「ーー私たちを、助けてほしい」
自分の存在場所である深海へと戻ろうとしたアビスを引き留め、提督はそう確かに言った。
その言葉はつまり、敵勢力であるはずのアビス陣営に対する、願い下げだった。
無論、信頼を築いているはずの艦娘たちからは抗議のデモが蔓延り始める。
それでも提督は艦娘たちの否定をものともせずに、その視線はただアビスに向けられていた。
「……テメェ、その言葉がどういう意味を含んでいるのかを理解して言ってんのか?」
「うん、もちろん。でも私は、此処で貴方と離れたくない。ずっと、傍に居て欲しい」
「出たよ、その訳の分からねぇ言葉の羅列。一つの鎮守府という要塞を受け持つ人間の出す返事と言葉じゃねぇぞ」
「……うん、そうだね」
意外にも艦娘たちが抗議するのと同時に、アビスは提督の言葉を恥ずべきものであると反対の意思を見せる。
深海提督の言葉は最も正しく、傍からみれば敵勢力に頭を下げているようなもの。
それは降伏すらも意味しており、安易に放つものじゃない。
「第一、オレがテメェに協力すると言ったところで艦娘らの反応はどうなる? そりゃ当然理解もできねぇ、受け入れられないだろ。そんな部下どもの気持ちを尊重せずに独りよがりの判断をするなんざ、横暴にも程があるってもんだ」
「意外にも、まともなんですね……」
『アビス、ヤサシイ。イママデ、ワタシタチヲゴウチンサセタコト、ナイ』
「余計なこと言うんじゃねえよ、ヲ級」
『ヲ?』
大鳳の言葉に、ヲ級が口を挟む。しかしアビスに叱られたと思ったのか、しょぼんとする。
だが現に横須賀鎮守府の提督、及び彼女たち艦娘と幾度も戦った経験こそあるものの、彼が率いる深海淒艦の中で過去に一度も轟沈させたことはない。
それら全て成果や勝利にそこまで執着しないアビスによる撤退のタイミングがあったからこそであり、口調は荒いもののしっかりと部下思いから来る所業だろう。
「でも、私の可愛い妹である電が無事に帰ってこれたのも彼の協力があってこそだと思うわ! 立場は敵対する関係でも、その事実だけは変わらない!」
「雷の言う通り、そうだね。私は実際に司令室で彼が提督と協力しているのを目の当たりにした。それは決して適当ではなく、しっかりと練られた作戦だった」
第六駆逐艦の雷に続いて、響がアビスの出した指示に間違いはなかったと補足する。
関係は敵同士、しかしあの場でアビスが自分たちを陥れる為に嘘の作戦を言う可能性も少なからずあったりもした。
提督が何故、アビスに執着するのかは全くもって艦娘たちは知らない。
だからこそ、信用するに値する者かさえわからないアビスに協力を求めることがなにより恐ろしいものだった。
二人の言葉に周りの艦娘たちも、顔色を曇らせて深く考え込んだ。
「鎮守府に加えて、私たち艦娘は貴方という支柱が無ければ活動に制限が掛かります。しかし彼の言うように、私たちの意見も尊重していただきたいと思ってます。なので、彼に協力を要請することよりも、なんで提督は彼にそこまで執着するのか、聞きたいです」
提督の前に立って、大鳳が問う。その質問はこの場にいる誰もが抱えている問題。
アビス自身、自分に執着する意味を知る必要があった。
大鳳、そして周りが答えを待つ中で提督は悲しさのある表情をしながら、その小さい手で握り拳を作って、言った。
「ーーアビスは……私の大切な先輩であったと同時に、大好きだった人だよ……」
「なん……だと……?」
辛い表情の口から放たれた言葉は、艦娘たちだけでなく、アビスまでも驚愕させた。
「ば、馬鹿なこと言うんじゃねえよ! オレは深海の提督として生を受け、与えられた使命に対して最低限の行動で生きてきたァ! 此処に来てふざけたこと言いやがって!!」
「ふざけてなんかないよ! だって、貴方と最後にあった記憶の通り……同じ姿で同じ声をしてるから! 変わったのは肌と目の色……ただ、それだけだもん!」
「だからってテメェの記憶にあるソイツとは限らないだろうがァ!!」
「私にはわかる! 貴方間違いなく、私の知ってる人だよ! 今はアビスって名前でも、貴方の前世の名前とか知ってるよ!」
「名前、だと……?」
「うん……貴方はアビスなんかじゃない。貴方の名前は忘れもしない……! だって、私の知っている“海原 湊人”は恩人で、私が誰よりも大好きだった人だから……!!」
「海原 湊人……? ーーあがァ……!?」
提督の口から明かされる前世の名前に、アビスは司令室でも起こった激しい頭痛に加え、遡るように記憶がフラッシュバックする。
さっきとは比べ物にならない激痛に、アビスは両手で頭を抱えて膝を突く。
『アビス……!?』
「湊人、しっかりして……!」
「ぐぅ……あァ……! やめ、ろ……! その名前でオレを、呼ぶなァ……!!」
あまりの痛みに息をするのも辛くなる。やがて脳裏には鮮明に、シーンが切り替わりながら記憶が一転としていく。
『ーーおっ、やっと来たな新人! ようこそ横須賀鎮守府へ、見学の為にわざわざ遠い所からご苦労だな!』
『ーーいいか? 決して艦娘たちを有耶無耶に扱うんじゃねえぞ。彼女たちは兵器でも無ければ道具でもねぇ。んー、そうだな。家族みたいなもんだと思ってやればいい!』
『ーーこの作戦は見た限りじゃいいように思えるが、実際にやると穴だらけだ。けど新人でここまで考えられるのは素質があるって証拠だ。なかなかやるじゃねえか、ははははっ!』
『ーー轟沈させてしまった罪は、永遠に自分に付き纏ってくる……。だからオレたちはいつだって彼女たちを想わなければならない。けどお前なら大丈夫だな』
『ーー情けない上司で、すまない……。さようならだ、“ひより”』
数々の記憶が押し寄せてきた。その情報量の多さに、アビスの身体からは異常な程の汗が吹き出し、視界が揺らぎ始める。
「すま……ない……、ひよ……り……」
「ーーッ!!」
身体から力が抜け、意識を失う。ただ最後に呟かれたのは、提督の名前だった。
意識が途切れる間際に呼ばれた名前に、提督は驚き、一筋の涙を目から流した。