一番最初に気付いたのは出会って初めに心を読んだ時、彼は暗く光のない世界で”電気ぐらい付けてくれよ”と発していた。
それが最初の違和感だった。彼の頭に浮かぶその小さく眩しい光源は、それから数百年ほどして外の世界で開発された。だがそれも幻想郷、ましてや地底においては全くの無関係な物。たまたま外の世界を知っている者が現れたことで出来た数百年越しの答え合わせ。
昔、ハンバーグを作ってくれと頼まれたときもそうだった。私はそんな料理は知らないし、聞いたこともない。その料理名を白墨さん以外から聞くのは、これまた数百年後だ。
彼との会話には時折ノイズが走るように不可思議なものが登場する。自販機、信号機、改札、車、テレビ……。
それは前世の記憶、はるか未来を生きていた彼の世界の話。
驚きはあった。いったいどうやって?未来の超技術か、はたまたとても想像はつかないが、陰陽道や呪い事に縁のある血筋だったのか。
生まれ変わり、いや転生というのだろう。仏教文化の中で高位の修行者が記憶を保持して生まれ変わる、なんて話は何度か見たことがある。白墨さんを高位の修行者と見るのはかなり難しいが、そもそも彼が地底に落とされる前は、仏教関連の宗教家たちと仲良くしていたのだから不自然でもないのかもしれない。
だから存在自体は知っていたし、転生そのものに珍しさを感じることさえあれど、驚きはなかった。強いて言えば、過去から未来へ、ではなく未来から過去への転生という点だろうか。未来の知識というものには惹かれることもある。でも、その程度。
白墨さん自身は自らの前世を
それゆえに彼の思考から未来の知識が得られるのは酷く稀だった。
白墨さんが前世のことを全く話そうとしないので断片的な情報しかわからないが、それでも時折彼の思考の中で零れるように聞き馴染みのない未来の単語が出てくる。気にはなる、けれども彼を揺らして聞くほどかと言われるとそれも悩ましい。
そもそも、なぜここまで前世に対して無頓着なのだろうか?白墨さん自身の能天気な性格を考えても不自然に思われた。
誰にも話していないところを見るに、彼の中では触れたくないタブーなのか。いや、しかしそれでは心が読める私の下に来ることはあり得ないはず。
自ら話そうとしないならまだわかる。だが、そんな大きな秘密、意識せずとも頭の片隅で主張をしてきそうなものだ。だというのにそれがない。不思議に思うのも仕方ないだろう。
好奇心だった。
いつもは他人の心の奥まで見ようなんて考えない。
でも、諸々が重なって、私は好奇心に身を委ねた。
彼の思考の表層を超えて、その深層へと。
弱みの一つでも掴めれば面白いと思って、彼を”視た”。
それが私の後悔だった。
視えたのは、真っ黒で空虚なハリボテ。
白墨さんという
彼の中身は空っぽなのに、溢れ返っている。一つ一つは取るに足らないのに、数が多すぎて形にならない。
彼は誰かの生まれ変わりなどではない。
一人分の人生を名乗るには、あまりにも雑多で、あまりにも多すぎる。
死に向けられた感情と記憶が、長い時間をかけて折り重なった集合体、それが彼の正体だった。
◇
多分、核となる人格は濾されて薄められた記憶の中で最も多く残っていた誰かを素材としたものなんだろう。
白墨さんには、死へと向けられた感情、死を起因とした真っ黒な感情、それらがごちゃ混ぜになって存在している。だが、この核となっている記憶にはそれがない。その代わりに他よりも人格としての要素が強かった。そうすることで自己を作っているのか、偶々なのかはわからない。
でもその記憶も結局は穴だらけだ。
記憶の中には親が居ない、兄弟がいない、子供もいない。彼を知る者はおらず、彼が知る者もいない。彼の思う前世に彼の情報はどこにもない。世界から彼一人を切り抜いたみたいに小さな記憶。
白墨さんは前世に対して無頓着なんじゃない。前世のことを話したくないんじゃない。
前世を想うだけの記憶がないのだ……話せるような情報を持ってないのだ。
時折思考から漏れる未来の単語が彼が前世だと思っていたものの全てだった。
それがたぶん、
そして、その虚ろな主人格の記憶に対する疑問も当然のように存在しない。気味が悪いくらいに無関心。
彼には確かに前世と認識するものがありながら、その前世の常識や当たり前が今を生きている白墨さんから徹底的に切り離されており、全くもって反映されていない。当然だ、これは転生や生まれ変わりなどではない。彼は無数に内包された記憶と感情から生まれた妖怪だ。
人と評するにはあまりに足りない。
率直に言って、男は少しおかしかった。
私はそれ以上の詮索をやめ、これまで通りに接することを選んだ。
もう視ることはしないと決め、胸の内に押しとどめようとして……でも、白墨さんは私を訪れた。
約束の日から三日も遅れて、中身がボロボロになった状態で。
私は自分の中で定めた決めごとを反故にし、もうどうしようもないくらい壊れかかった白墨さんに再び力を使う。かつてのようにその意識の深層にまで焦点を当てて。
「……白墨さん、
◆
地上と地底を繋ぐ長い縦穴を落ちていく。いつもならこのまま底へ着き、勇儀に気を付けながら地霊殿へ向かうのだが、今日は縦穴の途中で土蜘蛛に呼び止められ、待つようにと言われた。
なんでも次に俺が地底を訪れたら連絡する様にとさとりから言われているらしい。
言われたとおりに待っていると、さとりの所の黒猫がやってきて、付き添うように隣を歩き始めた。
「ああ、やっぱりお燐についてもらうようにして正解でしたね」
地霊殿に着くなり、さとりがしたり顔でそう言った。
どういういう意味か分からず、視線で訴えて見るも、反応はない。
「それで、白墨さん……お久しぶりの所ですが、本日はどういった用件で?」
「……?いつも通りだ。」
前回借りた本をさとりに返す。もう何年も続けているいつもの習慣。
わざわざ含みを持たせるような言い方をするのが気になった。
「そうですか、では受け取りを拒否します」
「……どういうことだ。」
「ああ、あげるわけじゃありませんよ?お気に入りのシリーズなので必ず返してください」
チグハグな言動をするさとりに、俺はますますわからなくなる。大事なものなら今返すというのに、話の意図が全く掴めない。
「そうですねぇ……貸し出し期間はなんと無期限、でもいつかは返してくださいね。何度も言いますが大事な本です。私もいろいろ考えましたが、いつか返してくれる日を待つことに決めました。どうにも私にできることはなさそうですから」
「……待て、まるでわからん。なんの話だ。」
「白墨さん、何も難しい事はありませんよ。
……話にならない。こっちが付いていけないのを気にも留めずに適当なことを言う。
「用件は済みましたね。さあ、もう帰りなさい。同居人に叱られますよ」
まだ珈琲一つ飲んでいないというのに、今日はやけにせっかちだ。
「ほら、今日くらいは外まで送ってあげますから」
「……。」
別に送ってもらう必要もなく、灰逃げで帰れるのだが……。今日は何故か圧が強い。
そうこう考えているうちに、小さな体に手を引かれる。抵抗する間もなく……力もなく……俺は簡単に外へと連れ出された。
こんな強引なさとりは初めてだった。
◆◇◆◇
「さて、帰りましたかね」
小さな灰の粒が風に乗って消えていくのを見届ける。
「珍しいですね、さとり様が見送るなんて。いつもはあたいに任せてるのに」
「まあ気分転換に。今回限りはお燐に任せるのも縁起が悪い」
「……?あっ待ってくださいよさとりさま~」
キョトンとした顔のお燐を放って屋敷へ戻る。
視たくもないものを視て私も疲れた。ああいう、黒々とした感情は進んで視るものではない。ひび割れたバケツのように、あの人を形作っていたドス黒い感情の累積が漏れ出していて……もうずいぶん衰弱しているように見えた。
同じ空間にいるだけでも、私のような眼を持つ者は少し疲れてしまう。八雲紫も難儀なものだ、きっと
ただ、気になることが一つ……
◆
予定よりも少し早い帰りとなって、俺は人里へ寄ることにした。確か、味噌がもう少ないと霊夢がぼやいていた。
霊夢はこういう時、買い足さないで何とかしようとする。もう味の薄い味噌汁は懲り懲りだ。
「……なぁ、あれって」
「あいつ……まだ居たのか……」
「どうする……一応竹林の……さんに……怪しいのが出たら言えって……」
ついでに乾物屋にでも寄ろうかと店を歩いていると、そんなひそひそ声が聞こえてくる。
奇異の目で見られることに、どこか懐かしさを覚える。昔と違うところは随分と距離が近いことだろうか。あの頃は近寄ることはおろか、誰も目すら合わせようとしなかった。
だというのに、今ではずいぶんとジロジロと見られるものだ。
そこでふと思い出す。こんなに堂々と人里を歩くのは数年ぶりだということを。
もう何十年も前から飯屋と道具屋以外で人里を訪れることは無かった。……道具屋もなくなって、ご飯も霊夢が作るようになってからは、いよいよ来る理由もない。
こうして人里を歩くのも随分と珍しい事かもしれない。
人里は昔より妖怪が増えて、それを受け入れる者も増えて……それでも依然として俺への不信は残っているらしい。まあ俺は味噌が買えればそれでいい。
俺は店主に木の器を渡し、味噌樽を指差して言う。
「……この器一杯分の味噌を。」
「……」
店番でも任されたのだろうか、店主……と呼ぶにはまだ若い。
その男はじろりと一度だけ俺を睨み、それっきり何も言わずに顔を背けた。
「……金ならあるが。」
「……フン」
さっきまでの喧騒から一転して、重苦しい空気が流れる。……いや、俺は別に重苦しくないのだが、周りで様子を窺っている客達にとっては一大事らしく、先程ひそひそ声で話していた者なんかは顔を真っ青にして、今にも泡を吹き出しそうだ。
だが、なるほど、こういう展開は初めてだ。どうしたものか。他を寄るのも面倒だ、近くの味噌屋はもう畳んでしまったし、相場の二倍三倍程度なら出せるのだが……。
「お、おい、どうした?なにかあったのか?お前は……白墨か?こんなところで何してる?」
少々場違いな困惑したような声。振り返れば、買い物袋で両手を一杯にした慧音がいた。
◆◇◆◇
「……悪かったな、白墨。妖怪への当たりは大分マシになったのだが、お前個人に対しては、少し……」
「構わん。助かった。」
何が気まずいのか、バツが悪そうに慧音は俺を見る。別にあの程度どうでもいいのだが……むしろ仲裁してくれたおかげで、味噌も買えてありがたいくらいだ。
お詫びをさせてくれと、家に招いてお茶まで出してもらっているし、真面目な奴だ。もちろん俺も遠慮せずに頂くが。
「……これいいな、どこの茶葉……いや、淹れ方か?」
「ちょ、調子狂うなぁ……別に普通に淹れただけだ。茶葉なら後で分けてやる」
少し照れたように言ったかと思えばすぐさま、ん、んっ……と話を変えるようにわざとらしい咳ばらいをした。
「……こんなこと言うのもなんだが、あんまり悪く思わないでやってくれ」
ちゃぶ台を挟んで慧音と目が合う。視線だけが、静かにこちらへ向けられた。
「あいつなりに店を守ろうとして……ただ少し、臆病なだけなんだ」
「……臆病。」
「みんな、お前が恐ろしいのさ」
「……わからんな。恐ろしい相手にわざわざ逆らうのか。本当に恐ろしいなら、さっさと逃げてしまえば良い。」
恐ろしい相手に、自分より強い相手に、わざわざ歯向かう……俺には理解できない。逃げるが一番だ、逃げられる範囲で好き勝手するのが最も賢い。
自らの臆病さが、触れてはいけない相手の逆鱗を刺激してしまうのだとしたら、それは生物として欠陥だ。慧音の言葉は破綻している。
「ふっ、はは!あっはっは!」
「……。」
俺の返答に、キョトンと目を丸くさせたかと思えば、意表を突かれたように慧音が笑いだす。何がおかしいのか、俺には考えても分からない。
「そうか、逃げてしまうのが最も丸いか。だが、それは
「……ただでさえ短い寿命を、進んですり減らしているようなものだ。矛盾している。」
被食者が逃げる能力を、捕食者が狩る能力をそれぞれ進化させてきた。当然、被食者は逃げることに疑問を持つことなど、あまつさえ恥と思うことなどない。
それが自然の摂理だからだ。
時折人間にも霊夢のような外れ値が生まれることがある。だがあの男を被食者か捕食者かで決めるとすれば、きっと前者だろう。
だからこそ、先の行動は生物として”矛盾”しているのだ。
「そうだろうな。お前たちからすれば、石ころ一つで死んでしまうような安い命だろう。だというのに……矛盾した生き方さ」
慧音は一度言葉を切ると、湯呑を両手で包み、その縁を親指でなぞりながら昔を思い出すように目を細めた。
「でも、そんな”矛盾”こそが人の本質なんだ。他人を遠ざけながらも孤独に怯えた男だったり、自分を化け物だって言い張っておきながら、その実誰よりも他人を求める少女だったり……どいつもこいつも矛盾だらけだよ。みんな心に矛盾を抱えてる……道理に合わないと理解しながらも犯してしまう。そんな矛盾こそが人間なんだ。……お前たち妖怪からすれば、無駄だらけで馬鹿らしいか?」
「……さあ。」
初めと違って、肯定の言葉は出てこなかった。
湯呑の中に映った自分の顔が、僅かに揺れてすぐに崩れる。
「……昔、ある妖怪に空が飛べるのにわざわざ山を歩いて登るのは、無意味なことだと呆れられたことがあった。時間もかかるし面倒くさい。早朝に山を登り始め、頂上に着いた頃には日が傾きかけていた。でも、そんな中疲れた体を休ませ、夕日を見ながら食べた握り飯は格別だった。山の頂上は空気も澄んでいて、気温も低く心地良い。あれにはきっと、無駄以上の何かがあった。」
それは自分の記憶にもある確かな事だった。山登りの疲れなんて、たかが知れてる。気温の変化にも疎い身体だ……無駄と言われてしまえばそうかもしれない。
でも風情があって、好きだった。
「……意外だな。てっきりお前はもっと、合理を求める奴だと。昔は人形みたいなやつだと思っていたが、趣味らしいものもあるじゃないか」
「……そうか。」
「なあ、白墨」
少し朗らかになった表情のまま慧音が聞いてくる。
「お前はさっき、逃げればいいと答えたが……そうだなぁ、お前にはないのか?簡単には捨てられない、大切な物が……」
窓から差し込む夕焼けが彼女を照らした。
その目はまるで、教え子に諭すようで……俺は何も答えなかった。
◆
少々長話をしすぎたと後悔する。夕食に間に合わせるために味噌を買ったのだが、もう霊夢は作り始めてるかもしれない。
夕日に背を焼かれながら、石段を上る。神社の鳥居が見えてきた。
カラスの鳴き声が、まるで一日の終わりを告げているように聞こえて――
「なんだ、あれは……。」
異質で不可解な感覚。
白墨にのみ備わった第六感……灰の目が”それ”を捉えた。常に幻想郷中に散布している自らの灰。それらがある一か所のみごっそりと消失……いや、
霧の湖、その近くに突如として出現した巨大な洋館。
夕焼けを塗り替えるように深紅の霧が広がっていく。
それは大結界成立以降、初となる異常事態――のちに「吸血鬼異変」と呼ばれる大異変、その始まりであった。
前半の変な話は終わり!
今回の章の最後に、これまで作中で語った灰くんに関する設定(プロフィール?)みたいなのを纏めて投稿します。