今場所東前頭七枚目、四股名“太郎太刀信也”──本名小関信也は、いわゆる才能のある力士ではなかった。
彼もまた小兵の部類の人間であり、背景に歴史も何もないただの相撲ファン──一般人の1人に過ぎない有象無象であった。
そんな彼は今や『怪物の棲家』と言われる幕ノ内の住民のひとりとなった。
その相撲は風雲児と呼ばれるに相応しい、観る者に努力の力というものを信じさせてくれる迫力があった。
『本日も盛り上がっております大相撲!折り返しの八日目とあってか、どの力士も疲労が見え始めてきた印象です!』
『ここからが正念場ですね。特に勝ち星を積み上げている力士はその真価が問われます。……が、彼に限ってはその心配は杞憂の様ですね』
解説の声が走る土俵上。
そこに立つのは宝槍『天下三名槍』の1人、蜻蛉切。
彼は鬼切に敗れた1敗を見事守り抜き、優勝戦線の最先端を走っていた。今も妙斧山を破って泰然と佇む姿は、もはや下位力士のそれではない。上位と割が組まれ始めたが、彼の勢いは留まるところを知らなかった。
『幕内下位から這い登ってまいりました蜻蛉関!……しかし油断はなりません、背後からは彼と同世代の若武者2名が追随しております!』
『ともに5勝2敗、白狼と太郎太刀が次の土俵で胸を合わせます。この勝負でどちらかが優勝戦線から離脱するため、非常に注目が高まる一戦です』
いまだ無敗の大関・横綱が健在だが、まだ上位との対戦を残しているため今場所も『2敗』が優勝ラインだと予想されていた。
この八日目が分水嶺。
大番狂わせを演じるためにも、今日の取組は互いに絶対負けられないものがあった。
「お前と本割で戦うのは初めてだな、白狼関」
「ああ、胸を貸してもらうぜ太郎関」
塩を撒きながら互いに
憎いわけではない、好敵手だと認めるからこそ遠慮のない殺意が交わされるのだ。
八日目の割、【白狼─太郎太刀】。
幕内にて初めて胸を合わせる2人の舞台は、非常に切迫した状況であった。
『両者、仕切りから存分に気が高まっております!この勝負、どういう展開になると予想されますか?』
『そうですね、太郎太刀は押し相撲一貫の力士です。対する白狼も今場所激しい突き押しを見せてくれましたから、おそらく至近距離での乱打戦になると思われます』
学生の頃は組んでの四つが主流だった太郎太刀。
しかし大相撲に進出してからは押し相撲に転向。そのハマり具合は凄まじく、爆発的な成長と威力を見せていた。
かたや白狼。
彼は祖国モンゴルより海を渡ってきた国宝に並ぶ逸材である。
敗北を経て成長した今場所の彼は新たな武器を携え、快進撃と呼ぶに相応しい勢いで駆けてきた。
この勝負、それぞれ新たに手に入れた武器がどれだけ磨かれているかが勝敗を分けると見られた。
「時間いっぱい!手をついて!」
行司の声に仕切る2人。
言われるまでもなく臨戦態勢。
ドクン、ドクン、と心臓が高鳴る中、直ぐに戦いは始まった。
「はっきよい!!」
同時に立つ。同時に腕が伸ばされる。
諸手突き──『撃砕』
打突の型──『狼筅』
白狼の胸、太郎太刀の顔面に刃先が突き刺さる。
両者弾かれるも、直ぐに刀身を振りかぶった。
「ぉおお!!」──【鬼炎万丈】
「らぁあ!!」──【獅子奮迅】
ゴッ!!と今度は頭からの激突。
廻しを取らんと白狼。
だが一瞬早く太郎太刀が脇の下・脇腹にハズを差し込み、白狼を押し込んだ。
『太郎太刀押し進むー!低い身長を逆手に下から強烈な押しー!』
『ハズ押しとしてこれ以上ない形!廻しに手の届かない白狼が押し出されていきます!』
力士としては小兵とされる低い身長。
しかしその下から突き上げる押し相撲で数多の『怪物』を屠ってきた太郎太刀。
彼もまた怪物の中の一人として土俵に君臨する者──『幕内力士』なのだ。
(強い!さすがは鬼関がライバルとして認める男……!)
目の前で燃え盛る太郎太刀の目。
その強い意志に圧倒されながらも、白狼の目に修羅が宿った。
(ッけど、そんな強いアンタに勝って俺は上へ行く!!)
「!?」
『なっ!?白狼、土俵際引いた!?』
押されて窮地に陥る白狼が、自ら身を引いた。
国技館が驚く中、徳俵を踏んだ白狼が懇親の一撃を放った。
追い突き──『爪牙追掌』
迫る太郎太刀にカウンター、再びの顔面にクリーンヒットする。
追い諸手突き──『撃砕ッ』
「ッが!?」
だが止まらない、効いていない。
白狼の突きを額の向こう傷で受けた太郎太刀は、怯むことなく突き進む。
「おぉお゛!!」──『撃ッ
土俵際仰け反る白狼、そこにダメ押しの諸手突きが放たれた。
──砕!!』
「ッッウガァア!!!」
ゴッ!!と額で受けた白狼。
俵を楔に、瞬時に腰を割って真正面から耐えてみせたのだ。
『白狼残ったー!!太郎太刀の強烈な諸手を見事正面から受けきったー!!』
『ッ!?それだけじゃない、太郎関の腕を取って!?』
突き出された片方の腕。
それを両腕で抱え、体を入れ替えるようにして捻った。
──それは、かつてのチームメイト榎木の合気技。
合気流法──腕捻り
「ぐっ!?」
立場が逆転、ズザザ!と俵に救われる太郎太刀。
その隙に白狼が体勢を整える。
──半身の構え、堅守の型【武骨】
ガシリ、と廻しとハズに差し込み、足を前後に大きく開いて機先を制す。
押したい太郎太刀を近づけさせない、近寄らせない構え──加納がモデルの型だ。
『白狼目まぐるしく新たな技を魅せます!突きだけではない、実に多彩な取り口で相手を翻弄してみせます……!』
柴木山部屋の稽古だけではない。
かつての鳥取白楼高校で共にしのぎを削った
独り海を渡り、孤高を気取っていたあの頃の一匹狼はもういない。
「横が甘いよ!」
太郎太刀が叫び、バチイィン!!と白狼の顔面に張り手が走る。
押し相撲により強化された上半身、そこから放たれる張りの重さはまさに暴力。
大相撲で勝利を味わう度に、自分の内に秘めたる凶暴性が剥き出しになっていくのを太郎太刀は感じていた。
それはかつての彼──学生の頃からは考えられぬ勝負師の顔。
だがそれは決して急に現れたのではなく、独りだったあの頃の、『狂気の忍耐』が今、大相撲という舞台で形を為したのだ。
「はぁあ!!」
「ぐっ!?」
太郎太刀の強烈な張り手の連打。
思わぬ強襲によろめく白狼。
この一進一退の攻防に、観る者全てが興奮し、昂り、場内が活気に満ちていく。
『太郎関再びの攻勢!白狼苦しいか!?』
『ッいえ、白狼廻しを掴みました!しかし太郎太刀もすかさず廻しを引く!土俵中央胸を合わせました!』
至近距離、乱れた息が交差する。
白狼右下手、太郎太刀右上手のがっぷり四つ。
組んだとなれば体重のある太郎太刀有利だが、しかし体勢が良いのは頭をつけている白狼。
長期戦は厳しいと判断、瞬時に必殺の技を放った。
「オラァア!!」
二枚蹴り──『狼牙』
「やるやんけ、バト」
この勝負を観ていた童子切──天王寺が不敵に笑う。
太郎太刀と同部屋であり白狼とかつてのチームメイトであった彼は、土俵で向かい合う男たちの実力を正しく認識していた。
「……せやけどな、その男はワイが認めた男や、ナメたらアカンで!」
「ッ!?」
白狼が目を見開く。
蹴った足が動かない。いや、そもそも吊り上がっていない。
二枚蹴りの直前、太郎太刀は上手越しに重心を引き付け腰を落としていたのだ。これでは吊るのは容易ではない。
「俺はッ!潮のライバルだ!!」
吼える太郎太刀。
ぐぐぐ……!と白狼を強引に引き寄せる。
太郎太刀は押し相撲に転向してからというもの、徹底的に上半身を鍛え上げていた。
多少体勢が悪くとも、そこから逆転できるだけの稽古を積んできたのだ。
「おぉお゛!!」
『今度は太郎太刀が吊る!吊り上げるー!このまま一気に決めるつもりだー!』
「いけぇ部長!!」
天王寺の隣から鬼切──辻が堪らず叫ぶ。
この1年、太郎太刀は幕内上位の壁にぶつかり番付が停滞していた。
四つを捨て、押し相撲に転向したお陰で入幕できたのも事実だが、それだけでは通用しないのが『怪物の棲家』たる幕ノ内である。
……──「なら、もうそろそろ四つも解禁しよか小関」
半年前。
稽古で泥に塗れる太郎太刀──小関に天王寺がそう言った。
急な宗旨替えの宣言に、小関の朦朧とした頭はさらに混乱した。
「……ハァッ、ハァッ……っえ?でも、勝つためには押せって言ったのは大関じゃ……?」
「アホ、そりゃ勝つには押すんや。でも戦うんに刀1本だけやと心許ないやろ?せやから今度は次郎太刀も
「じろ、だち……?」と尚も困惑する小関に、酸素ボンベに寄りかって肩で息をしていた辻が話に加わった。
「ハァーッハァー……、ッ大関は、まさか上半身が弱い部長に鍛えさせる為にッゲホ!……押し相撲を勧めたんですか……?」
「そうや。しかしまさか、幕内下位まで圧倒してくるとは思わんかったけどな。ごっつい成長でビビったわほんま」
バンバンと豪快に背中を叩かれ「ごっつぁんです」とはにかむ小関。
だがそこでビッ!と人差し指を突きつけられた。
「……せやけどな、鬼丸……、ひいては俺らを倒したいんやったらまだ足らん。もっと揺さぶれや、緩急をつけるんや!お前の『耐える力』を、今こそ発揮する時やで!」
押し相撲により強化された上半身、そして元々下地のあった粘りの下半身の融合。
今その稽古が実を結び、小関は真に国宝クラスにまで飛躍する──……
……──「その四つこそ本来のアンタの型だ!勝て部長!」
中継越しに辻の声援が飛び、同時に太郎太刀が咆哮を上げた。
「おぉおああ゛!!」
『吊ったー!白狼絶体絶命ー!!』
白狼の体が浮き上がる。勝負は着いたと思われたが……
「負けっか、ッよぉおおお!!」
伸びきる寸前の膝、そこに外掛けた。
ガクンと傾く太郎太刀に、荒ぶる白狼が首に鉈を振るって密着した距離を離す。
『暴れます白狼!手負いの獣が激しい抵抗を見せます!!』
『白狼地に足着いた!そして突く!喉輪ー!太郎太刀に果敢に噛みつきます!!』
白狼怒涛の突き押し。
だがそこは太郎太刀の押し相撲の間合い、力の出る間合いでもある。
「俺だってッ、負けるかッ!!」
土俵中央、激しい押しと突きが炸裂する。
互いに負けられぬ闘い、両雄一歩も引かぬ攻防が繰り広げられる。
「オラァ!!」
我流小手投げ──『六ツ胴喰い』
「ぐっ!?」
押し合いの最中、仕掛けたのは多彩な投げ技を持つ白狼。突き出された腕を極めて荒々しく小手に振った。
しかし極めが甘く、太郎太刀は強引に耐える。
だが体が開いた隙間にすかさず腕が伸ばされた。
変形右下手投げ──『鬼喰らい』
今度は下手投げと足掛けの合わせ技。
しかし重心を低く保つ太郎太刀はこれも残した。
『白狼怒涛の攻めー!……ッが、決まらないッ!太郎太刀が意地の、いや執念とも言うべき耐えを見せます!!』
『守りに入るとこれ程までに耐えるのか太郎太刀!!驚異の耐久力です!!』
あの童子切でさえ、守りに入った今の太郎太刀を土に付けるのはおいそれといかない。
この1年、幕内の荒波に揉まれ続けた太郎太刀の実力は、確かに国宝級へと迫っていた。
「お゛ぉおッ!!」
「ッ!?」
巻き替え、暴れる白狼を組み止める。
怒涛の攻めで呼吸が乱れた白狼の、その一瞬の隙を突いた。
一時は捨てた四つ相撲。故にイチから鍛え上げた彼の刀身は、誰にも触れられぬほど熱く猛っていた。
下手からの寄り──『突貫』
猛進する太郎太刀。
それを次郎太刀と呼ぶにはあまりに凶暴、巨大な太刀を二振り振り回すが如き姿だ。
その突進を前に、白狼は全く抗えなかった。
(強ぇ……ッ!突きも投げもっ、全く通用しねぇッ!!)
太郎太刀の背中越しに電車道が見える。
頭をつけられ、完全に為す術もない体勢。再びの土俵際が背後に迫る……──
(ッだからこそ、勝つんだろうが!!)
足掛けのみの二丁投げ──!!
死に体からの苦し紛れの一手。
だが現状で打てる全てを懸けた一撃。
体勢の崩れる太郎太刀。押し込まれる白狼。
両者の上体が土俵の外へと躍り出る。
「ッッ゛!!」
「ッ!!」
あらん限りの力を使い相手を先に落とす、相手より長く土俵に残る。
最後まで諦めない。足掻く、勝敗が決するその時まで──……
ドシャアッ!!と激しく2つの影が落ちた。
「……ッ!」
先程まで声援が飛び交っていた国技館は今やシンと静まり返り、誰もが行司の軍配に注目していた。
「……ッ!」
だが行司がなかなか動かない。
土俵際の際どい攻防、さらに2人の凄まじい気迫に圧され、決めあぐねている様子だった。
落ちた2人も勢いよく起き上がり、土俵上の行司を凝視する。本人たちもどちらが勝ったか分からないのだ。
勝敗は決めねばならない。
意を決した行司が、ばっ!と勢いよく扇を返した。
「
一刻の間。しかし直ぐに歓声が湧き立った。
「……ッ!クソ!!」
その歓声の中で、白狼の無念のこもった叫びがかき消されていった。
これで3敗、優勝戦線から脱落してしまった事への苛立ちだ。
しかし毒を吐き出したのも束の間、深呼吸をひとつ、直ぐに落ち着いて土俵上へと歩き出した。
その隣に立つ太郎太刀はといえば、彼は自分の足下を厳しく見据えていた。勝利を手にしたとは思えない様子である。
そんな彼らを他所に、解説が興奮冷めやまぬ様子で今の取組を振り返っていた。
『ッッ激戦を制したのは太郎太刀ー!優勝戦線への道を見事勝ち取りましたー!!』
『最後の押し出しの気迫は凄まじかったですからね。際どい判定でしたがそれも納得……、ッいえ!物言い、審判部が1人立ち上がり物言いを唱えました!!』
会場が太郎太刀の勝ちに湧く中、解説の言う通り審判部の1人が立ち上がったではないか。
その審判は2人が落ちた場所に1番近かった人物で、誰よりも『落ちる瞬間』を見ていたのだ。
ザワザワと忙しない空気になる国技館。
東西の土俵端で待つ白狼と太郎太刀は緊張した面持ちで、土俵中央で話し合う審判部の様子を見守っていた。
「……」
「……」
ドクン…ドクン…、とただ待つだけの時間がどれほどもどかしい事か。
白狼と太郎太刀は互いを見つめ合いながら、ただひたすらに待った。
永遠とも思われる時間。しかし実際は直ぐにその判定が下された。
ばっ!と再びの軍配が返る。
「ただいまの取組、行司軍配差し違えで白狼の勝ちと致します!」
目を丸くする白狼。
フッ、と微笑む太郎太刀。
遅れて客席からドッ!と歓声が湧き上がった。
『なんと差し違えッ、行司差し違えとなりました白狼ー!まさかの逆転劇です!!』
『スロービデオを観てみましょう。……ここですね。落ちる寸前、最後まで押し込もうとした太郎太刀に対して、白狼は相手の廻しを掴んで体を入れ替えるような動きをしています。決まり手は下手捻りになりますでしょうか?画像を観ると一目瞭然、太郎太刀が先に手をついていますね』
最後まで攻めに徹した太郎太刀、それが裏目に出た結果であった。
彼はこの結果を分かっていたのか、ふーっ、と勢いよく息を吐くと礼をひとつ、土俵を下りていった。
『とはいえ、あの体勢から捻った白狼が凄いですよ。普通押し込まれたら体が下になっているワケですから、行司が太郎太刀に軍配を返したのも頷けます』
『白狼まさに執念の勝利!太郎太刀は惜しくも優勝戦線から外れる結果となってしまいましたが、しかし見事な接戦でした!会場中から惜しみない拍手が贈られます!』
万雷の拍手に包まれる土俵上。
白狼はまだ驚いているのか、目を見開いたまま手刀を切っていた。
そうしてヒョコヒョコ覚束無い足取りで土俵を下りると、付き人の寺原、星野、それと火ノ丸に出迎えられた。
「やりましたね白狼関!凄い相撲でしたよ!」
「ああ、やっぱスゲェなお前!あんな体勢から勝っちまうなんてよ!」
寺原と星野が手放しに喜ぶが、しかし火ノ丸はバトの呆けた顔を見て苦笑をこぼした。
「納得いかねぇか?バト」
その言葉にピクンと反応したバト。
しばし火ノ丸と見つめ合うと、バツが悪そうに視線を逸らした。
「そうっすね。正直、最後の方は必死すぎて覚えてないんすよ。だから実感が湧かないっていうか……、ボクは実力で勝てたのかなって……」
先日敗北を喫したからか、いつもの不遜な態度はなりを潜め自信のない白狼。
そんないつもと違う様子の彼に寺原と星野は口を噤むが、火ノ丸は彼の背中をバン!と叩いた。
「ッいってぇ!?何すんすか鬼関!?」
「バカヤロウ。その言葉を部長……太郎関に言ったらまた諸手を喰らうぞ。ビデオで観ても完全にお前の勝ちじゃ。……それでも自分の実力じゃねぇってんなら、今度はそうならねぇようにもっと稽古を積まんとな」
「……うす」
火ノ丸の率直な言葉に、肩を落としながらも素直に頷く白狼。
勝敗は確かに白狼の勝ちであった。
ただ白狼個人としては、先に土俵外に押し出される形となった事が負けたと感じる要因だった。勝てたのも自分の無意識な悪あがきであるので、素直に喜べないのである。
しかし勝負の世界とは得てしてそういう事もあるのだ。
綺麗な勝ち方を選べるほどまだ自分は強くない、と白狼は自分にそう言い聞かせ、彼は土俵を後にした。
◆◇◆◇
「我らが長門部屋の幕内力士が揃って負けかいな。どないしたん、初場所も折り返しで疲れたんか」
「うっ!すみません……」
「……まぁぶっちゃけ、疲れてます」
東の支度部屋。
そこで腕を組む童子切の前で、太郎太刀と鬼切が申し訳なさそうに頭を下げていた。
太郎太刀3敗、鬼切も2敗と立て続けに黒星を積み上げてしまい、昨日までの部屋を上げての優勝戦線が崩れてしまったからである。
しかし童子切は言葉とは裏腹に、微笑を浮かべてご機嫌な表情であった,
それもこれも、この2人を倒したのがあの男だからだ。
「ま、バトにやられたんならしゃーないな。アイツは今でも横綱を目指してるアホの1人や。鬼丸ばっか見てるお前らじゃ、だいぶ厳しい相手やったろ」
大関の遠慮のない言い方に、ぐっと言葉に詰まる平幕2人。
この2人も横綱を目指していないワケではないが、しかし彼らにとっての横綱像が鬼丸だという事も事実である。
それを見透かしている童子切は立ち上がると、ばっ!と羽織を脱ぎ捨てた。
「ま、明確な目標がいるのはいい事やで。…やけどな、お前らの目の前にいる男こそが今いっちゃん横綱に近い奴なんやで。俺の取組を見て自分の褌締めんかい!」
ここまで全戦全勝の童子切。
次期横綱と名高く、国宝世代でも最も注目を浴びる人気力士である。
そんな彼の八日目の相手を飾るは『雷神』、西関脇“大典太光世”。今場所6勝1敗とノリに乗っている豪傑である。
「さぁて、今日も気張って相撲取らせてもらいましょかぁ!」
続々と優勝戦線から力士たちが零れ落ちていく初場所の土俵。
今宵もまだまだ波乱が続く。
大相撲初場所、続・八日目の割──
【童子切─大典太】