トガトガの実の咎人。それは超人系に分類されるが、しかしある意味では自然系に及ぶとされている。その理由は即ち、ゴムゴムの実のゴム人間に打撃が効かなくなることと同じ、超人系でも種類によっては一定の攻撃が通らなくなるという事象である。
それはある種当たり前の常識だ。しかしトガトガの実はその無効化する攻撃種類が異常なのである。
即ち、悪意。
人間の感情を理解する咎人は悪意ある攻撃では倒せない。害意を持つ攻撃では意味がない。そしてそれはほぼ全ての攻撃が無効化されるという結果と同義なのである。
攻撃とは、相手を害する行為なのだから。
さて、では覇気を使えばどうなのだろうか。覇気は自然系――ロギアの流動する身体にすら通用する。それは確実に能力者の実体を把握するからだ。確かに覇気は咎人にも効果はあるだろう。実体はあるのだ、むしろ効かないほうがおかしい。
しかしここで重要なのは、覇気の力が能力者の実体を捉えるという事実だ。だからこそ覇気では咎人を打倒し得ないのだ。
咎人にはちゃんと実体がある。ゴムのように伸びることもなく、煙のように実体がないわけでもない。実体はあり、それは間違いなく生身の人間と同じなのだ。
しかし敵意ある攻撃では殺せない、というだけで。
覇気は確かに咎人を捉えるだろう。きちんと打ち、切り、射抜くだろう。しかし絶対に殺せない。
攻撃は通り、ダメージもいく。しかし絶対に殺せない。
明確な敵意は咎人の心臓の敵にはならない。それは即ち己と同じだから。
だからこそ彼女はジュラキュール・ミホークの襲撃を退けられた。幾度とあったピンチがピンチ足りえなかった。
咎人となった彼女の行為に、敵意を催さない人間など皆無なのだから。
***
「それで、ルフィ? あなたはどうするつもり? イリカを殺すの?」
「は? 何言ってんだお前。俺はお前を止めるって言っただろうが」
「……うーん、それは殺すって意味と何が違うの?」
「馬鹿か。殺すのと止めるのなんか違うに決まってるだろ。俺はお前を止めたいと思うしぶっ飛ばしたいと思うけど殺したいなんて思わねぇ」
頤に指を当て、
「わかんないなぁ。殺すのと息の根を止めるのと何が違うのよ?」
イリカ・レベッカは当然のように言葉を足した。
「ねえルフィ。あなたはどう思う? 自分の好きなことを遮られた時、その相手を殺したいと思う? イリカは思うわ。絶対に許さない絶対に許さない絶対に許さない絶対に許さない嬲るように脳みそを弄って弄って弄って弄り倒して、それからもう考えることもできないくらいにめちゃくちゃにするの。そうするとみんなが“お前は間違っている”と言うわ。最近気づいたの、みんなが間違っているって言うことこそがイリカにとって当たり前のことなんだって」
「……気持ち悪ぃ」
両手を広げて口上を続けるイリカを、モンキー・D・ルフィは素直にそう思った。
眼前の少女には言葉が通じないのではないか、そう思うほどにその思考は異常で、だからこそ彼は少女を止める必要があると直感した。パキ、と指を鳴らす。威圧するように睨んだ。
「正義とか悪とか良いとか悪いとかそういうのが蔓延しているけれど、結局は都合って言葉を言い換えただけなのよね。イリカがすることが都合が悪いから違うって言うだけ。明確な基準なんてたった一つよ。認められるか認められないか、ただそれだけなのに。そんな主観を押し付けてくるのはおかしいわ。やっぱり人っていうのはおかしいのよ」
「俺はお前の言いたいことが小難しくてわかんねぇ。わかんねぇけど――」
「イリカのしたいことは、俺がしたくねぇことだから止める」
「…………」
畢竟、そこに尽きる。モンキー・D・ルフィが考えることはイリカ・レベッカには関係がなく、改めさせることもできない。つまりは平行線、最終的には対立する運命は変わらない。それをおそらくルフィはわかっていて、イリカはわかっていなかった。
彼女は本気で狂いながら、それでも自分が狂っていないと信じていた。彼女のすることも押し付けだとわかっていなかった。
「――ふぅん、そう。でもさ、ルフィ……?」
ぞわりと気味の悪い風がルフィの頬を撫でた。自身は風下、風上にいるのは得体の知れない少女である。対照的に心地よさそうに髪が揺れ、イリカは見下すように彼を見た。
「イリカを止めることはできないよ? だってもう“謳える”んだもの」
少女が息を深く吸った、瞬間、ルフィは駆け出した。超人的な身体能力を持つ青年と通常以下の力しか持たない少女の対決は対決にすらならない。
イリカが一音すら奏でることは叶わずに、ルフィは彼女のどてっ腹に拳の弾丸を撃ち込んだ。
「……っ!!」
「…………」
確実な手応え、足場もしっかりとしているために全ての力をうまく伝えられた。彼方まで吹き飛んでもおかしくない、少女の体格では言うまでもない。骨を粉砕され激痛にもがいてもおかしくない。
「え……!?」
「…………だからさ、ルフィ?」
――ならば、今目の前にいる少女は、一体なんだと言うのだろう。
「聴いてよ、イリカの詩“覇悪”」
大きく息を吸い込んだ。肺が膨れ、めり込んでいた拳が突っ返される。呆然とするルフィを嘲笑うかのように、イリカの高音が空間を支配した。
「…………っ!」
音の津波が世界を襲う。怖気も消し飛ぶ圧倒的な支配力。それに対し、飲み込まれる刹那ルフィは記憶を呼び起こした。
“精神が死ぬんだ。狂い、イカれ、原初に立ち返り、破滅する。そうなる詩が聞こえてくる”
“止めるにはただ一つ、詩を止めるしかない」”
“この島の全ての人間が死ぬ”
「やめろぉぉおおおおおおおおおおおおおお――――っ!!!!」
何かが、そこで弾けた。
* * *
おそらくは山の中腹だろう。下を見ても傾斜、上を見ても傾斜な辺りそうだと思う。そんなことを悠長に考えながら、ロロノア・ゾロは頭をがしがしと掻いた。
「妙だ、てっぺんが遠い」
ヒゼンの作り出した迷宮にゾロの生来の方向音痴を加えれば、実はまさかの頂上まで一直線。という終わらないランニングマシンに疲れきったナミが考えた妄想は正しく妄想で、実は上を目指していたのに今では下っているという予想の斜め上、いや斜め下を行っているゾロ。
流石に疲れたのか汗は滝のように出ているが、表情は馬鹿っぽいのでそこまでの疲労ではないのだろう。
「ふむ」
思考する。この道は正しいのだろうか。上を目指せばいいだけの簡単なお仕事だったはずなのに道が上に続かない。ということはこれは罠か、と今更ながらに考えた彼がすることは一つだった。
「上まで真っ直ぐ、邪魔なものは斬ればいい」
体力は使うがそれが一番である。ということで壁に穴を開け続け始めたのが五分前の話。
そして現在――
「わかりやすくて助かるよ、ロロノア・ゾロ」
「あ? なんで海軍がここにいるんだ」
見つけてくださいという風に行動しまくっていた彼は、見事に彼を狙う人物に遭遇した。
「上の命令でね、お前の相手をする者だよ」
「俺は海軍なんかに付き合っていられるほど暇じゃないんだが」
腰に挿した剣を見て、ゾロは相手が剣士だと知る。願うなら戦いたいが、そんな時間はないことくらいわかっている。付き合う気はないと手を振った。
「上のことなら心配ない、この事件のために全てを尽くす人が向かったからな。それになロロノア、お前剣士の俺に見逃されたなんて噂されていいのか?」
「――へぇ、いい挑発だ。確かに剣士に逃げたなんて言われちゃあ俺の名が廃るってもんだ」
剣を抜き、切っ先を向ける相手に対し、鬼のような表情で刀を抜くゾロ。わかっていたことだが、相手取って他を考える余裕はなさそうだ。
「海軍本部ナユタ大佐副官のハリー・キサヤだ」
「ロロノア・ゾロ、世界一の大剣豪になる男だ」
「勝手になればいいさ、あの世でな」
ハリーが跳ぶ。一直線にゾロに向かい刺突、
「っ」
それを二本の刀で交差するように受け止めた。二本の交差部位と拮抗する切っ先にハリーが笑う。
刹那、怖気の走ったゾロは強引に身を屈め――
「吹き飛べ」
間に合わず、一度止めた突きに弾き飛ばされた。土煙を上げて吹き飛ぶゾロは転がりながら体勢を整える。膝を着きながら止まった。
なんだ、今のは……
完全に勢いを殺したはずの攻撃、まるで衝撃が通ったかのような錯覚だ。原因を考える間もなくハリーが跳ぶ。受けるのはまずいと二本の刀で切っ先を逸らしながら避ける。振り切るのと異なり刺突は見づらい上に戻りが速い。攻撃に転じる隙がない。
と、ハリーが消える。
「ちぃ!」
反転し、後背を狙った剣を弾いた。剃、高速移動術。六式の内もっとも応用力のある技だ。
しかしゾロも六式使いとの戦いを経てここにいる。ハリーの剃では決定打を狙えない。だが、それでいい。弾き返され開いた間合い、ハリーは腕をしならせた。剣の間合いの外だが、ゾロにも攻撃手段はある。故に油断しなかった。
「刺弾」
馬鹿の一つ覚えの突きは大気を突破し弾丸となる。鎌鼬を極限まで圧縮したようなものだ。その鋭さは並の斬撃を上回る。しかしゾロはそれをかわすことなく受け止めた。
「それが三刀流か、馬鹿みたいだな」
「うるせぇ」
両手の二本、そして口に一本。三振りの刀を携えてゾロはそれを受けた。衝撃に弾かれることもない。
と、彼は刀を離し頭に黒のバンダナを巻いた。本気の戦闘態勢の表れである。その隙をハリーは黙って見つめていた。慢心ではない、彼の役割はこの男の足止めだ。ならば時間がかかることは歓迎するべきだ。
「一つ聞きたいんだが」
「あ?」
「どうして口に銜えようとしたんだ」
「二本じゃ勝てなかった奴がいたんでな」
「……?」
「…………?」
互いに首を傾げた。ハリーはその理屈が理解できず、ゾロはこの説明を不思議そうに受け取った相手の仕草に対してだった。
「……いや、本気か?」
「当たり前だろうが」
「え……本当に馬鹿なのか? ええと……だ、大丈夫か?」
「何の心配してるんだてめぇは!?」
「普通は口に銜えようなんて思わないだろ。二本で勝てなかったから三本だって、数の問題じゃないだろうに」
心底かわいそうなものを見るかのようなハリー、それに対し若干恥ずかしそうなゾロである。
いや、わかっていたのだ。ただ当時は子どもだったから、剣の数を増やせばいけるんじゃないかと思っただけなのだ。そしてそのまま修行し続けてしまっただけなのだ。
「ちゃんと手入れはしているのか? 口に銜えて唾液塗れなんてかわいそうだろ。ああ、口に含むんだ、消毒もしているか?」
「いちいちうるせぇ! お前俺の敵だろうが!」
「違う、お前が俺の敵なんだ」
「……?」
「世間一般に見れば、お前が俺の敵だ。海軍と海賊がいて、民草が味方するのは俺だろう?」
ハリーの敵ということではない、世界の敵だ。海軍が敵というのは海賊やその他犯罪者の弁に過ぎない。本来海軍は敵という括りに入らないグループなのだ。
とはいえそんなことは今この場に関係がない。ゾロは考えることをやめた。
「おんなじだろうが。俺がお前を斬ることに変わりはねぇ」
前傾姿勢となり、纏う空気が獣のそれになった。いつ踏み込んできてもおかしくない、凶暴なイキモノ。それに対し、ああ、と呟いて――
「というよりなんだ、ロロノア。お前――ただ逃げただけじゃないか」
話を引き戻した彼はその空気をぶち壊した。
「何……?」
「だってそうだろう。二本で勝てないから三本、ということはどうせ最初は一本同士だったんだろうが。同じ得物の数で負け、増やして負け、更に増やした。ということはお前、同じ土俵じゃ勝てないから逃げたってことだろう? ああ、同じ剣士だ、とか言うなよ。条件が対等じゃないって言ってるんだ。端からお前が二本や三本でかつ相手が一本なら別にいいがな、お前はそいつに負けたことでスタイルを変えたんだろう? じゃあやっぱり逃げたってことじゃないか。最初のスタイルで勝とうって思えなくなったんだろ?」
そしてそのまま、ハリーは間合いを詰めた。一方的に言って反撃を待たずに突きを連ねる。ゾロはそれに一瞬反応が遅れ、結果後手になる。刺突のスピードに迎撃できない。
無数の剣戟、ハリーは突きの間合い外に踏み込んだ。即ち、超々至近距離である。
「黒雛」
剣を持たない左手の指、その一本一本が刺突となりゾロの胸元を貫く。
六式の一、指銃に似たそれはもともとはハリーの扱う剣術のものだ。おそらくはどこかから洩れたのだろうが、指銃は通常指一本で貫くのに対し、黒雛は五本全てで相手を貫くものだ。
「ぐぅ!?」
素手での攻撃にゾロは咄嗟に距離を取る。圧倒的な脚力で弾かれるように間を開け、それはつまり中距離の攻防の合図である。
「刺弾」
「三十六煩悩鳳!」
にらみ合う先で斬撃が相殺される。それを見届けることなくもう一度距離を詰めた。ゾロの背後に鬼の形相を見たハリーは心なしか防御に意を注ぐ。
「鬼――斬りッ!」
「く……っ!」
剣の腹で受け詰めるもその衝撃は凄まじい。突進からの三振り同時攻撃、踏鞴を踏み、体勢が崩れた。そこに再び猛牛が現れる。
「牛――針!」
「ちぃ――っ!」
お株を奪うかのような突きの連打、更に突進による勢いまで加わっている。もともとの体格ではゾロのほうがパワーはある、結果的にハリーは堪えきれずに弾き返された。
それでも体勢は崩しきらず、更に猛追するゾロに対し剣を構える。肩よりも高く構え、切っ先を僅かに下ろした。
「百合の太刀――!」
「牛鬼――勇爪!!」
更なる突き、しかしこれは一撃に特化したものだ。それに対して上段からの突きを放つハリー、その威力はゾロのそれに引けを取らず、五分。
しかしたとえ五分でも、こと突きに関してハリーに負けはない。手首の返しで刀を逸らし軌道を変え、そのまま腕を伸ばして地面へと突き刺す。地面が抉れ土が飛び散る。その目くらましに咄嗟にゾロは目を細め――
「――!?」
「落葉遡行!」
地面を抉った切っ先が反射され上へと伸び、勇爪を放ち懐が開いたゾロの隙を突いた。逃げ切れず、受け切れない。ゾロは反射的に身体を仰け反らせ決定打を避ける。避けきれず肩口を剣が貫通し血飛沫が弾けた。
激痛を無視し、避けた反動で回転、次打に繋げる。今度はハリーが避けきれない。
「竜巻!」
「――――っ!」
斬撃の竜巻に飲み込まれ切り刻まれながら浮上する。それでも声を出さずに耐え収まるのを待ち、遥か上空で受けきった。そしてそこは、彼にとって最も都合のいい高さである。
「世界樹の太刀――!」
剣を地に向け落下体勢に。位置エネルギーと自身の技量を乗算した威力の最大の刺突を敢行する。対するゾロは相手の構えに背筋を震わせながら対空攻撃の準備を整えた。
――風が吹き、星が引き寄せる。
「千穿万華!」
「青龍印――流水!」
衝突が齎したものは空気の炸裂と衝撃、そして立っている勝者の存在だった。
* * *
風が吹き、歌声が響き渡る。同時に叫んだ懸命な声も響いた。その二つは両者の予想とは裏腹に同時に止み、そして同時に両者の顔色を変えた。
「はぁ、はぁ、はぁ…………あ?」
「……何? 何であなたは平気なの? それよりも、どうしてイリカの詩は止まってしまったの……?」
「な、なんか知らんけど、助かった……っ!」
等しく発狂を齎す詩は、しかしどんな理由かかき消された。当然イリカは途中で止めておらず、ルフィは元々明確な阻止方法を知らなかった。結果攻撃に訴え失敗したわけなので更に蚊帳の外である。
しかし、その理由を知るもう一人が現れたことで、この事件は終息へと一気に近づいた。
「――久しぶりね、イリカ。お姉ちゃんがお仕置きに来たよ」
リーティア・レベッカ――カタ・ナユタ。
お姉ちゃん、と風が泣いた。