遊☆戯☆王:OCGワールドストーリー”深淵の烙印世界”   作:erugon

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第十八章《氷水呪縛》

 

 

 氷水艇 キングフィッシャーは頑強だった。

 七星龍淵の一撃を食らいながらも、他の妖精たちとは違い砕けない。

 邪悪に染まったかつての味方の向こう側に砕かれた同胞たちの姿を認めると、咆哮を上げた。

 シカやトナカイに似た角を振り回し、七星龍淵を睨む姿は、怒りに震える聖獣にも見える。オーロラのような光線を纏いながら、邪悪に染まった相剣師を迎撃する。

 

「そう来なくてはな!」

 

 七星龍淵は武器を持たない。だがその代わりとなる強力な尾を持っている。

 キングフィッシャーの突撃に対し、七星龍淵は尻尾の蛇腹剣を振るって対抗する。

 全身に漲る黒炎は氷水の聖地を砕き、溶かし、焼き払う。イニオン・クレイドル全体が戦いの衝撃で揺れ、崩壊しかけている。

 その中で、七星龍淵は笑っていた。

 

「はははっ、いいな。今、俺は生きていることを、確かに実感している!」

 

 力を求める性ゆえか、彼は楽しむ。強くなることより、蹂躙することを選ぶ。その姿に、もう大霊峰を守る軍師としての姿はない。

 

「闇に堕ちたか、龍淵!」

 

 キングフィッシャーの喉元を狙った一撃を、相剣大公-承影の相剣が受け止めた。

 イニオン・クレイドルに衝撃が走る。最強の相剣師と、最凶の相剣師となった軍師。二人の刃は離れ、お互いに数歩下がる。

 承影はキングフィッシャーとコスモクロアを守るように右手を広げ、左手に相剣を持つ。一方で七星龍淵は拳闘士の如く拳を構え、尻尾を第三の腕として揺らす。

 

「承影よ、ようやく来たか。お前を待っていたんだ」

「待っていただと?」

「ああ。今こそ知れ。最強の幻竜が誰なのか。何が本当に正しいものであるか」

「力――と言いたいのか? たとえお前が私をここで打ち負かそうと、それはお前の正しさの証明にはならない。ただお前の傲慢さと弱さを知らしめるだけだ!」

「力なき者の言葉など、ただの戯言よ! 承影、貴様に見せてやろう。そして憶念(おくねん)せよ! 我が力!!」

 

 七星龍淵の体表で蠢く赤黒い炎が一掃燃え上がる。

 

「これは、相剣の力ではない。何よりも禍々しい、絶望の使徒の力か!」

「承影……龍淵の中に、大きな絶望が垣間見えます。ですが、彼の本心は――」

 

 コスモクロアの言葉が、承影に届けられようとする。だが、それより早く七星龍淵の刃が二人を狙う。

 本来なら、二つの相剣を取り戻した龍淵と雖も、大公-承影には勝てない。勝てていれば今頃彼が大公の地位についている。

 勝てなかったからこそ、自らの野心を切り離し、弟子である莫邪に己の剣と偽って与えたのだ。

 そして軍師と言う立場に甘んじ、心の内を隠す日々を過ごした。

 

「ははははっ! これが、これがデスピアの焔! 幻竜の鱗すら焼く、大いなる力!」

 

 ホールの向こう側に由来する力なのか。本来ならば炎に強い幻竜が苦しみ、氷水の力でも浄化できない。

 その尾に宿る力の出所も、辿れば氷水に類する。異なる力同士を共鳴させることで、より大きな力へと変えているのだ。

 デスピアのアドリビトゥムが起こした気紛れの訪問は、盛大な突発劇(アドリブ)を生み出し、大きな混乱を招いた。

 

「そのような、邪悪な力に!」

 

 承影は七星龍淵に向けて駆け出す。大剣をまるで棒切れのように高速で振るう承影に、七星龍淵は両腕と尻尾を使って対抗する。

 たたらを踏んで交代する七星龍淵だが、決して怯えた様子はない。

 

「さすがだ、承影。これだけの力を手に入れてなお、お前に勝てる確信が持てない!」

「ならば、その尾を引き千切り、お前の不安を証明してみせよう!」

「いいや。それは無理だ」

 

 激しいつばぜり合いをする承影と七星龍淵。

 彼の視線は、承影の後ろ――コスモクロアに向いていた。

 

「莫邪、やれ」

 

 その瞬間、承影は理解した。

 七星龍淵となるために莫邪の剣を取り込んだのなら、彼女は今どうしているのか。

 師匠の突然の変貌に絶望しているか。それとも混乱して何もわからず、どこかに隠れているのか。

 

 否――ここにいた。

 

 相剣でもなければ、ドラグマの勢力が使うような神器でも、トライブリゲードの面々が使うような特別な武器でもない。

 ただ一般的な鉄の塊の小太刀を手に、コスモクロアの傍らに立っていた。

 

「し、師匠の……龍淵様の、教えならば……」

 

 震える声と体で、小太刀を支えている。逆手に持ったそれを、コスモクロアへと突き立てようとしていた。

 歩くことすらままならない彼女に、避ける術はない。

 

「――やめないか!」

 

 承影は七星龍淵を蹴り飛ばし、その反動で莫邪の許に飛ぶ。

 右手を翳して小太刀を受け止めると、ぎりぎりでコスモクロアには届かせない。

 痛みに顔をしかめるが、致命傷と言うわけではない。突き刺さったままでも強引に振り払えば、刀は引き抜け、莫邪の軽い体は押し飛ばされる。

 莫邪は小太刀から手を離しながら後退すると、体全体を震わせた。自分が何をしていたのか、彼女も理解している。無機質な刀の落ちる音が、妙に響く。

 状況を理解しているからこそ、彼女も認めたくないのだろう。その想いが、体の動きに現れている。両手で顔を覆いながら喉を震わしていた。

 

 

 時代を遡れは、数年前。

 ある一人の少女は、自らの才に苦しめられていた。

 相剣師は、己の相を剣に出来なければ、相剣師足り得ない。

 その点で、少女莫邪は出来損ない――落ちこぼれと言っていい存在だった。

 自らの相剣を持たない。

 それはこの地に住まう幻竜にとっては、種族失格の烙印を押されるに等しい存在だ。

 自らの心を鍛え、己と向き合う中で相剣は生まれいずるもの。成し得なければ、その先に待つのは一族からの追放か、誇りなき生涯か。

 

『自らの相を、見出せずにいるのか。娘』

 

 幼い莫邪に声をかけたのは、漆黒の鎧を見に纏う誰もが知る相剣師――龍淵だった。

 

『龍淵、様……。私は……剣を創ることが、できません。相剣師に、なれません』

 

 涙ながらに零した言葉は、誰にも言えないごく単純な言葉だった。

 どうすればいいと周りに聞くこともできず、周りも聞こうとはしない。ただ心が限界に達しようとしていた莫邪は、初対面に等しい龍淵に心の内を漏らした。

 

『氷水の輝きを内に秘めた幻竜か。ただの幻竜である我々とは、多少構造が違うのかもしれん。そのせいで魔力の循環が、体内で阻害されているのか』

 

 仮説を立てながら莫邪のことをじろじろと見る彼に、莫邪は何か気恥ずかしくなってくる。

 

『あ、あの、そんな、まじまじと見られると、困ります……』

『何を己惚れておる。お前が相剣を宿し得ない理由は定かではない。だが、訓練の様子を見ていてもまだまだ未熟。その程度の気概で、相剣師足り得ると思うな』

 

 龍淵の言葉に、莫邪は仮面の奥の眉を顰めた。

 相剣を宿せないのは、修行が足りないからだと思ったことはない。少なくとも、誰よりも泥良くしてきた。先達からも、相剣大公からさえもお墨付きをもらった自分の修行への姿勢に、偽りなどない。

 それでもなお、龍淵はだめだという。

 

『ただの相剣師になる程度のなら、それでいい。だがお前は、相剣を宿せてもいない落ちこぼれだ。それが〝頑張った〟程度の修行で、何事をなせるというのか』

 

 その言葉に、莫邪に反論はなかった。

 当然のことだと、彼女自身も理解している。――しているが、改めて突きつけられると、少しだけむかっ腹が立つ。

 

『私が鍛えてやる。お前を、相剣師に相応しい存在にしてやる』

 

 突然の言葉に、莫邪は薄い目を見開いた。苛立ちは、一瞬にして消えていた。

 なぜ――そう思いながらも、龍淵の申し出を断る理由はなかった。

 翌日から始まった龍淵の指導。厳しく、容赦なく、ただ相剣師になるための鍛錬が始まった。そして数か月後、朝に目を覚ました時、傍らに彼女の相剣はあった。

 水色の蛇腹状の剣。相剣の中でも珍しい形状変化を行う剣だ。

 そうして、相剣師-莫邪は生まれた。

 

『龍淵様! 見てください! 私も、私もついに……!』

 

 涙ぐみながら報告した時、龍淵の手は、そっと彼女の頭を撫でた。賞賛の言葉もなく、労いの言葉もない。だけれど、莫邪にはなによりも大きな褒美に思えた。

 父親のような師匠である龍淵とともに、この大霊峰相剣門を守る。

 莫邪は、そんな未来を、夢見ていた。

 決して、彼のことを疑うことなどなく。

 

 

 ――疑う必要など、なかったのに。

 

「莫邪……莫邪!」

 

 その名を大公が呼ぶ。

 呼ばれればすぐに駆け付け答える、まじめな少女だ。まだ若いとは言え、相剣師としての才能はあると思っていた。

 立派な剣を作り出し、これから先の未来を泰阿や他の若い世代とともに支えていくと思っていた。

 

 ……それが、このようなことをしでかすとは。

 

「承影! 心を乱してはいけません。それでは龍淵の……」

 

 大公は牙をむき出しにして、原因となった相手の名を叫ぶ。コスモクロアの忠告も、今の彼は届かない。

 

「龍淵! そこまでして貴様は――!」

 

 振り向いた承影の目の前で、キングフィッシャーが彼の盾になる。七星龍淵の尾である蛇腹剣が、氷でできた体を貫いた。

 

「キングフィッシャー……!」

「終わりだ。承影」

 

 眼前に迫る七星龍淵の拳を、避ける時間はなかった。

 砕け散るキングフィッシャーの欠片を抜けて、七星龍淵の拳が承影を殴りつけた。

 

「ぐぅぉ……」

 

 強烈な打撃は、承影の体をイニオン・クレイドルの湖面へ叩きつける。

 

「承影、様……!」

 

 莫邪の声が震えた。

 自分が何をしたいのか。何をしたのか。全て理解しているからこそ、目の前で躱される拳と剣の応酬に、もうどうすればいいのかわからない。

 是非を問う思考もなく、ただ言われたことをこなすだけの混乱の迷宮へと陥った彼女の姿に、むしろ承影が怒りを放つ。

 

「こんな……こんなことをさせるのが、あの龍淵だというのか!?」

「力を手に入れたのだ。全てを征する力だ。私が長きに渡りくすぶり続けた、本来得るはずだったもの。今までできなかったことができるのは、気分がいい」

「莫邪に……お前の弟子に……娘に、誇りなき行いをさせてまで得るものなのか!」

 

 承影の激昂が、倒れた姿勢ながら力強く地下空間に響く。

 しかし、七星龍淵は静かに首を横に振る。

 

「血の繋がらぬ小娘を、多少育てたというだけの話だ。その全ては、我が力を隠す器として必要だったのだ!」

 

 鋭い蹴りが、承影の体を転がす。水を跳ね上げ、泥に汚れ、赤と青の鎧は黒ずんでいく。起き上がろうとするその胸を、巨大な足が踏みつけた。

 

「惨めだな、承影。コスモクロアを守り、莫邪を助けようなどと欲をかき、結果今私の足の下に転がっている」

「黙れ……あの誇り高き龍淵が、そのようなことを、口走るはずがない!」

 

 必死に起き上がろうとする承影だが、七星龍淵はさらに力を込める。

 

「お前の知る龍淵など、最初からこの世のどこにも……」

「いた! 私は知っている! 莫邪を助け、そのために苦心し、師として新たに学ぼうとしていた、お前の姿を!」

 

 胸部を圧迫されながらなお、承影は叫ぶ。

 

「お前は龍淵ではない! 我らの軍師が、貴様のような卑怯者であるはずもなし! デスピアの絶望が、その魂から肉体を奪ったのだ!」

「……妄想も、大概にするのだな!」

 

 勢いをつけた踏みつけが、承影の鎧にヒビを入れた。

 

「ぐ、ごぉぉ……!」

 

 単純な膂力ですら、上回ることが難しい。体形では大きな差があったはずの承影と龍淵だが、七星龍淵となった彼との差は縮まっていた。

 鎧の隙間から、僅かに血が零れた。

 

「終わりにしてくれよう、承影。お前を屠ったあとは、コスモクロアを。そしてお前たちが見出した希望とやらも、消し飛ばしてくれる。そのあとは、デスピアどもを蹴散らしてくれる!」

 

 今の龍淵の力は、確かにデスピアの影響を受けて手に入れた力だ。だが、心の内は、龍淵自身が隠していたものなのかもしれない。

 だから、彼はデスピアすらも手に掛けようとしている。

 力を手に入れたことの驕りか。それとも、彼の野望ゆえか。

 

「龍淵……!」

 

 呼びかける友の声も、もう彼には届かない。

 

 

   ◆

 

 

 ホールの形状を変化させた鎖に囚われたアルバスは、翼を広げたアルベルに見下ろされていた。

 抜け出そうともがくのだが、もがけばもがくほど強く締め付けられる。

 

「何を、するつもりだ……なんで氷水を襲いに来た!?」

「吠えるなよ、アルバス。痛くしないからさ」

 

 倒れるアルバスの額を撫でるアルベル。不気味な笑い声の混じる声で、彼は静かに語り掛ける。

 

「烙印の力……ホールの向こう側に存在する俺たちの力は、重ね合わせることでより強くなる。俺とお前の力を重ねれば。神代の力を再現することさえ可能なんだ。知ってたか?」

「知るかそんなこと……」

「つれないなぁ。氷水の襲撃だけど、簡単さ。俺たちの力を阻害する要因は、潰しておくに限るだろ?」

 

 肩をすくめたアルベルは、その翼を広げて、赫いオーラを放出する。それはマスカレイドへと変化するときに使った、アルバスと同じ、竜化の力だ。

 

「光も影も、全てを呑み込む闇の絶望。我ら烙印の使徒は、全てを喰らい、全てを呑み込む……全てを焼き尽くす! 我が名は――」

「ぐっ! が、あぁぁぁあああ!!」

 

 アルビオンの姿が、アルバスへと戻っていく。竜化の力が失われ、黒衣竜は黒衣の少年へとその姿を変えた。

 体が小さくなったことで縛り付けていたホールの鎖は解かれたが、動けないアルバスはバシャッ! と音を立てて水面に落ちた。焼けるような痛みに起き上がれず、震える体でなんとか頭だけを動かして、その姿を見た。

 

 溢れ出した真紅の炎が、氷水の地底湖を枯らしていく。

 全てを焼き尽くし、原初の塵へと返すであろう焔。炎に包まれたアルベルはその身に灰銀の鱗を纏い、真紅の角と爪を得る。灰燼竜バスタードに似ているが、全く違う。

 枯れた水底を踏みしめる四つ足の竜は、まさしく神代の業火の化身。

 

「その……姿は……」

「――神炎竜ルベリオン!!」

 

 超高熱の嵐を纏いながら現れた神炎竜ルベリオンに、承影、コスモクロア、七星龍淵すら戦いの手を止めてしまう。

 もっとも、すでに承影は龍淵の足元に倒れ伏した状態だったが。

 

「ほう。これがデスピアの力か。なかなかに、いい熱ではないか」

 

 感心する七星龍淵。傷を負い踏みつけられた承影が、七星龍淵の見せた一瞬の隙をついて踏みつける足から脱出する。

 コスモクロアを庇うように前に立ち、手元に自らの相剣を呼びつける。

 肩で息をし、震える腕で剣を構える。彼らは揃って目の前の光景に戦慄を覚えた。

 

「これほどの禍々しい存在が、この時代にあろうとはな……」

「私たちの地底湖が、穢れていく……」

 

 ルベリオンの放つ熱は、イニオン・クレイドルから豊かさを刻一刻と奪っていく。循環する大地のエネルギーは乱れ、大霊峰全体が揺れ動く。

 地上にも邪悪な気配がはびこっているのは、この戦いの余波で霊峰全体の結界が弱まったせいだろう。デスピアの軍勢が攻め込んできているのは、コスモクロアには見えていなくてもわかった。

 

「承影、私のことはもういいのです。残っている氷水の者と、相剣師たちを守ることに全力を注ぐのです」

「何を言うか! 氷水はそなたなしには成り立たぬ! デスピアと戦うためにも、その力は……」

「もういい加減終わりなよ、おじさんたち?」

 

 この先のことを考える相剣と氷水の長に対し、神炎の竜がニヤリと笑ったように見えた。同時に、背後から高熱の炎が荒れ狂い吹き出した。

 

「来たれ、我が化身、マスカレイド!」

 

 それは、烙印竜アルビオンの力に似ていた。自らが発した炎が新たな分身を作り出す。神代の炎が赫灼竜の姿を取ったのだ。

 デスピアの導化アルベル。その姿がアルバスに酷似しているように、その力もまた似通っていた。だが、炎の熱量は――けた違いだ。

 

「全て、燃え尽きろ!」

 

 ルベリオンは大きく息を吸い込むと、その口蓋に炎を集める。マスカレイドもその仮面の下で炎を集め、一気に吐き出した。

 

赫焉(かくえん)神尽火滅弾(リベリオン・バースト)!!」

 

 赫。あまりにも(あか)

 緋色の炎が、承影とコスモクロアを呑み込む。ファイヤー・ボールなどというごく小規模の火炎とは、次元が違う。

 伝説に謳われる真紅眼の黒竜の炎さえも上回る一撃が、二人へ迫る。

 承影は剣を振るい、コスモクロアは氷の盾を広げる。必死に抵抗しようとする二人を座嗤うかのように、赤色の炎が焼き尽くす。

 

「承影! コスモクロア!」

 

 アルバスの叫びが、地底湖に響く。

 本来炎には強いはずの竜と氷の精霊だ。なのに、ルベリオンとマスカレイドの炎は、彼らの魂すら焼き尽くさんとする。

 焦げた鎧、砕けた体が、炎の消えたあとから現れる。膝を付く承影と、崩れ落ちそうになるコスモクロアの姿に、アルバスは怒りと嘆きを覚える。

 

「もうやめろアルベル! なんでこんなことを!!」

「……さぁ、なんでかな」

「ふざけるな!」

「ふざけちゃいないさ。それに、俺がやめたって、地上の奴らは止まらない。もしかしたら、エクレシアちゃんはもう――」

「お前――!!」

 

 浅い湖底を蹴って、アルバスは走り出す。右手に掴んだ石を振りかぶるが、ルベリオンは巨大だ。前足を軽く振るうだけで、少年の小さな体など吹き飛んでいく。

 泥をはね上げ、残った炎に焼かれ、湖の中へと落ちていく。

 

「ごぼぉ……!」

 

 全身に走る痛みが、体の動きを止める。案外深い地底湖の底へ、彼の体は引きずり込まれていく。

 決して魔神王のいる沼地などではないが、冷たい水は彼の体から力を奪う。

 

「アルバス……!」

 

 承影の呼びかけにも答えられない。そもそも、彼はアルベルに力を奪われたばかりなのだ。ドラゴンになる力を失い、立ち上がれたのも最後の気力を振り絞ってのこと。

 

「なんだ。私がとどめを刺すまでもなかったな」

「あれ? 意外とアルバスに対してこだわる? じゃあさ、こだわりついでにそこの二人始末したら、その後どうする? 有言実行ってやつ、する?」

「ふんっ、手加減してもらえるなどと、思っていないだろうな」

 

 すでに、承影とコスモクロアのことなど眼中にないと言わんばかりの会話だ。

 七星龍淵の意識すら、すでに承影には向いていない。先程言った通り、デスピアとも戦う気なのだろうか。

 事実、もう承影に抵抗する力が残っていないのだから、無視しても構わないのだ。

 

「それでは、やるとするか」

 

 そう言って、七星龍淵の手には軍師としての相剣が現れる。その刃は、承影の胸に突き刺さる。起き上がろうとした彼を、正面から貫いた。

 

「……ぐっ!?」

「こいつが倒れた瞬間が、開始の合図としよう」

「いいねぇ。相剣大公さーん、ちょっとぐらいは、耐えてくれよ?」

 

 あまりにもあっけない留めが、承影の命を削っていく。すでに炎に焼かれた身。治療もなしで永らえる体ではない。

 

「承影、なんということに……」

 

 その場から動けないコスモクロアに、承影を庇って後退するような真似はできない。

 ただ倒れまいとする彼に寄り添おうというように、少しずつ近づくことしか――。

 

「母様……」

 

 その声に、彼女は振り向いた。

 離れていたと思っていた、足元に真っ白な氷水――エジルがいた。泣きそうな顔で見上げてくる少女へ、コスモクロアは微笑んだ。微笑んで、その顔を承影のほうに向けた。

 鋭く、決意と覚悟を固めた表情で。

 

「コスモクロア、そなたは、エジルとともに離れよ……。我が命に掛けて、希望を」

「いいえ。承影。希望を守るためならば、私と、あなたの力が必要です」

 

 倒れそうになった承影の肩を、コスモクロアが支える。

 その様子に、七星龍淵は首を横に振った。

 

「邪魔立てするな。精霊の母よ。今更多少の抵抗で何が変わるわけでもない」

「いいえ、変わります。私は、私の子らのために、今この場に満ちる絶望を、希望へ変えてみせます!」

 

 力強いコスモクロアの言葉は、すでに死期の近い精霊のものとは思えなかった。まして、感情が希薄とされる精霊には似つかわしくない、裂帛の意志がある。

 その気迫に、僅かに七星龍淵の足が後退した。

 そんな彼を無視するように振り向いたコスモクロアは、もう一度エジルのことを見る。

 

「エジル、あなたを残していく母を、許してください」

「母様?」

 

 エジルの頭にそっと手を置いたコスモクロアは、開いている手に光を宿す。

 

「さようなら。私の最後の娘」

 

 その一言が、合図だった。

 

「――龍淵!」

「――わかっている!」

 

 ルベリオンも、七星龍淵も、何かこれはまずいと直感で理解する。

 その体を、剣を放り捨てた承影が掴んで止めた。

 

「なっ!? 承影、貴様、まだこれほどの力を!」

「この際だ、龍淵ごと焼き尽くして――」

「やめぬか、この狂人め!」

 

 振りほどこうとする二体を、彼はしっかり掴んで離さない。

 そんな承影の剣は、ゆっくりと湖の底へと向かっていく。

 

「我が刃、我が心、剣に映したる相を、そなたへ託そう!」

「この大陸を呑み込まんとする絶望を払う希望、黒衣の内に秘めし力に光明を!」

 

 彼女の手から、光が湖に放たれた。そして、イニオン・クレイドルが凍てついていく。

 地底湖の水の全てが、分厚い氷に閉ざされていく。かろうじてルベリオンの存在する空間だけは凍結を免れているが、それ以外の全てが鏡のような氷に包まれた。

 

「このような子供だましが!」

 

 七星龍淵の蹴りが、承影の体を突き飛ばす。同時に突き刺さっていた剣が抜け、大量の血が流れだす。

 湖面に倒れ込む承影は、傷を抑えながら視線をコスモクロアへと向けた。そんな彼の体に、精霊たちの母はそっと手を添えた。

 

「……すまぬ、あの日々を、守れなかった……」

「謝らないでください。希望は、子どもらに託しました」

 

 倒れた承影のそばで、コスモクロアは膝を折る。その体に、細かいヒビが生まれ始めていた。

 

「母、様!」

 

 エジルにも、何が起こっているのかわかるのだろう。

 力を使い切った精霊は、生物のように屍へと変わるわけではない。幻竜である承影の姿もまた、薄れ、揺らぎ始めている。

 

「嘆くことはない。我ら幻の存在は、ただ世界の循環へと、還るだけだ」

「承影、様……」

 

 彼に向けて、傍らに来た莫邪が手を伸ばす。罪悪感に呑まれそうな彼女の肩に、承影はそっと手を置いた。

 

「お前の師は、立派な相剣師だ。決して、お前に不義を働くことも、裏切るようなものではない。お前は、誇りをもって、龍淵の育てた相剣師として生きるのだ」

 

 最後の瞬間まで、彼は相剣師たちの長であろうとする。その亡骸を、七星龍淵は尾を鞭のようにして叩き潰した。直後、光の粒となって、空を舞っていく。

 

「エジル。どうか、嘆きながら生きるのではなく、笑いながら生きてください。きっと……希望を抱きながら、生きていける時が来ますから。ね?」

 

 コスモクロアは、小さな精霊(むすめ)の伸ばす手に自らの手を重ねようとする。

 ヒビ割れた微笑みが、エジルの目の前に広がっていた。

 

「大丈夫、あなたは、ひとりじゃ――」

 

 バキンッ――。

 

 真っ黒に染まったコスモクロアの体が崩れ去る。

 伸ばしかけたエジルの手を取ることなく、パラパラと崩れていく。

 首が取れ、腕が折れ、最後に胴体が零れていく。

 

「あ、うあ、あ、あああ、ああああああああああああん!!!」

 

 エジルの泣き叫ぶ声が、凍てついたイニオン・クレイドルの氷を吹き飛ばす。

 砕け散ったガラス片のように氷は宙を舞い、ルベリオンの炎を、七星龍淵の眼光を反射する。その間を、光となった承影の欠片が舞っていく。

 

「承影様……承影様! いやっ、いやぁ! いやぁぁぁぁ!!」

 

 若い相剣師の慟哭が、波紋を作り出す。

 精霊と幻竜、全ては幻の中へと帰っていく。

 ただ一つ――帰らぬものが、湖底より浮上する。その気配に、七星龍淵の背筋が凍る。

 

「なんだ? この気配はっ!」

「くくっ! そうだよな、死ぬはずがないよな!?」

 

 氷水の悲しみは、小さな精霊の心に呪縛となって絡みつくだろう。

 だが、その鎖を断ち切る刃を、彼女の母は、守り人は残していった。

 

 

「そうだろ? アルバスゥゥゥゥゥッ!!」

 

 

 右手に承影の剣を、左手にコスモクロアの光を握った黒衣の少年が、地底湖の水をまき上げながら浮上した。

 

 その瞳は、絶対零度(アブソルート・ゼロ)を思わせる怒りに満ちていた。

 

 

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