火ノ丸相撲外伝─昇る狼煙─   作:へるしぃーぼでぃ

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【十日目】刃皇晃─大典太光世

 

 

「かたや刃皇〜、刃〜皇〜っ、こなた大典太〜、大〜典太〜っ。ッこの一番にて〜、打ち〜止め〜!」

 

()の乾いた音が国技館に木霊する。そうして登場したるは横綱・刃皇と関脇・大典太の2名である。

彼らが土俵に上がると、その堂々たる佇まいにそれだけで観客が盛り上がった。

誰もがこの取組に好試合の予感を感じているのだ。

 

『さあ大相撲十日目、この一番です!この結びの一番がやってきました!今場所の行く末を定めると言っても過言ではない、刃皇と大典太の対決です!!』

 

『久々に全勝を続ける絶好調の刃皇に、他の国宝を軒並み薙ぎ払ってきた大典太ですからね。正直、解説の仕事も忘れて観戦に没頭したいくらいですよ』

 

解説2人も鼻息荒く土俵を見つめる。

それもそのはず、現在でも圧倒的な強さを誇る刃皇であるが、しかしあの『灼熱の九月場所』以降1度も幕内優勝できていないのだ。

そんな中でのこの全勝は刃皇ファンのみならず、本人も気負っているだろう事が窺えた。

 

それに相対するは関脇・大典太。

 

冴ノ山に星を取られたものの、それで腐らず童子切・三日月と続けて強敵を呑み込み勢いをつけてきた豪勇の士である。

今場所の熱気を作り出しているのは彼と言っても過言ではない。

全勝の横綱に土を付けるのは彼しかいない。そう思わせる雰囲気がこの結びの一番にあった。

 

「勝つぜ、横綱!」

 

パァン!と大典太の柏手がビリビリと空気を震わす。

まるで迅雷の如く気迫に、刃皇は実に楽しそうに柏手を放った。

 

「やってみろよ、関脇」

 

両者、バッ!と塵を切る。

すでに気が充満しており、間に挟まれた行司の頬に早くも冷や汗が伝った。

 

『すでに火花が散っております土俵上!これからの大関戦に向けて星を積み上げたい刃皇に、来場所大関昇進が懸かる大典太です!この一番で掴む星には、互いに値千金の価値があると言っていいでしょう!絶対負けられぬこの闘い、超必見です!!』

 

唾が飛ぶのも気にしない解説に、土俵上の2人が勢いよく塩をまく。

まるで景気づけと言わんばかりのパフォーマンスに観客が沸くが、壇上の2人の目は厳しく前を見据えていた。

 

「構えて!!」

 

行司の声に腰を下ろす両雄。

刃皇は通常の位置、大典太はやはり土俵際から1歩前の位置だ。

先に拳を下ろしたのは刃皇。

横綱として、相撲の第一人者として、猛る若者の前で悠然と待ち構えた。

 

「ッフー……」

 

今一度呼吸を整える大典太。

すでに構える刃皇を前に、しかし彼は拳を下ろさず長い体躯を持ち上げた。そして足下の位置を確かめるよう砂を軽く蹴る。

早速死闘が始まるかと思われた国技館が、緊張の糸が途切れたように息を吐いた。

 

『おっと、大典太呼吸が合わない……、というよりは仕切りの位置の調整でしょうか?磊落な彼からは珍しい、慎重な行動です』

 

『そうですね。大典太はここ最近、突きの間合いを武器にしています。恐らく対戦相手によって仕切りの位置が変わるのでしょう。そうでなくても相手はあの横綱・刃皇。慎重というより、勝利への執念が僅かな妥協も許さぬといった風です』

 

大典太の突き押し・張り手は一見豪快だが、三役クラスに勝つとなると途端に繊細な技術が要求される。

さらに相手が横綱となればそれは更にシビアで、大典太は勝利のために一分の狂いもないよう仕切りの位置を調整していた。

 

(焦るな、勢いに乗ってる今だからこそもう一度確かめろ!相手はあの兄貴ですら越えられなかった刃皇……、横綱なんだぞ!)

 

かつて日本人最強大関と呼ばれた兄、大景勝でも歯が立たなかった正真正銘最強の力士、刃皇。

この1年で自身も幾度となく肌を合わせたが、それでも本割で勝てたのはたったの1回。

 

去年の三月場所、全員が星を喰いあい12勝の自分が優勝した波乱の場所。

 

──当時東小結。

初日で刃皇と相対し彼を下したその場所は大きな波紋を呼び、あの刃皇が11勝4敗というかつてない事態となったのだ。

だがそれ以降、1度も勝ててないのが現実。

たった1度ではまぐれと言われても仕方がない、確実に倒せてこそ真の刃皇超えなのだ。

 

(勝つ!勝って証明するんだ、俺が綱を巻くに相応しい力士だと!)

 

観客席まで届く大典太の気迫、その覚悟。

その姿に誰もが幻視した、その身に巻かれる白麻の綱を──……

 

「良い殺気だ。3年後の成長が楽しみだと言ったことは訂正しよう」

 

ふと、刃皇が喋りかけてきた。

いやらしい笑みを浮かべた余裕たっぷりの表情で、大典太の大器を品定めするように囁いた。

 

「今の君と闘うのが非常に楽しみだ。私を楽しませてくれよ?」

──【傲慢の相

 

どこまでも上からな刃皇に、しかし大典太は挑発するように睨み返した。

 

「……楽しめるもんなら楽しんでみな、刃皇!」

 

刃皇がゆっくりと、味わうように先に手をつく。

大典太は気性は荒くも、しかし慎重に構えた。

 

『2回目の仕切り……!だが漂うこの緊張感はッ!!』

 

場内が息を飲む。

構えた大典太の背中から立ち昇る純度の高い殺気に、人々は固唾を飲んで見守った。

 

「……」

 

「……」

 

睨み合う両者。

ドクン、ドクン、と自身の鼓動が聞こえ。

グググ……、と身体が引き締まる感覚が脳に伝わり。

ミシリ、と筋肉の流動が感じ取れるほどの極限の集中の最中(さなか)

 

「ッは──

 

雷帝万釣】──『万雷・震

 

「っ!!」

 

──っきよい!!」

 

電光石火の雷撃が刃皇を襲った。

 

『やはり先手は大典太ー!勢いに乗るまま刃皇を突き押していくー!』

 

怒涛の密度・威力で繰り出される突き押し、張り手。

あの童子切すら斬り伏せた会心の相撲は、確実に刃皇をも斬り裂いてみせた。

 

「オラァア!!」

 

「ッ!!」

(迷いがない。国宝どもを倒したことで自信が……いや、これは自負だ。突き押しで勝てる(・・・)という確信を持って挑みに来ている!)

 

まさに身をもって知る大典太の熱い想い。

一発一発が芯に響いてくる、横綱を越えんと輝く雷光に思わず目が灼かれそうだ。

 

(もう弟などと侮ってはいかんな……、強者なり、大典太光世!)

「フン!!」

 

バチィン!!と刃皇も張り返す。

強者と認めたからこそ容赦のない一撃は、大典太の熱をさらに膨れ上がらせた。

 

「ォォオ!!」

 

咆哮を上げた大典太のギアが一段と上がる。

しかし刃皇も勝負勘を働かせ食らいつく。

激しい剣戟が互いの体を幾重にも傷付けていった。

 

『これはッ、激しい打撃戦だー!大典太の突きに刃皇も負けじと張り返すー!』

 

『大典太の高密度な攻撃に対し、刃皇は圧倒的な後の先で対応してみせます!……ッが、やはり突き押しに関しては……!』

 

一見互角の張り合いだが、徐々に、徐々に刃皇が押され始めた。

やはり突き押し、張り手に関しては大典太に分がある様である。

 

「ッむぅ!」

(強いことは喜ばしい。……が、しかしよォ……!

 

押され始めた刃皇だったが、その気配が唐突に変わった。

大典太はそれに気付いたが、それごと張り飛ばさんと構わず腕を振るっ──……

 

横綱の顔をっ、張りすぎだァ!!

──【憤懣の相

 

「ッ!?」

 

バシィン!と大典太の張り手を張った刃皇。

おっつけと言うにはあまりに荒々しい、粗暴極まりない相撲が大典太の前に顕現した。

 

『んなっ!?大典太の張り手を張り返した刃皇!横綱に有るまじき型破りな相撲だー!』

 

『しかし効果は絶大!リズムを狂わされた大典太にすかさず距離を詰めます刃皇!』

 

殴るだけで勝てると思い上がるなっ、弟ォ!!

 

「ッく!?」

 

破天荒な刃皇に振り回される大典太。

破壊された突きの間合いを調整するため土俵を移動しようとするが、荒ぶる刃皇がそれを許さない。

──たったの一手。

あの張り手一発だけで大典太の突き技は完封されてしまった。

これが刃皇。これが史上最強の横綱、その底力──

 

「ッざけんな!勝つに決まってんだろ!!」

 

その横綱を前に、しかし大典太の目は死んでいなかった。

突き技が効かないと見るや、なんと自ら四つを組みにいったのだ。外四つだ。

 

『素早く廻しを取った大典太!しかしッ、ここからどう動く!?』

 

『先場所では真正面から数珠丸をも投げ飛ばしてみせた大典太。今の彼は四つ相撲も洗練されていますが、果たして刃皇に通用するのか……!?』

 

解説の気掛かりは尤も、刃皇は四つ相撲の力士だ。

大典太も四つは洗練されたとはいえ、やはり本場の力士が相手だと不安が先に募る。

 

なんだァ?四つで俺に勝てんのか、弟ォ

 

刃皇も訝しみながらも両前ミツを取る。

自分の型ではないとはいえ、十分に力の出る形だ。

 

「ああッ、刃皇──……

 

それでも自信に漲る大典太が、その言葉と同時に動いた。

 

──ッ覚悟しやがれ!!」

 

「!?」

 

ブワリ、と刃皇が浮いた。

大典太がその長い腕で刃皇を吊ってみせたのだ。

刃皇は目を丸くするが、頭をつけ重心を低くし、すかさず着地した。

一瞬の出来事、しかし観る者全てが目を剥いた。

 

『ッつ、吊ったー!?ッが、刃皇すぐに引き付け着地!さすがの反応です!』

 

『しかし一瞬とはいえ、あの刃皇が完全に浮いていましたよ。これは本当に大典太が星を喰うかもしれません……!』

 

観る者の期待が一層高まる。

全勝の刃皇を土に付けるのは、やはり彼しかいないと──……

 

ッその程度で調子に乗るなァ!!

 

怒号がその期待を吹き飛ばす。

前ミツを掴む刃皇が大典太の巨体を左右に振り回し、吊るタイミングを図らせない。その勢いは最早がぶり寄りとも言えた。

 

「こンの……ッ!大人しくしやがれ!!」

──『雷電・大車輪大逆手

 

ッッするかバカヤロウ!!

 

がぶる刃皇。

その体重移動の一瞬に合わせて一気に大逆手に振った大典太だが、しかし倒せない、倒れない刃皇。

荒れ狂ってもそこは横綱、圧倒的な底力で体勢を立て直す。がぶって瞬く間に挽回していく。

 

『激しい四つの攻防!だがやはり刃皇が強い!大典太の攻めを尽く打ち破り、逆に攻めたてる!!』

 

『耐える形となってしまった大典太、廻しを掴んでいるとはいえ苦しい状況です!』

 

「ハァ……ハァ……ックソ!」

 

「ッふー……、早計だったようだな、弟

──〖静謐の相

 

大典太が土俵際──。

優勢になり落ち着きを取り戻した刃皇が、トドメを刺す前に話しかけてきた。

 

兄のようにはなるなよ、と言ったはずだ。その結果がこれなのか?大典太光世

 

「ッ……」

 

問いには答えず、下を向く大典太の顔は見えない。刃皇はため息をつくと、大典太の肉体や呼吸などの一挙手一投足に意識を集中した。『刃皇裁判』の開廷である。

 

 

 

 

 

 

……──「まったく、この程度で俺に挑もうってんだから呆れるぜ。やっぱお前は3年後だな

 

開幕、憤懣な刃皇が容赦ない文句を垂れた。

それに対して陽々な刃皇が宥める。

 

いやいや、それでも挑んできたことは評価してあげようじゃないか。見上げた根性だよ

 

ちっ、だからって何回負けりゃ気が済むんだよ」「成長が遅いよねー」と他の刃皇もザワザワと物議を醸し始める中、カンカン!と木槌の甲高い音が響いた。

 

「静粛に。被告大典太光代よ、この通り我々は君に不満を抱いている。弁明の余地はあるかね?」

 

議長を務める刃皇が大典太を見下す。

見下された大典太は変わらず下を俯いたままで、刃皇は心底呆れたように再びのため息をついた。

 

「沈黙か……、君にはとことん失望したよ。……では、このまま土俵から去るがいい」

 

ぶわり、と雷雲から薄明が差し込んだ。

 

櫓投げ──『蒼天

 

怒りと哀しみに満ちた刃皇の、餞として放たれた櫓投げ。

空をいくら黒雲で埋めつくそうと敵わない、己はそれより上で晴れ渡る蒼い空なのだからと諭すように──……

 

「……黙ってりゃ好き勝手言いやがって」

 

瞬間。

ズドオオン!!!と裁判所が激しく揺れた。

 

「な!?何事だ!?」

 

焦る刃皇に、ゴロゴロと目の前から重い地鳴りが響いてきた。

櫓投げを仕掛けた途中、大典太から強烈な喉輪を受けたのだ。その長い腕による喉輪は刃皇のバランスを大きく崩し、これでは櫓投げなど放てる体勢ではない。

刃皇の重瞳がギロリと睨んだ。

 

ッ往生際がワリィぞ、弟ォ!

 

「往生際?ッハ、俺はまだ……死んでねぇぞ!!」

 

続けて痛烈な張り手が刃皇の顎を襲った。刃皇の脳が揺さぶられ、そこへもう1発張り手が見舞われる。大典太が一気に攻勢に出た。

 

『な!?追い込まれたと思われた大典太ッ、強引な喉輪からの張り手で脱出したー!!まだ死んでいない、勝負はついていないと言わんばかりの猛攻です!!』

 

思わぬ反撃をモロに喰らって視界が霞む刃皇。

そんな隙だらけの横綱へ、大典太は全身全霊の一撃を繰り出した。

 

「オラァァアアッ!!」

(勝つ!コイツに勝って俺が綱を巻く!!)

 

──それは、本人も自覚せずに放たれた最高の突き。

 

攻の型──【不知火

突き押し──『直撃雷・震

 

童子切を真正面から倒した突き。

あれを超えた突きが刃皇の顔面に直撃した。

 

『逆襲の大典太ー!あの体勢から一気に逆転したー!!』

 

『仰け反る刃皇!これは……これはッ!?』

 

首から上が吹き飛んだと錯覚するほどの突き。

それを喰らった刃皇が倒れ込み、大典太は思わず勝ち名乗りを上げた──……

 

「……良い突きだ、大典太光世」

 

「ッ!?」

 

ドクン、と現実が揺れ動いた。

 

幻影。

倒れ込んだ刃皇の幻影が消え、代わりにミシリ、と廻しを引く刃皇の姿が目の前に現れた。

先程の光景は、勝利を渇望するあまりに大典太が抱いた妄執。

突きは完全に直撃していた。だが恐るべきはそれが敗北にまで響かない、届かない刃皇の底力。

それは圧倒的で支配的な──、『神的力量』とでも言うべき御業で以て若人に立ち塞がった。

 

「実に楽しいひと時だった」

上手投げ──『黄昏

 

全力の突きで前のめりになった大典太、その勢いのままに刃皇が投げた。

ズシャア!と大典太の巨体がもんどり打って倒れる。

まだ大典太の突きで騒いでいた国技館が唖然とし、行司も数瞬置いてからようやく軍配を返した。

 

「ッ刃皇()の勝ち!」

 

『……あ、しょ、勝敗が決してしまいました……!大典太の渾身の突きを喰らった刃皇でしたが、その突きごと投げるような上手投げで勝利を収めました……!』

 

解説がゆっくりと、目の前で起きた現実を自分に言い聞かせるように喋った。

一瞬前まで誰もが大典太の勝利を幻視していた。

しかし勝ったのは刃皇。土俵に君臨するは一強・横綱。現人神そのひと。

 

「……ックソ!」

 

大典太が悪態をついて、睨みながら立ち上がる。

対して刃皇はフッと笑うと、そんな若人に窘めるように話しかけた。

 

「勝ちに飢えすぎたな、大典太。お前の敗因は勝負を楽しむ心が欠けていたことだ。それではまだ横綱の器足りえんな」

 

「あぁ?……チッ、説教かよ。アンタは逆に余裕ぶっこき過ぎだろうが。……待ってろ、来場所こそ完膚なきまでにブッ倒してやっからよ!」

 

負け犬の遠吠えだと言うことは重々承知している。

それでも言わずにいられなかった大典太が自己嫌悪に苛まれていると、刃皇から予想外の声が上がった。

 

「うん?来場所に私は居ないよ?だって今場所こそ私が優勝するし」

 

「は?」

 

刃皇の言葉に一瞬呆けた大典太だが、直ぐに目を見開いた。

 

「ッ!?……まさかテメェ、優勝したら辞めるっていう話、まだ続いてたのか!?」

 

叫んだ大典太に周りの客がぎょっとする。

物々しい雰囲気の中、独りきょとんとした刃皇があっけらかんに言った。

 

「え、そうだけど?言ったじゃん、優勝回数が45回目でキリが良いなって」

 

「いやッ、それは確かに言ってたが……ッ、それはあの九月場所に限った話だったろ!?」

 

突飛な話に大典太が思わず声を荒らげた。

周りの人間もこの話に目を剥く中、少し時間を置いて刃皇がゆっくりと話し始めた。

 

「……君たちは私の想像を超え驚くほどに強くなった。私もあの頃より強くなったが、それでも優勝出来ないほどに……。素晴らしい、これこそ求められていた大相撲の形だ」

 

淡々とした口調に誰もが耳を傾ける。

歴代最強と名高い横綱、その現人神の声は静かな語りだったが、広い国技館に不思議とよく響いた。

だが、刃皇は唐突に怒りの表情を浮かべた。

 

「……しかしね、負けるのは大変面白くないんだよ。これから私は老いていく……、自然の摂理であるが、衰えて引退するのはカッコ悪いじゃないか。だから私は全盛の力を示した後、堂々と土俵を去るつもりだ。……要は優勝して気持ちいいまま終わりたいんだよ、私は」

 

コロコロと表情を変えながら喋る刃皇に場が唖然とする。

優勝宣言、からの引退宣言──。

この流れはあの九月場所を彷彿とさせたが、しかし悲壮感溢れた前回とはずいぶん流れが異なった。

 

「全盛の力、か……」

 

東の支度部屋、刃皇と同部屋の東小結・大包平が彼の言葉を反芻する。

その隣では平幕の黄泉(よもつ)も嘆息して「やっぱりか……」と零した。

 

「ちょっと思ってたんだよなぁ、優勝したら辞めるかもって。……誰よりも近くにいたお前の方が、俺より分かってたんじゃない?」

 

「ああ。『横綱に二言はない』からな。あの言葉を律儀に守ると思ってるのは俺とお前くらいしか居ないだろうが……」

 

誰よりも刃皇と肌を合わせたこの2人は、この突飛とも言える展開を予想していたようだった。

1年も前の言葉をまだ履行しようとしている刃皇に呆れる反面、大包平はもう一つの懸念を抱いていた。

 

「それだけじゃない。最近じゃ稽古で俺が勝つ回数も増えてきたしな」

 

「え?そりゃお前が強くなってるんだろ。横綱だって負けると毎回ブチ切れるしさぁ、巻き込まれるコッチはたまったもんじゃないよ……」

 

壮絶な稽古場を思い出し顔色を悪くする黄泉。

大包平も苦笑しながら、しかし不安げに呟いた。

 

「いやまぁ、確かにそれもあるんだけどさ。……なんていうか、肌にハリが無くなってきているって言えばいいのかな……」

 

自信なさげな物言いだが、しかし確信はあるのか画面に映る刃皇をジッと見つめる大包平。

そんな思い詰める彼らの背後から、陽気な関西弁が覆いかぶさった。

 

「ま、優勝したら辞めるっちゅー話は俺も予想しとったで。せやけどこのタイミングで言われるとなぁ……」

 

東大関“童子切安綱”。

彼が背後から大包平と黄泉の肩に腕を回し、フレンドリーに話しかけてきた。

2人は迷惑そうに眉根に皺を寄せたが、大包平は挑発するように悪い笑みを浮かべた。

 

「獅童……、いや童子関。言われてるぜ、お前らは敵じゃねってよ」

 

「ハッ、エラい啖呵切られてもうたなぁ。こら気張らなアカンわ」

 

こちらも悪い笑みを浮かべる童子切。そんな悪童2人に黄泉はひとり、頬を引き攣らせた。

 

(ヤバイよ横綱……!童子切関の目、メッチャ怖いって!)

 

一方、西の支度部屋。

こちらでも刃皇の引退宣言に波紋が広がっていた。

 

「今場所の典太ですらも……っ、冴さんッ!」

 

現在5勝5敗、鬼丸が心配そうに兄弟子の冴ノ山を見上げた。

明日以降から横綱は大関陣との総当たり戦が始まる。

それを前にしてのこの発言は、彼らを軽んじていると言ってもいい暴挙だった。

しかし当の冴ノ山は全く動じた様子もなく、泰然と構えていた。

 

「大丈夫ですよ、横綱のあれ(・・)はいつもの事です。私は私の相撲を取るだけだ」

 

現在9勝1敗。

大関になり、冷静さが貫禄となって久しい冴ノ山。

彼にはすでに確固たる自分の相撲が出来上がっており、この程度で取り乱す『心』など持ち合わせていなかった。

それよりも、彼には隣の弟弟子の方が気掛かりだった。

ポン、とその背を優しく叩く。

 

「白狼関。君も順調に2敗を守ってきましたが、ここから先は幕内上位との割が組まれるはずです。君も優勝を目指すなら……横綱の優勝を阻止したいのなら、ここからが本番ですよ」

 

「……ッウス!」

 

まだ少し心が揺れていた白狼だったが、冴ノ山の言葉でその瞳に修羅が宿った。

元々彼も国宝級と謳われた一角。国宝犇めく上位との対戦は緊張こそすれど、望むところでもあった。

 

「……」

 

柴木山部屋の力士たちが褌を引き締める中。

部屋の隅でひとり微動だにしなかった西の大関“草薙剣”が、誰にも聞こえないほどの声量でポツリと呟いた。

 

「……勝てばいい。それでこの話は終わりだ」

 

 

 

 

 

 

一強ではなくなったとはいえ、いまだ一人横綱として土俵に君臨する刃皇。

やはり角界の渦中となるのは彼であり、他の者はみな挑戦者だという事を痛感させられた今日(こんにち)である。

だがその横綱の前に、雌雄を決さねばならぬ取組があった。

 

 

 

大相撲初場所、十一日目の割──

【童子切─草薙】

 

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