もしかしたら寺子屋では、白墨(チョーク)で遊ぶなよ〜、とか言われてるかもしれません……
「いやぁ…にしても驚いた。今の時代にあんな思い切りのいい天狗がいるとはね。最近の天狗はつまんない奴ばかりだけど、そういえば昔の天狗はあんなのが多かったっけなぁ」
完全に力を抜いた萃香の身体が、プラプラと風に揺らされる
依然として萃香の身体には白墨の槍が刺さっており、そして槍の動きは未だに止まる気配はしない。この速度の中だと迂闊に霧状化するのも問題だ。
しょうがないので、萃香は流れていく景色を背景に、先程までの戦いを思い返していた。
「射命丸もあそこまで出来るとは思ってなかった…今回は完全にあいつにしてやられたか。うん!…またやりたくなるね!まあそれいいけど、肝心の白墨がなぁ…うーん…式神の癖して…」
白墨は勝ち目もなく、逃げる事も出来ないと悟ると、途端に諦めたように動きが鈍くなった
確かに普通の妖怪が萃香と戦えば、戦意喪失して諦める事もあるだろう
その上、萃香の一部の能力は白墨の上位互換のようなものだ
力量差に絶望するのも無理は無い
だが、それでも白墨ならば…と萃香は思う。
例え奥の手を封じられたとしても、諦めずに試行錯誤を続ければ、一矢報いる事だって出来ただろうに…
実際に射命丸は練りに練った策で萃香を追い詰めた…対して白墨は無理だと悟るとすぐ諦める。
大妖怪クラスの射命丸と中級妖怪である白墨を比較するのもおかしな話だが、白墨だって中級妖怪にしては少し異質な存在だ
決して不可能では無いと萃香は考えていた
現に白墨の槍は中級妖怪にしては強力だ
今だって距離が伸びるほど加速を続けて――
「…あれ?まだ速くなるのか?時間も…結構経ったはずだけど…。……紫に頼むか…おーい!ゆかりー、拾ってー」
辺りには誰も居ない。居たとして萃香の飛んでいく速度には着いて行けない。
だと言うのに萃香は自分を見る誰かが居ることを確信して、虚空に話しかけた
「……。」
しかし、その気の抜けるような声は風に溶け、応える者は誰もいない
返事が無いことを不思議に思い、首を傾げていた萃香の顔が、みるみるうちに青くなる
「あ、あれ?もしかして怒ってる?い、いや〜確かに話してたよりもちょっとだけ激しくやっちゃったけど…ほ、ほら!紫だって自分の式神がどれくらい動けるか知りたかったんだろう?」
「……。」
「お、おい!ゆかり!見てるんだろう!?そろそろこれ洒落にならないんだけど…!いや、全然!まだ全然大丈夫なんだけどさっ!」
「……。」
やはり言葉が返ってくることは無く、ただ風を切る音がするだけ
そしてまた一段と背景の流れる速度が速くなる
見えては消えて…やがて色の異なる線しか見えなくなって……
「な、なぁ!紫!これっ…!これどこまで加速するんだい!?ほんとに…!…って、あっ!やっぱりいるじゃんか!」
最初の余裕も無くなり、身体に力を入れて堪えていると、ようやく馴染み深いスキマが姿を現した
しかし、出てきたスキマは記憶にあるものより遥かに小さく、萃香の顔の半分程度の大きさしかない小さなスキマだ。
スキマの奥は悪趣味な瞳だらけの空間が広がっているだけで、肝心な紫の姿は見えない。
「……ねぇ」
姿は見えない…しかしそのスキマの中からは、努めて冷静になろうとする紫の声が漏れる
「私、殺し合いはやらないで、程々にしてねって言ったわよね?限度を考えてって…言ったわよね?…あら、あらあら…おかしいわね?おかしいわよね??いつからあなたは嘘つきになったのかしら…?」
「う、嘘つきィ!?失礼な!嘘なんか死んでもつくか!いいかぁ紫!あれは殺し合いじゃなくて本気の”喧嘩”だ!全然違うぞ!」
紫の怒りを押し殺したような声に対し、萃香は心外だと言わんばかりに声を荒らげた
少しの間を置いて再び紫が口を開く
「……。…地形…原型留めてないのだけれど。」
「ああ!楽しい喧嘩だった!いやぁ久々に…」
「萃香。」
「うぇっ!?な、なに?」
重々しい声が萃香の言葉を遮る
静かな怒りがヒシヒシと紫から伝わってくる事に萃香は狼狽した
「地形のね、原型がね……留めていないのよ。ねぇ?」
「い、いや…あれをやったの射命丸だし…わ、私じゃないよ…?」
萃香は目を逸らし、自分のせいでは無い事を弱々しく主張した。
まるで子が親に叱られるのを恐れるように……
紫からすればどっちがやったかよりもどんな被害が出たのかの方が重要だった。
故に、その返答は今まで堰き止めていた紫の感情を爆発させる。
「な…な……っ、なあぁぁんで天狗とも戦かってるのよッ!私そんなこと一言も言ってないわよねぇ!?あなたがやりたいって言うから条件付けてお願いしたのよ!」
「わ、悪かった!悪かったよ!でも天狗と戦っちゃダメなんて一言も言ってないだろう!?それに紫も白墨がどうするのか知りたいって言ってたじゃないか!あれの手を完全に封じられるのは私だけだから…って!」
「本当にこの鬼は!いつもいつも屁理屈捏ねて…!ええっ!ええそうね!白墨の事もよく知れたわよ!十分以上にね!ついでに私の怒りも知りたいかしらッ!?」
これまで声しか通さなかったスキマから、二本の腕が勢いよく飛び出し、萃香の長くねじれたツノを鷲掴みにする。
「わああああああ!待って!ホントに悪かったって!謝る!謝るからツノをグリグリしないでくれぇッ!い、今バランスを崩したら肩が…!肩がァ!?」
「あらぁ?良いじゃない!肩の凝りが良く取れるんじゃないかしら!?」
「肩が取れちゃうよ!?」
痛い、痛いと泣き叫ぶ萃香を無視して、紫は思う存分日頃の鬱憤を晴らす。
「鬼と天狗が戦ってたなんて知られたらなんて言われるか…!私はどっかの小鬼さんの後始末をしなきゃいけないのよ。しばらくはそうやって飛んでいなさい!」
涙目で抵抗する萃香に、青筋を立てた紫が言い放つ。
言い終わると同時に、それまで開いていたスキマはピシャリと閉じて消えた。
「ええ!?今も結構な速さで加速してるのに!?ちょっ!ちょっと…!か、帰った!?本当に帰ったのかい!?ゆかり!ゆかりぃーー!」
誰にも見られず、見ることも出来ず、ただ一人空を加速する。
空気は冷たく、未だ角度は斜め上。まだ折り返しすら済んでいない。
身動きなんてしようものなら身体が外側へ吹き飛びかねない。萃香に出来ることは身体全身に力を入れて、飛ばされないように固定するのみ
結局、萃香はそれから少しの間を置き、雲の上にて紫に回収された。
半冷凍され、鼻水を垂らした萃香は言う、喧嘩の後の方がよっぽど疲れた…と。
◆
後日談となるが、突然始まった萃香との戦いは、何故か突然やって来た二人の天狗に助けられる形で終わった。
一人ははたて、もう一人は射命丸と呼ばれていた天狗。
存在は知っていたが、まさかあそこまで強いとは…。天狗も未だに底がしれない。
理由は分からないけど、味方してくれて本当に助かった…正直敵に回ったら勝ち目なんか無さそうだ。
ただ、射命丸が一言も無しに山の方へと急いで帰っていったのが気にかかる
脇腹抑えてたし、多分骨の何本かは折れてると思うんだけど、なにやら焦った様相で行ってしまったので、礼を言う暇さえ無かった
ちなみにはたては逃げた
射命丸が焦った顔して山へ帰ったのとはまた違う
目が合って話しかけようとしたら『か、花果子念報をよろしく!!』とだけ残し、あたふたしながら逃げていった。
天狗社会には感謝を言わない、言わせない風習でもあるのだろうか
思えば初めてはたてに助けられた時も感謝を言うより先に逃げられ気がする
突然やって来て、助けてくれて、そして何も言わずに帰ってしまった…
かと思えば、後日はたてからは新聞と一緒に手紙が送られてきたのだ。
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お身体をお大事に!!!!
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どうしよう、訳が分からない。
結局なんで助けてくれたのかわからずじまいだし…いや、それとも天狗ってそういう種族なのか…?
正直分からないことだらけだが……
うーん……。
…まあ、よくわかんないけど助けられたってのはわかる。とりあえず助かったんだ、天狗様々だな。
今度会った時に恩を返せば良い。だから天狗の事は後回しで良いのだが……それよりも問題は萃香の方だ。
いつまた襲われるか分かったもんじゃない。
対策のしようがないってのが最悪だ。
灰を付けても外されるし、灰逃げも通用しない。灰逃げを使わずに逃げようにも相手は霧だ。その気になれば近付かれていることすら気付かず殺される。
武力でどうこうなんて出来るわけない。
かなり困った事に、正直逃げられる気がしない。
冗談じゃないぞ…せっかく地底から出れたというのに…また鬼か。
…ああ…本当に…ほんっとうにろくでもない種族だ。
◆
呼吸する度に痛みが走るのも気にせず、文は大急ぎで荷物を纏めて、何時でも逃げ出せるように待機していた。
鬼との戦闘に、白墨との共闘。
文の首が吹っ飛ぶのには十分すぎる。
特に白墨と共闘したというのが良くなかった。明確に天狗達と敵対したようなものだ…その場で即斬り捨てられても文句は言えないだろう。
結局その日から、文はいつ他の天狗が攻めてきたとしても逃げ出せるように、常に家に引きこもり、一切気を緩めずに警戒し続けた。
次の日も…その次の日も……。
一方はたてはと言うと、自分の家に戻るなり、よだれを垂らしてだらしなく布団で眠りこけていた
どうせ白墨の背後にいる妖怪が、どうにかバレないようにするだろう、と気を緩めきっていたのだ。
なんならはたては初めからそのつもりで思いっきり好き勝手動いていた。
どれだけめちゃくちゃにかき乱したとしても、大事にしたくないであろう背後にいる大妖怪がなんとかするはずだ…と。
もちろんそんな保証はどこにもない。
はたての勘違いで、寝ている間に戸を蹴破られる可能性だって大いにある。
しかし、はたては大丈夫だろう、と気楽に、そしていつもと変わらぬ様で眠り始めた。
バレたら一発で終わるのに……だ。
……控えめに言って、はたては肝が据わりすぎだった。
しかし、現に白墨の背後にいる妖怪……八雲紫によって、鬼と天狗の地形が変わるほどの戦いを知るものは、誰一人として居ない。
そして、その事を知った文が家から出てきたのは、戦いから一週間も経った後だった。
ボサボサ頭に目の下のクマ。
文がはたてをぶん殴ろうと決意するのに、さほど時間はかからなかった。
前の灰くんなら、なんで助けてくれたのかとか関係なしに、ただラッキーと思うだけでしたが、今の灰くんはなんで助けてくれたのか疑問に思えるくらいには成長してます。
ただ疑問に思うだけで、疑問を解消しようとは思いません。
不思議だなぁ…程度に思ってます。
1000年以上生きてるだけあって成長してるね!!!!