他人と話すということ
私は、人と話すのが苦手だった。
話し始めて、とても仲良くなると、ようやく、みんなのいう『普通に』話せるようになる。
でも、そこまで持っていくのが大変だ。
なんで、そんなに人と話すのが苦手なのか。
それには、小さい時のトラウマも影響している。
幼稚園の時、私はいじめられていた。
今思えば、その、私をいじめていた子の親は、幼稚園で開催するイベントに全く来てなかったから、両親ともに来ていた私に嫉妬したのだろう。
何故私を選んだのかは知らないが。
そうしてその子は、仲の良い子と一緒に私をいじめた。
幼稚園児如き、と思うかもしれない。
でも、そうではなかった。
最初の頃…私が、いじめられていると自覚していなかった頃だ。
いじめっ子達のグループはいつも笑顔で、とても楽しそうに見えた。
私も入りたくて、声をかけて見た。
だけど、それに気付いたリーダーっぽい子は、私のことを突き飛ばしてこう言った。
「誰も、あんたみたいなクズとはいたくないの。二度と話しかけないで。」
そのまま歩いていく彼女達を、私は呆然と見つめることしかできなかった。
エスカレートしてきて、最後の方は、私がものを運んでいると、教室から出てきたいじめっ子メンバーの1人がスッと足を出してくる。
私は足元が見えず、それに気が付けなくて、そのまま躓いて転び、運んでいたものを壊してしまった。
挙げ句の果てには、その子は、まるで私がわざと踏んだかのように周りに訴えたのだ。
「ひっどい!美菜!私の足踏むとか、最低!」
⎯⎯⎯美菜、というのは、私の仮名だ。本名の代わりに使わせてもらう⎯⎯⎯
すぐさま、沢山の人が集まってきて、私を責め始めた。
先生もやってきて、私がものを壊しているのを見て、「なんてこと!」と言った。
その後散々叱られた私は、帰りに親にも先生が話しているのを見た。
絶対叱られる。
そう思ったが、帰ってきた私を見て、母はこう言ったのだ。
「転ばされたんでしょう?怪我はない?」
母は、私を信じてくれていた。
私は泣きながら、本当のことを説明した。
両親は信じてくれて、次の日、先生達に言ってくれた。
その後、いじめっ子達とは別の小学校へ進むことができた。
幸い、小学校の地区が違ったのだ。
しかし、地獄は終わらなかった。
小学校に行くと、今度は名前でいじられたのだ。
本名がいじりやすかったから、私はそれにも悩まされた。
しかし、それはまだ良かったのだ。
一番辛かったのは、暴力だった。
ある1人の男子に、標的にされたのだ。
それ以来、殴られ、蹴られ続ける毎日。
2年生で厳しい先生が担任になり一度止んだものの、3年生でリバウンドのようにさらに酷くなった。
4年生になって、流石に隠すのが限界だった。
親にばれて、その後色々と話すことになった。
5年生は、1人だった。
話しかけることもできず、かと言って話しかけてくれる人もいない。
でも、それで幸せだった。
6年生で、先生に少し相談してみた。
すると、それを聞いていた亜衣流(これも仮名だ)さんが、私に話しかけてくれた。
それ以来、同じ趣味を持つ人と仲良くなれたりした。
しかし、あまりにも遅すぎた。
すぐに卒業の日が来てしまい、私たちは離れ離れになった。
私は、中学受験をしたのだ。
受かって、そちらに進むことにした。
中学に入って、先生の話を聞いていた。
リングファイルを開くように指示が出た時、私は初めてそれをみたため、開け方が分からなかった。
その時、隣の子が親切に教えてくれたのだ。
その子は『麻希』という名前だった。(ここから先、名前は全て仮名だ。)
その後、私は頑張って話しかけてみて、もう1人の子とも仲良くなれた。
しかし、3度の喧嘩で、あまり話さなくなった。
その後も、しばらくは1人だった。
最初は寂しかったが、しばらくすれば慣れた。
所詮、その程度だったのだ。
しかし、2年生になって、転機が訪れた。
元同じ塾の子が話しかけてきてくれたのだ。
その子は『胡々露』という子だった。
そのあと、『玲菜』や『志野』、『和香羽』や『湖乃』に『未唯』も紹介してくれた。
はじめての、心から信用できる友人だった。
最初は、それだけで満足できていたのだ。
しかし、私は、またも悩みを抱える。
今回共感して欲しかったのは
“話しかけることに恐怖を感じる人がいる”
ということだ。
他人と話すのは、話しかけるのは、難しい。