旧地獄、地霊殿
ジメジメとした暗い部屋で、勇儀さんには虫みたいだと形容された私は変な納得をしつつも本を読む
実際は昔地獄であった名残もあって地霊殿は乾燥しているのだが…
本を読もうとして手に取り、数ページだけ読んでは表紙を閉じる
かれこれ4回は繰り返した行動だ
ため息を吐いて本棚に向かう
そこには本棚びっしり…とまでは言わないが決して少なくない量の小説が置かれていた
私以外は誰も読むことは無いだろう知識にもなりはしないただの作り話
さっきまで読もうとしていた本を丁寧に本棚に戻す
本棚に飾られた本の表紙を優しく撫でては少し寂しい気持ちになった
ここにある本は全て読んでしまったものだ
そして私がさっきまで持っていた本も既にずっと前に読んだもの
本を読む時、いつもドキドキと……きっと普段の私からは想像もつかないだろうがドキドキともワクワクとも言えるような興奮感に包まれながらページをめくる
きっとそこには私の知らない世界があって、私だって読み解くことの出来ない登場人物達の感情の変化があるのだ
それを想像して表紙を開いて、私の世界にはページをめくる音だけが響く
私にとってそれはとても幸せなことで、同時に限られた幸せとも言える
一度読んでしまった作品はそれまでだ
記憶に鮮明に残るようなものでも、汗をびっしょりと書くような興奮するものだったとしても、一度読んでしまえばそれで終わる
その作品をもう一度読むということは、感動の焼き直しをするということなのだ
読んだ当時の興奮を、喜びを、今度は”二度目”として…知っているものとして読み直すというのは、どうしても無粋なものに感じる
確かに名作は二度読んでも名作だろう
だけども、ああだけれども、きっと二回目を読んだ時、私はいつもと変わらぬ様で、あー面白かった、と満足することができるに違いない
ただふと思うのだ、一度目に読んだ時の興奮が、その感動が、上書きされてしまうのではないのだろうか、と。
ふと本棚を開いた時に目に入り、あーこの作品はあそこが面白かったな…あの場面ではとても驚かされたな、と読んだ当時のことを思い出すのが好きだ、まるでその時の喜びが甦るように心の奥をつついて来る
もし二度目を読んでしまったら、そうやって思い出そうとした時に一度目の感動を思い出すことは出来なくなる
あそこが面白かった、あの場面に驚かされた、と思い出し、最終的にはこの本はとてもいい物だったと決定付けるだけで、きっとそこにはあの心の奥をつついてくるものは無いのだ
だから私は一度読んだものは二度と読み直さないし絶対に忘れないように深く集中してゆっくりと読む
それでもやっぱり、読み直したくなって表紙を開くのだ
けれども思い出を穢すようで勿体なくてまた戻す
そうして戻す時に革の表紙のざらざらとした触感をそっと撫でて思い出す
その時の小さな興奮を、同時に読み終わってしまったことに対する少しの寂しさを
センチメンタルな気持ちになるこの行動が、私はそれほど嫌いじゃなかった
フッと小さく笑って椅子に座る
静かな休日に、たまには珈琲を飲むだけの無駄な1日があっても構わないだろう
そうやって感傷的な気分に浸っていると、下の階から元気な、もう少し詳しく言うと少し嬉しそうな声が聞こえてくる
お燐の声だ
「さとり様ー!お客様ですよー!お茶を入れてきますね〜!」
「何かしら?お客様…?」
はてそんな用事があっただろうか?それとも約束も取り付けずに来た者のだろうか?
今日は気分がいい…あんまり面倒くさそうな事だったら明日にしてもらおう
大丈夫、お燐の声色から察するに八雲とか勇儀さんみたいなやばい妖怪っていうのはないでしょう
しばらくして、早くも遅くもない足音が等間隔に聞こえてくる
私は完全に油断しきって珈琲を飲みながら待っていた
やがてノック音が部屋に響く
やけに丁寧な印象を受けた
「どうぞ、入っても構いませんよ」
次の瞬間、私は深い後悔とともに珈琲を吹いた
部屋に入ってきたのはもう二度と顔を合わせることは無いと思っていた白墨だった
なにがッ!来てやったぜさとりん、だ!
◆
「けほっごほっ…んん゛ん!私の感傷的な時間を返して下さい」
少しむせて咳払いをするさとり
なんだか睨まれているようにも感じるけど気の所為だろう
地底にいた時のご飯のお礼とかしてなかったからな!
どうだ!来てやったぜ!さとりん!
それに、人里での会話を聞いただけだが、偉い人の所へ行くにはなんか持っていくのが礼儀らしいからな!地底に引きこもってるさとりんの為に色々持ってきたのだよ!
「…そもそも、偉い人の所へ行くならその前に話を通しておくのが礼儀です…八雲紫も勇儀さんもそんなこと一度もしてくれませんでしたけどね……まぁ私も偉くないですが…ハハハ…。……それで…なんです?大した用じゃないなら帰って欲しいんですが」
なぜだかまるで精根尽きたように気力がないさとりん
まあそりゃこんな暗くてなんも無い地底にいたらそうなるのも理解出来る
俺だって地上に出た時は気分が高まって目をキラキラさせながら森を歩いたしね
「そういえば…なんでこっちに帰ってこれたんですか?また何か悪さでもして巫女に突き落とされました?……ああ。そうでしたね、あなた八雲紫の下についてるんでしたね。ああ、くれぐれも地底の住人を地上にあげるような事はしないで下さいよ?大問題になりますから」
相変わらず心を読めるというのは便利らしく俺がいちいち話す間もなく何となく理解してくれている
さとりんが言った通り俺自身がこの地底と地上の通行証みたいな役割をしているらしく、自由に行き来できるのだ
なんだか閻魔様からの許可を貰ったからどうこうといった話をしていたがよく覚えはない
まあそんなことはいいのだ
ほらお土産
紙で包まれた物をポイッとさとりに投げ渡す
ふっふっふ中に何が入っているかは開けてみるまでの……
「本…ですか?ありがとうございます」
……心は読めても空気は読めねぇなぁ!お前!
「そう言われましても…なにせそういう性分ですから。にしてもよく本なんて調達出来ましたね…私だって手に入れるには結構なお金がかかるのですが…」
そう言って少しチラチラと顔色を伺ってくるさとりん
まあ実際に本を買おうとすると高い
印刷技術なんて無いものだから本なんてめっちゃ高い、そもそも紙が高いんだから当然だ
だがまあ安心して欲しい、もちろん盗んできたとか言うわけでもない
幻想郷は案外便利なもので貸本屋みたいなところがあるのだ。本は返さなきゃいけないけどその分安く済むからね
だからまた2週間後ぐらいに来るから本はその時返してな、そんでまた数冊適当に借りてきてやろう
「貸本屋…へぇ…地上は便利な所もできてるんですね。ただ白墨さん、これら全部昔話じゃないですか。子供に読み聞かせるようなやつ」
しばらく真剣な顔で本を物色していたさとりんは気まずい顔を隠すように人差し指でカリカリと頬を掻いた
「……?本好きじゃないのか?」
「いや好きですけど、う〜んなんて言いましょうか…本にも種類というものがあってですね…私が読むのはそういった物ではなくて、えーと…」
うんうんと悩んでいたさとりはしばらくして立ち上がり後ろの本棚から適当に本を数冊取り出した
「貴方はこういうのを選ぶセンスが無さそうなのでこれでも読んで私の好みを学んでおいてください。それで今度本を探す時はこれに似たやつをお願い…いやでも貴方が内容を知っていると心を読んだ時、私にも伝わってしまうのでやっぱり中は読まないで何となくそれっぽいのを持ってきて下さい」
少し嬉しそうに条件を増やしていくさとりん
め、めんどくせぇ!なんだか急に図々しいぞ…
「貴方だけには言われたくありません。それによくよく考えたらあれだけ迷惑かけられたんですから少しぐらいのわがままは許されるはずです。ええ絶対に…というか割に合いません」
まあ、本はそこまで嫌いじゃないし良いけど…
「まあこれはこれでお燐達にでも読み聞かせるのに使わせてもらいますよ。…でそれとは別に今日はなんの用件があって来たのですか?」
珈琲を入れ直しながら優雅に聞いてくる
背が小さいせいか背伸びした子供にしか見えないが…
それと特別な用事とかは特にないぞ?暇だから来ただけだ
「…あれ?無いんですか?てっきり例の妖怪達の封印をどうにかしたいとかだと思っていたんですが…。まあ私に言われても封印なんて解き方もわかりませんけど。あと小さいは余計です」
さとりんは素でびっくりしたのかいつもは気だるげな目を少し開いて懐かしい話をしてきた
一輪達は別に死んでるわけじゃないみたいだしいいかな。封印されてるから会ったりは出来ないけど生きてるならいつかは出られるでしょ
俺単体じゃ封印とかどうすればいいか分からないし時間の無駄だしね
「相変わらず情が薄いですね。そのうち困りますよ」
困りますよと言いながらも当の本人はたいして興味もなさそうに珈琲を飲んでいる。
失礼な俺はそれほど酷くもないだろ
それに情が薄いってならさとりんだってそうだろに
「私は良いんですよ、身内には甘いですから」
さとりんもその事を大きく見ていないのだろう、やっぱりどうでも良さそうに珈琲を一口飲んだ
まあいいや
それより地底は何か変わったか?俺が地上に出てからもう半年くらいは経ってるけど…
「変わっていませんよ、特には。そもそも半年程度で変わるような場所でもないって知ってるでしょう?1つ挙げるなら私の心に余裕が生まれたぐらいですね、それも今日で終わりましたが…」
そう言い、さとりはじとーっと俺を見ながら手でしっしとジェスチャーをした
何か思い詰めたことでもあるのかもしれん…
なんだかくたびれた様子のさとりんはベッドに体を放り投げ、ぐでーっとしながら足を軽くパタつかせた
「なんでもないです、ええなんでもないですよ…。…ああでも変わったことと言えば最近珍しく新しい妖怪が地底に落ちてきたというのを聞きましたよ」
ほ〜俺より後に落ちてきた妖怪は初めてだな
未だに適当な妖怪の封印所として使われてるのかここ
まあさとりんと会話してすぐ地上にってのも味気ないし新たに地底にやってきた新人君に先輩風でも吹かしてこよう
そうしてその後も適当に話したりはしたが、特に変わったこともなく地霊殿を後にした。
◆
日差しのない薄暗い部屋で体を伸ばして楽になる。ペットの子達には見せられないけど…
そして今一度白墨さんの持ってきた本をパラパラとめくった
どれも最終的には神様は何時でも人の事を見ているから正しい行いをしなさいだとか宗教的な教訓話やらが大半だ
まあ暇つぶしとしてはいいかもしれないがやはり私には合わないな…と。少し残念
次に期待しよう
「にしても人里警備隊…ですか。確かに合っていますね」
八雲紫はよくあんな意味不明なやつピッタリの仕事をさせられたなと少し評価が上がる
心の読める私ですら頭を痛めているのだから雇用主である八雲紫からすればもっとだろう。
でもなるほど、その仕事は例の九尾ならまだしも他の妖怪にはそうそう任せられないだろう
一日中狭い訳でもない人里を監視するという事が出来る妖怪が少ないのもそうだが、人間を守るために同族をなんの躊躇いもなく殺せるような妖怪も少ない
プライドの高いやつなら尚更、それこそ鬼のようにキッパリとした妖怪か白墨さんのように自分以外はどうでもいいと考えている妖怪以外でなきゃそうそうに無理だろう
一度や二度は平気でも、普通は心の中では小さな不満が少しづつ溜まっていくものだ
妖怪は自分のやりたくない事は基本的にしないし出来ない
わがままという訳ではなく妖怪という精神に依存した生命の構成上そうなっているのだ
またそれもあのおっかない九尾ならカンタンだろけど…何か忙しいのだろうか…?
ともかく、白墨さんはそれに関して言えば全くもって問題が無い
恐らく本人は意識していないだろう、白墨さんは本当に他人に対して関心が薄い
その者の交友関係から趣味嗜好、生き死にまでも興味が無い
ただ冷たいというよりも元からそういうのが当たり前なのだろう、その証拠に本人自身はわざわざ他人を遠ざけたり、孤独になろうとしたりとかは特にしていない
なんならほとんど話さないが割と気軽に他者と関わりを持ったりもする程だ
人によっては友達を相手にする時のような感情すら持っているかもしれない
ただ一般的な”友達”というものへの価値観が根本から違っているのだ
白墨さん自身は相手に対して友達のような感情を持ちながらもその者がどのような状況になっているかに興味が無い、例え次会う時が死体になっていたとしてもその事実を冷静に理解した後何事もなかったかのように生活出来る
ある意味では冷たいと思われるだろう
だが彼からしたらそれが普通の友達との距離感なのだ
自分の都合がいい時は気まぐれか暇つぶしで会いに行き、居なくなればそれはそれ。
妖怪ならば決して珍しくは無い
人の生き死に頓着がない妖怪なんて多くいる。感傷に浸るなんて方法すら知らない。そんな妖怪だからこそ八雲紫は何の心配もせずに人里を任せられるのだ
表面上は気軽に接してくるから普遍的な感情を持つ人里の人間達からしたら理解が出来ないでしょうね
「…あっいや気軽に接してくると知っているのは心が読める私だけ…か。あれ?地上は想像以上に酷いんじゃ…」
無言無表情に躊躇いなく妖怪を殺し回る妖怪…
「八雲紫もえげつない手法を取りますね…」
白墨さんが地上に出てから約半年
そろそろそんな異質な白墨さんも人里に馴染めているのだろうか?………。。。
…地上の事なんて考えないで地底に篭っている方がいいですね…本だけは楽しみに来月まで待ちましょう
ここまで読んで下さりありがとうございます
相も変わらず日常パートです。物語上そこまで大きな変化はありませんが、この話を書き始めた頃から書きたかったやつなのでもうちっとだけ続きます
でもダラダラ行く前にパッパとテンポよく話を進めていくので安心してくれ〜
ということで次回も地上に出た灰くんが好き勝手する話です