かたなリバース   作:白山羊クーエン

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想起 レベッカの家

 

「はぁ、はぁ、はっ、ぁ……っ、なんでっ、なんでだよっ!?」

 わけがわからないどうしてこんなことにちょっと待ってくれ。

 そんな何にもわからない思考がぐるぐると脳裏を埋め尽くす中、一人の少年が必死に木々を駆けていく。全く以って整備されていない地面は歪で、土と植物、あるいは動物の王国だ。その中を裸足で走る彼は既に痛みを忘れてしまっている。そんな感覚、もう三日前に消し去った。そうでなければ耐えられなかったから。

 ジャングル、その言葉が少年の語彙の中で世界を表すのに相応しい。南国を思わせる気温と湿度、見たこともない虫や小動物。およそ映像の中の現実を少年は生きている。とはいえそういったドキュメンタリーが好きではなかった少年は数えるほどしか見ていない、だからこそここを単純な言葉でしか表現できなかった。

 とはいえ、そんなことが意味を持つわけではない。

 いくらここを的確に表現できようとも、生きていけるわけではない。

 既に服は泥だらけ、傷だらけ。幸いなことに危険な動物にすぐに出会わなかったので、これらは徒にひたすらに歩き回った結果だ。どうにかして現実を否定したくて、でも叶わずなんとか抜け出そうと思って行った結果だ。確か部屋にいたはずだから、当然の如く靴は履いていなかった。ここが冬のような環境ではなかったのは少年にとって僅かに幸運である。

 走っている。現行、少年は走っている。

 最初の夜は怖さで眠れず、二日目の夜は疲れで気を失った。三日目に全てに絶望し、四日目は全く動かなかった。五日目で欲求に耐え切れず歩き出し、六日目で水の大切さと人間の強度を思い知る。そして七日目の今日――彼は命を失いかけている。

「あっ、あっ、はぁああぅあああっ、がああ……っ!」

 最早呼吸もままならない、酸素を渇望する身体が静止を願っている。だが理性はそうもいかない、止まれば死ぬとわかっている。もうすぐそこ、背中に届きそうな位置にまで迫ってきている。振り向かなくてもわかるほどの死の感覚はここに来てから覚えた。

「あ、ああ、っ、あは、あはああああははっ!」

 だから、わかる。もうこの行為に意味なんてない。笑わずにいられない。涙なしには動けない。何故なら少年は諦めているから。否定なんてできないから。おかしな話だと友人は笑うだろう、呆れるだろう。でも仕方がない、そもそも友人には話せないし、何より――

 

 

 5メートルはありそうな虎なんて俺は知らないけど、道を塞ぐように今目の前にいるのだから。

 

 

「ひは、ぐう、っは、はっ、はっ、んあ……!」

 間抜けな音が口から洩れ、少年は勢いよく転んだ。いや、前のめりに倒れたというのが正しいのか。もう身体は1ミリも動かないので、爆発しそうな心臓が代わりに必死に頑張っている。まぁそれで状況が変わることはない、終わりだ。食われる前に死ぬだろうが、同じこと。恐怖なんてもうないからどっちでもいい。

 虎はゆっくりと近づいてくる。気配と足音でよくわかる。普通なら音は消すだろうに、このサイズだと地鳴りのようで意味がない。視線は自然と地面から正面に移っていた。表情の読み取れない珍種の虎が目の前に佇んでいた。

「…………」

 不思議と、呼吸が収まった。いやおそらくは意識が霞んできたのだろう。ああ、それは嬉しいことだ。少年はそう思った。もう二度と覚める事のない眠りが穏やかに訪れる。

 最後に見たのは能面のような虎の顔、そして脳は――――どうしてこんなことになったんだろうという疑問に支配されていた。

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 おかしな話で、目が覚めた。最初に見たのは目に優しい茅葺のような屋根、次いで屋根。とにかく屋根。

「…………」

 痛みで身体が動かない中必死に首を動かして横を見ると、簾のような壁から光が洩れていた。台所と食器棚、その他諸々の雑貨、銛。生憎ぴくりともしない身体ではこれらがぼんやりと映るだけで頭は巡らない。落ち着く天井を見て、もう一度目を閉じた。

「あれ、起きたのかな?」

 そんな声が、聞こえた気がした。

 

 

 そして、少年は目を覚ました。まだ身体は動かないが、痛みは感じられた。自分がここにいる感覚があった。

「…………」

 暗い。おそらくは夜だろう。とんとんと小気味良い音が聞こえてくる。誰かがいるのがわかった。包丁の音だろうか、それとは別にゆっくりと近づいてくる音が聞こえてくる。目を閉じず、首を動かさず天井を見つめていると、生えてくるように顔が視界を埋めた。

「あ、お姉ちゃん、起きてるよ」

「ほんと? なら良かったわ」

「うん。ねぇ君、見える? 聞こえる? はいお水」

 コップが近づけられ、反射的に口が開いた。ストローがささっていて、ゆっくりと吸い込む。乾いていた喉に幸せな感触が流れていく。

「はぁ、はぁ……」

「はいよくできました。えっと、うーんと…………話せる?」

 きっと次に何をするべきかわからなかったのだろう。少女は柔らかな疑問顔で尋ねた。

「あ……っ、ぅ……」

「あ、無理しなくて良いよ。じゃあね、ご飯は食べられる? あ、食べられなくても食べてね」

「…………」

 それでは聞いた意味がないが、きっと良い子なのだろう。少年はぼんやりとそんなことを考えた。栗色の髪を肩口まで伸ばしている。少しばかり釣り目で、鼻筋の通った美人顔だ。同じ位かなと判断した。

「うん、生きていて良かった。じゃあ辛いかもしれないけど、頑張って入れてね」

 お姉ちゃん、と呼ばれたもう一人がゆっくりとお皿を持ってくる。先の少女をより大人びさせたような女性。とはいえ垂れ目なところが実年齢より幼く見なされてしまう彼女は、スプーンですくった流動食を少年に含ませていく。温かい、少年はただ思った。

「大丈夫、大丈夫だからね」

 妹のほうが手を握りながら言葉をかけてくれる。それが安心を生んだのか、少年はすぐにまた眠りに着いた。

 お休み、という二つの声が心に沁みた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「改めて自己紹介をしないといけないね。私はリーティア・レベッカ」

「イリカ・レベッカよ、よろしくね。ちなみに君を見つけたのは私だよ」

 姉がリーティア、妹がイリカ。そう名乗った姉妹はようやっと上半身を起き上がらせた少年に向けて笑いかける。少年が目を覚ましてから数日の後、初めて素性を明かすことになった。少年は口内で二つの名を呟いた後、頭を下げた。みしりと身体が悲鳴を上げた。

「俺は相馬肥前。まず助けてくれてありがとうございました」

「あ、ううんいいのよ。たまたまだったんだから」

 イリカが照れくさそうに笑い、それを微笑ましくリーティアが見守る。と、リーティアは肥前を見、首を傾げた。

「でもソーマ、くん? どうして君はあんな所に倒れていたの?」

「…………」

「あ、もしかして言いづらかった?」

 いや、と肥前は首を振った。布団を見つめ、拳を握り締める。

「よく、わからないんです」

「わからない?」

「気がついたら森の中にいて、俺はずっと自分の部屋にいたのに、本当に気がついたら変なところにいて……あぁごめんなさい、もうほんとよくわからなくて……」

 頭をがしがしと乱雑に刺激し肥前は唸る。改めて状況を振り返っても何もわからない、返って混乱してしまったようだ。そんな肥前の背中をリーティアは優しく撫でる。深呼吸を繰り返し、なんとか落ち着いた。イリカが神妙な顔つきで口を開く。

「でもソーマの言ってること、わかるよ」

「わかるの、イリカ?」

「だってソーマの服はおかしいもの。こんな格好でシンラには入れないよ」

「あ、そっちね」

 リーティアはてっきりソーマがどうしてそこにいたのかがわかるのかと思ったが、どうやら彼の言葉が嘘じゃないということがわかるということだったようだ。微笑ましい妹に姉の頬が緩む。とはいえ、リーティアとしても疑問があるのは確かだ。

「ソーマ君はここがどこかわからない、よね?」

「はい……えっと、どこなんですか?」

「ここはナガシ村、ウェストブルーのナガシ村だよっ」

 イリカが元気よく手を広げて宣言する。が、肥前には何のことかわからない。ウェスト、つまり西のほうなのか。

「もしかしてここヨーロッパ、ですか? 二人は日本語通じてるけど」

「よーろっぱ? ニホンゴ? 何を言ってるの?」

 イリカが首を傾げる。あれ、と肥前も首を傾げた。リーティアは黙っている。僅かに汗を垂らし、肥前はもう一度尋ねた。

「だからウェストブルーのナガシ村だってば。小さな島の小さな村だから知らないかもしれないけど……」

「…………あれ」

 肥前は違和感しか覚えなかった。少しいじけている少女を見て、言葉を思い返し、しかしよくわからない。何から何まで思い通りにならない状況に頭がパンクしそうだった。ヨーロッパがわからない、日本語がわからない。なのに言葉は通じている。英語の成績は悪かったので急に上達したなんてこともありえない。いや、ありえないで言えば瞬間移動のほうがありえなかった。

 

「――シンラはね」

「え?」

「お姉ちゃん」

 リーティアが沈黙を解き、視線を集める。徐に話し出す彼女の言葉は不思議と脳によく入った。空気が重たくなった。

「シンラはこの島にとって神聖な場所なの。かつて天竜人がこの島にやって来て、それでも不思議と立ち入れない気配を漂わせていたとすら言われるほどに。だから自然のままに残っていて、はっきり言えばその全貌を知る人間はいないくらいよ」

 ま、この子には関係ないみたいだけれど。そう言ってイリカの頭を撫でた。ネコのように目を細めてイリカは身を委ねている。

「島の人間も入ることができないシンラに唯一出入りできるのが、何故かこの子。理由はわからないけれど、ね」

「入れるんだから仕方ないよー」

「村長もそれがシンラの意志だって認めてくださっているからありがたい話ね。で、そんなシンラで倒れている子がいた。それが君」

「…………」

 肥前もなんとなく予感していた。この流れはまずい、なんというかすごくまずいんじゃないかと。しかもなんとなく理解できてきた。いや本当にこれが事実なのかは置いておいて、彼の頭の中にはこれまで出てきた単語が合致する物語が浮かんできていた。

 ウェストブルーに、天竜人。これってつまり、やばいんじゃないか。

 

「でもその男の子はシンラを知らない。シンラの中にいて、その場所がシンラと呼ばれていることを知らなかったなんて考え方もできるけど、そうなら君の困惑や消耗には説明がつかないわ。そうするとどこからか入ったのか」

「あ、でも私と同じなんだね。シンラに入れるんだからっ」

「そうね、でもその前に。ソーマ君、この島にはナガシ村しかないのよ。だから君は間違いなく島外の人間、でもウェストブルーで通じないなら、じゃあ君はどこから来たのかということになるわ」

「……気がついたら、そこに」

 そうじゃなくて、とリーティアは遮った。悪意があるわけではないが誤魔化そうとしたようでなんとなく肥前はばつが悪い。

「手段じゃないし、家とか部屋とかじゃないわ。君のいた地名、村名、国名……ううん、きっと私たちは知らないのでしょうね」

 頭が良すぎて引く、その感覚を肥前は初めて味わった。自分の風貌や状況で異国の者だと判断するのはわかるし、大半がたどり着くだろう。しかしこの姉はそれの一歩先を読んでいる。会話の食い違いが勘違いだとかそんなわかりやすいもので生じたものではないと悟ってしまっている。

 とはいえ、冷静に考えれば肥前にとってはありがたい話だった。彼にとって、最初に出会ったのがこの姉妹だったのは確実に幸運だ。それを肥前はなんとなく感じていた。

 やがてその予感を裏切らずにリーティアはそれまでの柔和な様子をかき消して肥前を見た。視線で射抜かれるとはこのことだと彼はびびった。

 

「ソーマ君、君は……何者なの?」

 

 この人はきっと、異世界人の俺を理解してくれる。

 少し怖いけれど……。

 

 

 

 

 

「なんてねっ」

「へ?」

 と、緊迫した空気をかき消すようにリーティアは舌を出した。呆然とする肥前を他所にイリカがじゃれる。

「もーお姉ちゃん本気出しすぎよっ、ソーマ固まってるじゃないっ」

「ごめんなさい、でも必要なことだったのよ」

 全くー、とイリカが抱きついてくるのを嬉しそうにあやすリーティア。呆然とする肥前。ひとしきりじゃれた後、イリカを離したリーティアは笑った。

「少し脅かすように言っちゃったけれど、これでも女二人暮らしだから。大丈夫、ソーマ君が悪い人には見えないし、態度でよくわかるから」

「あ、あの……?」

「別に何者でもいいのよ。確かにシンラに入っていたことは驚きだけどイリカがいるし、傷だらけで倒れていた見た感じ普通の子をずっと怖がらせてもなんだしね」

 さてと、とリーティアは腰を上げて伸びをする。時刻は午前10時20分、そろそろいつもの一日に戻さなければならない。

「イリカ、村長さんにソーマ君の話をしてきてちょうだい」

「わかったー」

 ぱたぱたと駆けていくイリカを呆然と見送り、はっと意識を戻した肥前は傷む身体を無視して言った。

「ま、待ってください!」

「え、何?」

 エプロンをつけるリーティア。

「話! 俺の話、聞かないんですか!?」

「後でゆっくり聞くわよ、元気になったらね」

「う……」

「それにね、さっきも言ったけど君が悪人じゃないってわかったんだからゆっくりでいいの」

 最初からわかってたけど、とリーティアは笑う。その笑顔がくすぐったくて、肥前は頬を赤らめた。

「……なんで、わかってたんですか?」

 

「決まってるじゃない。イリカが笑っていたからよ」

 

 

 

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