灰の旅路   作:ぎんしゃけ

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第六十話 唯一の特技

手を振り上げ、息を吐き、全力で走る。

森……と呼ぶにはあまり鬱蒼とはしていないが、少なくとも辺り一面に生えた木々が私の小さい体を隠してくれることは期待できる。

湖から流れている川を辿れば迷うこともない。

 

だからとにかく、私はあの神社から離れることを目的に走る。

修行……とあの男は言ったが、冗談ではない。

あんなこと続けていたら死んでしまう。

そしてきっと私が死んでしまっても、あの男は気にしないだろう。

だから、走る。逃げるために。

あの修行という名の地獄から逃れるために、今はただただ走り続ける。

 

なぜ今更あの男が私にそんなことをし始めたのかはわからない。

元より私には興味がないと思っていたし、あながちそれは間違いじゃないと今でも思う。

ならなんで……と考えても答えは出ない。

 

「はぁ……はぁ……ちょ、ちょっと休憩……」

 

凸凹とした足場はそれだけで普通の道よりも体力を使う。

近くの大木に背を預け、ぐにぐにと自分の足首を揉んだ。

意味があるのかは知らないが、それだけで体の疲労は幾分かマシになったような気もする。

 

休憩もそこそこにして、お腹を押さえて立ち上がる。

昨日蹴り飛ばされた腹が、青あざになってヒリヒリ痛む。

お腹に力を入れるたび、痛みを主張するそれに思わず顔をしかめた。

もっとも、その傷以外にも地面と擦れてできた擦り傷や、投げ飛ばされたときにできた打撲の数々を挙げればきりがない。

 

やっぱりあんな修行を真面目に受けていたら身体が持たない。

そうしていっそう決意を固めて走り出そうとして――視界の端に見覚えのある灰色の男が映る。

 

「――っ!」

 

思わず息を飲み、すぐさま構えようとして……

 

「……あ、あれ?居ない……?」

 

気のせい?見間違えた?

確かにあそこにいたように見えたのに……。

隠れるにも私のような子供ならまだしも、あの背の高い男が隠れられそうな場所なんて……。

 

きょろきょろ周りを見渡しても人の気配なんて少しも感じない。

依然、静かなままだ。

 

ならやっぱり――

 

「きゃあっ!?」

 

後ろから強く押されるようにして地面に叩きつけられる。

すぐにそこから離れようとするも、思うように身体が動かない。

なんとか首だけ動かして背後を見ると、予想通りのやつがいた。

 

「このッ……!離しな、さいよ……!」

 

白墨が片膝で私を踏みつけ、のぞき込むように見下ろしてくる。

ジタバタともがいてみても、膝から伝わる体重でビクともしない。

 

――こんな早くに見つかるなんて。

なぜ?どうやって?

そんな疑問が絶えず生まれた。

そして、それ以上に見つかってしまったことによる刑罰を恐れた。

 

白墨の表情からは何を考えているかを推察することはできない。

それが一層、この無言の時間を苦しくさせた。

 

「……戻るぞ。修行の時間だ。」

 

立ち上がり、私を引きずって歩き始める。

言葉はそれだけだった。

怒りも何も感じられない、ここ数日で何度も聞いた声だった。

 

 

 

 

 

 

日暮れの空からカラスの声がやけに遠くに聞こえる。

私はすでに疲弊しきっており、冷たい石肌に身体を放ったままで、もうとても動く気にはなれなかった。

 

逃げ出したから倍厳しく……なんてことはなく、昨日と同じように投げられ、蹴られるだけだった。

結局、あいつは怒っていたのだろうか?怒るほどの興味もないのだろうか?

それならここまで執拗に修行とやらを強要してくる理由も分からない。

 

ぴゅうっと風が吹き、昨日の傷と今日できたばかりの傷がまた痛む。

何も、できなかった。

 

「でも……反応は、遅い……。次は、行ける……懐にさえ入れば……あの顔面を……!」

 

「……おい。」

 

「……なによ」

 

まだ居たのかと少し驚く。

今更取り繕う気も起きず、機嫌の悪さを隠そうともせず言葉を返した。

 

「……逃げたいのならば、逃げても良い。」

 

「はぁ?」

 

言葉の真意が読めない。

逃げたい?そんなの決まってる。

それを許さないのはお前だろうに……。

元凶が一体何を言っているんだ、と訝しむように目をやる。

 

「……。修行を始める時間はいつも同じ……終わる時間もそうだ。上手く逃げれば、その分修行の時間を引いてやる。」

 

……なんだって?

 

初めから会話なんてするつもりはないらしく、それだけ言うと、唖然とする私を置いて離れていく。

 

白墨の言葉の意図を理解しようとして、やはりわからず困惑する。

だってそれはつまり、日が暮れるまで逃げ切ればその日の修行はなし……と言っているようなものだ。

いや、たとえ逃げ切れなかったとしても二時間でも時間を稼げれば十分マシになる。

それは今の私にとってあまりに魅力的な話に見えて、そしてまた困惑する。

 

今までの白墨の行動を見れば矛盾しているとしか思えない。

だって散々修行に固執しといて、今度はわざわざ逃げ道を用意するなんておかしな話だろう。

 

悩んで即座に浮かぶのは罠の二文字。

わざと試すようなことを言って私の反応を窺っているのだろうか?

いや、何の意味がある?そもそもそんな面倒なことをする奴には見えない。

 

逃げようとしたところに罠を仕掛けているとか?

逃げてもトラップ地獄、逃げなくても修行地獄。

……あの男ならやるかもしれない。

 

考えても答えは出ない。

だが、どちらにせよ選択肢など初めからない。

このまま逃げなければ今日のような毎日が続くだけ……。

なんだかあいつの考えに従うようで癪だが、それでも変化がない今よりはいいハズだ。

 

私は痛む身体を引きずりながら、今一度どこへ逃げればよいかと考え直すのだった。

 

 

翌日、さっそく私は時間を見計らって逃げ出したのだが、やはりというべきか、二日目と同じくあっさりと捕まってしまうのだった。

警戒していた罠などはなく、前と同じ。気が付いたら捕まえられていた。

 

「…………。」

 

捕まって服ごと持ち上げられ、宙ぶらりんの状態であいつと目が合う。

 

「……なによ」

 

無言でじーっと見てくるのが居たたまれず、つい言葉を返す。

 

「……ただ距離を取れば、離れれば良い訳じゃない。一直線に逃げるな……足跡くらい消していけ。」

 

「……?」

 

そしてまた、白墨は昨日と同じように私を神社まで引きずっていく。

 

今のは……もしかしてアドバイス?

この男が?

この二日間、そんなこと一度も言われなかった。

ただ何も言わず、無言で攻撃してくるばかりだったから、てっきりそんな言葉が返ってくるとは思わなかった。

 

けれど、そこからはいつもと同じ。

夕刻まで蹴られ、殴られ、投げられて……。

まあ三度目にもなると私も慣れて来たもので……避けることも、段々と苦じゃなくなってきた。

それに今度は一発思いっきり殴ってやった。

あまり効いてる様子はなかったけれど……。

 

 

足跡を消せとは言われたけれど、そんなこと言われてもすぐにはできない。

今朝何度か歩いてみたが、どうしても少し人が歩いたような痕跡は残ってしまう。

まあいつも目の前から現れる白墨に対し、足跡の有無が関係あるのかという疑問は残るが……。

 

とにかく、今日からすぐに足跡を残さず歩くなんてことはできない。

だから逆転の発想だ。

足跡を残さず移動したいなら、歩かなければいいだけの話。

つまり、空を飛んでしまえば良い。

 

問題ない。霊力については昔、お母さんから教わったことがある。

まだお母さんのように自由自在にとはいかないが、それでも軽く浮かんで移動する程度なら容易にできた。

 

空を飛べば、足跡を残さず移動するなんて造作もない。

これで、あの修行地獄からも解放され――

 

「……霊力が駄々洩れだ。少しは隠せ。足跡より、余程わかりやすい。」

 

「……宙に浮かべば、その分目立つ。隠してくれていた木の幹や、辺りの草木を捨ててまで飛ぶ価値があったのか、考えろ。」

 

「…………」

 

そこから、私とこいつの奇妙な鬼ごっこが”本当”の意味で始まった。

 

 

時には常に走り回り、背後を取られぬようにと動いて……捕まる。

 

「ただ相手の視界から逃れることに意味はない。常に意識の外へと逃げ続けろ。」

 

「……意味わかんないわよ」

 

 

時には動くからバレるのだと結論付け、ピクリとも動かず身を潜め……捕まる。

 

「見つかっても諦めるな。むしろそこからが本番だ。姿を見せたことが、有利に働くこともある。」

 

「バレることが有利ってなによ……」

 

 

言葉の通りに、見つかってからも必死に逃げて……それでもやっぱり捕まる。

 

「無闇やたらに逃げるな、フリでも攻撃しろ。」

 

「……攻撃なんてしてたら、その間に捕まるじゃない」

 

「変化のない逃走劇に意味はない。いずれ追いつかれるのなら、場を乱せ。」

 

 

白墨の教えはいつも一言、二言で終わりで、なお且つ抽象的だからわかりにくい。

具体例もないものだから全く分からない時もある。

だが、それでも、確実に捕まるまでの時間は伸びていく。

それが単純に私が強くなったのか、それともあいつのアドバイスが役に立ってるからなのかは知らないが……。

 

 

「相手の目を誤魔化せ、今が全力だと、万策尽きたと思わせろ。」

 

「……いつもそれらしいことだけ言って、もっと具体的なの寄こしなさいよ」

 

「…………。」

 

「な、なによ……いいじゃない、そ、それくらい……」

 

「……速さを偽れ。相手は常に予測する、この速さなら、と。相手の予想に準拠して、最後の最後でそれを裏切れ。意識の外側……予想外の速さとは、ここぞという時、ただ速い以上の武器になる。」

 

「それ、私の全力がバレてるあんたには意味ないじゃない」

 

「ああ。」

 

「…………」

 

「……だからこれは、未来のための布石だ。」

 

 

「……結局どうしたって地力が違うんだから意味ないじゃない」

 

いつものように引きずられながらそう愚痴をこぼす。

どれほど飛行技術が上がっても、いつの間にか近付かれ、そして結果は変わらない。

いくら小細工をしようが、足が遅いやつは足が速い者に捕まるのだ。

十数回の鬼ごっこを通して出した私の結論に、しかし白墨は珍しく足を止めた。

 

「……直線距離の勝負なら、お前の飛行速度と俺の走る速度に、大した差はない。」

 

「はぁ?そんなわけ――」

 

「逃げるのに、足の速さはさして重要ではない。元よりこれは、格上相手への対抗策だ。」

 

「じゃあなんで私は捕まってるのよ」

 

「自分だけで完結させようとするからだ。もう少し、相手を動かせ。」

 

「……だから、わかんないってば」

 

相も変わらず、その言葉だけで話を終わらせようとしたのを、逃がさず捕まえる。

こいつなりの考えでもあるのか、この事に関してだけは、案外ごねれば話してくれる。

それ以外のことになると全く話が出来ないが、そもそも話す気もないのでどうでもいい。

 

ただ、少しでも私の役に立つならば、それで十分。

だから逃がさぬようにあいつの目をじっと見つめる。

しばらくして白墨は考え込むように頭を傾け、そして静かに口を開いた。

 

「……。視線や身体の向きは、もっともわかりやすい意識の誘導になる。右に逃げると思わせたなら、左へ逃げろ。左に逃げると思わせたのなら右へ逃げろ。二択を見せたならば、考えさせる前に三つ目の択を押し付けろ……相手よりも少ない歩数で距離を稼げ。」

 

「……」

 

帰ってきた答えは思ったよりも真面目で、だからこそ、それが簡単でないこともすぐに分かった。

理屈はわかる、相手より遅いのならば、相手により多くの距離を走らせればいい。

自らは最短を、しかし追ってくるものには最長距離を。

確かに、もしそんなことが出来るなら、理論上どんな敵からも逃げることは可能で……。

 

「だが、埒外の存在というのは……居る。」

 

言葉に、思考を遮られる。

これで終わりだと思っていた私にとって、それは予想だにしてなかった声だった。

付け加えるように口を開く白墨に、自然と視線を向ける。

 

「千里離れた場所に居ようと、瞬き一つで追い付く者……いくつもの小細工を、無駄だと言わんばかりに封殺する者……距離を無視し、理屈を飛ばし、前提を覆すような……そんな、埒外の存在というのは……確かに、居る。」

 

重苦しく、ひねり出すような声。

今までの平坦な声に似て、けれども確かに違う……感情のこもった声。

 

「だから、理不尽には……奇策で返せ。ありえない、と……真っ先に除外されるようなことこそを……最後の択として持っておけ。」

 

「あんたは……」

 

「……。」

 

「あんたにもあるの……?その最後の択ってのは」

 

白墨はかつてを振り返る様な遠い目をして、私を見た。

 

「……もう、使い果たした。」

 

それは忌々し気な……いや、わずかな悔しさを感じる声だった。

 

 

 

 

 

 

最後に本気で逃げようと画策してたのはいつだったか。

いつものように霊夢を探しながら、そんなことを思い出す。

今の俺が本気で紫から逃げたとして、昔のように逃げ切れるだろうか?

種の割れた切り札(灰逃げ)を持って、昔のように……。

 

意味のない思考だ。

昔は昔、今は今。

あの頃だって、元よりスリルや実力試しで逃げ回っていたわけじゃない。

たまたま実力者の集う都や、神どもの蔵に美味しいものがあっただけ。

いつだって、叶うなら危険を冒さず美味しいものを食べたかった。

 

そしてそれが叶っているのが現状だ。

紫からは式神の報酬として、毎日外の世界のお菓子を貰ってるし、藍から貰っているお小遣いで美味しいものも食べられる。

幻想郷では人里に妖怪が入っても退治されることはなく、飲食店だって問題なく利用できる。

まあ奇異の目で見られることはあるが、それでも見つかったら即退治と追われていた昔を考えれば、十分すぎることだった。

 

ケチな神たちとは違い、秋になれば栗やらお芋を分けてくれる素晴らしい神様もいる。

これほどの好待遇で、どうして逃げようというのか。

だから、これは意味のない思考だ。

 

ただ、時折考える。

もし、紫のような、萃香のような……そんな規格外の存在に本気で命を狙われたとき、俺は逃げることが出来るだろうか?

 

捕まれば死ぬ。抵抗する間もなく殺される。

そんな生きるか死ぬかの瀬戸際で、本気で思考を巡らせ、逃げ回っていたのは……もう遠い昔の話だ。

 

答えは出ない。

 

「げっ……!」

 

乱雑とした思考の中で、霊夢を見つけた。

俺に見つかって、わかりやすく顔を歪めている。

 

偽装した足跡に点々と散らばるように残してあった霊力の残滓。

どこかへ逃げたと思わせて、実際は俺の動向が分かるよう神社の近くに隠れていたという感じだろうか。

前よりずっと良い、けれど少し雑過ぎる。

こういう時は本命っぽい逃げ道を一つか二つ、わかりやすく残しておいたほうが相手の視野を狭められる。

 

散りばめた偽装も、似たものばかりでは、どこへも逃げていないのかもしれないと察せられやすい。

灰の目を使わずともわかった。

 

場所がバレれば、始まるのは鬼ごっこ。

実は霊夢は隠れるよりもこっちの方がずっと上手い。

時折、消えたと錯覚するほど静かに移動するので、見失ったかと焦ることすらあるほどだ。

 

「ぐっ……!ああもうっ!しつこい!」

 

霊夢が逃げながらも、俺目掛けて御札と針で攻撃してくる。

速く、鋭く、けれど拙い。

逃げる時に撃つならば、相手を狙うよりも来てほしくないルートを潰すのに、牽制として攻撃するのが効果的だ。

また一つ、教えなきゃいけないことが増えた。

 

霊夢に逃げ方を教えたのは、半分気まぐれだった。

初めて霊夢が逃げ出した時、そのあまりに稚拙な逃走方法に頭を抱えた。

足跡残して一直線にえっちらおっちら……よくこんなんで逃げられると考えたものだ。

 

森の走り方すら知らない子供。

思えば逃走術……なんて事を誰かに教えるのは初めてかもしれない。

霊夢に教えている内に、自分でもこんなに考えて逃げてたんだなって感心したりもした。

灰逃げを常用するようになって、もう薄れた感覚だ。

 

「…………。」

 

逃げる霊夢を前に、俺も足に妖力を込めて走り出す。

霊夢には逃げるのに足の速さはそこまで重要じゃないと言ったが、追う側となれば話は別だ。

ぶっちゃけ、素の速さじゃ追いつくのに時間が掛かる。

 

だが、妖力を込めたとしても俺の足はそこまで速くはならない。

そのうえ込める妖力を増やし過ぎると足が弾けて壊れる。

昔からフィジカル面での才能は全くなかった、こればかりはもうしょうがない。

かと言って、撒かれる気は微塵もないが。

 

ああ、喉が渇く。

ぐぅぐぅと腹の虫も鳴いている。お腹が空いた。

今日は少し早めに終わらせよう。

 

投げられる針やら御札を回避しながら、手を伸ばす。

今日の夕飯を想像しながら、何か引っかかりを感じる。

当たり前ではないことを、まるで当たり前に感じているような……。

霊夢を捕まえる寸前、頭に浮かんだのは、そんな小さな違和感だった。




灰くんのセリフ量過去最多。
ちょこちょこ言ってるけど、灰くんは喋れないのではなく、面倒くさいから喋らないだけ。
必要があれば喋る。
伊達に人、神、妖がヒャッハーしてる時代で多方面に喧嘩を売りながらも生きてない
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