「こんにちは、そろそろ覚悟は決まったかしら?」
真っ暗な空間に響き渡る恐ろしいほど透き通る声
俺の心臓はかつてないほどに鳴り響いていた
また再びトラウマとご対面したから?――それもある
突然上から落とされて混乱してるのもある……だがそんな不満が全て吹っ飛ぶほどの衝撃がそこにはあった
俺の光を映さない眼が、それでもテーブルのある一点に注がれる
テーブルに並べられたそれは、紛うことなきショートケーキだった。
◆
今日も今日とてさとりの家でお腹を膨らませて来た俺は満足気に地底の道を闊歩する
怖いので勇儀の位置を常に確認しながら偶然会うなんてことのないようにしている。今は勇儀とは地底の街の対極に位置する所にいるから遭遇することは無いだろう
ちなみに勇儀の居場所は身体から出した灰を付着させることでGPSのようにして常に把握している
俺の灰は俺より優秀で、空気中にぷかぷかと放っておくだけでその周りの音だったり、景色がわかる。その応用で身体から出した灰をGPS代わりに使ってるということだ
ちなみに勇儀に結界の槍をぶっぱなした時にちゃっかりくっ付けた
ふふふ、この地底の様子は全て俺にお見通しということなのだ!
例えば今だと俺に持ってかれた食料の弁償として地底中のご飯屋さんへ勇儀がお金をばらまいているらしい
あんなに強いのにペコペコと謝りながら酒だったり宝で弁償しているのか…
まあ自業自得だよね
他だと賭博場でイカサマしてる蛇女だったり腕相撲に命をかけてるやばい奴らだったりと割と地底も賑やかだ
最近は勇儀に追い回されたりすることもほとんどないから安心だ
やや、というか恐らく1ミリぐらい頬を緩ませながら固い干し肉をガジガジと噛んで適当にほっつき歩く
決して美味しいわけじゃないけど固いから食べるのに時間がかかって良いのだ
地上にいた時は綺麗な四季の移ろいや、吹く風の気持ちよさだったり、釣りだったりとそれなりに楽しみがあったけど地底は暇なのだ。
娯楽がないし甘味もないし…
そうやって今日も暇だと独り言を口にしようとした時、突然穴が目の前に出現する
何度も言うようだが俺は目が見えない
故に身体から出した灰をセンサー代わりにして歩いている。もちろん地面にも灰を張り付かせている
そんな地面から1箇所だけ円状の丸い穴が出来た。突然だ
勇儀は腐っても徒歩だから灰で位置を確認しておけば安心だが、こいつは違う
こんな事してくるやつなんてあの頭のおかしい八雲紫だけだ…!
俺も同じ手には引っかからない
反射的にジャンプし、浮遊する
…危ないところだった。だが、甘いな!前回も同じ方法で落とされたんだ、足元はいつも以上に警戒しているに決まっておろう!馬鹿な大妖怪め!
ひとしきり優越感に浸った後華麗に逃げさせてもらおう!
…しかし!甘かった…
その不可避のトラップを避けたことによる喜びで後頭部付近に生まれた新たな穴に反応出来なかったのだ。
突如生まれたもう1つの穴から細い腕が1本出てきて俺のか弱い頭をぶん殴る
絶対、確実に!私怨の籠っていたであろうそのパンチを食らい、俺の体は一直線に最初の穴へ吸い込まれていった。
…頭蓋骨が割れるほど痛かった…。
強烈な痛みと一瞬で失われる平衡感覚で胃から朝ごはんがせり上がってくる中、硬い地面に顔をぶつける
いや、地面ではなくそれは椅子だった
顔面と後頭部の痛みに耐えながらも椅子に座り直す
はぁ…。
ため息が零れる…予想通り、そこに居たのは俺の大嫌いなトラウマ、八雲紫だった。しかしその落胆が覆る
驚きと地底に似つかわしくない甘い匂い、非現実的な物に意識が奪われる
「こんにちは、そろそろ覚悟は決まったかしら?」
真っ暗な空間に響き渡る恐ろしいほど透き通る声
俺の心臓はかつてないほどに鳴り響いていた
また再びトラウマとご対面したから?――それもある
突然上から落とされて混乱してるのもある……だがそんな不満が全て吹っ飛ぶほどの衝撃がそこにはあった
俺の光を映さない眼が、それでもテーブルのある一点に注がれる
テーブルに並べられたそれは、紛うことなきショートケーキだった。
◆
「こんにちは、そろそろ覚悟は決まったかしら?」
そう言ってニコリと笑う
相手の、白墨の目が見えない事を知っているが身体に染み付いた癖は簡単には抜けないらしい
生意気にも足元のスキマをひょいっと避けた白墨の背後を軽くコツンと小突いて落としたが……本当に目見えないのよね?
そうこう考えてるうちに椅子に激突した白墨がのそのそと頭をさすりながら起き上がった
まぁ、ちょっと強く小突きすぎたかしら…
復活し椅子に座り直した白墨は私という天敵を気にもとめずにある一点を凝視していた
目も見えないのに何を見ているのだと呆れていると、じっと机の上に置いたけーきを見ている
紅茶だけじゃ寂しいなと思い、何気なく外の世界で売られ始めた”けーき”なるものを紅茶のついでに置いていたのだ
「それで、式神になる気にはなった?」
「………」
無言…。それは私にとってはある意味でいつも通りとも言える光景だ
相変わらず無表情の白墨の顔からは何を考えているのか想像するのは難しく、その上寡黙な性格のせいで何が目的かすら分からない
そう、いつも通りだ。……その目がやや下、テーブルの一点に注がれていることを除けば、だ。
奇妙な沈黙が訪れる
やがてその沈黙を破るように白墨の手がごく自然な動作でけーきを取ろうと行動する
ゆっくりと伸ばされた白墨の白い手は、しかしけーきを掴むことはなく、他ならぬ私によって遠ざけられた
「あっ…」
「……………。」
一応補足しておくと、言葉を発したのは私ではない
身長の高い白墨の身体からは想像もつかないようなか細い声が漏れたのだ
再び奇妙な沈黙が訪れる
その光景を見ながら、あっそういえば幽々子とお菓子食べてる時もこんなことあったなぁ…と関係ないことを思い出す。だってあまりにも似ていたのだから…あの脳天気な幽々子と明らかに冷たそうな白墨が、だ
いつもは身動ぎ一つしない人形のような白墨が、今日はいつにもましてそわそわと体を揺らす
……まるで私にお菓子を取られた幽々子のように
「……ねぇ」
私の声に反応してピクリと動きを止め、そこで初めて私の顔色を伺うようにチラチラと私の方を向いた
『多分ご飯の事しか考えてないと思いますよ』
いやいやあんな冗談を真に受けてどうする
ないわよ……ないわよね?
そうでないと最近やっと掴めてきたように思えた彼の人物像がボッコボコに吹っ飛んでしまう
顔をブンブンと振って心を落ち着かせる
白墨の方を見ると私が横に顔を振ったのに対抗するように顔を縦にブンブンと振っていた
……もうわけがわからない
けーきを右に左にとゆらゆら揺らすとそれに釣られて白墨の顔がほんの少し、けれど確かに右に左にと揺れていた
「……。」
『食いもんだよ、美味いものさ。ふざけた話に聞こえるかもしれないがあいつは食事にだけ強く反応するんだよ』
………。
私はもう考えるのをやめた
「ねえ、もし私の式神になったらこのけーきをあげるって私が言ったらどうする?」
夢か疑いそうになりながらも自分が今ふざけたことを言っているのを理解する
そんなふざけた問いかけに白墨は……
「なります」
「……………。」
即答だった。
私はもう胃が痛かった
「……式神になるということは正式に八雲の傘下に入り、私の部下として働くことになるわよ」
頭を抑えながらも言葉を絞り出す
「な、なりません」
「……………。ならけーきはなしね」
「なります」
「そうなら式神に…」
「な、なりません」
からかわれているのかと思い白墨の顔を見る
いつもの無表情からは想像もできないほど目をキョロキョロさせながら私とけーきを交互に見ていた。口はパクパクと開いたり閉じたりしながらも言葉を発することはなく奇妙な光景だ
白墨は過去最大級に動揺していた
ここ数百年間見ようとしていた極めて人間的な表情の変化がそこにはあった
い、いや逆に考えるのよ!これはチャンスだ
明らかに動揺している白墨は今なら式神になってくれるかもしれない
「こ、こほん!式神になるのならけーきもあげるし、地底から地上に出すことも出来る…それにその見えない目の封印も解いてあげるわよ?」
「……!!」
明らかに動揺が大きくなっているがまだ足りない…
「…契約するなら毎日あま〜い甘味が付いてくるわよ?」
「……ッ!!!」
ガタッ!!っと白墨が椅子から飛び上がるように立ち上がる
しかしすんでのところで拳をギリギリと握りしめて椅子に座り直した
ぐっ…まだ折れないの!?ふざけた理由だけれどそろそろ折れなさいよ!?
これまで腹に穴が空いても、身体を真っ二つにされても無表情だった白墨の顔がとても辛そうに震えていた
「……っ!……、し、式神は自由がないから嫌だ……」
こ、この男!これだけの好待遇でまだ文句を言うの!?
しかし、まずい…!
さっきまでけーきに釘付けだった白墨が今やプイッと顔を背けている
時間が経てば経つほどこの交渉はこちら側が不利になっていく
ここで完全に心の整理が付いてしまえばもう二度と式神にする機会が失われるかもしれない…!
ふざけた理由だけども!ふざけた理由だけれども…!
あともう一押しなのに……
時間は私の敵だ、早く決断しなければ…!
しかたない……
「…仮契約ならどう?」
「……?」
不思議そうに首をかしげる白墨に説明をする
まず前提に式神の契約には両者の承認が必要だ
そして正式な契約を受ければ契約主…つまり私は白墨に対して絶対命令権を得る、代わりに白墨は私の妖力の一部を使えるようになる
そう説明するとやっぱり白墨は顔をプイッと背けた
「次に仮契約について…ね」
こちらも正式な契約と同じで両者の承認が必要だ
しかしここからが違う、契約主から式神への絶対命令権は無い、それに伴って私の妖力の一部を使える…というのも無い
双方にメリットの薄い、いわば形だけの上下関係のようなものだ
式神が契約の内容を違えるとその時点で契約時の毎日けーきが貰えるというのは無しになる
つまりは命令に従ってくれるなら報酬だすよ
という式神の契約の中でも至ってシンプルなものだ
それを聞いて考え込むように白墨は黙り込んだ
一見この契約には意味が無いようにも思えるが表面上だけでも八雲の傘下に入れば色々と使える…それにここで契約の場を永遠に無くすよりも一度仮契約を結んでおけばそのうち正式な契約を結べるかもしれないという打算もある
屈辱だ…!苦渋の決断だ…!だがこれならどうだ!
これ以上は流石の私も曲げれない…!だからこれが最終手段だ
1分…2分……熟考した後、白墨がとうとう口を開いた
◆
口いっぱいに広がる甘い味、それに舌鼓をうちながら紅茶でリセットする
ショートケーキに必須のいちごが乗ってないのが残念だがそんな事よりも甘い、甘いのだ
まだ時代が追い付いていないのかケーキというよりホロホロしたクッキーにめいいっぱいクリームを塗ったみたいな物だけどそれで充分美味い…だって甘いのだ、そりゃ美味い、美味いから偉い
紫はというと肘をつきながらこちらを見ている。どんな表情なのかは知らないが一つだけわかったことがある
ケーキを食べ終え、再び紅茶を飲む
「ゆかり」
「へ?」
「お前良い奴だな…」
「やかましいわよ……」
あっ今も表情見えないけど何となく頬をヒクヒクさせてた気がする
にしても自分でも静かなタイプだと思っているけどやかましいのか?
「まあ、とりあえず契約はしたし…明日からは私の保護下で働いてもらうわよ?どんな事するかも明日説明するから今日のうちに地底のお友達と別れの挨拶しておいたら?」
そっか地上に出れるのか…なんだかんだ言って数十年以上は地底に居たから少し感慨深いな
特にさとりんのご飯が食べれなくなることが辛い…いや地上に出れば地底と違って美味しいご飯屋さんがあるのでは!?オラわくわくしてきたぞ!
「はぁ…本当に大丈夫よね…?私損するようなことはしてないわよね?あれ…なんか物凄く不安になってきたわ……」
青い顔しながら八雲紫は何かに気付きつつもそっと記憶の底に仕舞った
どうか未来の私の苦労が減っていますように、と
なんか予想出来てた人もいるかもしれませんが、灰くんはやっぱり美味しい物に釣られるチョロ妖怪です
そして地味に長かった地底編もこれにてしゅー…りょう…です