遊☆戯☆王:OCGワールドストーリー”深淵の烙印世界” 作:erugon
教導国家ドラグマの都市の周囲は、広大な荒野、森、そして砂漠が広がる大自然となっている。
森林地帯は先日エクレシアが出かけた時もだが、温厚な動物たちが住み付き、豊富な資源を齎している。
だが、荒野や砂漠地帯では、多くの無法者、未知の怪物たちがはびこる危険地帯となっている。
かつて、そこには多数の種族が暮らしていた。
ドラグマの首都近くの森は今やメルフィーの森だが、周辺地域――特にまだドラグマに併合されていないような地域の森は、獣人たちの居住地になっていることも多い。
十数年前、そこで生きる、一人の少女がいた。
『泥棒猫』――そう呼ばれて生きていた猫型獣人の少女が、その森にいた。背中に小さな、赤子と言ってもいい妹を背負い、窃盗で生計を立てる。
この地域では珍しくない獣人だ。
比較的近い都市で手に入れた食料を片手に、人目のない屋根の上でかじりつく。小さく砕いた欠片を、妹の口に差し出した。
「ふぅ、だんだんとこの街で商売もやりにくくなってきたかなぁ。あたしら目立っちゃうもんね」
「うー!」
まだ赤子の妹。それを守るために盗みを働く少女――フェリジット。
森の仲間たちから追放された桃色の髪の少女は、妹とともに各地をさすらいながら、その日その日を生きていた。
「まともに稼ぐ当てがあれば、それがいいんだけど」
くるくると手元で回すナイフ。それが彼女の唯一の武器。最後の手段。妹を守り、ともに生きるための力。
「次の街に行こうかしら」
妹を背負い、フェリジットは街を歩く。
この街は、獣の力を持つ者たちも比較的多くいる。獣族、獣戦士族、鳥獣族――大半がいがみ合い、食料を奪い合い戦うこの三種族だがこの街はいわゆる中立地帯なのだろう。いがみ合いと睨み合いは多発するが、戦いまでは起こらない。
「なんだテメェは!」
訂正しよう――喧嘩ならいくらでも起こる。
ざわつく民衆の間を、フェリジットは妹を胸に抱えてすり抜けるように通っていく。
「おお~よしよし、狭くて苦しいね。すぐにお姉ちゃんが通り抜けてあげるからね」
楽しげに笑う妹に微笑みかけながら、フェリジットは人の集まりを通り抜けた。そこで妹を背負い直すと、少し重くなった背中に一瞬引っ張られる。
「ちょっと詰めすぎたかな……ま、でも大量大量!」
むやみやたらにヒト込みを通り抜けたわけではない。ここが街であり、商売の場所であり、客がいるのならば、金がある。
先ほど通り抜ける間に、フェリジットは通行人の懐、ポケット、カバンの中から銭袋を抜き取っていた。それを妹と自分を結ぶ革袋の中にどんどん突っ込んでいったのだ。
だから、少し重くなっている。
「すげぇ手際だな」
ふいに、声をかけられる。
「あんただよ。ピンク色の猫ちゃん」
「あら、食事のお誘いかしら? 銀色の狼さん?」
さすがに色と種族を名指しで言われたら、反応しないわけにはいかない。逆に無視すれば、余計に突っかかられることもあるからだ。
彼女が顔を向けた先にいたのは、同じ獣類種族の男だ。
「ずいぶん羽振りがいい。妹さんに栄養のあるもんを食べさせたほうがいいな」
「あら、ご忠告どうも。じゃあ、あたしはこれで」
「だがその前に目立つその顔と髪を隠す布を買うのを進めるぜ。泥棒猫さんよ」
「……何あんた?」
それが、最初の二人の出会い。
「『同胞殺し』のルガル。あんたと同じ、鼻つまみ者さ」
その名前に、フェリジットは聞き覚えがあった。
「ああ、隣の森で、食料を奪い合って森の同族を三人殺したっていう……」
「ひどい間違いだ。三人じゃない。そいつらをやったあとに追ってきた奴らを七人やったから十人だ。過小評価だぜ」
「なかなかに狂ってるわね」
「狂ってるのはこの世界だろう。自分が生きるためにガキを売り払うクズがいる世界なんて、狂ってるに決まってる!」
右腕を近くの民家の土壁に叩きつける。ピシリとヒビが広がる。相当な怪力の証だ。
この力と心情が、同胞殺しと呼ばれる所以。なるほどと理解するフェリジットは、今度こそその場を去ろうとする。スリをやった現場に長くとどまるのはバカだけだ。
手を振って去ろうとする彼女を、ルガルは前に立って止める。
「何、邪魔なんだけど」
「ちょっと面貸せよ。同じ地域の出身、ちょっと話をするくらいいいだろう」
彼が示したのは、少し高い建物の屋上。獣人たる彼らの脚力なら、簡単に辿り着ける。
そこから見えたのは、先ほどの喧騒のたまり場。
「あいつが見えるか? 片翼で栗毛の、顔のいい男」
彼が差し抱いた双眼鏡を除くと、確かに彼の言う通り、片方の翼が根元からなくなっている少年が見えた。年のころは同じくらい。周りを図体のでかい大人たちに囲まれても、その表情は微動だにしない。
「彼、あなたの友達?」
「親友さ。俺が生きていられるのは、アイツの――シュライグのおかげだ」
「シュライグ……」
彼の足元には、複数回殴打された後の残る男が転がっている。体格は大きく、腕はシュライグの頭と同じくらいの太さだ。
なのに、青あざを浮かべ、折れた歯を丸出しにして倒れている。
「俺とシュライグ――いや、シュライグは、俺たちみたいな部族から追放されたり狙われたりしている奴らを集めて、新しい群れを作ってる。爪弾きにされた奴らがただ苦しいだけの生き方を変えたいって、言ってな」
「彼、確かあたしたちと同じ地域の出身よね」
「そうさ。俺がこの街に着た時、アイツがいた。同じ地域の、違う種族の出身の二人がここでばったり出会った。そういう意味では、あんたも同じだ」
フェリジット、ルガル、そしてシュライグ。種族は違えども、地域は同じ。そして、様々な事情から追放された者同士。
話している間に、シュライグのほうで動きがあった。並び立つ男たちを殴り倒し、周りの観衆はそれに鬨の声を上げる。
その美しいとすらいえる容姿と相まって、まるで絵物語の戦士の戦いを見ているかのようだった。ただ一点、片方しかない背中の翼を除けば。
「彼、片翼なのよね」
「そうさ。『羽なし』と呼ばれた、血に刻まれた罪を背負う者さ」
片翼、もしくは羽なし。それは後天的ではなく、先天的な事情によって、片方の翼しか持たない鳥獣族の者を示す。飛行能力に支障があり、鳥獣族としての格をつければ、確実に最下位を示す。
シュライグ、この少年はその末裔なのだ。迫害されることが確定した血族、それに抗うかのように、彼は目の前の敵を殴り倒す。
「俺たちと一緒に来ないか? はみ出し者同士、力を合わせて戦わなければ生き残れない。それがアイツの考えだ」
遠くのシュライグの視線が、フェリジットに向けられる。双眼鏡越しに見つめられたような気がして、彼女は驚きとともに双眼鏡を外す。
「泥棒猫中を仲間に加えたら、何盗まれるかわからないわよ」
「問題ねえよ。俺の鼻でどこまでも追いかける。シュライグの目はどんなものも見抜く。お前がそんな奴じゃねえって、俺たちにはわかるぜ」
初対面であるというのに醸し出される信頼感は、動物の力を持つが故の特有なのだろう。
「小さいガキも何人かいるんだ。子守の手が足りなくてな」
「うちの妹の友達になれそうな子もいるのかしら?」
「沢山な」
はみ出し者の共同生活。シュライグが立ち上げ、ルガルが協力したそのキャンプは、後々により多くの仲間たちを引き連れていくことになる。
砂漠を超えた南方、鉄の国と呼ばれる機械技術の発達した国に赴いたのち、凄腕の狩人たちへと成長する彼らは、故郷の森がドラグマの侵略を受けた時に帰ってくる。
鉄の鎧、獣の力を弾丸に変える銃を手に。
鉄獣の血に刻まれた、盟約のもとに――
◆
ドラグマの首都から、数時間。荒野の一角に、植物と砂に覆われた古代遺跡が存在する。ここが現在の鉄獣戦線の拠点となっていた。
故郷の森からは遠く離れた北の大地。そこでも鉄の獣たちはたくましく生きていた。
「少年、少年! あそこ、あの開けた場所に降りられる?」
背中からかかる声に、痕喰竜ブリガンドは空中を駆けるように降下していく。
腕の中でぐったりと眠っていたエクレシアの姿は、今は背中に乗るフェリジットの腕の中にあった。
ルガルはその後ろに相乗りし、さらに上空をシュライグが飛んでいる。彼らに誘導され、痕喰竜ブリガンドは高度を落とした。
「他の奴らも集まっているな。シュライグ、案内してやってくれ」
ルガルの声に、シュライグは無言で頷いた。
彼は先に着地すると、そのあとを痕喰竜ブリガンドが追っていく。土埃を巻き上げながら空き地に着地すると、フェリジットたちが下りる。エクレシアをシュライグが受け取り、フェリジットは軽やかに着地する。
それを待っていたとばかりに、巨体は金色の光を放ち、直後にその足元に褐色の少年が現れた。
灰燼竜バスタードであり、痕喰竜ブリガンドであった少年。
ルガルの差し出した手に起こされながら、彼はエクレシアの方へ歩き出す。
「エクレシア……彼女は、無事なのか……?」
疲労困憊、といった様子で息を荒げる少年。だが、その気持ちは自分よりも、聖痕を奪われた聖女へと向けられていた。
腰を下ろしたフェリジットの膝の上で、エクレシアは介抱された。
髪を止めていた装飾品を外し、丁寧に結い上げられた髪を解く。乾いた唇に湿らせた布を当て、木陰のひやりとした風が頬を撫でる。
少年の伸ばした手が彼女の手に触れた時、聖痕に似た輝きがその身の内から、エクレシアのもとに移っていく。気のせいか、幾分か彼女の顔色がよくなったようにも見えた。
「大丈夫、気を失っているけど、命に別条があるわけじゃない」
「そうか……それなら、よかった……」
泣きそうな顔は少しずつ安堵の表情へと変わり、次第に気難しそうな顔になる。
「少年、あの竜の姿は、一体なんだ?」
ガシャン、と音を立てたシュライグが腰を下ろす。本来なら翼のメンテナンスや負傷の手当など、するべきことはいろいろあるだろう。
それよりもまず、彼は情報の交換を選んだ。
ドラグマが狙う少年――その正体を知るために。
「わからないんだ。どうしてあの姿になったのかも、どうしてなれるのかも。最初の姿と違うのがなんでなのかも……わからないんだ」
灰燼竜バスタードの姿は、トライブリゲードの面々も目にしている。灰のような色をした灼熱の竜。
それとは打って変わって、獣のような印象を与える痕喰竜ブリガンド。黄金の角と奪い取った聖痕を宿す獣の竜。
しかもドラグマの勢力は、その存在を予見していた。
ご丁寧にきちんと名前まで付けて。
「見たところ、ハッシャーシーンの力、というか奪われたこの子の聖痕を吸収しているようにも見えたけど……」
周囲の力を集める能力も見受けられた。
聖痕の力を呑み込み、盾を創り出す力。まるでドラグマの奇跡のようで、エクレシアを守ろうとする心がそのまま形を成したかのようにも見えた。
ルガルはシュライグの後ろで腕を組みながら聞いており、何か気づいたのか人差し指を立て、言葉を付け加える。
「特定の姿を持たず、その場その場で適応した形に変身する力。遠方の大陸に、召喚師とか言う、似たような力を持つ者がいると聞いたことはあるが、関係ないか?」
「それよりどうするの? その場のノリで連れて来ちゃったわけだけど、この子たち」
ほぼ行き当たりばったりな勧誘となった。フェリジットの指摘に、寡黙なリーダーは少し視線を落とす。
教導国家ドラグマより邪教徒として排斥されるビースト種族たち。
彼らのレジスタンスであるトライブリゲード。そのアジトにやってきてしまった以上、エクレシアもこの少年も、ドラグマの側に返すわけにはいかない。
だからと言って戦力として引き込むのかと言われると、それも違う。
天を支配する猛禽の持つ眼のごとき鋭い瞳で、シュライグは真っ直ぐに少年を見た。
「君は、過去を持たないのだな」
シュライグのゆっくりとした言葉に、少年は肯く。
「おれは、エクレシアに出会う以前のものが、何もない。力も、名前も、姿さえ、おれにはわからない」
「だが君は、聖女を助けた」
「あんたたちも、本当は敵なんだろう。エクレシアの」
この場に、勢力という観点での味方は、少年にもエクレシアにも存在しない。ドラグマとトライブリゲード、そしてホールからの使者。敵対し、刃を交える者たちが集まっている。
なのに、今は誰も武器を持たず、ただ言葉だけが交わされている。
「半分は成り行きだ。フェリジットの言葉を信頼しただけだ」
シュライグの目が、若干細められながらフェリジットに向けられる。
それに気づいた彼女は、少し肩を竦めた。
「オンナの勘がそう告げたのさ。ま、オトコにはわかんないだろうけど」
妖艶な笑みを浮かべる彼女に、ルガルははぁとため息をつく。シュライグは少しだけ楽しそうに笑みを浮かべ、視線を白髪の少年へ戻す。
「ドラグマと戦いたいのなら、それは歓迎する。だが戦いから離れ、安息の地を求めるというのなら、砂漠を渡るという選択肢もある」
シュライグの提案にフェリジットは驚愕とともに眉を顰める。
「ゴールド・ゴルゴンダを渡らせる気!? 確かに彼らの力を借りれば、渡れないことはないけど、あそこにはねぇ……」
あてはある、つてもある、だが危険、そう言いたのだ。
「その砂漠を超えれば……」
ちらりと、少年は聖女の姿を見る。顔色は悪く、いまだに目を覚まさないその姿を。
「彼女は、安全なのか?」
自分が最も優先的に狙われている可能性だってあるというのに、少年の口から洩れた言葉は、そんな内容だった。
それは、少年の持つ、元来の優しさの現れだ。ほんの短い間の恩義、それを忘れぬ善意が、確かに少年の根底には存在する。
かつて、部族から追われた身であるシュライグにとって、その善意がどれだけ大切なものなのかは、よくわかっている。
ルガルと出会い、フェリジットを加え、鉄獣戦線の基礎を創る中、多くの善意や悪意を見て来た。
その中で、この混沌とした大地で小さな善意にどれだけのヒトが救われていたのか。
シュライグは、肩に止まっている機械の鳥を一羽、少年に差し出した。
「こいつが案内してくれる。聖女エクレシアが目覚めたら、準備を始めるといい。ドラグマたちは、俺たちが牽きつけておいてやる」
そう言ったシュライグは、踵を返して歩き出す。
彼の心の内は、少年にはわからない。
ただ、自分のことすら信じられぬ者を、彼は信じた。
敵であるはずのエクレシアを、彼らは助けた。
そのことに、疑いの目を向けることはない。
「……ありがとう。シュライグ」
少年のお礼に、シュライグは背中越しに手を振って応えた。
その様子を、物珍しそうにフェリジットは瞬きを数回しながら見ていた。
「シュライグがこんなに口数が多いなんて、不思議なこともあるものだねぇ。あんな饒舌で照れたシュライグ、初めて見たよ」
「そうなのか」
照れていたのか? という疑問もある。それに対し、彼女は肯く。
「君に負けず劣らずに不愛想で言葉数が少なくてね。女の子はそれじゃあ詰まんないよ」
「……問題があるのか?」
少年の返事にフェリジットは口をへの字に曲げてため息をつく。まったくこのオトコどもは、なんて呟きながら、膝の上の聖女の髪を撫でる。
「オンナはオトコの倍の量の時間が必要なの。短い言葉だけ並べてると、すぐに他の言葉に上書きされちゃうのよ」
「けどあんたは、シュライグの言葉を忘れないだろう?」
少年の言葉に、フェリジットは頬を赤らめながら喉を詰まらせる。意外な返しが飛んできたと、ルガルは声を上げて笑った。
「一本取られたなフェリジット! みんなのお姉さんも寡黙なリーダーには勝てないもんなぁ」
「うるさいワン公!」
フェリジットの反論にルガルはさらに笑って返す。
それを聞いたからどうかはわからないが、ピクリとフェリジットの膝の上で眠る少女の瞼が動く。
「エクレシア!」
少年の呼びかけに、聖女の目がゆっくりと開かれる。聖痕を失った額をさすりながら、その体をそっと起こす。
「あれ、あなたは灰燼竜の……あなたは、トライブリゲードさんの……」
寝ぼけ眼の聖女は数回瞬きした後、空いている手をそっとお腹に当てる。
――ぐぅぅぅぅ…… と、音を伴って。
「お腹、空きました……」
ひどく寂しそうに、そう呟いた。
◆
「エクレシアが攫われたんだぞ!」
ガンッ! と木製の机が砕け散る。
ドラグマの中でも、高位の信徒のみが集まる談話室。
その中で鉄槌の称号を持つテオは、人間的にも見た目の面でも可愛い後輩の拉致という事態に対し、憤りを露わにしていた。
「報告じゃあハッシャーシーンの奴らが教導神理をエクレシアに適応したって話もある。あいつら、エクレシアを何だと思ってやがる!」
「エクレシア君の、広すぎる寛容主義は、元々問題になっていた話です。信徒たちからの信頼と人気の高い彼女だから許されていた点は、確かにあります」
テオの言葉に、天啓の称号を持つアディンは同意しつつ、それまでの事情を語る。言外に彼に向けて落ち着けと言っているのが、言われた本人も理解できた。
「だからって聖痕剥奪なんて……破門と変わらねぇ……」
それこそが、彼が先ほどから怒りをものにぶつけている理由なのだ。
ドラグマという宗教国家において、破門とは命を取られるよりも重い刑だ。
人として認められず、信徒として認められず、神の力を奪われ、栄光も矜持も誇りも奪われる。
それがドラグマにおける破門。
おおよそ、適用された元信徒がこの街で生きることはできない。それと同等の処置が、聖痕剥奪。
「だがバスタードの化身だっていう小僧を逃がし、トライブリゲードには出し抜かれた。あいつら、なのになんであんなでかい顔を……」
「マクシムスの判断です。バスタードの化身も、エクレシア君も、放置せよと」
聖女エクレシア拉致の報告を受けたマクシムスは、いの一番に、一切の問答もなくそう言った。まるでこの未来が予測できていたかのように、淡々と処理した。
「フルルドリスが一番納得いってねぇだろうに。シュライグには出し抜かれ、妹みてぇなエクレシアがいなくなって。マクシムスはあいつらに何をさせたいんだ?」
「わかりませんが、マクシムスは預言をいただいているのです。我が天啓よりもなお高次元からの通達――それがある限り、あの方は一本の道を進み続けるのです」
そうでなければ、ドラグマはここまで大きく発展してこなかった。
城下では灰燼竜バスタード、そしてトライブリゲードとの戦いで負った傷の復興が進められている。マクシムスが出した現状最後の指示であり、現在彼は大聖堂の奥にひっそり籠って、祈りを続けている。
「幸い、トライブリゲードに捕まった捕虜が拷問を受けたという報告は、聞いたことがありません。捕まえていた捕虜は全員解放されていますから、人質交換ということはできないでしょうが……」
その時、アディンの脳裏には地下の暗い、ドラグマの闇がよぎる。
「正直、どちらが獣畜生と呼ばれるに値するかは、私も測りかねます」
「エクレシアがこのままドラグマを離れるとしたら、行先は……ゴルゴンダか?」
「《大砂海ゴールド・ゴルゴンダ》――この大陸随一の大砂漠。トライブリゲードの本拠地があるなんて言う噂も聞きますが、あの砂漠以南は我々ドラグマの力も及ばない場所。確かに、行き先としては考えられますね」
テオの言葉にアディンは同意した。深いしわの刻まれた眉間をさらに深くしながら、彼は窓の外を見る。
彼に預言は聞こえない。
だが天啓と呼ばれるほどに至る深い知識と洞察力がある。それが告げている。
この先、世界は大きく荒れる。
たった一人の少年の出現を起点としてこの大陸の歴史が動こうとしているのを、彼は感じ取っていた。
それを告げるかのように、鐘が鳴り響く。
「この鐘は!」
「おいどういうことだよ、先生! こいつが何で今鳴るんだ!?」
彼らが耳にした鐘は、決して時報の鐘などではない。
五年以上前、エクレシアが聖女に叙任されたその日、同じく鳴り響いた鐘だ。
ドラグマ王城中央の広間。
ハッシャーシーンとその部下たちに見守られながら、幼げな少女が一人、マクシムスの前に膝を付いている。
赤い髪を両側で三つ編みにまとめた、小さな女の子。
彼女に向けてマクシムスは両手を交差し、祈りの構えを取る。
「そなたを、新たな聖女として迎える。新時代の創世のため、聖女として尽力することを、ここに誓うか?」
「誓います」
幼少期の少女特有の跳ねるような声が、厳かな響きを持って広間を駆けまわる。
《ドラグマ・ジェネシス》――新たな聖女を迎え入れるこの儀式は、聖女エクレシアの破門という衝撃を、すべて吹き飛ばすに足るものであった。
呼応するかのように天空のホールはその色を深め、大きく広がりつつあった。
「光貴なる神の代理者たる教導の大神祇官がそなたに告げる。そなたを、これより聖女として認め、我が教えのもとに聖業を成さん」
橙色の陽光が、心臓の脈動のようにも明滅しながら、新たな聖女を照らし出した。