感情を表情で理解していたあの頃は、感情の読めないあの顔が、どうしようもなく嫌だったのだ。
初めはどうであっただろうか。もう昔の記憶はあまり覚えていない。母のことも父のことも、良く知らない。
ただ博麗の巫女となった私が今日まであまり歪まず、こうして身も心も健康であったことからそう悪い家庭ではなかっただろう。
そんなことも今ではあやふやだが、きっと良い家庭だった……と思うことにしている。どっちかわからない時は自分の都合のいい方に解釈するべきだ…なんてどうでもよさそうに語っていた者を覚えているからだ。
いつも無口で怖い顔だが、時折脈絡もなく真理を突いたようなことを言う奴だった。
真理を突いたようなのは雰囲気だけで、実際に言葉を思い返すとふざけたことばかりだったが、あの人の適当な生き様をそのまま表したようなその言葉には救われた……というには言いすぎだが、決して無視するような言葉でもない…時折思いだし、ほんの少しだけ心を軽くしてくれる、そんな言葉だ。
悩みに悩んだ末、そんな適当な言葉に身を委ねるとはなんとも呆れる話だが、だからこそ…こうして晴れやかな気持ちで約束出来る。
…他者の、それも大妖怪の心を人が推し量ろうだなんて滑稽な話だろうが、それでも私は、私にとって都合の良い方に解釈をした。傲慢で、我儘で…そういうのはいつだって妖怪の専売特許だったが…なぁ紫、偶にはそれも良いだろう?
どうせお前は言葉を信用するような奴じゃない。妖怪ってのは総じて頭が固いものだ。
◆
巫女になってからの時間の流れは、とても早く、毎日が大変の一言だった。
学ぶことは好きだ。けど好きなだけで飲み込みが早い方ではない。
だが紫様は毎日毎日覚える内容を増やしていった。まだ前日に言われた事もまともにできないのに、ぽんぽんと増やしていく。
掃除に洗濯、言葉遣い、話の長いおばちゃんとの会話の切り方…最後のは紫様に実践してみたが、すごく怒られた。チョップが痛い…。
覚えることはまだまだある。
今度は主に巫女修行。霊力の使い方に御幣の振り方、御札の作り方に結界についての授業だったり…あとは空を飛んだり、神降ろし?なんかも教えられた。
その過程でやたらと狐の撫で方や猫のあやし方を教え込まれたりもした。巫女になるために最も重要なことらしい。
だが、どうやら私には才能がないらしい。
霊力というのがいまいちつかめない、それがわからないので空を飛ぶこともままならない。結界なんて何をしているのかちんぷんかんぷんだ。神降ろしに関しては才能が全くないと断言されてしまうありさま。
唯一褒められたのは御札の作り方くらいだった。筆を使うとはなんとも楽しいことで、使う度に手になじむ。ただ褒められたのは本当にそれだけ。
紫様はまだ幼いのだからと慰めの言葉をかけてくれているが、空を飛ぶことに苦戦する私を見ていた時のあの感情のない瞳が、まるで捨て時でも考えているようで恐ろしかった。
私はきっと根本から向いていないのだろう。
あの冷たい瞳を否定したくって、どうにか身体を動かす。しかしそれは空に溺れるように不格好で…もがく度に嫌な想像が頭をよぎった。その想像はやがて近い将来のようにも思えて来て…そうなるともう駄目だった。酷く汗をかき、フラフラと落ちていく。息は信じられないほど上がっており、結局その日は、初めて空を飛んだ時よりも上手くいかなかった。
どうにもできない事をどうにかしようと焦ると大抵初めよりも悪くなる。
これも、もう何度も繰り返した失敗だった。
落ちた私を優しく捕まえる紫様の手と、その手と似ても似つかない値踏みするようなあの瞳。
幸いまだ捨てられてはいない。
冷たい顔…といえばもう一人、時々ふらりと神社に来る妖怪がいる。
紫様は普段ニコニコとしているのに対してその妖怪の顔はいつも変わらない無表情。冷たい瞳に固く閉ざされた口。
どことなく近寄りがたい雰囲気で顔から感情を読み取るのは無理だと分かった。
ただ、時折じっと私を見ているときがある。何を考えているのかもわからないあの瞳で。
その瞳は私の失敗を思い起こさせる。たちまち私の体は硬直し、息が上がり、汗がにじみ…そして私は空から落ちるような錯覚をするのだった。
その日から、その妖怪は私の中で怖い人になった。
◆
「ああ、やっと新しい巫女が決まったんですね。巫女が不在の状況が随分と続いましたが、今地上はどうなっているんでしょうか?少し不安です」
不安…という言葉とは裏腹に、その少女はいつもと変わらぬように珈琲を飲んでいた。
そうして先程まで読んでいた本を閉じ、来訪者に目を向ける。
「異常はない…ですか。相変わらず危機感が無いですね。何か問題があってもおかしくないでしょうに。長期間の巫女の不在に加えて新しい巫女は十にも満たない幼子…これで異常が起きない方が不思議です。実は貴方が知らないだけでもう既に裏では事が起きてたり」
少女は片目を閉じてそう言った。
部屋は地底特有の暖かさと、一人の少女が話すだけの奇妙な空間となっていた。
少女が話しかけている男はというと、眉一つ動かすことなくただじっと少女の顔だけを見つめていた。そんな男の様子を気にも留めず、少女は再び口を開いた。
「それはあり得ない…ですか。ふむ…灰の目、でしたっけ。そういえばそんなのありましたね。確かに幻想郷広しといえどもあなたほどの“目“を持つ者はそういないでしょうね。うん…?あー、はいはい言葉の綾でした。確かに幻想郷はそう広くはないですけど…ああもうそういう話ではなく…」
そこまで言って少女は頭を押さえ、そしてカップに手を付けた。
「…ふぅ。冷めちゃいましたよ。」
「まあそうですね、何はともあれ…やはり宝の持ち腐れ、と言う奴でしょうか。はぁ…だってそうでしょう?あなたは地上の状況を異常はないと断言しましたが、大有りじゃないですか。長期間の巫女の不在に、10にも満たない幼子が代役…八雲紫が居ながらこの現状、そのことが大問題なんですよ。…ほーらやっぱり、貴方は前提が機能してない」
少女が呆れた顔で首を振る。男は依然として動かない。
「異常を異常と感知できなくなるのは生きていくうえで最も忌むべき大事です。特に貴方にとっては…」
何も変わらない会話の中で、しかし突然男は顔を横に向けた。何もない空間を…まるで親の敵にでもあったように。
「ああ…自分の危機となると反応が早いですね。確かにそろそろ約束の時間でした。その察知能力を地上でも遺憾なく発揮してくれることを祈っていますよ。じゃないと最悪私にも飛び火しそうなので。ああ、あと本ありがとうございました。お陰で暫くは……もう行きましたか」
少女が言い終わる前に男の体は崩れるように消えていった。ぼんやりと消えた後に目をやっていると、ガチャリと扉が開けられ、気分良く一人の妖怪が入ってきた。
「さとりさま~、紅茶持ってきま…あれ?」
お盆に紅茶を乗せた赤毛の妖怪は、部屋に一人しかいないので、不思議そうに首を傾げた。
「ごめんなさい、お燐。頼んでおいて悪いけど、そろそろ勇儀さんが来る時間だから下げてもらえる?」
「……?…ああ!さとりさまは紅茶飲みませんでしたね!」
さとりは自らのペットの考えることに呆れ、ため息をついた。
「…お燐、何度も言ってるけど白墨さんとはそこまで仲が良いわけではないですよ。大体来るのもあっちの気分次第で別段会う約束をしているわけでもありません」
もう何度目かになる訂正と、それでも納得していなさそうなお燐の心の声に若干の諦めを感じていると、再びお燐が不思議そうに口を開く。
「うーん?でもさとりさま、今日なんて来てくれることを見越して紅茶を頼んだんじゃないんですか?」
その一言にピタリと止まる。
「……慣れとは恐ろしい。私としたことが……やはり異常と認知できなくなるのが最も忌むべきです。今凄いぞわっとしました」
そう言い、顔を青くしてぶるりと震えた。
「……貸して下さい。その紅茶は私が貰います」
その言葉に今度はお燐が心配するように顔色を変える。
「だ、大丈夫ですかさとりさま?トイレが近く…」
「漏らしませんよ」
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