることにしたのだ。
ゴールドシップに恩があるのは別にタキオンだけではないのだ。
「そこまで言うなら止めないけどさぁ」
「腑抜けたこと言ってないで、あんたにも重大な仕事があるんだからね」
「なんだよ」
説明を聞いたウオッカは納得したような、納得してないような顔をする。
そんなウオッカにスカーレットは告げた。
「あんたは、タキオン先輩に勝たなきゃいけないんだから。タキオン先輩の気持ちを継いでダービーで勝って、菊花賞にも勝って行かなきゃ、タキオン先輩が安心して休めないじゃない」
「無茶いうなぁ」
スカーレットが一方的にウオッカの予定を指定してきて、ウオッカは面食らった。
ただ、それくらいの方が分かりやすいのは確かだ。
自分は遊びでダービーを目指しているわけではない。勝つために勝負するために出るのだ。
結局それが何にどう作用するかはよくわからなかったが、ゴールドシップに世話になったのは自分も同じだ。
「俺がタキオンさんに勝って、スカーレットに勝っても泣くなよ」
「それは勝ってからいいなさい」
運命の時までの時間は、着々と進んでいた。