師匠は藍染惣右介~A bouquet for your smile~ 作:如月姫乃
それは現世にて、父に実践の訓練相手になってもらっていたある日の事。
「散れ千本……え!」
「危ないっ! 避けて!」
「っ……破道の五十八 闐嵐!」
紅姫から飛んできた斬撃を迎え撃とうとした私。しかし、唱えた解号に名無之権兵衛が応じなかった。
慌てて鬼道で竜巻を起こして、紅姫の技の一つである剃刀紅姫の進路を変えのだ。
紙一重で頬ギリギリを通り過ぎた斬撃を横目で見て、ほっと一息つく。
「大丈夫っスか? 怪我は?」
「かすり傷です」
「テッサイを呼んで手当しましょう!」
「大丈夫ですって」
戦ってる間、父は本気で殺すつもりで向かってきてたというのに……この見事な慌てよう。
戦いの場においては、一切の手加減も迷いもないからこそ、修行相手としては適任だ。
「ごめんなさい。鬼道を一切使わないという条件での戦いだったのに……」
「大丈夫っス。けど、ああなった時に、常に退避できる場所は確保しないと駄目ですよ。それと姫乃は、最後の最後でやっぱり鬼道に頼るのが悪い癖っスねぇ……」
「……昔からそう言われ続けてきました」
ド正論の指摘にガクッと肩を落として、頬の傷を手当する。
父は私と比べて、鬼道を除く斬拳走の全てが異次元の強さだ。
鬼道は……こんな狭い地下で力比べなど出来ないが、"五龍転滅の詠唱破棄ってかっこいいっスよね。使いどころがないのが残念"とボヤいていた。
……自信がへし折られるとはこのことかもしれない。
「そう落ち込まないで下さい。多分護廷十三隊の隊長達じゃ姫乃に敵わないっスよ」
「そこを目指している訳では無いので……」
「けど不思議っスねぇ。別に剣術が下手なわけじゃないのに……」
「どの基準で話してます?」
「最上級大虚の破面をお菓子食べながら倒すくらいの基準っスかね」
その言葉に、またガクッと肩を落とした。
この程度では、藍染さんに勝つどころか時間稼ぎにもならなさそうだ。
機嫌が悪い名無之権兵衛を撫でながら、私達は一度休憩を挟むことにした。
「心当たりはあるんです。なんと言い表したらいいか……神経や細胞の全てが戦いに飲まれるような感覚があります」
「極限の集中状態っスね。現世の言葉では、"ゾーン"なんて言ったりしますけど」
「もう随分と長い期間そんな状態になったことは無いです。名無之権兵衛も不機嫌ですし……」
やらなければならない事と同時進行で溢れかえる問題事にため息をつく。
父は少し考えたような表情をして、ポンッと手を叩いた。
「まず、名無之権兵衛と対話ですね」
「それが……全く応じなくなってしまっていて」
「原因の心当たりは?」
「……紅姫と戦っているからだと思います」
以前名無之権兵衛に言われた、紅姫に会いにいけとの言葉。
その言葉通りにしているというのに、実際今は沈黙してしまっている。
「んー……そうなったらまずは……。紅姫ー、出てきて下さい」
父がそう刀に問うた。
こっちが沈黙しているのであれば、紅姫側から出てきてもらうのが一番手っ取り早い。
卍解が出来ない私と違って具象化が可能な父は、早速その手段を試した。
……が。
「あれ? おかしいっスねぇ……」
なんということか、父の紅姫までもが沈黙を主張してきたのだ。
刀と向き合ったり、振ってみたり。色々な動きを父は見せたが、結局紅姫が具象化することは無かった。
「アタシ、精神世界に入るのはかなり手間なんですよね。ほら、変な方法でこの子を手に入れましたし」
「んー……厄介ですね……。私も、時間をかければ精神世界には入れますが素直に話をしてくれるかどうか……」
「ま、出てこないならこちら側から解析かけるので大丈夫っスよ。それと、名無之権兵衛の方は……」
「この状態だとお手上げです」
「となると、残る道は転神体ですね」
「失敗したら二度とその道が閉ざされるとなれば……使うのを躊躇います。目的が対話である以上、リスクが大きすぎます」
現状の問題は、紅姫と相対している時のみの現象。
どうしようかと悩んでいれば、父がまた先に提案を出してくれた。
「じゃあ、どっちも一度で解決しちゃいましょうか」
「はい?」
「姫乃が戦いの狂気に身を置けていないのは、その必要が今までなかったからっス。つまり、強すぎたが故に、今まで本気で死にかけるような状況が存在しなかった」
「確かに、死と極限状態は紙一重ですからね」
「後は、あまりにも冷静過ぎるのが欠点っスね。なら、別の方法で一旦殺されかけましょ」
「……はい?」
パッと扇子を開いてニコニコと笑う父。
「姫乃に明確に足りない物がなんなのか分かりました。この案を採用して一石二鳥どころか、一石三鳥っス♡」
そうして、父に住所が書かれた紙を手渡された私は、浦原商店を出た。
……なんとなく分かるが、これも父の計算上の道筋なのではないだろうか。
やる手この手が、手に取るように分かる。
それに便乗するのが最も効率がいいと分かっていて、こうして目的地にむかっているのだけれど。
******
空座町の街を歩きながら、目的地に到着。
廃墟ビルや倉庫が立ち並ぶ一角にそれはあった。
多分、人間……いや、どの死神の目から見てもこの場所には何も無いと思うだろう。
ただのコンクリート敷地が広がるその場所。
顔を隠している布当てがズレていないか一度確認してから、私はその場にある"結界"に手を伸ばした。
「な……何この結界……」
今までほぼ全ての結界術は習得してきた。それでも、どの知識を漁っても出てこない複雑な結界術。
……これが、有昭田鉢玄の力。
私は初めて出会う知識に好奇心がくすぐられて、自分の口角が少し上がっていることに気がついた。
「お邪魔します」
そう言って、指先に霊力を込める。
細かく複雑に編まれた結界の隙間を縫うように霊力を通していく。
__パリン……
硝子が割れたような音がして、目の前に大きな倉庫が現れた。
途端に中から感じるのは殺気。
「……ああ、緊張する」
どうして私は昔から初対面の人に対して極度に緊張してしまうのか。
人見知りが治りそうな気配が百年たってもこない。
倉庫の一階部分には案の定誰もおらず、気配は地下から感じる。
現世に住まう死神組は、地下を拠点としている事が多いのだろう。
迎えも特段ないため、私はそのまま足を進めた。
そして、倉庫の地下に足を踏み入れた瞬間……
私は腰から刀を鞘ごと抜いた。
空間に響き渡ったのは、真剣と鞘がぶつかり合う歪な音。
私の喉元に当てられている刃を、鞘で受け止めている状況だ。
「……誰や、お前」
「……死神です」
「そんなこと聞いとんちゃうねん」
ここに来る前に父に言われたことは二つ。
素性を直ぐに明かさない事。
そして、なるべく本気の殺し合いが出来るように挑発してみる事。
具体的な方法は言われなかった為、ここから先は私が考える必要がある。
「他人の家に勝手に入ったらあかんって、真央霊術院で教わってこーへんかったんか」
私に刃を向けているのは、元五番隊隊長の平子真子。
元々、仮面の軍勢への要件は二つ。
一つは、虚化による戦闘を行ってもらうこと。
もう一つは、有昭田鉢玄が持ち去った結界術……"転送"の習得の為。
今しがた地下でパッと目に入るのは、四人ほど。
記憶が正しければ、平子真子・有昭田鉢玄・矢胴丸リサ・愛川羅武。
平子さん以外の三人は、手を出すつもりがないらしく遠巻きに私の事を見ている状態だ。
出来ればこの場にいる全員を相手取って戦いたい。
私はふぅっと軽く息を吐いて平子さんを見上げた。
「仲間に見えますか?」
「見えへんからこうなってるんやろ」
「そうですね」
私はそういうと、軽く後ろに跳ねて平子さんに横蹴りを入れた。
ダンっと鈍い音がして、彼は数メートル左後ろへと飛ぶ。
確実に当てられたわけではない。私の蹴りが当たると同時に身を引いて、衝撃を和らげられた。
そしてそれと同時に刀を抜く。
「 啼き叫べ 名無之権兵衛 」
「なんや? 浅打に名前でもつけとんけ」
「おいおい、真子。やけにハデに飛ばされたじゃねぇか」
「やかまし、ラブ」
だるそうに会話をしている平子さんを見つめて、私は切っ先を向ける。
「なんや。そんな距離から……」
「 射殺せ 神鎗 」
そう解号を唱えた瞬間……平子さん達の表情が一変した。
彼の心臓目掛けて真っ直ぐに伸びる刃。それを平子さんは刀の側部で受け止めた。
しかし、加減無く伸びる神鎗の勢いに押され、壁際へと叩きつけられる。
「……なんでその刀持ってやがる」
次に私に向けられたのは、明確な殺意。
平子さんだけじゃない。残りの三人からも。
「質問の前に、一人じゃ役者不足なのでは?」
そう挑発すると、平子さんと入れ違いで私に襲いかかってきたのは……元八番隊副隊長、矢胴丸リサさん。
隠す気も出し惜しみもないらしく、顔には十字模様が入った菱形の仮面を付けている。
「 潰せ
巨大な槍と矛の中間のような武器に変化した刀が、私の頭上から振り下ろされた。
右側へと避ける為に、地面を蹴る。
「 縛道の七十九 九曜縛 」
しかし、私の動きを封じたのは矢胴丸さんより後方にいた、有昭田鉢玄の縛道。一切の隙のない見事な連携。
そのまま振り下ろされた矢胴丸さんの刃が……私の体を斬り裂く。
「……!! リサさん!! 後ろデスっ!!」
真っ先に異変に気がついたのは、後方支援の為に戦いの全体を見ていた有昭田さんだった。
拘束し、斬り裂いたはずの私が無傷で彼女の後方へと回り込んでいたのだから。
「っち……」
「隠密歩法_空蝉。習っておいて良かったです」
白哉との鍛錬の中で身につけた技の一つ。それにより、完全に背後を取られた矢胴丸さん。
そのまま私の回し蹴りを躱すことが出来ず、平子さんが飛ばされた方とは反対へと吹き飛ばされた。
「 散れ 千本桜 」
私は動きを止めることなく、そのまま刀の形状を変える。
千本桜は、矢胴丸さんに向けて動かした訳では無い。
彼女が吹き飛ばされたことによる衝撃で舞い上がった土煙の中から出てこようとしていた人物……愛川羅武さんの動きを止めるため。
「な……刀の形状が二つだと!?」
流石に彼も、千の刃の中を突っ込んで来るような事はしない。
一旦態勢を立て直すために引いた愛川さんの代わりに、次なる攻撃を放ったのは有昭田さん。
「__破道の八十八 飛竜撃賊震天雷砲!!」
「__縛道の八十一 断空」
私に向けられた破道は、残念ながら届かない。
その様子を見て、有昭田さんは目を丸くした。
「馬鹿な……私の破道を止められるなど……有り得ないデス」
「有り得ないという事は無いでしょう。同じ光景を百年前のあの夜に見ていたはずですから」
「……殺すで、コイツ。真子はいつまで寝とんや」
「ハッチは結界五枚張ってくれ」
愛川さんのその言葉を聞いて、私はパチンと指を鳴らした。
「結界、張っときました」
「……あんま調子乗んなよ、ぼけぇ」
笑みを浮かべながらも、最大限の戦闘態勢を向けてくる平子さん。
……ここからは、互いに精根尽きるまで戦い合う。やがては人数も増えてくるだろう。
有昭田さんを除く三人が、私に向かって同時に攻め込んできた。
_キィイイイン!!!
上から斬りかかってきた平子さんの刃を、一度浅打の形に戻した名無之権兵衛で受け止める。
半身ほど振り返る程度の右側から来た矢胴丸さんの刃を、左手で持った刀の鞘で受け止めた。
あまりの衝撃で、鞘の方にはヒビ割れが入るが……構っている余裕はない。
「……愛川さん、その方向からは危険ですよ」
「っ! ラブ!! 右に避けや!」
「遅い。名無之権兵衛_神鎗」
平子さんの刃を浅打の姿で受け止めたのは意味がある。
千本桜か神鎗か。はたまた別の刀か。何が来るのか思考の中に選択肢を与える為だ。
そして、その切っ先と愛川さんが向かってきた照準が合った瞬間……私の刀が音速を超える速度で伸びる。
完全に不意。避ける事はほぼ不可能。
「くっそ……」
愛川さんの右肩に、神鎗の刃が刺さった。
私の目線は彼には向いていない。後方支援へと回っている有昭田さんに向いている。
「……咄嗟に低級縛道で飛ばしたんですね。心臓に当たりませんでした」
「そりゃ誤解だぜ。元々俺が突っ込んだ時から、ハッチが俺の軌道を変化させる予定だったんだ」
「ネタばらしありがとうございます」
つまりは、彼もまた私の不意をつく作戦だったのだろう。
それが不完全に噛み合わさってしまい、結果的に私の一撃を受けることになってしまった。
左右で抑えていた平子さんと矢胴丸さんを一度離すべく、私は体を回転させる。
その刃が動く勢いで、二人は一度私から距離を取った。
そして、その衝撃で遂に刀の鞘が崩れ落ちる。まあ、換えはいくらでもあるから構わないのだけれど。
……もっとだ。もっと戦いに引き込んで貰わなければならない。
「……思ったより弱いですね」
「……なんやて?」
「二度も言わせないでください。四人かがりで小娘一匹程度に振り回されて……思ったより弱いですね。と言ったんです。この程度で……いつから藍染に勝てると錯覚していましたか?」
「ムカつくわ、コイツ」
動こうとした矢胴丸さんの前に手を出して止めたのは平子さん。
「挑発や。乗るな」
「……わかっとるわ」
「お前、ええ度胸やんけ。その挑発の仕方……俺らが大嫌いな奴にクソほどそっくりやわ」
既に遠くから感じている、この倉庫へと全力で向かっている残り四人の気配。
そして、正面に立つ四人全員が……顔に仮面を付ける。
やっと本気でやって貰えるようだ。
私の限界が来て、死にかけるまで……どうか死なないでください。
そう心に念じて、私は再び地面を蹴った。
特段この後の収拾をどうするかなんて決めていない。珍しくいきあたりばったりで進む物事に、今はただ身を任せる。