黄金船の長い旅路 或いは悲劇の先を幸せにしたい少女の頑張り   作:雅媛

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第三章 ワンコ娘スズカと天皇賞(秋)
サイレンススズカの東京優駿


競バのセオリーは序盤抑えて足を溜め、直線で追い抜くことだ。

逃げはセオリーではない。

これはなぜか。

 

逃げは一番いいコースを走れる。

踏み荒らされていない綺麗な芝。

一番内側の最短コース。

これだけ考えたら逃げが一番よさそうにも思える。

しかしそんなことはない。逃げはやはり弱者の戦法なのだ。

 

競バは競走であり、タイムトライアルではない。

どれだけタイムが遅くても、1番でゴールに飛び込んだものが勝者だ。

だからこそ駆け引きが非常に大事になる。

逃げというのは先頭を走らなければならない。

だから、ペース配分も展開も自分で考えて作っていく必要がある。

後ろの馬は前の馬の展開をみて、自分に適した方法をとるだけでよい。

この差は非常に大きい。考える労力や調整する労力が非常に多いのだ。これが非常にスタミナを削る。

空気抵抗の差もある。

スリップストリームしかり、他バの後ろにつけば空気抵抗が少なくスタミナの消費を抑えられる。

一番抵抗が大きくスタミナを消費するのは先頭なのだ。

そういった不利はコースの有利を帳消しして余りあるのだ。

正確なタイムでラップを刻み続けられる精神力と時間感覚でもあれば別だが、そうでもない限り逃げは定跡となりえない。

残念ながらサイレンススズカはかなり感覚派だ。

だから、そんな正確なラップを刻むなんてサイボーグの様な逃げはできない。

そしてその末脚はすさまじい。

だからこそ、後からの競バをして、直線で差す、というトレーナーの指示は常道としては非常に正しいのだ。

だからこそ、抑えて最後で差す、そんなレース展開をする予定だった。

 

スタート後、サイレンススズカは3番手につけてしまう。

本来はもっと後、7,8番手ぐらいで行く予定だったが、どうしても気が前に急いてしまう。

前に行きたい。誰もいない先頭の景色を見たい。

レースに勝ちたい。トレーナーさんの指示を守らなきゃ。

二つの意識が衝突する。

そのままふらふらと3番手を何となく維持したまま、サイレンススズカは最終コーナーに入った。

 

そこからはもう、いいところなしである。

前は開かない。

脚はもう残っていない。

後ろからすさまじい追い上げを受ける。

 

終わってみればなんてことはない凡走。

サイレンススズカは9着で東京優駿を終えた。

 

 

 

「……」

「エアグルーヴ。サイレンススズカを移籍させるわ」

「トレーナー。スズカが要らない、という事ですか」

「もちろん違うわ」

「ではなぜ……」

「私の力不足ね」

 

東条ハナは自分の実力が良くわかっている。

大量のデータを収集、蓄積し、それに基づき最適を計算する。

そしてそこに、限りなく近くなるようにウマ娘達に指導する。

その方法が間違っているとも思わないし、それにより実績を出してきた。

シンボリルドルフやマルゼンスキーをはじめ、目の前のエアグルーヴも、自分でなければここまで育てられなかっただろうという自負がある。

だが、それは育てる相手を厳選して来たからである。

誰でもいいわけではない。いや、自分に合ったウマ娘はすさまじく少ない。

東条ハナが求めたウマ娘は、東条ハナのいう事を理解し、それに従うウマ娘だ。

それ以外の素質も素養も求めない。力不足はトレーニングとデータ、レース選択で覆す。

だが、言ったことを理解し、言ったとおりにしてもらえなければ成果を出せないのだ。

その指導法の利点も欠点も東条ハナはわかっていた。だからこそ、素直で賢く真面目な子しか受け入れなかったのだ。

そういうウマ娘は協調性が高く学内組織でも受けがいい。だから、リギルには寮長や生徒会のメンバーが多いのだ。

 

サイレンススズカは、そういう子ではなかった。

そんなの最初から分かっていたことだ。

素質、特にスピードが素晴らしく、スタミナもある。一方で群れるのが下手で、トレーナーに全くアピールできていなかったのだ。

そんな彼女を心配し、また、その素質にほれ込んだエアグルーヴが、リギルに彼女を推薦したのが始まりだ。

断るべきだったのはわかっていた。

東条ハナが求めるのは従順さと頭の良さである。

素質なんてなくてもいい。いくらでも補強してやる、というのが自分のスタンスだった。

だがその、どこまでも駆けていきそうなスピードに目を眩ませて信条を曲げてしまったのが失敗だったのだ。

 

安請け合いしたことで、サイレンススズカとエアグルーヴ、二人の心に傷を負わせてしまうことになってしまったのは心苦しい。

本当は最後まで面倒を見てやるべきなのではないかとも思う。

だが、トレーナーとウマ娘は二人三脚なのだ。合わない相手といつまでも組むのがいいわけがない。

今回のダービー、完全なプランを組んだが、結果はさんざんだったのがそれを物語っていた。

 

 

 

「それで、スズカをどこに移籍させるんですか?」

「チームスピカよ」

「スピカ!? トレーナーはスズカをバックに回すっていうんですか!?」

 

トレセン学園は、皆が皆レースに全力勝負するわけではない。

学業に専念するものも少数いるし、サポートに回る子も少なくない。

また、レース場の整備のための園芸や、看護学なんかを学んで体調管理をする整備側に回る者もいる。

そういったレースの裏方をバックといった。

ウマ娘の本能との関係上、そういった子たちも一応レースには出るが、自分の専門に活かすため、といった風合いが強く、未勝利やせいぜい1勝しておしまい、というのが大半だ。

バックの子たちが劣るわけではない。そういう子たちに学園もトゥインクルレースも、ドリームトロフィーも支えられているのだから、単なる役割分担の話だ。

だが、スズカは走るのが好きな子だ。裏方向きではなかった。

 

スピカというと、バックのチームとして最近有名になってきたところだ。

もともとはレース専門だったはずだが、いつの間にかメンバーを総入れ替えしてチームリーダーをゴールドシップに、そしてメンバーにアグネスタキオンを迎えて色がガラッと変わった。

新生スピカになってから半年ほどだがその実績はすさまじい。

予後不良級の怪我を幾人も癒す治療法と理論を発表し、現に再起不能と思われた数人がすでに現役復帰している。

アグネスタキオンを追い出そうとしていた頑迷な連中を逆に追い出すことにも成功し、生徒会の仕事もずいぶん楽になった。

おかしな発光薬をつくったりと時々暴走するが、全体として見ればその実績は学園一といっても過言ではなかった。

だが、レース実績はメンバー入れ替え前も後もさっぱりである。

アグネスタキオンは相変わらずレースどころかトレーニングもしていない。

ゴールドシップもトレーニング場で光ったり将棋をしたりタイヤを振り回したり、碌なトレーニングをしていない。

ダイワスカーレットとウオッカはまじめにトレーニングを重ねてるが、デビューまでは時間がある。

せいぜいよく見て新興チーム。バック専門のチームというのが大方の見方だった。

 

「そんなことないわ。私は自分が信用できない相手に大事なウマ娘を預けたりはしない」

「でももっと実績のあるところがあるではないですか! リゲルとか、デネブとか! どうして!?」

「そこよりもスピカが上だからよ」

 

即断したトレーナーにエアグルーヴは黙る。

リギルから移籍する、という事は今までも2,3例あった。

どうしても合わない相手はいるし、合わない時には無理せず合っていそうなところへとちゃんと移籍させるのが東条トレーナーだった。

エアグルーヴが挙げたチームはどちらも実績も信頼もある古参チームであり、現に移籍して実績を上げた子が行ったところだった。

 

エアグルーヴは東条トレーナーの言ったことは理解できない。

理解できないが東条トレーナーが自信をもって上だと断言したという事は理解できた。

ならばこれ以上聞くことはない。

エアグルーヴは東条トレーナーを信用していた。だからその判断に異議を唱えることも、理由を聞くこともしなかった。

 

「ちなみにエアグルーヴ」

「なんですか?」

「あなたのトレーニングプラン、変えるわ。このままじゃ天皇賞秋、あなたはサイレンススズカの影すら踏めない可能性があるわ」

「!?」

 

トレーナーが意味の分からないことを言い出してエアグルーヴは余計混乱した。

スズカには菊花賞は長すぎる。秋の大舞台は天皇賞秋に照準を合わせてくることは予想していた。

天皇賞秋はエアグルーヴも狙っていたところだった。

だが、慢心でも何でもなく、エアグルーヴはスズカに負ける気はしなかった。トレーナーだってそう考えていたはずだ。

 

「あの子が私に、この女帝に勝つ可能性があるというんですか?」

「あのチームに行って、スズカがどう化けるかはわからないわ。でも、最大限見積もれば、そうなるでしょうね」

「そうですか…… ふふふふふ」

 

推測のように話しているが、東条トレーナーは確度の低いことは言わない。

だから、確実とは言わないまでも、東条トレーナーにとってはまず起こる未来を話しているのだろう。

エアグルーヴの体が震える。恐怖でも、悲しみでもない。

これは、歓喜だ。

 

あのウマ娘というよりワンコみたいなスズカが、約半年後には自分の最大の壁となるというのだ。

あのスピード、あの末脚を持った彼女に惚れ込んでいた自分は、これを待っていたのだ。喜ばずして何と言おう。

そうならば、自分は喜んで彼女を送り出す。そのうえで完膚なきまでに叩き潰す。

エアグルーヴの迷いは完全に吹っ切れた。

 

「もちろん、わかっているわよね」

「チームリギルは、そして女帝は最強です。勝ちます」

「トレーニング、かなりきついわよ」

「勝つためならば」

 

サイレンススズカよ。かかってこい。女帝は、すべてねじ伏せてやる。

エアグルーヴの興奮はしばらくおさまりそうになかった。




それぞれのトレーナーに得意分野はありそうに思います。

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