黄金船の長い旅路 或いは悲劇の先を幸せにしたい少女の頑張り   作:雅媛

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彼女の恋が始まって、そして終わるまでの話

一目見たとき、私、グラスワンダーは彼女に堕ちた。

理由はその時はわからなかったが、付き合いが長くなればなるほど、その理由はよくわかった。

 

トレセン学園に於いて、クラスメイトはライバルと同義である。

隣のあの子が次のレースで自分を追い抜くかもしれないという恐怖が常にある。

仲良くするなんてとんでもない。

皆がそれぞれ、孤独に戦う、そんな空間だった。

 

そんな雰囲気に染まらない子もいないことはなかった。

例えばハルウララ。

桜色の彼女は、走るのが好きであり、誰とでも仲良くなろうとしていた。

そんな彼女と仲良くなった子は何人もいた。

特にルームメイトのキングヘイローとは非常に仲が良かった。

しかしそれだけであった。

彼女はあまりに遅すぎた。

学園の異物であり、異物だからこそ受け入れられたに過ぎなかった。

 

 

 

そんな中、彼女が学園へと編入してきた。

皆が警戒する中、教室に入ってきた彼女は盛大に転んだ。

それがとてもおかしくて、しかし彼女の本領はここからだった。

 

クラスメイト一人一人に挨拶をし、お菓子を配り、そして遊びに行く約束やトレーニングする約束を取り付けていった。

自分の速さに自信がないからおもねっていることを疑いもしたが、そうではなかった。

彼女は、誰よりも速かった。

短距離も中距離も長距離も

どれでも彼女は速かった。

最初の頃はレース場に慣れていなかったようだが、それにも慣れてしまえばあとは彼女の独壇場であった。

 

しかし、そんな彼女は周りも心配になるぐらいお人好しで優しかった。

他の子に、走り方やレースのアドバイスをしたり、なんていうことを日常的に行っていた。

 

「みんなで走った方が楽しいですよ♪」

 

それが彼女の口癖だった。

 

 

 

彼女はとても人気があった。

思春期の娘が集まり、惚れた腫れたの話も多いトレセン学園。

そんなのくだらないと斜に構えていた私が、真っ先に彼女に惚れるのだから救いようがなかった。

よほどわかりやすかったようで、皆にすぐばれた。

私が彼女に惚れているのを知らないのは、それこそ彼女自身と、あとはハルウララさんぐらいだったのではないだろうか。

 

怪我で走れない自分をいたわり、ときにはいろいろ手伝って優しくしてくれた彼女。

リハビリにも協力してくれて、一緒に走るのが楽しみだと言ってくれた彼女。

一緒に過ごせば過ごすほど、私は彼女を好きになっていった。

 

そうして、私の恋は、あの時に終わった。

 

日本ダービー。一生に一度しか出られないレースに彼女は出ていた。

一番人気であった彼女は、パドックでルームメイトのサイレンススズカさんと口づけを交わしていた。

きっとスズカさん以外は誰も見たことが無かった、幸せそうな彼女の笑顔。

私は、勝負すらせずに負けたことを悟った。

 

失恋はつらかったが、案外あきらめがつくのは早かった。

自分はそもそも、恋のレースに参加すらしていなかったのだ。

周りが自分を応援してくれているから慢心していたのだ。

負けたのが当然だというのはすぐにわかった。

つらくはあっても、受け入れられた。

 

しかし、彼女と勝負したいという気持ちはより高まっていった。

綺麗な彼女の走りに私は惚れたのだ。

だから、彼女と競いたかった。

勝ってみたかった。

 

 

 

毎日王冠。

おハナさんに無理を言って参加させてもらったそれは彼女の大好きなスズカさんと、一度戦ってみたかったゆえだ。

案外甘いおハナさんは、いやそうにしながらも許可をしてくれた。

そうして、スズカさんと走った。

圧倒的な彼女の速さに、影を踏むことすらできなかった。

彼女の強さと美しさに、負けを認めた自分がいた。

 

だがすべてをあきらめたわけではなかった。

有馬記念。

ここにはフランス遠征が控えていたエル以外皆が参加する予定だった。

だからこそ、ここに目標を合わせて私は頑張ってきた。ここで、彼女と競うことができるはずだった。

 

そしてその本番、彼女に私は勝った。

集中を欠いていた彼女は私に全く気付いていなかった。

本当に集中していたら、私は彼女を差し切れなかっただろう。

速度的に届くかもわからなかったし、何より少し横に動いてブロックされてしまえば、ギリギリの私は彼女に届かなかった。

その意識の隙間を突いた勝利だった。

 

そうして初めて彼女と競い、そして勝った私に待っていたのは

 

「なんでっ、なんでぇ……」

 

崩れ落ち、私を責める彼女であった。

彼女が壊れ始めていたことを、鈍い私は初めてこの時察したのだった。

 

 

 

そんな彼女を見て、私はショックを受けた。

彼女に拒絶されたから、ではない。

彼女が壊れつつあったから、でもない。

そんな状態の彼女に気づけない自分に、身勝手な自分にショックを受けた。

状況は、情報を集めればすぐにわかった。

スピカメンバーとは仲が良いし、スズカさんは元リギルだけあってエアグルーヴ先輩など状況を知っている知り合いは多かった。

いろいろ聞いた私は気づいた。

 

『彼女の隣が今、空いている』

 

とどかないはずだった恋が、とどくのが見えてしまった。

 

 

 

邪念を振り払えない私は、三日三晩考えて、何が正しいのかわからなくなっていった。

終わったはずの恋が胸を焦がした。

どうしていいかわからなくなった私は、スズカさんに、彼女を捨てたヒトに会いに行くことにした。

 

スズカさんは私の恋心に気づいていた。

あれだけわかりやすいのだから当然だろう。

私が行けば何を言われるか、スぺちゃんを取らないでと詰められるのではないかと身構えていた。そんな彼女から告げられたのは

「スぺちゃんをお願いね」

という一言だけだった。

 

もう走れないかもしれない彼女は、しかし今でも強くて綺麗で優しかった。

私はまた、負けを認めた。

私のするべきことは決まった。

 

 

 

「で、何良い子ぶっているんですか?」

「……」

「スズカさんは言っていましたよね?『スぺちゃんをお願い』って」

「……」

「誰が文句を言うんです? エルも、セイちゃんもキングちゃんも、スズカさんも、絶対に文句を言わない。祝福してくれる。おハナさんやリギルのメンバーだって、スピカのみんなだって祝福してくれる。何を血迷っているんですか?」

「……」

「ほら、何を言えばいいかわかるでしょう? 何をするべきか、わかるでしょう? その死んでしまいそうなぐらい苦しかった恋が、叶うんですよ? あと一歩ですよ?」

「……」

「ほら」

「それで、私は何を手に入れたんですか?」

「っ!」

「その選択をした私は、恋に踊ったあなたはどうなったんですか?」

 

夢の中で語りかけて来た彼女が自分だというのはすぐにわかった。

何かが少しずれた世界の私だとすぐにわかった。

恋に狂った彼女は何が起きるか読めなかったのだろう。

だが、冷静になれば何が起きるか、簡単にわかった。

 

「……」

「自分勝手な恋を押し付けて、彼女を壊して、自分も壊れた哀れな私」

「……」

「この恋はもう終わったんです。また恋に落ちて、スズカさんに挑んでもいいかもしれません。でも今は、ちゃんと終わらせないといけないんです」

「……」

「身勝手な恋を終わらせないと私もスぺちゃんもスズカさんも、先には進めないんですよ」

「だって今しかないじゃない! スぺちゃんが私のものになるのは今しかないのはあなたもわかるでしょ!!! スズカさんに私が! 身勝手な私が勝てるわけないじゃない!!!」

 

子供のように叫ぶ私。

スぺちゃんを壊し、自分を壊すことでしかスぺちゃんを手に入れられなかった私。

愚かしく、哀れで、しかし狂おしいほど愛しい私がそこにいた。

 

「交わることはなくても、並ぶことはできます」

「……」

「私は並ぶことを選びました。大切な彼女を壊さない道を選びました」

「……」

「さようなら、愚かな私」

「まってよぉ、一人にしないでよぉ……」

「それを選んだのはあなたです。私ではない」

 

すすり泣く声とともに彼女は闇に沈んでいった。

 

 

 

 

 

魔法を解くのは口づけだと相場が決まっている。

私たちは皆、自分勝手な恋の魔法に捕らわれていた。

魔王を倒した今こそ、お姫様の恋の魔法を解かなければならなかった。

 

私の醜い自分勝手な初恋という魔法も

スズカさんの相手を思いすぎた故の恋という魔法も

スぺちゃんの勝利を捧げるという行き過ぎた恋の魔法も

 

きっとこの口づけで解けるはずだ。

初めての口づけは、冷たく、そしてしょっぱかった。

甘酸っぱさなんてかけらもないそれで、しかしスぺちゃんはやっと恋の魔法という悪夢から目を覚ましたようだ。

 

こうなれば私にできることは何もない。

スズカさんのところに向かいたいだろう彼女の背中を押すだけである。

 

やっと、私の自分勝手な初恋は、ここで終わった。




恋とは偉大で美しく
また自分勝手で醜悪なものである。

スペシャルウィークは恋ゆえに、勝利を捧げようとした。
彼女が望んだのは寄り添う事であったにもかかわらず
サイレンススズカは恋ゆえに、すべてを突き放した。
彼女が望んだのは寄り添う事であったにもかかわらず
グラスワンダーは恋ゆえに、すべてを壊した。
彼女が望んだのは寄り添う事であったにもかかわらず

全ての恋の魔法が解けたとき
本当の物語が始まる。
どうかその物語は、幸せな結末を迎えんことを

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