遊☆戯☆王:OCGワールドストーリー”深淵の烙印世界” 作:erugon
アルビオンとエクレシア、二人を囲む氷に映ったのは、大霊峰相剣門だった。
「我ら相剣師は、この大霊峰相剣門の遥か地下、
氷の映像は霊峰の地下に向けてフォーカスしていき、地面を通り抜けて地底湖へと辿り着く。
そこには相剣門の山の内側に存在する石と同じものが、空中を漂っている。相剣門外部でも浮遊する岩があったが、地底となるとその神秘性はより増してくる。
「氷水とは、正確にはこの霊峰を巡る力そのもののことだ。それが人格を持ち、我ら相剣と交渉し、対話することができるのは、顕現体であるコスモクロアがいるおかげだ」
「顕現体……つまりエネルギーに魂が宿った、精神生命体の一種ですね」
「その通り。それは氷と水から形を作り、今もこの地下に存在している。そして、我らは彼女らから力を借り受けているのだ」
ガシャン、と承影の剣が音を立てる。
「我ら相剣師の剣は、氷水の鏡に自らの心の姿である〝相〟を映し、形を成す」
「〝相〟――内面を表す外見、のことですか」
「どういうことだ?」
エクレシアは承影の話についていっているようだが、アルビオンはその長い首を傾げる。多少わかりづらいことは、承影もエクレシアも理解できていた。
「今のアルバスくんの姿は、ドラゴンですよね。でも、普段はわたしと同じ、人間です」
「でも、おれとしては今この姿、結構しっくりくるんだけど」
「それが、〝相〟です。アルバスくんの本質と外見が今一致している……かもしれないんです。心の内面が形となって現れたのが、今の姿なのかもしれません」
「そう、なのか?」
アルバスとアルビオン、その姿の真実がどちらにあるのか。それは本人にすらわからない。だが、心の内側に存在したドラゴンとしての性質が今体表に現れたからこそ、人間の姿に戻らず、ドラゴンの姿を自然と感じているのだと、エクレシアは予測する。
「しかり。我らの剣は、心の現われである。かつては霊峰を巡る力の存在によって争いの渦中にあったイニオン・クレイドルを、我は平定した。その時より、この剣はある」
ヒトの心を形にする力。
霊峰に到達するために雲の中を通ったのは、この空間を隠すための氷水の力らしい。巨大な空間を歪めるだけの力が、心優しく正しきものの手にあり続けたということは、決してない。
「我ら相剣師はこの力を守るために存在する。自らの心を映した剣は、自らの心が折れぬ限り決して刃こぼれすらない。守るべきものを守る力。我ら相剣師が振るう剣は、そのための刃だ」
そんな、霊峰を守り続けてきた相剣師たちが、外界に助けを求めた。
「ホールより来たりし者、アルバス。運命の者を導く聖女エクレシアよ。氷水の母たるコスモクロアが待っている」
大きな戦いが迫りつつあることは、アルビオンもエクレシアも理解できた。
「ただし、その前に……」
承影の視線が、傍らに控える獣へと移る。先程から唸り声一つ上げていない獣が、のっそりと起き上がった。
「
「心の底の、性質……」
「真なる姿を見せよ。黒竜」
「ヴォ――――――ッッ!!」
純鈞が吠える。大気を押しのけ、相剣角が光を放つ。
それはエクレシアの体表には金色の、アルビオンの体表には紅の輝きを作り出す。
周囲に広がる氷の壁に、二人の姿が映し出された。
気づいたとき、アルビオンの姿は、アルバスの姿に戻っていた。
周囲は漆黒の空間で、光源などないはずなのに自分の姿がはっきりと捉えられる。
「ここは……?」
目の前に、鏡がある。
否、これは氷水の氷だ。触れるとひやりとして、確かな冷気を伝えてくる。
「おれ、こんな顔だったのか……」
水面に映った自分の姿を見たことはある。だが、ここまではっきりとした像を浮かび上がらせはしないため、うすぼんやりとしか見たことはなかった。
褐色の肌と白い髪に混じる赤い線。人間にしか見えない姿だが、その本質は――。
「ドラゴン、この姿が、本当のおれなのか?」
一瞬鏡の表面が光ったかと思えば、そこに映るのは、アルビオンとしての姿だった。
炎に包まれた烙印竜としての姿は、何か別のところから力を得たことで変化した姿だった。アルバス本人の力だけで変身したのは、間違いなくこの黒衣竜としての姿のみだろう。
「おれは、一体どうやってバスタードの姿になったんだろう……」
ホールから落ちて来た時、自覚はなかったが灰燼竜と呼ばれる姿になっていた。銀色の鎧のような鱗を纏ったドラゴン。今でこそ任意で変身できるとは言え、最初はどうやったのか、見当もつかない。
「ブリガンドになれたのは、エクレシアの聖痕を奪い返した結果だったし……」
痕喰竜は、ドラゴンと言うより獣だった。周囲にいたトライブリゲードの面々からも、何かしら影響を受けていたのかもしれないと今なら思える。
「おれは、結局何者なんだ」
いまだ、記憶はまともに戻らない。ただ感覚的に、様々なドラゴンの姿へと変身できることだけはわかる。
「思い出したいの、そんなに?」
問いかけの声は、自分の者ではない。
「――ッ!?」
氷の鏡に映ったのは、自分の姿でもなければ、アルビオンとしての姿でもない。
真紅の髪をした、自分と同じ顔をした少年。恰好は全く違うが、もし横に並べば双子と間違われることもあるだろう。
「正邪と心の底の性質を見極める……そう聞いたとき、どう思った? 怖いって思わなかったかい? 本当の自分が、邪悪な存在なんじゃないかって」
「お、おれは……」
「エクレシアと一緒に居て勘違いしているんじゃないか? 烙印を身に宿した君たちは、真に聖なる存在などではないと理解したほうがいい」
「烙印……やっぱり、ドラグマの力は、ホールの……」
「創り上げられた聖女なんかと一緒じゃあ、この深淵を渦巻く力を止めることなどできはしない。本当の自分を取り戻せ。お前の本質は――」
パキンッ!
その音は、ひび割れた氷の鏡からした音だった。
「おれが邪悪なドラゴンだったとしても、それはいいよ。でも、エクレシアのことを否定するのは、許さない」
静かな怒りが、拳に乗っていた。
「へぇ、偽物の聖女様、そんなに気に入った?」
「エクレシアは、おれに名前をくれた」
ひび割れは広がっていき、氷の鏡全域に到達しようとする。
「おれと一緒に旅をしたいと言ってくれた」
氷の鏡が割れる。崩れ落ちる欠片の向こう側で、赤髪の少年は不敵に笑う。
「おれが、おれ自身を信じられなかったとしても、おれはエクレシアを信じる!」
それこそが、アルバスの正邪の証明だった。
「お前が誰かは知らない。でも、エクレシアは、偽物なんかじゃない!」
自分の本質を知らない少年にとって、聖女を信じる心こそが唯一の拠り所だ。
「これが、そなたが恐れる邪悪であり、そなたの信じる正義の在り方なのか」
声は、前からではなく後ろからした。
振り向いたアルバスの目に、承影の姿が映った。
「相剣の大公。大地の力の守護者か」
「何者かは知らぬ。だがこの少年の心に入り込む邪悪な気配は、我らの敵だと確信できるな」
砕けかけた鏡に向けて、承影は自らの剣を突きつける。
「気を付けた方がいいよ? そいつはあんたが思ってるほど、綺麗な存在じゃない」
「そなたの評価は聞いていない。この少年の――アルバスとともに戦うかは、信じるに値するかは我ら自身が決めることだ」
承影の宣言に、赤髪の少年はニヤッと笑う。
「そう。じゃあ試して見なよ。この異空の魔王相手にさ」
彼が指を鳴らしたとき、空間が拡張されていく。
広々とした青空と、同時に眼下に広がるのは見たことない石造りの街。ドラグマとは建築様式の異なる尖頭の建物が多いこの場所を、アルバスは見たことがない。
「なんだ、ここ……」
「我らの心のうちに描かれた異次元の空だ。夢のようなものだが、ホールを介して奴が見た世界が映し出されているのだろう」
承影のほうを向くと、彼は空を見上げていた。なんだと思いアルバスもそちらを見た時、驚くべき光景が目に入る。
「な、なんだよ、あれ……」
「遥か古の異次元において、魔界を統べ、人界を屠り、天界に牙を剥いた魔神の王がいたという。体躯は空を埋め尽くさんばかりに巨大で、天使、人、獣も竜も力を合わせて抗った末、滅ぼすことはできずに異界の狭間に封印したという」
それは、ホールから伝わってきた情報の一部だ。実際に承影も見るのは初めてで、封印された魔神の王が、このような場所にいるはずはない。
「天に聳える禁忌の魔神……その力を奪うためにまず名を奪われ、天の大岩に繋がれた」
ゆえに、その体は生物よりも岩石に近いものとなった。だからと言って力が失われているわけではない。この世界の天使たちは、存在を恐れ彼の者をこう呼ぶ。
「――天獄の王」
「オォォォォォォォッ!!」
あまりにも巨大すぎる存在が、眼のようなものを備えた腕を振り下ろしてくる。
これが夢だとわかっていても、アルバスは警戒どころか逃走を選びたくなる。
街一つが落ちてくるのと変わらない。そんな状況で、承影は真っ直ぐに天獄の王を見上げている。
「どうやら、あれをどうにかせねば、そなたの夢から我らは覚めることができぬようだ」
「あいつが何をしたのかは知らないけれど、戦うしかないってことかよ!」
やけくそ気味に叫ぶアルバスは、両腕を交差させ、体内の力を放出する。
「金色の角を持つ盾の獣とならん。我が名は、痕喰竜ブリガンド!」
アルバスは自らの体を金色の角を持つ獣竜へと変える。鳥と竜、二つの特性を備えた翼を広げれば、天獄の王が振り下ろす拳へと向かっていく。
「盾よ!!」
両の角の間にある、羊のごとき後ろ向きの角と、サイのごとく前方に向かう角。その全ての頂点から放たれた光が、盾となって空中で天獄の王の掌を受け止めた。
眼科で逃げ惑う住民たちの姿が目に入る。彼らは上空の出来事にあっけにとられ、逃げるのを忘れてしまう。
「承影!!」
痕喰竜の呼びかけに、相剣の長は素早く応える。
「甲纏竜よ、我が身に宿れ!」
承影の姿に、金色のワームタイプのドラゴンが重なる。ガイアームと呼ばれる種族であり、一部の種族に力を貸し与える、稀有なドラゴンである。
その翼を得たことで、承影は加速する。
「夢想の空間とは言え、これほどの存在を引き摺り込むとは……侮りがたし!」
あの赤髪の少年はなんなのか。承影にも結論は出ていない。だが、目の前の相手を相手にする必要があることはわかっている。
承影はその指を切り裂き、天獄の王の攻撃を止めさせる。その隙に掌の下から現れたブリガンドは、両前足の爪に光を集める。
固い盾は殴りつければ鈍器となる。鋭い盾の頂点は、時に槍を超える一撃を作り出す。
それは、鉄獣の凶襲――シュライグの得意とした戦術にも似た力を持つ。
「おれがあいつの注意を引き付ける! 承影はあいつを倒せる一撃を!」
「承知した!」
ブリガンドの言葉に、承影は頷く。夢の世界だというのに、下の住人を守ろうとした少年は、こんどは自らが囮になるように天獄の王に向けて飛ぶ。
咆哮を上げ、天獄の王の視線を集め、はるか上空で方向転換。その頭に向けて爪と牙を突き立てる。
「うぉぉぉっ!!」
自らに盾があるから、引き付け役になるのは当然だろう。そんな心理から、彼は囮を買って出ている。決して打算的に引き受けているわけではない。
そうしなければならないという――どこか自殺願望にも似た自己犠牲と闘争本能が、彼にその道を選ばしているのだ。
「こいつの攻撃くらい止められなきゃ、エクレシアを守れない!」
危険だと思う反面、承影には思えた。
「世界を変えるのは、常に死地へと飛び込む者だ」
文字通り命がけ。絶望に立ち向かうのであれば、それを跳ね除ける気概がなくては。
「ならば、それに我らも答えよう」
刀身に赤熱を宿し、左手で逆手に構えた彼は、空中を蹴って天国の王の額へと迫る。
「
ブリガンドの攻撃を払いのける天獄の王の胸部。心臓があるであろうその厚く硬い胸部へ向けて、承影は相剣を振るう。
「
「――――――――――――ッッ!!」
長大な剣が、世界ごと天獄の王を切り裂いた。まるでガラスのように半透明な光の刃は、天獄の王の体をすり抜けるようにして通過する。
自らの体から魔力が血のように吹き出すその瞬間まで、斬られたことにすら気づけない。これが、承影の刃の一撃だった。
「これが、大公の力……」
夢想の世界が崩れ始める。
天獄の王自身はまだ戦えると言わんばかりに空いている手を承影に向けようとするが、彼は反撃の用意すらしない。
「異界の彼方で眠れ。魔神の王よ。そなたが現われるべき世界は、ここではない」
静かに佇む彼の目の前で、世界が砕ける。否。元に戻る。
ブリガンドの姿はアルビオンに戻り、離れていたはずの承影との距離もすぐ近くになっている。先ほどまでのこと全ては夢の話。疲れすら存在しない。
ゆっくりと、承影はアルビオンのほうを向く。
「記憶を持たぬ者よ。そなたの本質は過去になし。今聖女とともに歩んだ時の中にある。その心、純粋にして清らかなりしこと。そして勇あること。この承影が見極めた」
その宣言とともに、氷水の鏡が完全に消えた。直後、世界は元の建物に戻っていた。
目を開けた時、エクレシアとその傍らに瑞獣が控えているのを認識する。どうやら、彼女の方が先に戻ってきていたらしい。
アルビオンはエクレシアのそばに寄る。すると瑞獣が恭しく首部を垂れた。答えるように、アルビオンもその鎌首を下げる。
視線を承影に戻すと、彼は膝を付いていた。僅かに下がった視線が、アルビオンの視線とかち合った。
「瑞相剣究は終わりを迎えた。氷水の長が、そなたらを待っている」
彼は床に手を付くと、そこに魔術陣が描かれる。荘園の尾の装飾や、建物に描かれた紋章と同じ形の陣で、転移系の術だった。
「遥か地下、地底湖のコスモクロアの言葉を聞け。彼女らは大地を巡る力の結晶体。ドラグマの地に現れる脅威と戦うための力を、授けてくれるだろう」
「ドラグマ……なぁ、承影」
「如何にした?」
アルビオンは、承影に尋ねる。
「おれたちは、瑞相剣究の中で、赤い髪のおれを見ただろう。あれは、なんだ……?」
「……我にもわからぬ。ただあの瞬間、外部からの影響がそなたにあったのは確かだ。天獄の王との戦いも、そのせいだ。だがあのような中でエクレシアのことを信じたそなたを見られたのだから、怪我の功名と言えようが……」
明らかに、尋常な存在ではなかった。アルバス――アルビオンには理解できた。
承影も瑞獣を通して見ていたのだろう。彼にもわからないとなると、一体何だったのか。ドラグマに現れるという脅威――何か関係があるのか。
今の彼には、わからないことだった。
「さぁ、行け。時間は、あまりない」
その言葉を最後に、承影の姿が消える。
正確には、その場から消えたのはエクレシアとアルビオンだ。
自分たちを包む光が消えた時、地上の光が隙間から差し込む場所に降り立った。光を反射する氷の鏡、浮遊する岩塊。その中心に、黒ずんだ氷の精霊がいた。
「あれが、コスモクロアか。じゃあここは……」
「ここが、氷水底イニオン・クレイドルなんですね」
神秘なる地底世界が、そこには広がっていた。