安定してきた幻想郷、巫女は順調に成長し、結界の管理とこの楽園の調停者として君臨している。
人里は活気にあふれながらも外を恐れ、巫女を必要として生きている。
最近だと藍が夕食の献立に頭を悩ませ、白墨から送られてくる報告書から油揚げの割引に関する話題を探し、野良猫を見ては煮干しをやっている。昔のような目の隈は無くなった。小言は少し増えたかもしれない。
何百年と掛かった理想の実現。
その道程は長く、途方もない労力が掛かった。
友人は亡霊になり、もう一人は山を捨て、地底に籠った。
知っている人間は多く減り、そしてそれ以上に神やら妖怪が入ってきて……また少し、幻想郷はその色を増やしていく。
妖怪同士の小さないざこざこそあれ、不満はなかった。
白墨も偶にやりすぎることを除けば、比較的思い通りに臨むことをやってくれる。危ういときもあるが、一線を越えることもなく、なにより
変わらないというのは、それだけで安心させてくれた。
巫女に実戦経験を積ませる為の補助として白墨を同行させた時もそうだった。
仕事が増えることを露骨に嫌がり、直接巫女に何かを教授することもなくいつもと変わらぬありさまだった。巫女相手に大した興味も持たず、ほったらかしで……しかしそれでも最低限の仕事として巫女が死なないようにと動きはする。途中で傷を負ったのも、巫女に緊張感を与えるという意味では良い演出となっただろう。
そんな白墨の態度は数年たっても変わらない、変わったのは巫女の方だった。
人間は往々にして変化するものだが、正直私にとって今代の巫女の変化はよくわからないというのが本音だった。
あの子が私を恐れていたのは知っているし、そうなるように動いていたのも私だが、ある日を境に私に対する恐れは無くなった。そして今まで以上に巫女の修行に熱心になったのだ。
あれはちょうどあの子に陰陽玉を操る才能があると分かった頃だったか。
なぜあの子が私を恐れなくなったかはわからない。だが私はそれについて特に重要なことでもないので聞くこともしなかった。面白いのはあの夜以降、白墨に対しての態度もいくらか軟化したことだ。いまだ少し恐れはあるものの、巫女は白墨によく話しかけるようになった。
話の内容は様々だ。修行は大変だが、人里の人間に感謝されて嬉しいだとか、一人でも安定して妖怪退治をこなせるようになったとか……何気ない話を懸命に続けている。
それに対する白墨はというと、巫女の言葉に適当に頷いたり、顔も見ずに「ああ。」とだけ言葉を返したり……しかしこれらはまだ良い方で、大抵はめんどくさそうに無視してしまうことの方が多かった。
初めの方は無視される度に軽くショックを受けていた巫女も、暫くすると気にせず話を続けるようになった。返事が返ってくることは期待せず、ただ聞こえていればいいと言わんばかりに話を続けるようになったのだ。
白墨の方も無視するだけで、言葉を遮るようなことはしないので、この奇妙な会話は今もなお博麗神社で盛んに行われている。
ただ、無視されることを完全に気にしてないわけではないらしく、やはり少しだけ肩を落としているのを前も見た。
私も白墨との会話では似たようなことになるので、あの子には少し同情する。あれには私も少々腹が立つ。言って治ることでもないので諦めているが……。
だがそれも今までの気の抜けなかった日々を思えば、些細な日常でしかなかった。
そんな事を考えながら、私は長い間張り続けてきた肩の荷をようやく降ろし、満足気にこの地を見下ろす。
そこには小さな楽園があって、沈む夕日がその美しさを際立てていた。
◆
大妖怪となるよりもはるかに昔、まだ大した力も持たなかった八雲紫の世界には、空がなかった。
空なき世界に大地は存在せず、何かを踏みしめるという感覚を知ったのは、ずいぶん先のことだった。
『この世界のあらゆる物事の存在には境界が存在し、全てのものに境界が存在しなければ、それは一つの大きなものであることになる。』
境界を持たない妖怪として生まれた紫には、そのありとあらゆる物事に存在する境界というのを認識できなかった。
つまり、紫の瞳には空が、大地が、大きな一つの存在として映る。
八雲紫にとって空とは大地であり、大地とは空であった。そこに境界はなく、溶け合うように混ざり合った一つの空間に紫は居た。
人も妖怪も妖精も、紫の目には差異なく映る。人と妖怪の違い……その両者の境界を認識できない紫にとっては、等しく同じものとして見えたのだ。
だが、そんな世界が常識だった紫にとって、境界がない世界を不便に思うことはなかった。生まれた時からそうやって生きてきたのだ。当たり前に瞳に映る世界を疑うのは難しい。だって彼女にとってはそれこそが正解で、疑う余地などなかったのだから。
むしろ苦労したのは自らの性質がおかしいと気づいてからだ。
どうやら自分の“世界”はおかしいらしい。だがそれに気付いたとして何が出来ようか。正常な世界なんて知らないし、不便など感じたこともない。
そうしてやがて人からも妖怪からも異常と言われ……いや、自分をそう呼ぶ存在がヒトだったか妖だったのかすらも……。
生まれてからずっと一人で生きてきた紫にとって、この時初めて他者を区別できないというのが苦になった。不便だと感じた。
己の出自にひどく悩み、考え……そしてある時、また”ナニカ”に出会った。今まで見てきたものと何ら変わりないように見える姿もカタチもわからない存在。
「……む?だれぞ、我が後戸の国に許可なく入ってきたのは」
「……?」
「妖怪が……?普通じゃないな。精神に依存する妖怪はその見た目を不安定に変化させるというのは常識だが……これは不安定なんてものじゃないな。なるほど、この後戸の国に入ってこれたのにも納得がいく。私の結界も空の侵入を防ぐようには出来てない。いやこの調子じゃ入ってきた自覚もないか」
「。。……。」
「言葉はわかるか?会話は?……はぁ、カタチがないとは厄介だな。何も疑問に思わなければまだ救われただろうに、自らの異端には気付いている……か」
「……」
「……ふむ。妖怪の姿かたちは不安定なものだ。ただの化け猫がヒトから妖怪狐と間違えられて姿を変えることもある。つまりは誰かが定義を決めてしまえばいいということ。カタチ無く、そしてそれを認識すらできないのならば、今後は自らを”境界の妖怪”と名乗るがいい」
考え込むようにした後、隠岐奈はさも紫のことを思ってのことだと言わんばかりにそう告げる。
そうして生まれたのは一つの輪郭。それは自分だけしかない世界に自分と”それ以外”という境界が生まれた瞬間。
「…?……!?」
今まで自分が”あった”その場所からはじき出されるようにして八雲紫は生まれた。
そして、カタチが出来たと同時に八雲紫は後戸の国から追い出される。
(悪いな、空をはじき出すようには出来ていないが、妖怪ははじき出すように作っている)
それは後戸の神である摩多羅隠岐奈にとっては何気ない事だった。
自由に後戸の国に入ってくる不覚的要素を排除したに過ぎない。
(あんな空とも大地ともわからんような存在が居てはたまったもんじゃない。悪意を持って攻めこられれば防ぐことなど出来ないうえに、ああもカタチが不安定では攻撃することすら難しい。今みたいに稀に生まれてくる曖昧な存在には、さっさと器を用意して押し込めるが早い。なにより正体もわからぬ存在というのは面倒だ。わかるものとして定義付けた方が安心できる。
今後は今までのように曖昧な存在として結界を超えてくるような事はできないはず。定義付けたことで格もいくらか落ちる。だが本人も変わることを望んでいたみたいだし文句はないだろう)
それに文句があったとして、それを言いに来るのもはや不可能だとも隠岐奈は考えていた。
境界の妖怪として定義付けられ、カタチを得てしまったあの妖怪に、もはや以前のような力はない…と。
いまやあの妖怪は境界を認識できるようになった代償に、前のような超越的な不確定の存在として力を振るうことは出来ない。
境界を認識できる……それはつまりただの人間だ。物と物との区別が付けられる。自分と他者との違いをはっきり理解する。
そんな人間どころか知恵のある生物なら誰もが生まれながらにして持っている当たり前の力。
紫は人の力を得て、“曖昧”という妖怪としての強さを失った。
生きやすくはなっただろう、だが力はもうない。
隠岐奈はもうあの妖怪に会うことがないだろうと考え、それ以上興味を持つこともなかった。
しかし、その予想は意外な形で裏切られる。
隠岐奈にとって誤算があったとすれば、物の境界を見ることが出来るというのが、彼女にとってどれほど革命的なことであったかを考えていなかったことだ。
隠岐奈の考えなど知らぬ紫はカタチのなかった世界に次々と切れ込みを入れていく。
初め、空という”一つの空間”に切れ込みを入れた。彼女の世界に初めて現れた一本の線、その切れ込みを押し広げ、スキマを作り――そうして彼女は自らの世界に”二つの空間”を生み出した。
それから彼女は境界を操り、空と大地を作り、綾線と水面を創造した。
世界はいくつもの境界によって繋げられ、形を作っていく。
そうして生まれた世界で、八雲紫は大地を”歩いた”。
ようやく得た当たり前の世界。隠岐奈が予想できたのはここまでだ。
しかし紫の世界に対する探究心は止まらない。
大地と大樹は一つの存在ではなく根でつながっており、さらに大樹についた葉も同様に一つの存在ではない。葉と大樹で分けられる。そして驚くことに葉にもそれぞれ異なったカタチがある。さらに細かく細分化していけば、葉にはいくつもの葉脈という線が広がっており――。
八雲紫は止まらない。
初めて見るありとあらゆる世界の境界。この世界は自分の想像をはるかに超えるいくつもの境界によって分けられている。そんな当たり前のことがなによりも神秘的なものだった。
常人には当たり前の世界。だが八雲紫にとっては違かった。
物を分けて見れる……それは凄まじいことだと。境界のある世界はそれらすべてが独立しているように見えて何処かで繋がっているように見えるのだと……。
八雲紫はもはや境界を神聖視すらしていた。八雲紫にとって境界とは物と物とを区別する以上の概念的な存在へと昇華していたのだ。
そうして摩多羅隠岐奈の考えとはまったく違った方向へ紫は境界の妖怪となっていく。
だが、紫は無条件で世界を正常に見れるようになったわけではない。今見えるものがおかしいと否定し、自らの意思で境界を生み出して初めて常人と同じ視界を得られる。
故に紫は初めて見るものを驚くほど慎重に観察してきた。はたして今見えているものが正常な姿かそうでないのか。
そうした生き方が定着していくうちに、八雲紫は境界がないからこそ常人では気づかないようなことにもいち早く気付けるようになっていた。
だがその逆もまた然り……。今ではこの異常にも慣れ、世界を見るのも苦労はしない。
不便で、何でもできる神のごとき力……それが境界だった。
二つの物を一つの混ざり合った何かと認識し、一つの物を二つの分け隔てられえた何かと捉える。
常人にはすぐわかるような違和感を感じるのも一苦労し、しかし誰もが気付かないようなことをいち早く認識できる。
そして、それゆえに八雲紫は目を凝らせばわかる様な大きな違和感を見落としていたのだった。
◆
「……で?珍しいじゃない。今更出てくるなんて」
夕日が沈み、星が出る夜。紫は何もない空間にそう呼びかける。
すると、真っ暗なそこに突然扉が現れ、大層偉そうな椅子に腰かけた金髪の少女……摩多羅隠岐奈が出てきた。
「はぁ……秘神らしく出てこようと思ったのに台無しだ。神と年長者にはもっと気を遣え」
登場前から呼んだのがいけなかったらしく、やや不機嫌そうに隠岐奈が見てくる。
「はいはい、わかったわよ。それより貴女が出てきたことの方が気になるわ。幻想郷も安定していて目下の問題はない。余程のことがない限り表に出てこない貴女が何の用?」
隠岐奈は秘神という肩書き通り滅多なことがないと後戸の国から出てくることはない。
神出鬼没度でいったら私よりも上だろう。
最近話したのも天魔を介してのもので、紫から見ても謎が多い神だ。
……そういえば博麗大結界を張るときにも手伝うとかなんとか言っていたが、具体的に何をしていたのかも不明だった。
「文句を言いに来た」
隠岐奈はきっぱりとそう言い切る。
「幻想郷に?それとも私?」
「幻想郷に対して文句はない……まあ少し過保護すぎる気もするが……今日来たのはそれじゃない。文句は紫……お前に対してだ」
そう言われて、少し思案する。そりゃあ文句の一つや二つ出るようなことをしている自覚はあるが、彼女がわざわざ出張ってくるほどのことをした覚えはない。悩めど見当もつかず、諦めて隠岐奈の言葉を待った。
「はあ……紫め、何度も忠告しているというのに一切私の言うことを聞こうとしないじゃないか!」
「忠告?」
そう紫が首をかしげると、隠岐奈は再びため息を吐いて呆れたように私を見た。
「お前の式神、あの灰の妖怪についてだ。私はいったぞ?あの妖怪をよく見ておけと」
そう言って隠岐奈は拗ねるように頬を膨らませる。
……確かに言っていた。天魔を介してだったか。当時は結界のことで忙しく、他のことにかまっている余裕も無かった為、気にも留めていなかった。
「……でもよく見ておくも何も白墨におかしな点なんて……まぁあるけど、そんな目を光らせて見る必要があるようには見えないわよ?それとも何か気になることでも?」
考えてみたが、ちょっと頭がおかしくて、食に対する執着が異常なことくらいしか思い浮かばない。
「……わからない」
「はあ?」
隠岐奈の口からどんな言葉が飛び出すか……そう身構えていた矢先、そんなあやふやな回答を聞き、思わず気の抜けた声が出る。
「……いやそういえば天魔のやつも同じように分からないと言っていたわ。何……?あなた達は何をそんなに危険視しているの?」
「……おかしいと思わないか?白墨はこの幻想郷に来てから”まるで変化がない”。
人里を守護する存在としているが、その実、あれは人からも妖怪からも恐怖そのものとして扱われている。だというのにその力には何の変化も見られない。あれでも妖怪だ。人間からの恐怖は妖怪を強くする。それは妖怪そのものが人間の恐怖から生まれた存在だからだ」
白墨は変わっていない。その妖力も地底で暮らしていた時どころが、初めて見た時からだ。
だが……
「そもそも恐怖が妖怪の糧である……というのはあくまで一般的な妖怪に限った話。生まれが違ければ、糧とする感情も大きく変化する。人間の怒りや悲しみ、他者に裏切られるような喪失感を好む妖怪だっている。そういう妖怪は必ずしも恐怖を必要とはしない。そしてそれはあなたのような神だって同じでしょう?すべての神は信者を集め、信仰を得ることで力としている。けれど秘神である貴女は違う。名前の通り秘することそのものに力が宿る。多くの肩書を持ちながらも本当の正体を決して知ってはならない。見てはいけない。聞いてはいけない。語ってはいけない。それがあなたを秘神たらしめるものでしょう」
何事にも例外は存在する。今回であれば白墨の妖怪としての生まれが特殊だっただけ。そしてそれは特別珍しい事でもない。
しかし、隠岐奈はそんな私の答えを予想していたか、特に驚いた様子もない。
「妖怪と同じように言われるのは癪だが……まあいい。確かに紫の言う通り、生まれが違ければ糧とするものは違う。あの灰の妖怪が、たまたま恐怖を必要としていなかっただけの話」
「じゃあ……」
何をそんなに危険視するのか。そう言葉を繋げようとして……しかし遮られる。
「なら、”白墨が糧とするのはなんだ”?」
「……」
言われて、気付く。今まで考えたこともなかった。そもそも他の妖怪と大差ないものとして見てしまっていたのが原因か、疑問に思おうともしなかった。
いや、だが待て、それでもおかしい。確かに白墨について気になることはある。だがそれだけで”あの隠岐奈がこうも気に掛けるはずがない”。
そうして紫の思考は初めに戻る。なぜ隠岐奈は白墨を危険視するのか。
「……わからないわね。白墨の生まれが何にしろそれが大きな問題につながるとは思えない。それとも貴女は何か思うところがあるの?」
「いいや、あれそのものに”危険はない”。どう頑張ったって白墨自身の力が直接幻想郷に影響を与えることなど出来ない。異常な傷の治りに中級妖怪にしては過剰な攻撃性……だがそれまでだ。だから”危険はない”」
「じゃあ何がそんなに気になるのよ」
そんな隠岐奈の言い方に違和感を覚えながらも紫は反論する。
「だから言っただろう?”わからない”と。情報不足で分からなかった、だからお前によく見ておけと忠告したのだ」
「はぁ……。結局最初に戻ってるじゃない。回りくどい」
「つまりだ、私が言いたいのは灰の妖怪をよく見ておけということだけだ。直接言ってやらんと無視するからな」
「失礼ね、あの時は結界のことで手が離せなかっただけよ」
「だといいが……。では言いたいことも言ったし私はもう帰るとしよう」
「ええ、わかったわ。一応あなたの方でも何かわかったらよろしくね」
「………ああ、ではな」
そう残し、再び扉が開く。
隠岐奈は帰り際、ほんの少しの後悔を残し、しかしそれを言葉にすることはなく扉へ入る。
”危険はない”。
その言葉に嘘はなかった。
隠岐奈が想定する最悪の事態になったとしても幻想郷になにか危険が迫ることはないと断言できた。
だがそうなった時――紫は悲しむかもしれない。
しかし、隠岐奈がこれを紫に伝えることはない。それが幻想郷の賢者であり、紫もきっと、そうするだろうから。
なら、今のうちからいらぬ心配をかける必要もなければ、そんな最悪の事態になるとも限らない。
なに、すべてが最悪に傾いたとして、何も問題はない。
ただ一人、妖怪が、消えるだけだ。
遅れた理由の4割くらいは諏訪子のせい。
最近東方の原作である風神録にはまって諏訪子を倒そうと躍起になっていました。
でも東方(ゲーム)のせいで東方(小説)が遅れてしまうのはしょうがない……むしろ参考資料集めに時間が掛かっていたと言い訳できるのでは!?
……はいすいません。次はもっと早く投稿できるよう頑張ります。