灰の旅路   作:ぎんしゃけ

78 / 79
第七十八話 吸血鬼異変 中編その3

 紅く不穏な空のもと、()()()()()()()()

 やがてヒビは次第に広がり、そして引き裂かれるようにしてこじ開けられた。

 

「……やってくれたわね」

 

 返り血に染まった手を拭い……八雲紫は幻想郷に降臨する。

 朽ち果てようとしていた死体を投げ捨て、紅く染まった幻想郷を見渡した。

 酷い有様だ。足止めされている間にいったいどれほどの被害が出たのだろうか?

 まだ幻想郷は――

 

「いやはやお見事。想定よりもずっと早くに出てきましたな!一応こちらも精鋭を送ったのですが、あなたが相手じゃあ犬死だ」

 

 僅かに空が歪み、飄々としたローブの男が姿を現す。

 

 どの口が。自分が出てくるのはお見通しなのだろう。かつてないほど荒らされた幻想郷の姿に、見え見えの挑発にすら乗ってしまいそうになる。

 短絡的な感情を抑えて会話に応じる。男の言う”精鋭”とやらが殺されてなお、無防備に姿を現したのなら理由がある。

 この行動は……チェックに手をかけたと思っての行動。紫にとってこの対話は応じるほかない。

 

「……こそこそと、結界に探りを入れていたのはあなたね、魔法使い」

 

「ご名答。だが気付くには遅すぎだ。八雲紫――この箱庭の管理者よ。貴女には二つの選択肢がある」

 

「二つ?貴方達の皆殺しと……何かしら?」

 

「たった今、一つの部隊を壊滅させた貴女の発言だ。恐ろしい……ですからここは一つ、停戦条約を結びませんか?」

 

 たっぷりと時間を使って余裕の演技。ローブの男はわざとらしい芝居の掛かった言葉と共に、ピンと指を立てる。それは紫の余裕を繕う軽口とは違う、明確に上下を示すためのものであることは明らかだった。

 それで?と目を細める紫に対して、男はニヤニヤと自らの立場を明確にしていく。

 

「わかりませんか?貴女が私の部下を哀れな肉塊にしたように、私も貴女の持つ九尾の狐から手を打ちました」

 

 ピクリと紫が反応する。ああそうか、これがこいつが無防備に出てきた()()か。

 これほどの事態になってなお、誰よりも従順であった藍は姿を現さない。

 ……いや違う、姿を現さなかったのは自分の方だ。恐らくは動いたのだ。無様に奇襲を予測できなかった主に変わって。

 これは失態だ。……何から何まで、どうしようもないほどに自分の失態である。

 

 自分の力を過信した。相手が結界を通る以上、どうとでも対処ができると、過信したのだ。

 本来なら結界に異常があった時点で、外の世界まで行って原因を突き止めるべきだった。そうすればこの最悪の事態は未然に防げた。

 

 簡単に対処できることだった……普段ならすぐに終わりで、それをしなかったのは……いや、できなかったのは、白墨を――。

 

「……ッ!」

 

 今、何を考えた。

 こうなるに至ったのも、ここまでの決断も、全てが私の選択だ。誰のものでもない。

 ましてや”失敗だった”だなんて……。

 

 一瞬浮かんだ”たられば”に蓋をするように唇を噛む。僅かに感じる血の味が、紫の中の後悔を、ほんの少し薄めてくれた。

 身を焼く過去の傲慢に打ちひしがれるほどの余裕はなく、男は畳み掛けるように言葉を重ねる。

 

「さて、それでは条約内容の提示をしましょうか」

 

「……せっかちね、まだ二つ目の選択肢を聞いてないわ」

 

「……聞く必要があると?八雲紫、貴女は確かに強大だ。本気の殺し合いとなれば私共もタダでは済まないでしょう。ですがその手には限りがある。式神を失い、一人となった貴女に人里を守ることが出来ますか?……無理だ、個の力には限界がある、貴女一人では手が回らない。だからこその停戦条約です。お互いここらが引き時、多少こちらに利がある内容とはなりますが、貴女にこの手を取らない選択肢はないはずだ」

 

 男にとってそれは『絶対』のカード、覆すことのできない八雲紫を封じる一手。

 幻想郷にとって人里がどれほど重要かを正しく理解し、八雲紫が何を第一に行動しているのかを知っていなければできない発言。幻想郷そのものに喧嘩を売るという滅茶苦茶な動きとは裏腹に、やけに慎重で狡猾。

 

 吸血鬼達を殲滅したとしても、人里が残っていなければ意味がない。紫にとっても決して無視できない話ではあった。

 たとえ不平等な停戦条約を結ぶことになったとしても、今は一先ず、この場を乗り切らなければならない。

 

 幻想郷への攻撃に藍の喪失……紫の心に煮えたぎるような激情が存在するのと同時に、澄ました顔でそれらを切り捨てる、冷たく理性的なもう一人の自分がいる。

 

 

 ――何よりも幻想郷の為に。その為ならば紫はどんな決断も出来る。

 それがたとえ……部下を殺し、幻想郷を汚した畜生共を見逃すことだったとしても。

 

「――そう。まだ人里は無事なのね」

 

 ――だが、それは本当に『詰み』の盤面に至った時のみに限る。

 

「……へ?」

 

()()()()()()()()()ではなく、人里を守り切れないだろうから……と条件を出したでしょう?」

 

 薄く冷たい殺意が漂う。

 感情を殺すことが出来るのと、感情がない事はイコールではない。八雲紫は既に”限界”だった。

 

「突然乗り込んできたと思えば、変に慎重。滅多矢鱈に攻撃して回るかと思えば、今度は停戦?ずいぶんとチグハグに動くのね。私と当たる被害を考えるのなら、こんな無茶な侵略は起こさない。貴方達の行動にはここまで”一貫性”がないのよ」

 

「……ずいぶんと憶測だけで語る人だ。起きた出来事の一つ一つに理由を付けなきゃ気が済まないと見える」

 

「ええ、だって貴方の行動には”理由”があるもの」

 

 紫の心に巣食う抜き身の刃のような冷たさが、男との会話から一つの解を導き出す。

 

 ”ああ、よかった。まだ()()()()()”と。

 こいつを”殺せる”と。

 

 紫は積み木を組むように、論理立てて整理する。

 

 男の行動は常に合理的だった。

 博麗大結界に触れながらも足跡を残す事はなく、結界の通過に紫が気付くというのもよく理解していた。

 博麗大結界の管理を担う神出鬼没の大妖怪、八雲紫。彼女が自由である限り、幻想郷への奇襲は不可能だ。結界の通過にも瞬時に気付き、初動で動きを潰される。対策しようにも神出鬼没の八雲紫の動きを予測することはできない。

 だからこそ、男はあえてそれを利用した。

 

 結界を通る以上、奇襲は必ず防がれる……裏を返せば、その瞬間必ず八雲紫は現れる。神出鬼没の八雲紫、その行動を唯一縛れる瞬間。

 誰よりも早く気付くからこその隙。

 

 男の行動は常に合理的だ。奇襲でありながら、バレることを是とする。()()()()()()()()()()()()()()。出現場所を確定させ、結界の通過者を確認しに来た紫をコスト(部下)を支払い足止めさせる。

 

 深い憎しみとは別に、紫は男を評価していた。単純だがよく練られた策であり、そして対応に遅れた自分は愚かだったのだと。

 

 だが、だからこそ引っかかる。良く練られた合理的な策でありながら、その侵略目的と戦力差の埋めはあまりに大雑把。これほど入念に調べることが出来たのであれば、同時に分る筈であった。幻想郷への武力侵略など……()()()()()()()()()()()()と。

 

 幻想郷に住まう者達が、目に見えるこの大地に限定されていると思っているなら大間違いだ。

 幻想郷は……この楽園は目に見えるほど狭くない。

 

 紫を殺せたとして、それで終わりでは無い。腑抜けた妖怪、平和ボケした幻想郷……されど、この地はありとあらゆる幻想が存在する、魑魅魍魎の拠り所。

 

 ()()()()の戦力で太刀打ち出来るものでは無い。

 

 そのことを八雲紫は見抜いていた。

 そして、同じようにこれ程幻想郷への下調べをしているこの男が、それを理解していないはずがないのだ。

 だと言うのに、現実はこんな無茶な大侵攻。

 分かっていて尚、破滅の道へと進んだとしたならば、紫が思い浮かぶ理由は一つしかない。

 

「――仕える相手を間違えたわね」

 

「……っ!」

 

 これまで飄々と余裕の笑みを浮かべていた男の顔が、初めて歪む。

 珍しい事じゃない。幻想郷への侵攻が無謀とはいえ、吸血鬼達は強大だ。現に今、確かに追い詰められているのは紫である。数も多く、各々が天狗達と遜色ない程の力を有した”組織”。妖怪の山が丸々反旗を翻したようなもの、到底無視できる戦力では無い。

 

 だが、それでも山の天狗達と吸血鬼達には圧倒的な差が一つある。

 ……それは歴史の深さ、千年以上も前から組織的な集団社会を形成していた天狗とは違い、吸血鬼が生まれたのは数百年かそこらだ。

 

 つまりは経験が圧倒的に足りない。若いままに力を持った吸血鬼達には”恐れ”が少なすぎた。力もあり、野心も十分……そんな集団の参謀係と考えれば、その苦労も推し量れる。

 

「理にかなった動きは実に魔法使いらしいわ。でも本当に理性的な判断をするならば、こんな侵攻は起こさない。分かっているのに()()()()()()……参謀は辛い立場ね」

 

「……」

 

 男は何も言わない。先ほどまでの軽薄な仮面を投げ捨て、ジッと細めた目で紫を見つめる。

 

 答え合わせをするように紫は言葉を続けた。

 

「停戦をするしかない?それは貴方達の方でしょう?最善を尽くしてもいつかは滅ぼされる(終わる)。でもかといって半端に引き下がれば、主に示しがつかない。このまま争いを続けても殺される(ダメ)、ただ引き下がっても殺される(ダメ)。貴方に残された手は、分かり易く力を見せつけ、優位な立場で幻想郷に居座る……それが唯一メンツを保って引き下がる方法」

 

 逃げ道を塞ぐように淡々と紫は続ける。そう……この戦いは初めから吸血鬼に有利なものではない。侵略を始めた時点で詰みの状況。それを始めの奇襲と混乱で有利なように()()()()()()()()()()

 男がこれまで作り上げてきた仮初の優位が、そのベールが、ゆっくりと剝がされていく。

 

「……貴女は聡い。時間を与えれば、すぐこの苦し紛れの盤面にも気が付く……だから状況を理解するより先に接触したのですがね……ああ、ついてない。だからあれだけやめるように忠告したですよ……スカーレット卿」

 

 芝居の掛かった喋りをやめ、心底疲れたように魔法使いの男が嘆く。

 それを紫は冷めた目で見ていた。

 

「貴女の見立ては正しい。ですが、だからどうしたという話。依然状況は変わらないッ!例え勝ち目がなかったとしても()()()()に持っていくことは出来る!さあ、再び問いましょう。八雲紫、貴女に人里を守りきることが出来ますか!?」

 

 己を鼓舞するような言葉と共に、影から吸血鬼達が姿を現す。それは男にとっての最後の”賭け”。ここで紫を相手に時間を稼ぎ、その間に人里を攻め落とす。

 見せかけの優位が崩れた以上、無理矢理にでも八雲紫を交渉の席に引きずり落とすしか道はない。そしてあわよくば、人里を落とされるリスクを考えて引いてくれれば、男にとってそれ以上望むものはない。

 

 しかし、そんな浅い望みを八雲紫は許さない。

 空気が冷える。殺意が刺さる。ゆっくりと上げられるその腕に、反射で背を向けそうになって――

 

「――ああ、そう。まだ生きて帰るつもりでいるの」

 

「思ってねぇよ!クソッたれ!全員あの化け物を止めろ!」

 

 ゾッと背を這う恐怖に従い声を張り上げる。それが開戦の合図となった。

 

 吸血鬼達は飛び上がり、紫は上げていた腕を振り下ろす。

 

 八雲紫の攻撃、それは距離を問わずに相手をねじ切る理不尽の極み。

 傲慢な吸血鬼と言えど、誰もが相応に身構える。――振り下ろされたその腕が、誰に向けられているのかを。

 目を離すなど、そんな命知らずはここにいない。

 

 身構え、注視し、――そして一人が引き裂かれる。

 

「――ッ!!」

 

 血を流すのは、八雲紫と対峙している吸血鬼ではない。吸血鬼達をここまで指示し、今しがた声を張り上げたばかりの魔法使いだ。

 

「なぜ……っ!」

 

 無論、吸血鬼達同様、男も警戒していた。紫の一挙手一投足に目を見張り、瞬きすらせず、結界を構えて……しかし無慈悲に崩れ落ちる。

 

 零れ出る血をよそに、男の胸中を疑問が埋め尽くす。

 

 ――なんだ、何をされた!?少なくとも、ただ腕を振り下ろしたようにしか見えなかった。

 スキマはおろか、妖力すらも感じぬ一閃。痛みよりも先に疑問が、そして体に刻まれた()()が、遅れて理解を持ってくる。

 

「――見つけたぞ」

 

 歓喜に震えるような声。

 血に飢えた、獣の声。

 

 先入観に囚われていた。もう殺したと、相手は一人だと。

 紫が振り上げたあの腕は、攻撃の予備動作などではなかった。そんな大層なものではない。ただ”待て”という合図にすぎなかったのだ。

 獲物を前にし、今にも飛び掛からんとする獣を抑える――ただ、その為のハンドサイン。

 

「オマエが指揮役だな」

 

 片腕はもはやぶら下がっているだけの真っ黒な肉塊となり果て、体のあちこちからは血が流れ出ている。黄金色であったであろう毛並みはチリチリと煤汚れ、不揃いな毛先がその荒々しさを際立たせていた。

 満身創痍、そう呼ぶほかない。とても満足に動けるような体ではないのだ。

 

 ――だというのに、一匹の獣がそこにいた。

 血肉が滴る爪を振り、汚れを舐め取る。引き絞られた瞳孔には静かな怒りが込められていた。

 

「嫌だな、気が滅入る……」

 

 むき出しの闘争心が肌を刺す。

 ゆっくりと時間が引き延ばされていくような錯覚を覚える。

 

「――藍」

 

 一触即発の空気の中、その一言で時の流れが静かに戻る。

 低く落とした背を正し、藍は紫の元へと引き下がった。

 

「申し訳ありません紫様。少々、遅れを取りました」

 

「いいえ、遅れたのは私の方。――潰すわよ、早急に」

 

 短い言葉と共に二人は飛び出す。

 労いの言葉はない。藍にとって、自らの命は消耗品であり、それを捧げる相手は決まっている。ただ求められるがままに振るわれるその牙に、迷いはない。躊躇いはない。防御の概念を捨て去った猛攻は吸血鬼達の常識を打ち壊す。

 

「……っ、手負いの獣がよく動く……九尾の伝説、伊達ではないか!ぐ……っ!いいのか、八雲紫っ!既に他の部隊が人里へ向かったぞッ!」

 

「そうね、手早く済ませるわ」

 

(……お構いなしかッ!)

 

 吸血鬼を藍が、魔法使いを紫が追い詰める。

 人里を餌に動揺を誘うも、紫の動きに変化はない。淡々と機械的な攻撃が繰り返される。

 全てが必殺、ただ殺すための一撃。

 

 退路はない、それを作るための男の言葉も無視された。

 必死の回避行動も、結界も、もはや寿命を数分伸ばすだけ。男の脳裏に”死”の一文字が浮かび上がる。

 

(人里がどうなっても良いのか!?)

 

 唐突な人里の被害を度外視した行動、本来はありえない、あって良いはずがない”イレギュラー”。

 その違和感が、死を前にした男の思考を加速させ、一つの出来事を想起させる。

 濃厚な死の気配、それが強く向けられたのは、初めに顔を合わせた時と……()()()()()()()()()()

 

 男の口が、歪な弧を描く。死の恐怖と興奮が混ざった歪んだ笑みで、ヒクつく喉に力を入れる。

 

 

「……流石に優秀だな、あっけなく死んだ()()()()と違って」

 

「――っ」

 

 動きが、淀む。冷酷無比な紫の表情が、僅かに強張る。

 男はずっと見ていた。八雲紫という妖怪が何に反応し、何を大事にしているのかを。

 そして、それによって生まれた一瞬の隙を、微かな変化を見逃さない。

 

(釣れた……!?釣れたっ!)

 

 絶好のチャンスだと、防御から一転して攻めへと移る。

 それはまさに理にかなった動きであり、男にとっては勝ちへと繋がるか細い糸。

 瞬時に練り上げた魔力は空間を歪ませ、神速を持って紫へと迫り、そして――八雲紫と目が合った。

 

「――油断、したわね」

 

 感情の欠片すら残っていない瞳が、そこにあった。

 勝機を掴んだはずの思考が一瞬で否定される。

 

 その瞳には、男の姿など既になかった。

 

「待っ……!」

 

 光が満ちる。

 収束された魔力も、空間の歪みも、すべてが白く塗り潰される。

 無機質な視線の先、過剰に込められた光の奔流が、男を……辺り一帯を飲み込んだ。




次回は二日後の同じ時間に投稿されます。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。