「あ?なんだ、この空……夕日にしては随分と目に悪そうだが」
迷子を里へと送り届け、竹林へと帰る途中のことだった。
背の高い竹藪の中からでもはっきりとわかるほどの真っ赤な空。
長い人生の中でも、まだ見たことがない現象に赤もんぺの少女――藤原妹紅は目を凝らした。
悩んでみても答えは出ず、赤く染まる空を見上げては途方に暮れるばかり。
さすがにこの気味悪い空が続くと迷惑だ……と気を抜いていた矢先、大きな爆発音が鼓膜を揺らす。
「……慧音っ!」
妹紅の判断は早かった。すぐさま意識を切り替えて、人里までの最短距離を走ろうとして……しかし奇妙な違和感にその足が止められる。
爆発が起きた……それも人里で、だ。
だが爆発は遥か上空で、その上あの爆発以降なにも起こらない。
長い人生で培った探知能力に引っかかるものはなく、人里に迫る妖の類は全くない。
代わりに探知に引っかかったのは少し遠くの森。僅かな妖力と、強大な力がいくつか反応する。
(戦闘か?それもずいぶん激しい……)
「……行ってみるか」
人里のことも心配だが、それ以上に森で行われている戦闘が気がかりだった。
(この空といい、何が起こってるんだ?)
最後に一度だけチラリと人里の方を向き、急いで空を飛ぶ。
とにかく動かなければ始まらない。
森は迷いの竹林とは真反対、博麗神社のすぐ近くだった。
◆
人里に放った爆発は、幻想郷にかつての緊張感を思い出させる。
色濃く妖力をバラ撒いた分、周りの妖怪達への衝撃も大きいはずだ。
……そして、それを放った俺への注目もまた、相応に大きい。
もはや灰の目で捉えるのも難しくなった人影が、一層早くなってこちらへと向かってくる。
先の爆発でこちらの位置が完全にバレた。覚悟はしていたが、こうもスペックの違いを見せつけられるとくるものがある……追いつかれる。
「……ッは!」
森を駆け下りながら、思わず胸に手を当てる。
ギシギシと肺が悲鳴を上げているのが分かった。身体が重い、呼吸をしても酸素はまるで足りないと訴えている。
喘ぐように空気を求めて、俺は走る速度を落とした。
……弱ったな、走っただけでこれじゃあ先が思いやられる。紫はまだか、今どうなっている。
灰の目で確認すれば、周辺の妖怪達の殆どは侵略してきた妖怪達にやられている。初手の奇襲で力を見せつけ、戦意を削いだ状態での降伏勧告か。単純だが、厄介だな……腑抜けた今の妖怪達には効果
……動きが早い。
これだけ好き放題に暴れておきながら、妖怪の山には手を出していない、というのも厄介だ。
天狗達は静観を決め込み山に引きこもっている。
やはり幻想郷の内部情勢は筒抜けらしい。妖怪の山には手を出さず、紫と何処にも属していない野良妖怪達のみを狙った奇襲。
最もされたくない手を取られた。
恐らく天狗側も山への侵入がないと動かないだろうな。
そしてこの地で最も大きな勢力である天狗達が動かない以上、組織で動く相手に対抗できる野良の妖怪は少ない。ジワジワと追い詰められてその勢力図は塗り替わる。
人里を
力で抑え付けるのは勿論のこと、妖怪達だけのための支配を甘言にするだけでも征服は上手くいくだろう。
ああクソ、初手で紫が抑えられたのも痛いな。初動を封じられた時点でこっからは常に後手に回るしかなくなる。そうなれば、あとは詰将棋だ。
人里を取られるだけで俺らは動けなくなる。
相手がどこまでやる気なのかはわからないが、
そのまま中立を気取っていた天狗は勝ち馬に乗って終わりだ。
最悪だ。最悪の状態だ。相当用意周到にこちらを潰しにかかってる。
だが、目的ははっきりした。これは破壊を目的とした侵略行為ではなく、支配そのものが目的。
相手の親玉をさっさと潰すか、無理矢理天狗を巻き込むか……今咄嗟に思い浮かぶ案はこの二つ。
既に館には
奇襲で散々やられているが、情報戦なら分があるのは俺だ。
とにかく今はこの情報だけでも持ち帰らなければ。何よりも藍と合流するのが先だ。
そうだ、藍と合流さえできれば何とでもなる。合流さえ、できれば――。
「はぁっ……はぁっ……っ」
息が、しづらい。走る速度は、もうずっと遅くしているのに。
早く藍の元へ行かなければいけないのに、灰逃げが使えない。なぜだ、なぜ――。
藍は無事なのか、俺の合図は届いてくれたか。
カラダが、重い。
そばにあった大樹に身体を預け、何とか息を整える。
『未熟……?へぇ?それで?未熟な私より弱いあんたが行ってどうするの?』
酸欠で頭が痛む中、霊夢の言葉が蘇る。
全くもってぐうの音も出ない。まだまだと強がってきたが、流石にキツイな。こんなザマじゃ笑われる。
汗を拭い、胸に手を当てる。ずっとこうしている訳にもいかない。
さっきより幾分かマシになったことを確認して、一歩を踏み出そうとして……その瞬間、目の前の地面が丸々消える。
突然の事だった。
チリチリと酷い臭いが鼻をつく。
息を吸うだけでも肺が焦げそうになる程の灼熱。真っ赤な槍が大地そのものを消失させた。
「ごきげんよう。八雲紫の配下、で合ってるか?」
隠そうともしない余裕を、傲慢を、それが許されるだけの強者の覇気を……一身に浴びさせられる。
嘲るような笑みが特徴的な、黒服の男だった。
しまった……遠くの方に意識を向け過ぎて、最も大事な周囲の警戒を怠った。
後悔も反省も全てを後に、今はこの窮地を脱することだけに頭を使え。
戦闘は現実的じゃない。灰逃げは使えない。そして恐らく、相手は俺を生かすつもりなど……毛頭ない。
「ああ、違う。式神というのだったか?」
「……。」
背後から複数の気配が近づいて来るのを感じる。
後続だ、ってことはこいつ一人で先行してきたのか……?
つまりは今この一瞬だけは一対一……。
「……っ!」
瞬時に出せる最大威力。人里に放ったものとは違う、確かな威力を誇る妖力弾。
この距離だ、わざわざ狙う必要はない。
「……ビンゴ、話が早くて助かるよ」
余裕の笑みを浮かべる男に手加減無しの全力を叩きこむ。
確かな手ごたえ、爆風を利用して遠くへ転がる。
こいつ……わざわざ避けずに防ぎやがった。
土煙で姿は見えないが、つまりはそういうことだろう。爆風で距離が離れた隙にさっさと移動しなければ。
予想通り相手にならない。勿論俺がだ。……もう息が上がるなんて言ってられなくなった。
温存はなしだ。躊躇えばきっと……。
「少し痛むなぁ。……にしても思い切りが良い奴だ」
何もないはずの空間から、声が……聞こえる。
何処からともなく現われた何匹ものコウモリの影が一つに重なり、”ソイツ”を象っていく。
やがて影に色が付き……そしてさっきの男へと姿を変える。俺の妖力弾が直撃したであろう、脇腹には大きく抉れた跡が残っており、今もぽたぽたと血を流し続けている。
……これは想定よりも厄介な相手かもしれん。
鋭い牙に紅い瞳、コウモリのような羽を持ち、そして極めつけは――この再生能力。
男の傷が、何事もなかったかのように
これは、正しく……
「……吸血鬼。」
「ほう?何だ知っているのか。驚いたな、こんな辺境の地にも我らを知る者がいたとは」
吸血鬼は体の具合を確かめるようにポキポキと首を鳴らす。そしてゆっくりとした歩みで俺に近付いてくる。
俺は動けない。いや、動けたところで変わらない……ここは既にヤツの射程圏な――!?
「――して、どうやって死にたい?」
「……っ!……ゕあっ」
見えない、見えなかった。なんだ、地面に叩きつけられたのか?
ヤツの顔がすぐそこにある。息が、苦しい。
……そうか、首に、手が。
「どうする、このまま絞殺か?」
声が、膜が掛かったように遠くに聞こえる。抵抗が意味をなさない。
まずい……意識が、落とされる。
でも、まだ……もう少しだけ……!
「おい、そいつが八雲紫の式神か?」
「どうやらそうらしい。だが弱すぎる。何故、八雲紫はこんなやつを式神にした?理解に苦しむな」
「どうでもいいさっさと殺せ」
意識が薄くなっていく。
でも、聞こえる。声だ、複数の声。ようやく来た。
だらりと力の抜けた腕に……
後のことはどうでも良い。できるだけ大規模に……全員巻き込め。
「……なんだ、この揺れは?地震か?」
一人が不意に声を漏らす。
なんてことはない。この上は力強く根の張られた大樹が多い。そしてここは傾斜の激しい森の中。
……
「……ぐっ!揺れが……!」
際限なく増していく揺れによろけたのか。俺の首を締め上げていた手が離される。
突然視界が取り戻され、チカチカと光が点滅する。
吸血鬼達の目線は敵である俺……ではなくその遥か上へ向いており――ほどなくして、それら全てを土砂崩れが飲み込んだ。
◆◇◆◇
「げほっ……ごほっ……」
木と泥が入り混じる土の中から何とか抜け出す。近くに吸血鬼達の気配はない。
酸欠のしびれを無くそうと手首を振り、ついでに身体についた泥を払って、ようやく周りを見渡した。
力強く根を張っていた大樹があられもない姿で泥の中に埋もれている。あちこちから飛び出る木の残骸が、先の土砂崩れの悲惨さを表しているようだった。
元の自然の形に戻るには時間が掛かるだろう。あまり取りたくない手段だったが、お陰で吸血鬼達を巻き込めた。
とはいえこの程度の足止めでどうにかなる相手でもない。
上手くいったとはいえ、油断は……。
「いや、失敗か……」
ポタポタと赤い液体が地面を汚す。
腹部に突き刺さった木片を見て、俺は小さく自嘲した。
土砂崩れに紛れて逃げる、というのも半分は成功したが……やはり咄嗟に思い付いた行動では粗が出る。
俺には災害を引き起こすほどの力はない。能力を使って木の根の付近を動かしただけ。きっかけを作っただけで、細かな制御などもってのほかだ。
だから、こういうこともある。
むしろあの窮地を脱するのにこの程度の被害で済んだのなら奇跡だろう。
知覚と同時にやってくる痛みに、歯をくいしばって耐える。
震えそうになる両手で木片を掴み、一息で引き抜く。
どくどくと溢れ出る鮮血が体温を急激に冷やしていく。
震えが一層強くなって……それでも歩みを止めるわけにはいかない。
血は止められない。それでも休む暇など俺にはない。
早く、藍のもとへ、行かなければ。
「……っ!ごほっ」
びちゃりと痰の混じった血が零れて、風が頬を撫でる。
「――そんな身体でどこへ行く?」
言い切るより先に煙幕を出して走り出す――!
振り返ることはしない。なりふり構わず腕を振れ。
こみ上げる吐き気と痛みはアドレナリンが押し流す。
「フハハハハ!まだ逃げるか!その身は既に死の側にあるぞ、八雲の式神!」
面倒な、血の匂いでも追ってきたか。不快な声で笑いやがる。
走りながら再び能力を行使する。血のべったりついた掌が、よく地面を滑る。
能力で地形を変えた所であんな速度で飛ばれちゃ意味がない。だからまずは視界を騙す。
地面を盛り上げ、土をまき散らして自分を隠す。
「さっきのといい、ずいぶんと散らかすのが好きだなぁ!?」
盛り上げた地面も土も全てを無視して突っ切って来る。
迂回どころが防ぐことすらしない。
やはりというべきか、効果は殆どないようだ。だが、確かにその一瞬は
距離が近い、もう追いつかれる。
再び盛り上げた地面や土も、やはり距離を離すには至らない。さっきのように変わらず突っ込んでくるだけで……だからこそ、
「……っ!?」
土の壁を突破し、視界が開けた吸血鬼の顔が驚愕に染まる。
スペックで押し切ろうとする奴らは思考が単純で助かるよっ!
身構える暇さえ与えない。
俺は既に攻撃の体勢に入っている。防御は間に合わない。
地底に落ちる前、何千回と使ってきた妖力弾……残りの妖力をほぼ全てつぎ込んで練り上げる。
狙うは顔面、少なくともここで一人は持っていくッ!
渾身の妖力弾、それが当たる直前……目の前の吸血鬼は
……攻撃は確かに当たった。防御も出来ない吸血鬼の頭を抉り、顔の三分の一を消し飛ばす。……だが、それだけだった。
――こいつ、減速すらっ……!?
攻撃が当たり、頭を吹き飛ばして……それでもなお、目の前の吸血鬼は止まらない。
欠けた頭で、今しがた攻撃を放った俺に拳を突き立てる。
十分な速度が乗ったその攻撃に、俺は踏ん張ることすら出来ずに吹き飛ばされた。
周りの景色が物凄い速度で流れていく。久しぶりの感覚だった。
全身が悲鳴を上げる。骨の軋みが無視できないほどに伝わってくる。
計算が、違った。
頭を飛ばす程度では、ダメージになり得なかった。
読み違えたバツがすぐにでもやって来る。起き上がらなければいけないというのに、身体が動かない。
忘れようとしていた腹部の痛みが、また主張を強めてくる。
噴き出る汗が、震えを一層強くした。
起き上がれ、今すぐに。追撃が来る。
よろよろと腕を動かして地面を掴む。力が入らない。
何度か上体を起こそうとして、失敗して……ようやく安定してきたと思ったその刹那……肘から先が焼き切れる。
「……ぁ。」
起き上がろうとしていた身体が、支えを失い地面に落ちる。
……いまの攻撃は、目の前の奴じゃない。
ザクザクと土を踏みしめる音が、
何とか顔を動かして見れば、俺を取り囲むようにして、他の吸血鬼達が現れた。
……時間切れ、だったか。
欠けた頭の男が、俺の目の前で立ち止まる。
まだ残っている手で起き上がろうとする俺を蹴り飛ばし、髪を掴んで持ち上げた。
男の頭がゆっくりと再生を始め、与えた傷が消えていく。
そうしてようやく目が合うと、嬉しそうにニタニタと笑って顔を近づけた。
「それで?次はどうやって逃げるんだ?」
片腕を失い、満身創痍の俺に
「……。」
歯を食いしばって意識を保つ。わずかに力が戻った。
まだ、動ける。
ジタバタと藻掻き、転がるように拘束を逃れる。
急いで立ち上がり、囲むように立っている吸血鬼達を押し退けた。
よろよろと走り出す俺を追いかける影はなく、いくつかの笑い声が背中を刺す。
むしろ都合が良い。
走れ、走り続けろ。あざ笑う声が小さくなっても、血を吐いても、足を止めるな。
「……っ!」
唐突にガクンと重心がブレて、地面を転がる。
石にでも躓いたのかと足を見れば、その先はなかった。
「――次は?」
……どうでも良い。
片足を庇って走るくらい、どうってことない。
「――次は?」
視界が少し、狭くなる。
暗闇には慣れている。問題ない。
「――次は?」
まだ片腕も膝も残っている。
這って動くには十分だ。
まだ……まだ……。
「――ふむ。貴様、そんな惨めな芋虫のような動きで、何処へ向かう?何を考えている?」
嘲りのない、純粋な疑問だった。理解ができないと、奇妙な生物を見るように男が言う。
理由などない。ここから打開できるような策も持ち合わせていない。意味のない事に必死になる……矛盾していると、アホらしいと言われればそれまでだ。ただ突き動かされるような使命感に躍起になっているだけ。
ようやく見つけた木の根に背を預けて、身体を休ませる。
「なんだ?もういいのか?」
ああ、もう十分だ。
不思議そうに問いかける吸血鬼に唾を吐き付ける。
「消え失せろ。」
――言葉と共に、背で隠していた木の根の
「貴様……」
それは先代巫女の残した御札。逃げる最中に仕込んだ一つの奥の手。
背後から、溢れんばかりの霊力が漏れ出す。
所詮は嫌がらせ、鼬の最後っ屁。……それでも、少しだけ胸がすくような気持ちになる。
わずかな感慨を置き去りに、爆風が全てを吹き飛ばす。
◆◇◆◇
……一瞬飛びかけた意識が元に戻る。記憶が混在している。あれからどうなった?意図して狙ったわけではないが、近くに吸血鬼達はいないらしい。だが、早いか遅いかの違いでしかないだろう。
未だ意識があるのもそうだが、運が良いのか悪いのか……。
どちらにせよ、もう指一本動かせそうにない。あとは藍と紫頼みになる。
ああ……眠い。
耐え難い眠気に襲われる。
どうやら意識の方も早いか遅いかの違いらしい。
そんな時だった。
わずかに残った視界の中、もう意識が落ちるというその寸前……見覚えのある人影が走り寄ってくる。
さっきまでの吸血鬼達とは正反対の白い髪に、赤のサスペンダー。
それはもう、随分と懐かしい顔の少女だった。
もこたんインしたお。
次回は二日後の同じ時間に投稿されます。