西日が差し込む放課後の教室。ここには私と翡翠色の瞳をした少女の二人だけ。他には誰もいない。それもそうだ、人がいなくなるまで彼女には待ってもらったのだから。
我ながら無理を言ったと思うけれど、これからしようとしていることは、私が今から口にしようとしている言葉は、他のクラスメイトたちに見られたり聞かれたりするのは恥ずかしい、というのが正直なところだった。
「・・・それで、話って、なに?」
怪訝そうな表情をしている彼女。私は高鳴る胸を押さえて、数度息を吸って吐くのを繰り返して、秘めた想いを言葉に変えて口に出した。
「えと、その、ずっと好きだったの。あなたのことが・・・友だちとして以上に、好きになってた。だから、だからね、お付き合いして・・・ください・・・」
一世一代の大勝負。その時の気持ちはまさにそんな感じだった。言葉は後半になるにつれて尻すぼみになっていたけれど、初めての告白にしてはよくできたと思う。彼女は私にとって数少ない友人で、そして初めて好きになった人だった。その彼女への告白は、今までの友人としての関係性から、さらに一歩も二歩も先へと進むためのプロセス。お互いの気持ちの確認。夕日に照らされた私の顔は、また違った赤さで彩られているに違いない。
突然の告白に彼女は面食らったようで、あー、とかうー、とか、そんな言葉にならない言葉をいくつか吐き出して、視線を泳がせていた。それの意味するところを、今なら少しは察せられる。けれど、その時の私は自分の告白に対しての色よい返事を信じて疑わなかった。・・・そんなこと、あるわけないのに。
「・・・えっと、ごめん。
「え・・・」
「だってさ、わたしたち女同士だよ? それなのに友達以上の好きとか、お付き合いするとか・・・
「ふつ、う・・・?」
さぁ、と全身から血の気が引くのが分かった。ぎゅっと縮こまる心臓が送り出すのはついさっきまでの沸騰するような熱い血ではなく、氷のように冷たい血液。一気に冷え切った血が、彼女に言われた言葉を乗せて全身に廻る。私の思いを拒絶されたことよりも、普通じゃないと言われたことがショックで、心に重く鉛のように圧し掛かる。
普通、普通って・・・なに? そんな疑問が頭の中をぐるぐると回るけれど、答えが返ってくることはもちろんなくて。彼女の顔を見ることが出来なくなって、視線を下へと落とすと、彼女のスカートに付けられている缶バッジが目に入った。前に二人で出かけたときに買った、お揃いの缶バッジだ。思い出の、大切な・・・けれど今は、それを見ているのも辛くて。
「・・・あ、そうか。もしかして男の子に告る練習? それならそうと言ってよ零。大事な話があるからって聞いて、なんだろう? と思ってたらいきなり告白されて・・・びっくりしちゃったよ」
「あ、う・・・うん・・・。そう、そうだよ・・・。だ、男子に、告白する、練習。ごめんね・・・いきなりで・・・」
「だよねだよねー。零がわたしに告白なんて、まさか本気なわけないもんね。わたしたち女同士なんだし」
違うとは言えなかった。本気だったなんて口にできなかった。だから私は唇をきゅっと引き結んで、言葉が出て来ないように押しとどめた。
初恋にして人生初の告白。その結果は惨敗。
こうして胸の内に秘めていた私の想いは、無残に砕けて散ったのである。
………
……
…
「あ・・・夢か・・・」
映像が途切れるようにして、私の意識は現在へと戻る。夢、それもかなり昔の、まだ中学生くらいの苦い苦い思い出。ずっとずっと忘れていたけれど、まさか夢に出て来るなんてね。あの頃は本当にこの世の終わりみたいな気分だったけれど、それもいまとなっては笑い話だ。
夢に出てきた初恋の人・・・薄いブラウンの髪に翡翠のような色合いのきれいな瞳が印象的だったっけ。私の数少ない友人で、放課後や休日はよく二人で遊んだのを覚えているわね。学校を卒業してからは離れ離れになってしまって、それっきりだけど・・・いまはどこで何をしているのかしら。元気でいればいいけれど。
・・・彼女の言葉は、いまも私の心にしこりとなって残っている。テレビの向こうではそういうカップルがいて、その思いを公にして愛を貫き通すのはすごいと思う。・・・私にはできそうにない。あの時の言葉が、初告白で玉砕した記憶が、私の足を竦ませる。
また拒まれたら、今度はもっと強い言葉で拒絶されたら・・・そう思ってしまえばそこで止まってしまう。立ち止まって、うずくまって、秘めた想いを心の引き出しの奥底にそっと仕舞い込んで誰にも知られないようにする。あの日からずっとそうして来たし、そうでなくてもいまの私は―――
「そろそろ起きないと・・・」
思考を断ち切るようにして体を起こして伸びをする。んー、と背を伸ばすと寝ている間に固まってたのか、体のあちこちが小気味のいい音を立てた。
朝食・・・の前にまずは顔を洗わないとね。寝癖で髪もすごいことになっているだろうから、それも直さないと。
そう思いベッドから左足を下ろすと、冷たい床が気持ちいい。足の裏から伝わってくるこの感触が私は好き。次いで脇に置いてある義足を、右脚の膝から少し上から先が無くなっている所に嵌める。それからしっかりと固定して・・・うん、大丈夫そう。しっかりと確認しておかないと、ズレたら痛いし怪我の元にもなりかねない。
「・・・っと」
義足を付けたら立ってみて歩く。ぺたっ、こつん。交互に鳴る二つの違う足音。よしよし、今日もいい調子ね。
最初は違和感や痛みがあった義足も、今やすっかりと慣れたもの。付け外しにもたつくことはなくなったし、部屋の中を歩くだけなら何かに掴まったり、誰かに助けてもらうこともなくなった。一応外出するときは杖を使うけれど、あれは保険のようなものだし。
「えーと、乾いてるタオルは・・・っと、これね」
洗濯物ラックからフェイスタオルを一枚取って洗面台へ。ステンレス製の折り畳み式洗濯物ラックは、一人暮らしを始める時に買ったもの。フェイスタオルだけじゃなくてバスタオルも掛けられるから、とても重宝している。
乾いたタオルは畳まなきゃとは思っているのだけれど、ラックに掛けたままの方が何かと便利だし何より一人暮らしで他に気にする人もいないから、ついついそのままにしちゃうのよね・・・。
洗面台で水を出してぱしゃぱしゃっと顔を洗う。まだ少しだけ残っていた眠気が水と一緒に洗い流されて、持ってきたフェイスタオルで水けを拭き取ればスッキリとした気分になる。お次は寝癖直しね。鏡を見ながら寝癖のついた髪をくしで梳いていく。
そういえば、前に髪を切ったのはいつだったかしら。髪が長いとシャンプーの手間が掛かるし寝癖もすごいから、そろそろ切りに行ってもいいかもしれない。
「いっそバッサリと短めにカットしてもらうとか。うーん・・・でもなあ、ずっと長かったし。短くしてやっぱり違うってなってもイヤだしなあ・・・。けど長いのは長いので手間が掛かるしなあ」
・・・こういう時にGBNなら指先一つで髪の長さを変えられるのに、現実はそうもいかない。いつか指先一つで自由にヘアアレンジできる時代がこないものかしら。人類の技術の進歩というもので・・・なんて。ヘアカットについては保留にして、寝癖も直ったし朝食にしよう。
台所に向かって冷蔵庫を開けると、中身はほとんど入っていなかった。あるのはミネラルウォーターとエナドリが数本に、なぜか冷蔵庫の中段で冷やしガンプラになっているEGストライクガンダム。なぜストライクがこんなところに・・・? 寝ぼけて入れちゃったのかしら。手に取ってみると当然ながらキンキンに冷えている。謎は深まるばかりだけど、あとで棚に飾っておいてあげよう。
「あー、冷凍食品もインスタントもない。買ってこないと」
思えばここ数日、ガンプラ製作の追い込みで籠ってて外に出ていなかったわね。その間に備蓄していた食料を食べつくしたらしい。製作の方はひと段落ついてるし、買い物ついでに朝食も食べに行こう。そうと決まれば外行きの準備だ。部屋に戻って、脱ぎっぱなしで椅子の背もたれやベッドの上に放置されている服を着る。夏場ならともかく、いまの時期は少しくらい着まわしても大丈夫でしょ。妹の久遠がいれば卒倒するかお説教コースなことをしながら、ぱぱっと身支度を整える。
いつも着ている鉄華団ジャケットに袖を通して、髪をクリップで軽くまとめてキャスケット帽に収める。それと今日は食料も買うから、大容量のバッグを背負っていく。このバッグも一人暮らしを始める時に買ったもの。大きいから色々入るし、何より荷物で手がふさがらないのがとても助かっている。
「よし・・・」
準備を終えて、靴も履いた。ドアノブに手を掛けて外に出る。数日振りの太陽の光がちょっと眩しい。
「今日は会えるかな・・・」
これから朝食を食べに行くお店。そこで働いている人の姿を思い浮かべる。時間帯や日によってはいないこともあるけれど、今日は会えるといいなと、小さな期待を胸にして向かうのだった。