「ッテメェ、もう一度言ってみろよ火ノ丸!!」
「……お前は本当に面倒くさいのぉ、桐仁」
十二月下旬、長門部屋にて。
出稽古に来ていた柴木山部屋所属の力士、“鬼丸国綱”──潮火ノ丸に対して、ひとりのソップ体型の男──長門部屋の“鬼切安綱”、辻桐仁が激昴していた。
彼が怒る場面は滅多にない。
だが今の彼は正に鬼の形相で相手を睨みつけており、対する火ノ丸も一切目を逸らさずに相対していた。
「そんなに気に食わんのなら、土俵で決着つけようか。鬼切」
「ああ!望むところだ鬼丸さんよォ……!」
2人の険悪な空気は部屋中に伝播し、仲裁に入ろうとした太郎太刀真也──小関真也はため息をつきながら、周りに目配せすると行司の位置に着いた。
「2人とも、ひとまずは勝った方の言うことを聞くんだぞ」
「おう」
「分かってるよ部長」
返事こそするが、すでに2人は仕切り始め殺気が充満している。
小関は再びのため息をつくと、意を決して声を上げた。
「はっきよい!!」
◇◆◇◆
「っきよい!!」
五日目の割、【鬼切─蜻蛉切】。
立ち合いは蜻蛉切の必勝パターン──肘のかち上げから始まった。先手必勝である。
対する鬼切はその場で幽鬼のように佇んだまま動かない。
だが衝突する刹那、傍目からでは分からないレベルで鬼切が動いた。
『蜻蛉切、速攻で強烈なかち上げー!このまま四つに組んで必勝パターンに繋げて……ッえ!?」
『なッ!?蜻蛉切の体が宙を泳いだ!?鬼切、蹴手繰っています!』
かち上げに手を当てがって逸らす。
同時に蜻蛉切の足下を流れるような動作で払っていた。
「くっ!?」
「……」
ズザザ!と体勢が崩れる蜻蛉切。
しかしこの絶好のチャンスに鬼切は何故か動かず、土俵中央で変わらず佇んでいた。
その立ち姿はただそこに居るだけなのに、観る者の背筋をゾッとさせる怖さがあった。
「オラァ!!」
張り手──『
だが蜻蛉切は臆することなく再び攻める。
幕内最上級クラスの怪力を誇る張り手を使い、遠くの間合いから潰す作戦だ。
だが──
『ッ鬼切、剛腕の張り手を最小限の動きで捌いています!!」』
『並大抵の技術ではありませんっ、まるで力の流れが見えているかのような精確さです!』
鬼切はひ弱な体を巧みに動かし、見事に真正面から捌ききってみせていた。
これには流石の蜻蛉切も悪態をつく。
「チッ、なら……!」
張り手が効かないと見るや、今度は腰を落としてジリジリと距離を詰める蜻蛉切。
昔の彼なら激情に駆られるまま突撃しただろうが、敗北を経て心を鎮める
どんなカウンターも相手の勢いがあってこそ。
それを警戒してゆっくりと動けば不覚は取らない──……はずだった。
「ッあれは!?」
支度部屋でこの中継を観ていた小関が叫ぶ。
鬼切の雰囲気が、あの時鬼丸を瞬殺したものに変質したからだ。
「邪魔だ。殺すぞ」
“鬼切安綱”修羅の相──【無道・
ここへ来て鬼切が動いた。
真正面からのぶちかまし、というよりもはや頭突きのモーション。
「!?」
突然の攻勢に蜻蛉切が反射で身構えた、瞬間。
鬼切は急停止し代わりに両手が動いた。
パァン!!と破裂音が国技館に炸裂する。猫騙しだ。
『んなっ!?ここで猫騙し!?』
『完全に予想外の行動!!よろめく蜻蛉切の背後に鬼切が回りこむ!!』
八艘飛びではない、極限にまで無駄を排除した高速のすり足で背後に回る。それこそ亡霊のような不気味な動きであった。
相撲において背後を取られることは『死』を意味する。
蜻蛉切の廻しが引かれて──
「っナメんな!」
巨体が俊敏に動いた。
触れられた廻しの感触から位置を補足。素早く腰を切りながら張り手──鉄球が反転して振り回された。
「それを待ってたぜ」
だがそれこそ鬼切の狙い。
振り回される鉄球には存分に体重が乗っており、鉄球を繋ぐ鎖の部分──関節に幽鬼が絡みついた。
腕力など必要ない。
力の流れを最大限に利用、そこに凶悪な捻りを加えて巨漢を宙に舞わせる──……
「ッぁあ゛!!」
蜻蛉切が吼えた。
再起してから気の遠くなるほどの基礎練習で手に入れた強靭な足腰。加えて俵を楔に、執念で土俵内に残る。
その目には修羅が宿り、全身から凄烈な気が放たれていた。
『蜻蛉切、俵で堪えたー!まだ勝負は……』
「どかねぇか!!」
粘る蜻蛉切へ、今度こそ鬼切渾身のぶちかましが激突した。
鬼切の肉体は病弱であるが、
如何に蜻蛉切といえど、体勢の整っていない状態で耐えられる代物ではなかった。
蜻蛉切の巨体と、自身のぶちかましの勢いのまま鬼切も土俵から転げ落ちていく。
「勝負あり!
『全勝対決を制したのは鬼切ー!最後は熱いぶちかましで決着となりました!!』
『いやはや、鬼切圧巻の相撲でした。肺に欠陥を抱える鬼切ですが、意外にもぶちかましの技術・威力は幕内下位でもトップクラスです。反撃を許さぬ最後の猛攻から、今場所の彼の熱意が伝わってくるようでしたね』
解説が鬼切を絶賛するが、各支度部屋でこの取組を観ていた力士たちは彼の相撲の変わりように驚愕していた。
西支度部屋で冴ノ山も驚いたように呟く。
「恐ろしい相撲を取りますね、彼。自分の弱い体を逆手にとり、相手のペースを無理やり壊している……。彼はもう少し冷静な相撲を取る力士だと思ってましたが……」
言葉を途中で切り、冴ノ山は隣を見やる。
そこには腕を組む鬼丸が、無言で画面上の鬼切を睨んでいた。
その殺気溢れる雰囲気に、冴ノ山の脳裏にある事柄が思い返される。
(そういえば年末、鬼関は長門部屋との合同稽古の時になにか諍いがあったらしいが……)
親方を通して聞いた情報なので定かではないが、今の鬼切の荒れた相撲と鬼丸の反応を見るにそれが正しそうだ。
しかしそこで疑問なのが、仲の良かった彼らに一体なにが起こればここまで拗れるのか、という事だ。
そんな冴ノ山の疑問を他所に、鬼丸が低い声で隣のバトに語りかけた。
「バト。桐仁の奴と……鬼切関と割が合ったら、悪ぃがあのバカをブン投げてやってくれねぇか?」
「え?……いや、そりゃ勝つ気っスけど、まだケンカしてたんスか鬼関?」
真剣な火ノ丸に対し、どこか呆れを含んだバトのこの反応。どうやらバトは仲違いの内容を知っているらしかった。
確かに、年末でケンカしたのならもう1ヶ月は経つ。
だが鬼丸の形相は無道レベルで歪んでいるし、冴ノ山はこの温度差にほとほと困惑した。
「待ってください。鬼関、切関と一体何があったんです?」
「いえ、こんな下らねぇ話に冴さんを巻き込むワケには……。とりあえず、バトにはこのまま勝ち進んで貰いてぇ。迷惑かけるようで悪いが、頼んだぞ」
「はぁ……、まぁあの状態の切関の対策は考えてあるんで、別にいいスけど」
憤る火ノ丸。
呆れるバト。
疑問符溢れる冴ノ山と、西の支度部屋は混沌としていた。
一方その頃、東の支度部屋では太郎太刀──今場所2勝2敗の小関真也が画面上の鬼切の様子にため息をついていた。
「アイツ、あの勢いのまま勝ち上がって鬼丸と戦うつもりなんだろうなぁ……」
「なんや、同部屋の力士がせっかく全勝してるんやで、もっと喜んでやれや真也!」
その後ろから童子切──自身も絶賛全勝中の天王寺獅童が意気揚々と話しかけてきた。
そんな楽観的な彼に、小関は少し表情を曇らせた。
「それはいい事なんですけど……。ホント、火ノ丸の事となると倒錯しまくるなぁ、アイツ。もう1ヶ月も前の話に、よく感情が持続するよ」
「ああ、あの事でまだ怒ってるんかいな桐仁のヤツ。オモロイな」
茶化す天王寺だが、ケンカの理由が理由なので小関もため息しか出ない。
とりあえず桐仁がここに戻ってきたらなんて声を掛けるべきか、かつての部長として悩むところだった。
「あんまり面白がってやらないでください。どんな理由でも、アイツがあんな危ない相撲を取ってることに変わりはないんですから」
「悪い悪い。けどまぁ、その内お灸を据えられるやろ。いつかの鬼丸ん時みたいにな」
壊し壊れる覚悟の道──【無道】に堕ちた鬼丸の時のように、誰かが鬼切のその道を阻んでくれるはずだと天王寺は確信しているようだった。
小関にはそれが誰かなのかは分からなかったが、この大関の言うことに偽りはない事だけは感じ取れた。
「おう小関、そろそろお前の出番やねんぞ。他人の心配の前に、先ずはお前が勝ってこんかい」
「はは、それを言われちゃ何も言い返せないじゃないですか。……よし!勝ってきます!!」
不穏な影が漂い始めた大相撲初場所、五日目。
この日全勝力士が1人姿を消し、優勝争いはさらに苛烈を極めるものとなっていく。
大相撲初場所、六日目の割。
【鬼切安綱─白狼昇】