新進気鋭の長門部屋所属、天王寺獅童。四股名“童子切安綱”、現最高位、東大関。
平成の大横綱、かの大和国が親方を務める大和国部屋所属、久世草介。四股名“草薙剣”。最高位東大関、現西大関。
共に次代の横綱を嘱望される『国宝』世代。その中でも特に筆頭として名を挙げられ、現に大関として君臨する両雄である。
そのふた振りの国宝が今、初場所十一日目の土俵にて顔を合わせていた。
『さあ十一日目も終盤!次はいよいよこの2人、童子切関と草薙関の取組です!』
『共に9勝1敗。未だ無敗の刃皇を残す中、彼に土を付けるなら互いに負けられぬ一戦となりますでしょう。非常に注目が集まる一戦です』
解説の言葉を証明するように、懸賞幕がズラリと2人を囲んで土俵を回る。その数は今場所で最多と言っていい数で、優に40は超えていた。
『どの場所でも根強い人気を誇るこの2人の対決!さらに先日の刃皇の引退宣言もあってか、廻る旗ひとつひとつにも熱が篭っているようです!』
国宝の台頭により、かつてない盛り上がりを見せる昨今の大相撲。
そんな中でも今日のこの取組に懸けられた懸賞は群を抜いており、若き大関2名への期待値が窺われた。
「……」
「……」
幾千人の注目が集まる土俵上。
渦中となる若武者の両名はしかし、期待の重さを一切感じ入る事なく仕切りに集中していた。
童子切がジロリと相手を睨む。
(草薙、お前とはこれまでアホほど勝った負けたを繰り返してきたもんやな。近頃は『全盛期の大和国』っちゅー触れ込み通り、そらガキん頃憧れたまんまの『大和国の相撲』を堪能させてもろたわ)
目の前で構える草薙、その背後にはかの大横綱“大和国清一”の面影がハッキリ見える。
そんな憧れと相撲を取れる事がどんなに幸福なことか、草薙に感謝してもしきれない童子切であった。
──……が、それも過去の話。
(初めは大和国さながらの相撲に慄いたで。……が、直ぐに慣れてしもうた。ガキの頃に穴が開くほど見たせいで、次にどう動くか予想出来てしまうんや。我ながら自分の才能が恐ろしいで)
童子切のデータ相撲は自身でも知らず内に、かの大和国をも丸裸にしてしまっていたのだ。
草薙と大和国では体格や性格の違いこそあれど、前述通り草薙とは何度も肌を合わせている。差異もすでに最適化されていた。
──草薙は理想とする大和国に成った。
しかしそこは、すでに童子切のデータ相撲で塗り潰されていたのだ。
それを証拠に草薙はこの1年、ほとんど童子切に勝てていなかった。
(俺も予想外やったで。お前さんの理想の相撲が、すでに俺ん中で
大和国に成る前の草薙の方が手強かった、とは皮肉である。
そう感じているのは童子切くらいのものだろうが、実際に番付は逆転し東の大関に座るのは童子切だ。時期横綱として名が挙がるのも、今や童子切の方が圧倒的に多い──……
「ッ!」
ビリッ!と烈気がぶつかってきた。
真正面、草薙の方からだ。
「……」
彼は無言で構えていた。
今や童子切の方が名実共に横綱に近い。しかしそんな雑念などの一切を跳ね除け、彼は『横綱』としてそこに佇んでいた。
誰がなんと言おうが関係ない。土俵に上がればそこにあるのは互いの心・技・体のみ──
『っな!?懸賞幕を持って回る呼出が一斉に転げ落ちた!?土俵に上がろうとしていた呼出たちもたたらを踏んで誰も上がって来ない!これはッ、草薙から醸し出る殺気が……!?』
剥き出しの烈気を当てられ、呼出たちが本能的に土俵から逃げ出したのだ。
遅れて観客たちたちも草薙から漂う底知れぬ気配に飲まれ、気付けば国技館は静寂に包まれていた。
「……草薙!」
花道からこれを見ていた鬼丸が息を飲んだ。
草薙から放たれるこの気迫はまさに大和国そのもの……、いや、それを超えんとする迫力に思わず身震いした。
思い出されるのは草薙と対峙した六日目。試合にこそ勝ったが、勝負においては完敗したあの割。
(なにを掴めばこうなれるのか、想像もつかねぇ……!やはりお前は恐ろしい奴じゃ、草薙!)
観る者すべてを圧倒する草薙の存在感。
この凄まじい烈気の中、しかし2人だけはフッと口角を上げた。
「……やっと自分の道を見つけやがったか、草介」
刈谷俊──この草薙の殺気を、彼は嬉しそうに眺めていた。
そしてもう1人は、その殺気を一身に受ける人物。
(……そうか。楽しみやで草薙!)
童子切が立ち上がり、踵を返す。
この殺気を味わうような悠々とした所作に、草薙の気迫に飲まれていた観客たちが一斉に息を吐いた。
畏れ敬われる草薙、孤高の横綱──
崇め奉られる童子切、至高の横綱──
共に横綱の風格。
しかしその横綱像は、まったく真逆の性質を具有していた。
『ッす、凄まじい仕切りです!何人たりとも寄せ付けぬ草薙関の迫力に、それを正面から受けてなお動じぬ童子関!果たしてこの勝負、どういう結末になるのか……!』
どちらかが負ける姿など想像できない。
だが結末は必ず来る。土俵にいる2人の神が、その未来を創り出すのだ。
「じ、時間いっぱい!手をついて!」
行司の声が上がると同時、ス……と草薙が掌を下ろす。
『受けて立つ』。
いつもと変わらぬ所作。だが今までと何かが違う現在の彼に、童子切は臆せずゆっくりと身を屈めた。
『……ッ』
もはや解説も言葉を発せない。
耳鳴りがうるさいほどの静けさの中、全員が土俵に注目する。
ドクン、ドクン……と鼓動が聞こえてくる。まるで国技館全体でひとつの生物になったかのような鼓動音。
恐ろしくも心地良い、なんとも不思議な感覚が五感を刺激する。
張り詰める空気。
足裏の砂の感触。
そして目の前から伝わってくる圧倒的な存在感。
景色が無になっていく──……
「ッはっきよい!」
爆発が起こった。
正面衝突。現実が一気に色彩を帯びた。
観客が沸く間もなく攻防が始まる。
(立ち合い速攻の左四つ、変わらぬ黄金パターンやなッ)
即座に右上手を取りに来た腕、それを冷静に閂で極めた童子切。
的確に関節を固定し、常勝であるはずの天命の型を完全に殺してみせた。
容易に左四つを封じてみせた童子切であるが、それは彼だからこそ出来る絶技である。草薙はパワー・スピード共に他の力士の比ではない。並の力士ならば抗う暇もなく『死』に至る。
だが童子切は全てを予見し、想像し、ありとあらゆる対策を立てて土俵に上がる。
相手がどれだけ秀でていようが関係ない、常に先回りして未来を黒に塗り潰す。
(想定内やったか……。残念やで、草薙)
嘆息はするが慈悲はない。
童子切は容赦なく刀を振るった。
逆・変形小手投げ──『
1秒にも満たぬ攻防。
凝縮された立ち合い、草薙の必殺の一手を童子切が見事に制した。
……──が。
「ッ!」
ドンッ!!と草薙の足が強かに土俵を打ち付けた。
完全に腕を極め、完璧な体重移動で小手に振った。
それでも倒れない、崩れない草薙。
それを可能にするのは規格外の膂力。ブレない足腰。
まさに巨木が根を張るが如し佇まいで、彼は変わらず土俵に君臨していた。
ここでようやく衆人環視が状況に追いつく。
『小手に振った童子切!!……ッが草薙堪えた!?草薙まったく崩れない!!』
『如何に剛腕の草薙といえど、あの童子切の小手投げですッ!力だけで止まれる代物ではないハズですが……ッ』
現実離れした光景に解説が困惑するが、しかし実際に小手投げは防がれた。
パワー、スピード、全てが規格外。
常識が当てはまらない怪物。
それに加わる、草薙の最たる力……──
(そう……、足の位置、腰の高さ、腕の角度、すべてが力を逃すよう作用しとる。腕力だけやない、コイツ……ッ)
童子切を睨めつける、
全てを見透かすその目は、童子切独特の小手投げを見事に見切っていた。
傍目からでは分からぬ力の流れ、重心、繊細な技術。そしてそれらを支える圧倒的なフィジカルを持ってして相手を蹂躙する。
これが全盛期の大和国の力、その真価──……
(なんも変わってないやんけ!大横綱はもう見飽きたわ!)
童子切が動いた。
……と言っても針の穴程の隙だが、その好機を見逃す童子切ではない。そこを引き付け押す、ないしは先に投げを打つ。
これが平成の大横綱、大和国の倒し方……
──僕は“草薙剣”だ、大和国じゃない。
「ッ!?」
ドッ!!と左の張り手が童子切を襲った。
しかし咄嗟の反応でガードしてみせた彼は、その威力を利用して努めて冷静に距離を離した。
『草薙の荒々しい張り手を喰らった童子切!しかし体の軸はブレていません!振り出しに戻りました土俵上!』
「……なるほど。
思わず呟いた童子切。
草薙の一撃、そこに込められた思いに気付いた彼は一気に臨戦態勢に入った。
【修羅戦黒の相】──
ぶわりっ、と全てを飲み込む黒が顕現する。
草薙を相手にこの状態になるのは久しい。
大和国相手では使わなかった、その息子の“草薙剣”が相手だからこその覚悟。
その禍禍しさ溢れる“童子切安綱“を前に、草薙はやはり泰然としていた。
(……僕は今まで愚直に理想を追い求めてきた。それで周りから野次られ僕自身も迷った時期があったが、結果的には『大和国になる』という理想は果たされた)
灼熱の九月場所、刃皇との千秋楽を前にして遂に辿り着いた境地。
だがその理想は、すでに過去のものと成り果てていた。
時代は変わる。
如何に大和国が大横綱と呼ばれようと、それは過去の栄光なのだ。現代に蘇ったとしても、それが最強だという保証は何処にもない。
(僕の理想とする相撲……、横綱像は大和国だ。それは今も変わらない。けど、刃皇を始め童子切や他の皆は全盛期の父よりも強い。強くなっている。僕が勝てないことが、その証明になってしまっている……)
父親を理想とするあまり、それに到達したことで進むべき指針を失ったこの1年。
他の力士たちは切磋琢磨しながら着実に強さを増していく。その頂きは見えない、しかし見えないからこそどこまでも登る覚悟がある。
対して自分は頂きに到達した。到達してしまった。
……そこから先が、なかった。
その事実に気付いた時、積み上げてきたものが突然無意味なものになってしまった気がした。
(……けど、無意味じゃなかった。僕は、
──インターハイ団体戦の決勝戦。
──灼熱の九月場所の優勝戦線、その行く末を懸けた割。
“草薙剣”のライバル、“鬼丸国綱”と共に──
(これまでの僕は『理想を追う』相撲だった。……けど、これからは僕が『理想とされる』相撲を取る!)
〖
登るべき壁も、進むべき道もまだ何も定まっていない。
だからこそ自分で創り出すのだ。理想を超えた先にある相撲……、“草薙剣”という『横綱像』を──……
(その1歩として、まずは君に勝つ!童子切安綱!!)
「はぁああ!!」
(ええでッ、来いや草薙剣!!)
「おおお!!」
2度目の激突。
互いの頭蓋が衝突する。
『再びの正面衝突ー!ッが、童子切押し負けた!!草薙がそのまま廻しを狙う!!』
『一度は防がれた右上手!だがそれを分かっている童子切が素早く防ぐ!』
草薙の左四つは研究され尽くされているが、それでも脅威度は依然として幕内最高峰。
廻しに触れられれば死は免れない、それは童子切といえど例外ではない。
──だが。
「ハッハァ!」
伸びてきた腕を叩き、かち上げ、逆に廻しを取って投げを打つ。
卓越した技巧、相手の成長さえも見越す先見の明で立ち回る童子切。
「っはああ!」
投げに耐え、突きを放って吹き飛ばす。
その一撃は童子切の想定をいとも容易く覆し、躍動感溢れる豪快な力で躍進する草薙。
力の草薙、技の童子切。
どちらも相撲の醍醐味を濃縮した逸品である。
「良い仕上がりじゃないか、国宝ども」
土俵下、誰よりも近くで観戦していた刃皇が薄く笑う。
大和国は人をやめ神になった。
自分は人を謳歌し神になる。
とある鬼は己を謳歌し神を目指している。
『神』とは抽象的で曖昧な概念。それを目指すという事は、常人では計り知れない『心』の有り様を試される果てなき道である。
「さぁ、君たちはどんな神になる?」
刃皇の問いに、土俵の2人の衝撃音が響いた。
『土俵中央、胸が合ったーッ!今度こそ草薙が左四つ、磐石の態勢です!!』
『右上手を許してしまった童子切!しかし焦る様子はありません、こちらも冷静に廻しを引きます!』
決意を新たにした草薙が王手を掛けた。
その漲る『力』が童子切の『技』を上回ったのだ。
(僕はここからだ!ここが僕の……草薙のスタート地点だ!!)
全盛期の大和国、その御歳は20代後半である。
その域にわずか19の齢で足を踏み入れた草薙。
それが意味する事は、彼は──“草薙剣”は未だ全盛期への途上だという事──……
「はぁああ!!」
右上手投げ──『祖・大蛇断ち』
己を司る原点、『大和国の技』を『草薙の技』に昇華させる儀式。
その生贄として、童子切が土俵という祭壇から捧げられた──
「ッオラァア!!」
下手・捻りの合わせ技──『百鬼羅刹薙』
否、この男は断じて生贄などという器では計れない。
ここしか無いというタイミングで放たれた合わせ技は草薙の投げと重なり、相殺。
再びの距離が開いた。
双方、全霊でぶちかます。
「あ゛ぁあ!!」
「ぉおお゛!!」
ドンッ!!と激突、覇気が迸る。
比喩ではなくビリビリと空気が震撼し、観る者全てに衝撃が襲いかかった。
……違う──、……ここや──
……見える──、……ならば──
目にも止まらぬ数多の攻防。
目まぐるしく動く刹那、未来の行く末を殺し合う──
道程は違う、されど行き着く先は同じ。
注連縄をその身に巻くため、今この瞬間をねじ伏せる。
決着まで、あと──
──ッ右上手投げ
(強引すぎやで草薙!)
あくまで相撲の完成を求める草薙。
その原点となる右上手を極めんとする姿勢に、童子切が即座に反応した。
──その瞬間。
「ッ!?」
ギュルッ!と草薙が反転した。上手投げに対応しようとした童子切、その体が宙に浮く。
それは、重量級の力士さえ舞わせる相撲の極意──
(これがッ、『草薙剣の相撲』の始まりだ!!)
呼び戻し──『
通称、仏壇返し。
決まり手八十二手において、最も豪快とされる幻の技である。
──だが。
「ぐぉおお゛ッ!!」
童子切が唸る。
右廻しを引き、胸を完全に密着。
跳ね上がる足を咄嗟に内掛け、倒れる勢いに任せて一気に上半身を捻った。
変形櫓投げ──『
放たれた仏壇返し、それを利用した逆転の一撃。
ダァアン!!と草薙の巨大な背が土俵に叩きつけられた。
「ッ、
童子切も盛大に転がるが、誰が見ても草薙の背が先に土に付いていた。
行司が勢いよく返した軍配に、遅れてドッ!と歓声が沸き上がった。
『東西大関対決を制したのは童子切ーッ!!草薙の呼び戻しの勢いを利用し、倒れ込むような櫓投げで勝敗を決しましたー!!』
『3度の衝突、数多の投げ合いの末に勝利を掴みました童子切!時間にして凡そ10秒……、傍目からでは分からぬ攻防がどれだけ交差した事か!歳若き大関たちに惜しみない拍手が降り注ぎます!』
「……僕は、まだまだだな……」
万雷の拍手の中、草薙はゆっくりと立ち上がるとその手を開いたり閉じたりして何かを確かめているようだった。
草薙は負けたがまだ2敗、それに関する落胆の声は上がらなかった。
刃皇は未だ無敗であるが、今宵の割の太郎太刀を越えれば大関たちとの総当たり戦が始まる。それを考えれば十分に優勝圏内であるからだ。
悲観するよりもまず、素晴らしい取組を魅せてくれた事に観客たちは感謝を捧げていた。
「はぁッ!はぁッ!……ふー……」
(ごっつ強かったで、
喝采に包まれる土俵上、息も絶え絶えになりながらもフッと笑みを零した童子切。
相撲を通して感じた草薙の熱い想い──『心』に感銘を受けたのだ。
今までの草薙には明確な自分がなかった。それが今場所、今日のこの取組では己を確立し見事に大和国を超えた先を見せてくれた。
恒常化していた草薙に退屈していた童子切は、この変化を大いに驚き、感激し、そして楽しんでいた。
(俺たちはまだまだこれからや。それを前にして刃皇、アンタは早々に引退しよう言うんか。老いさらばえるまで土俵に残ってもらうで!)
これで童子切は10勝1敗、草薙9勝2敗。
そこから取組は進み、西の大関冴ノ山が金鎧山に敗れた。これで冴ノ山9勝3敗、優勝戦線から惜しくも脱落となる。
対して金鎧山は依然として全勝をキープ。
大関としてベテランとして、父としての貫禄をこれでもかと見せつけた圧巻の相撲であった。
そうして十一日目の千秋楽、【刃皇─太郎太刀】。
横綱へ初挑戦となる太郎太刀は奮闘するも、それを真正面から受け止め寄り切った刃皇。11勝0敗、無敗である。
『まだまだ衰えを見せぬ刃皇!猛る若者を一蹴し、文句なしの全勝です!』
『これで横綱の残る取組は4大関のみ……。横綱に土を付ける本命たちでありますが、そんな彼らすらも粉砕しかねない勢いの刃皇です。本当に引退してしまうのか、この初場所もとうとう佳境を迎えます……!』
依然として刃皇、金鎧山が並走。
他の者は確実に勢いが落ちる中、最後の砦としていよいよ大関たちが刃皇の前に立ち塞がった。
大相撲初場所、十二日目──
【刃皇晃─草薙剣】