初場所十三日目の結び、横綱VS大関第2弾!
──……そうですね、今までの僕は理想の横綱像──父の背を追いかけているだけでした。今場所ではその考えを改めて……、いえ、思考を創り変えて、本当の意味で『横綱になる』事を決意して土俵に臨んでいます」
打倒刃皇から一夜明けた十三日目、西の大関草薙関の勝利者インタビューにて。
刃皇を倒して勢いに乗る彼のファンは、本日の白星にも大いに沸いていた。
今日の草薙の相手は堕ちた名槍、蜻蛉切。
彼は幕内上位と割が組まれても、見事にここまで1敗を守り抜いてきていた。特に大般若との勝負は苛烈を極めたが、最後は吊り出しで元東小結の意地を見せた結果となった。
しかし今日、覚醒した草薙を前に今度は自分が吊り出され、とうとう2敗のラインへと後退した次第である。
草薙は2敗をキープ。
勝利を手にしても淡々と語る草薙の姿に、周囲の誰もが垣間見た。その身に綱を巻く神々しい姿を……──
「もう草薙関が負ける姿を想像出来ないな。あとは1敗の刃皇に、3大関の誰が土を付けるのか……」
草薙の強さに驚嘆する衆人だが、それ以外にも話題が持ち上がるのは刃皇の引退に関しての事柄だ。
立ち合い、一瞬の接触で刃皇を圧倒してみせた草薙の姿。
それはかつての【大和国─刃皇】の取組を彷彿とさせ、刃皇の引退に対して肯定的な意見が出てきたのだ。
「刃皇が全盛期と言ってももう歳だ、やっぱり体にガタがきてんだよ」
「刃皇は大和国を圧倒して引退を決意させた。そして今度はその息子に圧倒されたんだ。ここが刃皇の辞め時じゃなけりゃ、いつなんだよ」
「そりゃ今場所、まだ草薙関に負けただけだよ。けどあんな負け方したら、ねぇ?」
長らく横綱の地位を守ってきた刃皇であるが、しかし決して『良い横綱』だったワケではない。
どちらかと言えば
だが、それを決めるのは観衆ではない。
あくまでその地位に相応しい品格と抜群の力量──『実績』が、横綱に留まれるか否かを決めるのだ。
そして今宵、刃皇の実績は──……
◆◇◆◇
『刃皇がまさかの大敗から一夜明け、十三日目の結びを迎えます大相撲初場所!今日の刃皇は先日までの不遜な態度はなりを潜め、特に目立った様子はなく不気味なほど大人しいです!』
『草薙関からの1敗……、しかもあの相撲内容での1敗は、如何に横綱でも筆舌に尽くし難い結果だったのでしょう。4人の連なる大関たち……その1歩目で盛大に躓いた事は、荒ぶる刃皇を鎮めるには十分過ぎたという事でしょうか』
いつもは土俵外からでも他力士に挑発することが多い刃皇。
しかし今日は一言も発することなく取組は進み、ついには結びまでその沈黙を保っていた。
『そんな静かな横綱に対し、今日も波乱渦巻きました大相撲!先ほどの童子切と金鎧山の東大関対決では見事に童子切が白星を勝ち取り、全勝力士は皆無となりました!終盤にて初場所が大いに荒れております!』
『新大関の冴関でも1年……、不動の大関たちは互いを知り尽くしながら、なお私たちに熱戦を魅せてくれます。そして今日、その冴関は因縁の刃皇との対決となります……!』
未だ記憶に新しい、灼熱の九月場所にて無敗を誇る刃皇に初めて土を付けた力士、“冴ノ山紀洋”。
長年関脇止まりだった彼に初めて大関昇進の推薦が掛かった、まさに殻を破った瞬間と言えよう。
それからの冴ノ山は強かった。
次の場所で見事に昇進条件を果たし大関になると、その地位を1度も陥落させることなくここまで歩んできたのだ。
あれから刃皇を2度、土に付けている。九月場所では『心』の揺らぎを突いた形となったが、真正面からでも横綱を打ち破るほどに彼は熟していた。
今も粛々と塩を撒く姿は、これから結びの一番だというのにあまりにも自然体であった。
──心静か。
何事にも動じないその姿は、観る者を静かな湖畔に佇むような安心感を彷彿とさせる……
「お前には散々振り回されたお礼をしなくちゃなァ、
ビリッと覇気が走った。
冴ノ山の泰然とした佇まいを丸ごと飲み込み、刃皇のただならぬ殺気が土俵を塗り潰す。
それは観客や解説席にまで及び、全員が横綱の変化に恐れ慄いた。
『な、なんでしょう?刃皇の様子が、突然……ッ』
「お前には花道を穢された恨みが積もってるからなァ……、覚悟しろよォ!」
「……っ」
(これは、かつての鬼丸関や大包平関の……、【無道】の禍々しい気配……!)
冴ノ山が気付いた通り、ここへ来て刃皇は死をも恐れぬ【無道】を顕現させていた。
昨日の草薙への敗北か、それとも本当に冴ノ山への恨みなのか。
真相は定かではないが、しかし横綱は見るからに
だが、今更そんなものに動じる冴ノ山ではない。
「……覚悟ならとうに決まっていますよ。貴方を倒して優勝を阻止し、横綱になるという覚悟がね!」
「ほざけよ、青二才が……!」
「ッ……時間いっぱい!手をついて!」
覇気に鬼気、怒気とさまざまな気配を織り成す刃皇。
立行司の声も心做しか震えており、彼は無理やり叫んで仕切りに促した。
「フーッ!フーッ!」
「……」
荒れる横綱、閑やかな大関。凄まじいまでの対比。
今、刃皇は誰の目から見ても不安定だ。
それは敗北の憤りか、冴ノ山への怨嗟か。はたまた別の要因、それら全てか。刃皇の心の内は彼にしか分からない。
ただ、皆は恐れた。
この男に『相撲』という枷が無かったら、この猛る矛先は何処へ向くのかと──……
「はっきよい!!」
ドンッ!!と正面からの衝突。
左前ミツを狙う冴ノ山に、無道の踏み込みで押し切る刃皇。
「ッッ!!」
「甘ぇぞ大関ィ!」
──修羅の相【無道・
相手に反撃の隙を与えない、粗暴極まる刃皇の相撲。
無道の蛮勇を前面に押し出し、かつ圧倒的な勝負勘を持ってして立ち回る。
手がつけられぬ暴力とはまさにこの事、冴ノ山の姿が土俵から消えていく──……
「!?」
ガクンッ、と刃皇がバランスを崩した。
その刹那、土俵から消えたはずの冴ノ山が刃皇の懐から飛び出し、その手には刃皇の褌が握られていた。
──左下手出し投げ
「ぬうぅ!!」
ズザザッ!と俵に救われた刃皇。
そこへ冴ノ山がすかさず横につけ、寄る。押し出していく。
「おぉお!!」
「こンのッ、貴様ァ!!」
喉輪、からのかち上げと荒々しい相撲で活路を開き、廻しを掴む刃皇。
同時に冴ノ山も両廻しを引き、膠着状態となる。
荒ぶる神が激しく睨み、水面はその姿を静かに映した。
『目まぐるしく形勢が逆転します土俵上!立ち合い押し込まれたはずの冴ノ山ですが、あの一瞬に何が起きたのでしょうか!?』
『恐らく脱力……、膝を抜いて刃皇の寄りから脱したのでしょう。更にそこから出し投げに繋ぐ技術も圧巻です。脱力を極めた冴ノ山、まさに円熟の技を魅せてくれます!』
憤懣なる神の苛烈な攻め。
それを受け流し、かつ飲み込まんと水流が渦巻く。
互角。
1年前までは刃皇に1度も勝てなかった冴ノ山は、今や観る者すべてを滾らせる勝負を展開するにまで急成長していた。
そしてそれは、他の誰よりも刃皇が最も間近で感じ取っていた。
──「まったく、君の事など歯牙にもかけていなかったのにね。この1年での君の伸び代には舌を巻く思いだよ」
面会室、2人だけの空間にて。
相撲の取り口とは正反対に、実に穏やかな刃皇がそう独りごちた。
対面の冴ノ山は居住まいを正すと、そんな刃皇へ頭を下げた。
「そう言って頂けて光栄です、横綱。ここまで私が強くなれたのは、ひとえに貴方が強かったからです。強過ぎる貴方に追いつこうと私含めて全員が切磋琢磨する……、そして貴方も奮起し大相撲が盛り上がる。世間がなんと言おうと、貴方無しにこれからの大相撲は語れないでしょう」
歴代最強の横綱、刃皇。
その肩書きに嘘偽りはなく、現在進行形で大相撲史に深く刻まれる名。
だからこそ、彼の引退宣言は反故にせねばならない。
これまでたった独りで大相撲を支えてきた偉大な横綱と、ようやく肩を並べて闘えるのだから──
冴ノ山の言葉に、フッ、と刃皇が笑った。
「……だが、あまり調子に乗るなよ」
「!?」
ガシリ、と刃皇の体勢が良くなる。
冴ノ山の一瞬の緊張、それを見抜いた刃皇の勝負勘が容赦なく襲いかかった。
櫓投げ──『蒼天』
冴ノ山の卓越した脱力、膝を抜く技術を無視した刃皇の一撃。
圧倒的な力の差を知らしめる櫓投げは、冴ノ山の体を宙に舞わせ……
(水のように、弾け!)
櫓投げ──『
ガッ!と高々と上がった波飛沫が晴れ渡る天に昇った。
蒼の境界が激しくぶつかって交わる。
「ぬぅう!」
「おぉお!」
櫓投げ同士がぶつかり、相殺。
しかし互いに廻しは離さず、地に足が着く──
(ここだ!!)
地に足が着く、その刹那。
再びの脱力で刃皇のバランスを崩しにかかる冴ノ山。まるで高波が人を飲み込むように、刃皇に体重を掛けて引きずり込んでいく……
「ッ10年早いわァ!」
ズンッ!と刃皇は無道の踏み込みで耐えた。
そして素早く上手を引くと、ギュルリと伍つの目が冴ノ山を睨んだ。
ドクン、と冴ノ山の頬に冷や汗が伝う。鋭い緩急、的確に相手の隙を突いてくる刃皇の相撲に戦慄が走った。
今まで幾度となく戦ってきた。
だがそれでも底が知れぬ、そして天の如き果てしなさを冴ノ山は垣間見た。
『膝抜きの技術をもう見切ったのか刃皇!?冴ノ山の攻めが尽く潰されます!』
『荒々しい相撲でも隙が見当たりませんッ!これが横綱、これが史上最強と名高い刃皇の相撲……!!』
「ぐ……っ!」
遅れて冴ノ山が下手を引こうとしたが、その乱れを見逃す刃皇ではなかった。
「貴様はまだまだだ、大関冴ノ山よ」
上手出し投げ──『雲海』
ふわり、と冴ノ山の体が浮いた。
刃皇の背後は土俵際、にも関わらず足を大きく開き放たれた出し投げは、冴ノ山の意表を突き宙に舞わせた。
下手を引こうと前進した僅かな動き、そこに重ねられた上手出し投げ。
冴ノ山は土俵という頂上から一気に地へと落とされた。
『大関戦2戦目は刃皇の白星ー!この1年ですっかり難敵となっていた冴ノ山ですが、最後は土俵際からの出し投げという荒業で勝利を収めましたー!』
『あの位置から出し投げを敢行する姿はまさに荒業という他ありません。加えて投げるタイミング、冴ノ山の僅かな動きに合わせてみせた事も驚異です。刃皇の勝負勘はいまだ衰える所を知らず、まだまだ研ぎ澄まされていくように思われます……!』
興奮冷めやまぬ国技館。
その只中で息も絶え絶えに土俵に戻ってきた冴ノ山へ、刃皇がポツリと呟いた。
「君はまだ若い。焦らず3年先の稽古を続けなさい」
「ッ!刃皇、貴方は……いえ、ごっつぁんです、横綱」
その一言に目を見開いた冴ノ山は、刃皇に礼をするように頭を下げてから土俵を下がっていった。
「刃ー皇〜!」
勝ち名乗りと共に熨斗袋を受け取った刃皇も、悠然と土俵から去っていく。
取組中の荒々しさは幻だったのでは……と疑うほどに威厳溢れる佇まいの刃皇に、観客は皆呆然とするばかりだった。
『草薙関からの敗北から1日……今日の横綱はどうなるかと思われましたが、蓋を開けてみれば圧巻の相撲で冴ノ山を土に付けてみせました!負けても依然として横綱の貫禄です刃皇!』
『これにて冴ノ山は9勝4敗。勝ち越してはいますが引退阻止への貢献叶わず、悔しい結果となりました。初場所も残り2日、正念場の2日となりますでしょう』
負けこそしたが、冴ノ山が特別劣っていたワケではない。昨日の敗北を糧にした刃皇の底力、その貪欲なまでの強さがこの結果に繋がったのだ。
──刃皇の『体』は徐々に老い始め、確実に衰えを見せている。
しかし彼の『技』と『心』は、引退を表明してもなお研ぎ澄まされていくようであった。
この強すぎる横綱を前に、いよいよ明日から東の大関が立ち塞がる──……
大相撲初場所、十四日目──
【刃皇─金鎧山】