灰の旅路   作:ぎんしゃけ

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第六十五話 空虚な勝利

「結界……。」

 

「そう……お母さんはよく使ってたでしょう」

 

 ぼそりと思案する様に白墨がつぶやく。

 事の始まりは、修行中に霊夢が言ったことだった。

 

 結界について教えて欲しい。

 

 霊夢からしてみればそれは当然の要求だった。そもそも人であり、巫女である霊夢が針と御札を混ぜてお祓い棒を振り回す……という戦いをする時点で少しおかしい。本来はもっと結界なんかを絡めて立ち回るのが基本なのだが、霊夢はこの奇妙な修行の中で、体術と牽制の針による接近戦というおよそ真っ当な人間とは思えない戦い方が癖付いていた。

 

 そしてそんな奇妙な戦い方をしているうちに白墨の結界弾の雨を掻い潜り気付く。

 ――いや、逆だろう、と。

 霊夢が己の歪な戦い方に気付いた瞬間だった。主に白墨のせいである。

 

 しかし、霊夢の要求に今度は白墨が頭を悩ませる。白墨自身、霊夢の指摘は正しい物だと認識していた。記憶にあるかつての巫女に体術のみで圧倒されたことから忘れていたが、そういえば先代もよく結界やらなんやらを使って動いていたな、なんて今更ながらに思い出している。

 

 ただ、問題なのは白墨自身も結界のことなんて全然知らないということだった。

 主に白墨が使う結界術は、結界とは名ばかりのただの硬い板である。それも防御として使えば、中級妖怪の攻撃を一発耐えるかどうかといった程度のもの。

 

 攻撃では、その結界をサッカーボール程の大きさの十二面体として投げつけるだけだ。ただ単に硬い物が当たれば痛いだろうという、浅はかな思考から生まれた零細な攻撃だ。もちろん中級以上の妖怪には効果は薄い。

 唯一特筆すべきものがあるとしたら”結界の槍”だが、これも生み出した経緯ゆえ、どういった原理なのかを白墨は全く理解していない。ただ偶然の産物として使えるようになっただけで、誰かに教えるなんてとてもできやしなかった。

 

 もちろん博麗の巫女や、八雲紫が使うような、概念的な性質を付与された特殊な結界なんてちっともわからない。

 故に白墨は珍しく頭を悩ませていた。

 いっそ(専門家)に投げてしまうかと考え始めたところで、そういえば良い物があったなと思考を止め、神社に入る。

 

 一方、前よりもいくらか白墨との距離を置くようになった霊夢は、突然背を向けて神社へと向かう白墨を不思議に思いながらも、その後を追った。

 言葉がないのもいつも通り。なんてことはない、嫌いな者同士、少しでも不干渉でありたいだけだと、霊夢は確認するようにそう自分に言い聞かせる。

 怒りと恨みを押し殺し、不満を口にすることもなく、ただ静かに距離を取って歩いた。

 

 そして、そんな霊夢の変化に白墨が気付くことはない。

 あの巫女服を直しに行ってから、霊夢と一度も顔を合わせてすらいないことにも、白墨は当然気付かなかった。

 

 

 

 

「……ここって」

 

 神社の中は決して広くない。白墨がどこへ向かっているのか霊夢が気付くのに、それほど時間はかからなかった。

 やがて、白墨の足はふすまで仕切られた一つの部屋を前にして止まる。

 そこは霊夢にとって良く知る場所で、けれどもあの夜からは一度も入っていない……先代巫女の部屋だった。

 

「ま、待って!」

 

 ふすまに手をかけた白墨を前に咄嗟に叫ぶ。 

 しかし、そんな霊夢の制止の声を無視して、白墨はふすまを開け放つ。そして躊躇いもなく無遠慮に足を踏み入れた。

 

「……っ!」

 

 どこか胸を掻き毟られるような焦燥感から、思わず霊夢は駆け出した。

 家具の少ない質素な部屋、背表紙のきちんと揃えられた本棚、文机の隅にひっそり置かれた裁縫道具。あの夜から一切の変化を拒むように変わらない部屋を前にして、一瞬息が詰まる。

 その部屋を、白墨は構いもせずに進んでいく。その一歩が畳を踏む度、霊夢の心をどうしようもない不安感が埋め尽くす。

 思い出の場所、母との大切な記憶が詰まった大事な場所、それが目の前で踏み荒らされていくのが耐えられなかった。

 

「……やめてよ」

 

 小さな拒絶が意味もなく口から零れる。

 

 白墨は部屋の隅にポツンと佇む寂れた本棚へ手を伸ばし、そして次から次へと無造作に本を引き抜いては乱雑に本を積み上げていく。

 やがて積み上げられた内の何冊かが床にぶつかり、乾いた音を立てて転がった。

 

「……ッ!」

 

 その音を聞いて我に返った霊夢は震える手で白墨を掴み、その服の裾を弱々しく引っ張った。

 

「ねぇ、やめて……やめてよ、やめてってば!」

 

 掴んだ手は白く染まり、霊夢の声が悲鳴のように木霊する。

 

「……あった。」

 

 これまで一言も発してこなかった白墨の手がピタリと止まり、ようやく霊夢の方へと向き直る。そして手に持った表紙の書かれていない本を霊夢へと差し出す。

 

「先代の使っていた物だ。俺は使い方を知らん。」

 

 突然渡された本に、困惑したように言葉に詰まる霊夢を無視して、畳みかけるように白墨は言う。

 

「お母さんが……使ってたって……」

 

 恐る恐る開いてみると、博麗大結界の修復や、博麗の巫女の秘術について書かれている……いわば指南書のようなものだった。

 

 放心する霊夢をよそに、白墨は積まれた本を棚に戻すと、何も言わずに部屋を出る。

 一人きりになった母の部屋で、少し隙間のできた本棚がバサリと音を立てた。

 

 

 

 前々から予兆はあった、けれども本格的に変化が起こったのは、それからだった。

 持ち前の天賦の才から、霊夢も少しずつ白墨の動きに対応してきてはいた。けれどもそこから反撃に切り返すようになったのは、あの本を受け取ってからだ。

 

 初めは小さな傷から、少しずつ、少しずつ……やがて白墨の動きに対応すように動きはより無駄なくスムーズに。

 初めの頃は大して動かずに霊夢をあしらっていた白墨の動きも、次第に霊夢から距離を取るように……そして使う攻撃もより速く、より多く。

 

 けれども、白墨がそうして自らの動きを変えるよりも数倍速く霊夢は成長する。

 霊夢の受ける傷は日に日に減り、その逆に白墨の傷は増えていく。

 

 結界に加えて陰陽玉を使い始めたのも大きかった。歴代の巫女のとは違って特筆したものはないが、二つの陰陽玉が放たれる弾幕は数少ない霊夢の隙を更に減らし、そして白墨の攻め手を確実に潰していった。

 

 気が付けば、初めの頃白墨にあった余裕は疾うになく、霊夢の鋭さは増していく。

 そしてその日はやってきた。霊夢の想定よりずっと早く、呆気なく。

 

 

 

 

 ”その日”は初めから違和感があった。身体はよく動くし、動きに迷いはなかった。直感がそのまま最適解を導き出したように自由に私を動かした。

 天気は最悪で、雨がざあざあと降り、服が肌に張り付く感覚は気持ち悪い。けれどもそれとは対照的に頭はクリアで、振る手が水滴をよく切った。

 

 陰陽玉を前に出せば、すぐさま白墨は距離を取り、素早く逃げ回る。

 素早く……とは言ったが、いつかの言葉の通り、白墨の動きは決して速くない。視野は広いが動きが硬い。

 

 ――回避先を絞るのは容易だ。

 

 悟られぬように動きを一段速くする。

 白墨が接近戦を嫌っているのは既に分かっている。白墨の間合いも、体格差による力の不利も……全てを考慮したとしても負けるとは思わなかった。

 もちろん白墨もそのことに気付いている。そうでなければ、わざわざ距離を取ろうなんて動かない。

 

 ならばこそ、多少の被弾を無視して強引に接近する。

 ばら蒔くように放たれる攻撃を必要最低限の動きで突破する。

 また少し、距離が詰まり、今度は私から白墨の動きを制限する。

 

 ――行ける。

 

 距離は十分。確信を持って地面を蹴り、空から白墨を急襲する。

 

 ――行ける!

 

 ドクンと心臓が跳ね上がり、目は白墨から離れない。

 これは避けれない。白墨では避けれない。

 勝利を確信した。距離は十分、力は勿論加減しない。この距離で避けられるわけがない。

 あと一歩……その瞬間、白墨は膝をつき、地面に”手を置いた”。

 

「なに……?」

 

 避けようとするわけでもなく、撃ち落とそうとするわけでもなく、寄りにもよって膝をつく?

 まさか、そんな。わざわざ自分の足を止めるような愚行をこいつが?

 

 もしや降参でもしようというのか。そんなあり得ないことが頭をよぎった時……()()()()()()()

 

「っっ!!破片がっ……!」

 

 砂煙と共に爆ぜるように石の破片が飛んでくる。

 誘われた!?

 ……いや、本当に?ここまで計算して、私が勝ちを確信するまでの全てが織り込み済みだと?あり得ない、こいつはそこまで()()()()()()()()

 

 砂煙は自分と私を分断するため。

 これは()()()()()()……むしろその逆。私と自分との距離を取るための、仕切り直すための防御策。

 だったら、私が取る手は……。

 

「突っ込むッ!!」

 

 襲い掛かる石の破片を、お祓い棒で薙ぎ払って粉砕する。

 防ぎきれなかったいくつかが肌を切り裂き、私は砂煙を抜ける。

 

 視界が開け、白墨の姿を捉える。

 ――あと三歩。

 

 私の行動が意外だったのか、白墨は一瞬時間が止まったかのように動きを止める。

 それは致命的だった。

 ――あと二歩。

 

 すぐさま距離を取るように後ろに飛び、妖力の籠った結界弾を撃ってくる。

 でも、狙いがお粗末だ。少し身体をよじればかすりもしない。それに私の方が、速い。

 ――あと一歩。

 

 ……あれ、勝てる?

 張りつめていた空気が弾けるように、唐突にそんな考えが頭に浮かぶ。

 

 そんな、そんなまさか。いや、でも。

 まるで全力疾走した後のように、心臓が一層強く鳴る。

 勝てるかもしれない……どこか現実味のない事実が私の頭を麻痺させた。

 いける。このままいけば、勝てる。

 さっきの白墨の攻撃は、焦って放ったような、追い詰められて放ったように感じた。でも、本当にそうなのか?またさっきのようなフェイントじゃないか?実は今危ないのは自分の方じゃないのか?だって勝てそう、だなんて……。

 

 一歩、足を前に出す。白墨との距離が詰まった。

 二歩目、三歩目の迷いのない動きとは似ても似つかない、期待と躊躇いの籠った一歩。

 やってしまったかもしれない。距離が詰まってなお、迷いが生まれる。躊躇いが生まれる。そんな中で、ちぐはぐな心のまま、ぎこちなく体が動く。

 

 最後の抵抗と言わんばかりに白墨が腕を伸ばす。動きは隙だらけで、それがかえって私を不安にさせた。

 敗北の二文字が頭に浮かぶ。不安が胸の中で大きく膨らんだ。それが負けることへの不安なのか、勝ってしまうかもしれないことへの不安なのか、もう私には分からない。

 それでも行くしかない、だってもうここまで来てしまったのだから。

 

「……っ!や、やああああああ!」

 

 また強く、心臓が跳ねる。

 心の中で敗北を確信しながらも私は誤魔化すように声を張り上げた。白墨に負けず劣らずの隙だらけな動き。いつもならあり得ない強張った身体。

 ああ、きっと負けた。

 諦めたように目を瞑り……勢いのままに伸ばされた腕を掴む。

 遅れてくるであろう衝撃に備える為、体に力を入れ……そして、そのまま私はあっさりと白墨を投げ飛ばした。

 

「は……?」

 

 恐る恐る目を開く。

 瞼の裏ではずっと遠くにあった白墨の背は……しかし瞳を開けば地に伏しており、そこに立っているのは私一人だった。

 

 

 恐らく受け身も取れずに背を打ったのだろう。白墨が痺れたように身じろぎをした。倒れた白墨の身体を叩きつけるように雨が濡らし、より一層白墨を惨めに見せた。

 

「か、勝った……」

 

 掠れた声が小さく漏れる。声に出して、ようやく実感が湧いてきた。止まっていた時間が再び動き出すように胸の鼓動が耳まで駆け上がってくる。

 その興奮が勝利の高揚感から来るものとは全く別の物であることは明白だった。むしろその逆で、ルールを破ってしまった時のような、頭が真っ白になる罪悪感によく似ていた。

 

 いや、そんなものは、そんな感情はどうでもいい。私は勝ったのだ……そして、ただ勝っただけで終わる訳が無い。終わらせていい訳がない。

 この苦しさを、そのままにしていいはずがないんだ。

 

「……ぁ」

 

 僅かに首を傾けるようにしてこちらを向く白墨と目が合う。そして、戦いの最中では固く結ばれていた口が、ゆっくりと開かれようとしているのが見えて……

 

 

 私はそれが音を発するよりも早くに白墨の顔を蹴り飛ばした。

 

 

 べちゃりと、雨水を含んだ着物が地面を跳ねる。

 地に伏した白墨を蹴るのはとても簡単だった。

 

 息つく暇も与えず、馬乗りになって拳を振り上げる。

 

「……ッッ!」

 

 振り上げた拳は一瞬止まり、しかし袖から覗く痣の数々が再び私を動かした。 

 

「……うぁあああぁあああッッ!!」

 

 狂ったように声を張り上げ、ただがむしゃらに拳を打ち付ける。

 雨音をかき消すような鈍い音が響き、初めて人を殴った時のような異質な感触が右腕を伝う。それはやがて全身を駆け巡り、私の身体を芯から凍えさせた。雨に打たれるのとはまた違う、針が突き刺さる様な冷たさだ。私は誤魔化すようにまた拳を握った。

 

 

 殴る、ただひたすらに。まるでダムが決壊したかのように殴り続ける。型も何もない、ただ丸めただけの拳を打ち付ける。何度も。何度も。

 

 どれだけやろうが修行の内だ。現に私に対してはそうだった。吐こうが泣こうが終わらない。痛みに悶える事すら許されなかった。

 今更やり返して何が悪い。

 勝った。

 勝ったのだ。

 私が勝って、そして……こいつが悪い。全部、こいつが、悪い。

 

「私のっ!私の勝ちだ!……ざまーみろっ!」

 

 散々やられてきたのをこうしてやり返している。立場が変わったのだ。所詮この世は力が全てで、今は私が上になっただけ。

 痛快だった、そう思わなければいけなかった。

 

「……ッ!」

 

 また、殴る。反撃も何も許さない。やってしまったという躊躇いも、無理矢理飲み込んでただ殴る。もはやどう殴ってるのかも麻痺した体では分からない。

 

「どうよ!今まで散々やってきてっ!それをやり返される気持ちはッ!」

 

 白墨は何も言わない。それでも身体は動くようで、私を押しのけようと手が動く。

 それを全て叩き落して、お返しと言わんばかりにもう一発殴る。

 

「調子に乗って!見下して!抵抗できるもんならしてみなさいよ!」

 

 声に涙が混じり、それでも必死に叫んだ。

 殴っても殴ってもまだ足りない。私が受けたものはこんなもんじゃないはずだと殴り続ける。……でもじゃあどこまで殴れば足りるのだろうか。何度拳を振り下ろしても満たされる感情は何一つなかった。

 ただ虚しさだけが増していき、胸を締め付ける圧迫感が言葉を詰まらせる。

 

 疲れから身体が鈍り始めると、私は”よくも今まで”なんて言葉も使ってみて、再び自分を奮い立たせた。少しは効果があったようで、わずかに拳に力が戻る。

 

 白墨は何も言わず殴られ続け、気が付けば私の手も白墨も、もうボロボロだった。

 一撃を入れるのがあんなに大変だったというのに、今じゃこんなにも簡単だ。いや、違うか。今までだってきっと簡単だった。それを難しくしていたのは私だ。無意識に行っていた誤魔化しに、ようやく気が付いた。

 

 ひたすらに殴り続けていた手を止める。どれだけ殴ろうと無表情で呻き声一つ上げない白墨を相手に、これ以上続ける意味を見出せなかった。徒労感が腕を重く縛り付ける。

 何も変わらないのに、何を必死にやっているのだろうか?意味もなく何かが変わることを望んでる……バカみたいだ。

 

「私の、わたしの……勝ちよ」

 

 項垂れたように、震える声で言う。

 

「ああ、参った。手も足も、出なかった。」

 

 私の意味のない勝利宣言に白墨は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、それを言うだけだった。

 

 思わず、自虐する様に乾いた笑みがこぼれる。

 そうか、ここまで……ここまでやっても、怒りの一つも見せないのか。明らかに過剰な攻撃だった。既に勝負の決まった戦いで、ここまでやって……それでこれなのか。

 

 私は何がしたかったのだろうか?何をこいつに求めていたのだろうか。ただ、今までの仕返しを、私の恨みを晴らして……それで満足できると思っていたのに。

 白墨に勝っても、白墨を殴り続けても、何も満たされない。

 

 力が抜けたようにふらりと立ち上がり、私は白墨を見下ろす。

 

「……ねえ、あんたにとって私ってなんなの?」

 

「……。」

 

「話すわけ、ないわよね。あんたはいつも……どうでもいいことにはそれだもの」

 

 僅かな期待を打ち消すように、静寂が私を襲った。何を言ってほしかったのか、自分でもわからない。でもきっと何かを求めていたのだろう。だって……こんなにも胸が苦しいのだから。予想通りの返答に、僅かな期待を抱いてしまうほどに。

 白墨に背を向けて神社へ戻る。

 巫女服が雨水を吸い、私の一歩を重くする。

 しかし、それでも濡れた体を拭こうとは思えなかった。水気を含んだその重さが、今の私にはふさわしく感じた。




白墨<霊夢
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