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●お知らせ
・今回は夏油視点ですが、力不足により情報を上手くまとめられなかったため、矛盾などを発見した場合は大幅な修正を加える可能性があります。申し訳ありません。
●たぶん大事なお知らせ(概略)→詳細は活動報告
・今後、大きな誤記や修正は活動報告にてお知らせします。
→前回までの修正も活動報告に載せています。
・多忙につき投稿が滞ります。
・作者は本誌派です。
補助監督の操る車が旧■■村に到着したのは昼より前のことだった。村へ入るよりもはやく、夏油はその気配を感じ取った。
呪霊が拠点にしている神社を中心に帳を降ろし、たいしたハプニングもなく祓除と取り込み完了。推定通りの一級、それが二体。先日の災害でふくれた人々の負の感情が、山神の土着信仰を礎にして生まれたものたちだった。系統の違う行方不明事件と変死事件の両方がこの村で起きていたのも納得だ。その性質の厄介さゆえに特級たる夏油が遣わされたのは妥当と言える。
行方不明者は呪霊の腹にそうと思われる死体の一部一部が入っていたようだ。呪霊の一体はとりわけ魅力的な術式も持っていなかったから祓ったのだが、その場には呪霊がいなくなった代わりに死体が残されていた。補助監督に後処理と、神社の封鎖の延長を頼まなければならない。
盆地のここは暑さの質が東京と違う。熱がかたちをもって身体を押しつぶしてくるような感覚。脳は常より倍重く、クマゼミやアブラゼミの音が耳元からきこえて止まない。思考が遮られる。額から滴る汗の感触すら煩わしい。のどを限界まで押し広げて呑み込んだ呪霊の玉の味が、胸焼けのように張り付き、臓腑に侵食し、肚にどろりと渦を巻いている。外も内もじりじりじりじり………………灼かれてゆく。
クーラーの効いた車へ戻りたい。身を苛む倦怠感、吐き気、焦燥。それらから逃れることは出来ないが、少しは楽になる。神社の敷地外で待機している補助監督と合流するために、塗りの剥げた鳥居をくぐって階段を降りたところで前方から男の声がした。
「ですから、犯人は子供たちだといっているでしょう! はやく、はやく捕えてください! アレはほんとうに恐ろしいバケモノなのです……!」
「危険ですからお下がりください! ち、近い……原因については担当の者が調査に向かっておりますので……」
中年太りの男が補助監督になにやら言い募っている。内容はさまざまだが、平静を失った非術師が高専関係者に物事を訴えることはままあった。夏油はひといきついて、二人の会話に割って入った。
「伊澤さん、終わりました」
「げ、夏油くん……! 怪我はないようですね、無事でなによりです」
「はい。後処理が必要なので立ち入り禁止は継続してお願いします」
小声で「たすかった……」とつぶやいた彼は、暑さと男の相手でやや草臥れている。オールバックに固めた焦げ茶の前髪が顔へはらりと落ちたのを直す彼を尻目に、夏油は男へ視線をやった。
「……それで、この人は」
「あなたが、専門家の方ですね!?」
「……ええ、もう事件の原因は取り除いたのでこれ以上起こることはないでしょう。安心してください。」
男は忙しない。ギョロリとした眼をクリクリ動かして、首にかけた白いタオルで汗を拭い、視線を彷徨わせ、切羽詰まった様子で両手をむすび、足踏みをしている。
伊澤に目配せすると、「この村の役員の人みたいです。この事件について何か知ってるみたいなんですが……」とこっそり耳打ちしてきた。
「い、いいえ! いいえ! 違うのです……!」
「落ち着いてください。あなたは何かを知っている。そうですね?」
「はっ、はい! じ、じつは……」
男──村井は見てもらいたいものがあると言った。バケモノの子供に襲われた住人が二人いる。姿かたちも、なにもかもが変わり果ててしまった。ときどき声を出すものの話はできず、視線すら合わない。アレが持つ人智を超えた恐ろしい力で変えられてしまったのだ。事件はまだ解決していない、どうか助けてほしい、とのことだった。
「それ以外にも、事件の犯人の双子を捕えていたのですが……昨日すっかり姿を消してしまい。残っていたのは壊れた檻と、ゆ、床の血だけでした…………おそらくまだ、どこかに潜んでいるのでしょう」
「その村人を襲ったという子供はどこに?」
顔をしかめた伊澤が問う。村井は言い淀んでから、重々しく口を開いた。眉間に深いしわが刻まれる。
「数日前……ある住人があのバケモノに襲われたときのことです。遺族の一人が、崩れ落ちたアレをほうきで叩きのめしたら…………ふっと姿が消えたのです……!」
「消えた?」
「はい。その場所には何か、こまごました物が落ちて浮かんでいたのですが……物も手もすり抜けてしまい。後で見たらすっかり無くなっていて……」
村井は動揺していて、一部支離滅裂なところもあったがまとめるとこうだ。一人目は最後の変死者が発見された日に大勢の前で襲われ、子供は消えた。その数日後に人知れず二人目が襲われたから、子供は確実に生きているだろう。同じ日に双子の行方も分からなくなっており、二人目は双子の食事係だったことから、この三人には必ずなにかしらの繋がりがある。
「…………はぁ。とにかく、その被害者二名の状態を見てみないことには判断がつかないですね。案内してもらえますか……夏油くん、大丈夫ですか?」
「……はい」
事件の犯人だという双子はともかく、もう一人の子供は術式を持っている可能性が高い。どのようなものかは分からないが……己の力を理解していないのか、暴走しているのか。最悪、呪詛師に利用されているかもしれない。その場合、夏油がやることはただひとつ──引き離さなければならない。
……何から?
はっと我に返る。どうして引き離さなければと思ったのか、何から引き離したいのか。考えてもすぐそこに答えはなく。
不透明。曖昧なまま。思考は暑さに塗りつぶされる。
∵
「……ここに二人を閉じ込めています。意思疎通もできず、勝手にどこかへ行ってしまうので……」
夏油と伊澤が案内されたのはこぢんまりとした納屋だった。木製の引き戸には錆びた錠がついている。村井から鍵を受け取った夏油は二人を下がらせ、開けます、と一声。ガチャガチャと錠をはずして建付けの悪い戸をガタリ、少し開けて覗き込む。
こもった熱気がむわりと顔を襲ってきて、夏油は眉間にしわを寄せた。中は暗い。入口からの光を受けてうすぼんやりと様子が伺える。農具や小型の機械が雑然と置かれている狭い屋内。夏油の視界、影がふたつ。たしかにある。しかしそれは人間の形をしているようには見えなかった。
一気に引き戸を開ける。濃い土の匂い。光を受けた埃がキラキラと舞う。その、納屋の奥のほう──居る。
「こ、れは……」
のどの奥から、絞り出すような声が漏れた。
見た目はたしかに、人を模している。人、と。言えなくもないだろう。縦向きの直方体、胸の前で手を組んだようなポーズ、文字通り角ばった身体。頭に麦わら帽子をかぶり、茶色いワンピースのような服を身にまとっている。どちらも同じ体格、同じ服装。そして──同じ、顔。
非術師や一般人とは違い、呪いを視ることができる夏油の目は、脳は。判断した。
これは人間ではない。
ならば呪霊か。否、それも違う。確かに呪力を孕んでいるが呪いそのものではないだろう。ならば、何なのか?
「……伊澤さん」
暑さとは違う汗がどっと流れる。険しい表情の夏油に呼ばれた伊澤も、ソレらを認めて息を呑んだ。
「これが人間……ですか」
「いえ。おそらく、既に違うモノになっている……これを子供がやったとは、にわかには信じられませんが」
人間を別の何かに変えるなんて、並の術式では到底不可能だ。明らかに異端。呪霊、それも特級の仕業と言われたほうが納得がいく。その場合原因は今回取り込んだ一級呪霊になるが、生憎そのような力は持っておらず、また、残穢も異なるものだった。
……とにかく、この被害者二人を元に戻すのが困難であろうことは確かだ。夏油と伊澤の手に負えるものではない。
「子供を探します。まだ幼いですし、残穢もまだ残っているからそう遠くには行っていないはず」
「そう、ですね。私はここに残って一度高専に連絡しますが……この二人はこちらで保護する形になるかと」
「おっ、お待ちください!」
別行動をとろうとすると村井の声に引き留められた。できるかぎり迅速に行動したいところだが、まだ何かあるのだろうか。伊澤が尋ねる。
「どうしました?」
「い、言い忘れていたことが……あのバケモノことです。あれは事件現場に突然現れたわけではなく、ある夫婦に保護されていたのです」
村井は忌々しげに語った。専門家の夏油たちに出会えたからなのか、最初のような動揺はなく苦々しい表情だった。
「事件前日に、保護した夫婦──山野さんたちが村中を訪ねてまわっていました。どうやらその子供は食べるものも住むところもなく、孤児のようで……見覚えはないか、と。住人のほとんどはそのことを知っていました」
「でも、身内と思しき人物は見つからなかった?」
「はい。そのときは駐在さんに保護を頼むと。山野さんは、先月の暴風雨で親も家もなくして彷徨っていたのではないかと言っていましたが……」
夏油の問いに村井は頷いた。呪霊を視認できる人間が孤児だったり、身内との折り合いが悪かったりするのは珍しいことではない。そして、そういった人間が将来的に呪詛師になったり、呪詛師集団に加わることも。
子供をバケモノだと表現してやまない村井は、山野の一連の推測に半信半疑のようだった。とりあえず言ってみた、という口ぶりだった。
伊澤が話半分に先月の大雨について言及する。
「やっぱりここも被害は相当だったんですか?」
「ええ、まあ……でもこの村よりも、数キロ離れた集落のほうがよっぽどですよ。山野さんの息子夫婦もお孫さんも、その付近で起きた土砂崩れに巻き込まれて、亡くなったそうですから……」
「そう、なんですか。それはまた……」
少しの沈黙。
夏油は伊澤とアイコンタクトを取り、同時に頷いた。
「山野さんのお宅を教えてください。詳しい話が聞きたい」
「わ、わかりました……」
せまい村内、山野家はそう遠くなかった。インターフォンに応えて玄関口へとやってきたのは、子供を畑のそばで保護したという山野和仁という老年の日焼けした男。灰色のポロシャツと黒のハーフパンツを着て、サンダルをつっかけている。
沈鬱な面持ちで彼が言った、暑いでしょう、という屋内へ迎え入れる誘い文句。冷房の効いた部屋と氷の入った麦茶に心惹かれつつも夏油たちは断った。長居するつもりはない。
「数日前にあなたが保護したという子供について、教えていただけませんか」
伊澤が聞くと山野は丸かった背中をさらに丸めて、顔を手で覆った。
「まさか、あんなことになるなんて……あいつが、クラヒトが事件に関係があるとは思ってもいませんでしたから」
「“クラヒト” ? 子供はクラヒトというんですか?」
「え、ええ、はい。“マイ クラヒト” ってぇ自分で名乗ってました。どう書くかはわかりませんけど」
“マイ” 、聞いたことのない苗字だ。呪術界で過ごした二年間でも、同じものは聞いたことがない。呪術師の家系の人間、例えば五条なら思い当たる節があるかもしれないが。
「村井さんにも言いましたが、今回の事件にそのクラヒトくんは関係ありませんよ。まったく別の問題です」
「そんなはずは! おふたりは奴らの不気味さをまだ目の当たりにしていないだけです! あのおぞましさは言葉で表現しきれるようなものでは」
「村井さん、村井さん落ち着いてください」
夏油の言葉に反応して前のめりになった村井を、伊澤がなんとか宥めようと手で押しとどめる。夏油はそれを横目に山野を観察していた。彼はマイクラヒトが事件に無関係だと聞いて表情を少し和らげていた。村井の言葉よりも、夏油の言葉を信じたいようだった。クラヒトがふたりの人間をなにか別のものに変えたのに違いはないが、それでも事件に関わりがないのなら罪は軽くなる。住人を殺した犯人を招いてしまったという、山野の自責の念とともに。
話が脱線したので改めてクラヒトについて聞くと、山野は先程よりもやや口まわり良く語った。保護した経緯や孤児だと思った理由、身内を探してまわったこと……普通の子供らしいところと、そうでないところ。
「生活するうえで知ってなきゃいけないことを、知ってて当たり前のことを知らなかったんですよ。4、5歳くらいの子供が。布団もコップも麦茶も、米も箸も、何もかも不思議そうに見ていやがる。だから今までよっぽどな環境で、独りで生きてきたんだってぇ思いましてね。ひとつひとつ教えてやったらちゃんと理解して、素直に言うことぉ聞いてましたよ。」
山野の話から分かったのは子供が想定以上に俗世に触れていないことだった。山野は、クラヒトがひとりになったのは先月の暴風雨以降だと考えているようだが、その様子を聞く限りあり得ないだろう。あまりにもモノを知らなさすぎる。孤児か否かにかかわらず、もっと幼い時分から人間の生活に触れていなかったと考えていい。
「なぁ、伊澤さんに夏油さんと言ったか。」
別れ際、山野は夏油たちを呼び留めた。
「あなたたち、こういうワケ分からん事件の専門家なんでしょ。アイツのこと、なんとか面倒見てくれはしませんか」
言い淀み、視線を地面に固定して。右手で頭をかきながら、俺が言えた立場じゃありませんが、と前置きして。
「アイツのやったことは今思い出しても怖気が走るし、気味が悪ぃ。それは本当です。でも、専門家のあなたたちだったらこういうのも対処できるんでしょう。平気なんでしょう……アイツは何も知らねえ子供なんだ。人間の生活を、当たり前ってやつを、教えてくりゃあしませんか」
その声には恐怖と嫌悪が滲んでいた。
敬遠と後悔が滲んでいた。
憐憫が滲んでいた。
∵
夏油はマイクラヒトの捜索のために伊澤たちと別れた。ひとりになると自然とため息がもれる。胸のうちが軽くなることはない。憂鬱、だ──息が詰まる、肩に力が入る。周りに誰も居ないのに、誰も見ていないのに。任務を憂鬱だとも、非術師を煩わしいと感じることも、許されないように思えた。揺れる天秤。まるで空中を綱渡りしているような感覚。術師として歩み続けても足元はぐらぐらと定まらず先が見えない。踏み外したその時には、今まで築きあげてきた大切な何かがすべて奈落の闇へと崩れ落ちてしまうような、そんな予感。
戒める。油断するな。今は目の前のやるべきことに集中しろ──例の子供のものと思われる残穢を辿る。小さな足跡。まるで誘い込むように、くっきりと残っている。残穢は術式を行使した際に残った呪力の痕跡──つまり、村内のどこでも、子供は術式を発動したまま歩いている。術式の常時発動なんてしたら脳は焼き切れ、とてつもない呪力を消費することになる。明らかに意図的、そして異端。
術式の常時発動を可能とする呪術師が存在しないわけではないが、夏油が知るのは同級生で親友の五条悟のみ。それも六眼を駆使して術式をオートにすることで呪力消費を最低限に抑え、さらに昨年会得した反転術式で脳のオーバーヒートを防ぐという彼にのみ許された方法で成し得た所業。
──出来るのか、まだ術式を自覚したばかりのような年の子供に?
答えは否。何かしら仕組みがあるはずだ。人の暮らしに馴染みがない子供、常軌を逸した術式、その常時発動。
背後に呪詛師がいる可能性も考慮すべきか。手段は雑だし目的も謎。襲った人間は利用するでもなく放置している。綿密に練られた計画とは思えない。考えられる可能性はおおよそふたつ。今の今まで囲っていた子供の術式の力試し、呪術師の誘い出し。
ひとつ目は利用する子供がどのような術式を持ってるのかを確認するため。人口がほどほどに少なく、周囲から独立したこの村は格好の練習場だろう。
ふたつ目は一級呪霊のいるこの村に派遣された呪術師を、子供を使って誘い出すため。考えられる目的は交渉、脅迫、殺害などさまざまだが、子供という弱者を餌にしていることに変わりはない。
どちらにしても子供の保護が最優先だが、場合によっては拘束が必要だろう。
低級の呪霊も用意して周囲の気配を探らせつつ、残穢を辿って最初に着いたのは双子が閉じ込められていただろう小屋だった。村井が言っていた通り、部屋の奥に壊された檻が見える。その側には小さなお盆と、倒れて中身が溢れたガラスコップがふたつ。
生々しい監禁の跡が人の業を物語る。思考は途切れる。
呪いに傷つけられる人。
呪いのせいで、人から手酷く扱われる人。
そんな人たちを助けるために呪術があるのだと。
そんな人たちを救うために己は強者であるのだと。
弱者故の尊さ。
弱者故の醜さ。
目の当たりにすればするほど、尊さがかすんで醜さが際立つ。
呪いを知らないのだから仕方がない。無知は罪だ。力を持たないんだから仕方がない。弱ければなんでも許されるのか?
苛まれる。臓腑は重い。天秤をガチャガチャ揺らしたまま一歩前へ。足元。床に染み込んだ赤黒い血。
もはや人ではなくなってしまった被害者二人に気を取られてすっかり忘れていたが、そういえば血痕があると男が言っていたのを、夏油は思い出した。……この量は子供じゃないな。鈍い頭でぼんやり判断しながら、しゃがみこんで観察する。大人のもので間違いない。順当に判断すれば、被害者の一人で双子の食事係だったとかいう女性のものか。
そして血痕周辺と壊れた檻から見て取れる残穢。これは被害者ふたりの呪力と同じだった。クラヒトは双子と接触し、檻から解放しているとみて間違いないだろう。
さらに残穢を辿る。
足跡は村をでて鬱蒼とした山の中へ。夏油は躊躇いなく舗装されていない地面へと足を踏み込んだ。やや暗い視界。木漏れ日を頼りにして、残穢を見逃さぬよう地面に注意を払いながら、周囲に気を配りながら捜索する。
木、木、木。雑草。枯れ葉、折れ枝。パキポキ、クシャリ。音を鳴らしながらひたすら進む。進む、進む、進む……
「どれだけ移動してるんだ……?」
一時間歩いた。景色に変わりはない。木が別の木に代わっただけで、雑草が別の雑草に代わっただけで、めぼしい変化は何もなかった。さすがにこうも収穫がないと精神が疲弊してくる。
ひたすら無心で子供の姿を探してさらに三十分。太陽は天の頂きをとうに通り過ぎている。夏油は少し休もうと、出していた呪霊をしまってちょうど良い高さの木の根本へ腰掛けた。ふう、とひと息。
想定したより時間がかかる。残穢を辿って見つけるだけだと思っていたのにクラヒトの移動距離がなかなかに長い。ここは電波が通じないから、日が暮れる前には村へ戻って伊澤と合流したいのだが……。
木陰で冷えた風が肌を撫ぜる。目を閉じて耳をすませる。葉が身をこすりあわせてザワザワ、カラカラ音を鳴らしている。ガサガサ、ガサリ。パキポキ、クシャリ。夏油は自然に発生しない音を耳に捉えた。目を開く。人か獣か。
立ち上がってぐるりと周囲の様子を伺う。足元に気をつけながらゆっくりと音のなる方へ。音の軽さから判断して、体重はそんなにないだろう。図体も大きくはない。人なら子供、獣なら猿くらいか。
いつでも迎撃できるよう構え、拾ったこぶし大の石を草木に向けて放り投げる。葉をかき分けた石は、やや鈍い音を立てて地面へ落ちる。
「えっ」
「なに、どうぶつ!?」
果たして音の主はふたりの子供だった。それぞれ黒髪と明るい茶髪の、幼児期くらいの女児だ。髪色はちがうが顔立ちは似ていて、姉妹のようだった。ぱっと見ただけでも髪がぼさぼさで、顔と腕に傷や痣があるのが痛々しい。夏油はゆっくりとふたりの前に姿を現した。
「こんにちは」
近すぎず遠すぎない距離、怖がらせないように浮かべたやわらかい笑顔、警戒させないようにしゃがんで合わせた目線。
突然目の前にやってきた夏油に、ふたりは目をまんまるく開いて固まっていた。が、それも束の間、すぐに顔を強張らせて身構える。
「く、くるな! あっちいけ!」
茶髪の子供がそう叫んだ瞬間、警戒をすっかり解いていた夏油の顔に飛んできたもの──木苺と雑草。やわらかいのでダメージは全くない。しかし木苺とは実がもろく、果汁が出やすいものだ。結果、夏油の白いワイシャツはところどころ赤色に染まってしまった。ボトムスにも染みが出来たことだろう。
「…………ふぅ」
服や頭にのったそれらを立ち上がりしなにはらりと落として、小さな背中がわらわらと走り去っていった方向へ目をやる。微笑む夏油のこめかみに血管が浮かんだ。夏油は気が短い男だった。
時折こちらを振り返りながら逃げていくふたりは恐らくクラヒトに檻から解放されたという双子。夏油が立ち上がるのを見て「ヒッ」と悲鳴をあげ、さらにがむしゃらに走ってゆく。ふたりを見失わなず、かつ追いつかない速度で跡をつける。あわよくばクラヒトと合流してくれないだろうかという魂胆だ。その場に呪詛師がいる場合も考えて行動しなければならないが。
そのうちに木々がなくなり、開けた場所が見えてきた。そこだけ日が燦燦と降り注いで目に眩しい。近づいてゆくと、白く光るそこから小屋が浮かんで見えた。ふたりがドタバタと扉の中へ入ってゆく。
果たしてそこは、シンプルな木製バンガローのような見た目の小屋だった。掘っ立て小屋とは違う。外壁や玄関扉、屋根などは造りがしっかりしており、敷地は木の柵で囲われ、その中には小規模ながら畑もある。きちんと整備された土地なのだ。同時に、異様な土地でもあった。
ひとつ、この土地には呪力が込められている。建造物も例外ではない。ふたつ、見た目が現実とまるで違う。この空間だけ、まるでゲーム画面のドットのようになっている。みっつ、この空間からはたったひとりの呪力しか感じられない──マイクラヒトの呪力しか、感じられない。
似たものを見たことがある。構築術式、己の呪力をもとに物質をゼロから構築するものだ。しかしこれは呪力消費も身体への負荷も大きく、ポンポンと乱発できるような代物ではない。マイクラヒトの異様さがさらに増していく。
夏油は周囲に監視用──視覚は共有できないが──の呪霊を配置した。呪霊に何か起きれば外からの襲撃をいち早く感知できる。壁に耳を当てて中の様子を探るものの、声がかすかに聞こえるだけで内容は分からない。しかし子供の気配がみっつあることだけは判明した。残りのひとりはクラヒトだろう。
「こんにちは」
コンコンコン。ドアをノックする。
「私は呪術高専の夏油というんだけれど……マイクラヒトくんはいるかな」
応えはない。
「一緒に居るのは■■村の子たちだよね。事件は私が解決したからもう大丈夫だよ」
応えはない。
「……犯人は、ほとんどの人が見ることのできない恐ろしい怪物だった。けれど私はそれを見て、やっつける力を持っているんだ」
応えは、ない。
「きっと、君たちと私は同じだと思う。……ドアを開けてくれないかな」
しばらくの沈黙。
駄目だったかな、と嘆息。そのとき、眼前の木製扉がこちらに開いてきて夏油はすこし後退った。
視線を下げた先、小柄な男児が玄関口に立っている……鉄の鎧を全身にまとった、男児が。しかもその鎧からも呪力が感じられる。自分の構築したもので周囲を固めているのだ。そして、彼の後ろには身を寄せあっている先程の姉妹。
「……やあ、私は夏油傑。開けてくれて嬉しいよ……今日は、君たちとお話がしたくて来たんだ」
夏油は異様な状況に疑問を持たざるを得なかった。それらを、姉妹と出くわしたときよりも心持ち朗らかな笑みで努めて隠しながら。威圧感を与えぬよう、しゃがんで視線を合わせる。心持ち、先程よりも朗らかな表情を意識して。
姉妹は緊張した面持ちでこちらの様子を伺っている。
鉄で身を固めたクラヒトは感情の見えない黒い瞳で、夏油をじっと見つめている。そして言った。
曰く。“クラヒト”が何かは知らないが、自分はマインクラフターである。オソロシイ怪物というのは、ジンジャにいた強力なモンスターで間違いないか。
「……君はクラヒトくんじゃないの?」
暫定クラヒトは大きく頷いた。自分はマインクラフターである、と先程と同じことを言う。
夏油は思った。
クラヒトの発言に色々と思うところがあった。
子供らしからぬ表情とか、子供らしからぬ言葉遣いとか。事件の元凶である呪霊を認知していたのかとか、モンスターってゲームみたいな表現をするんだなとか。
その中でもとりわけ、彼の第一声が気にかかった。
“クラヒトが何かは知らない” 、彼はクラヒトではない。
“自分はマインクラフターである” 、彼はそう名乗った。
“マインクラフター” がどんな意味なのかは分からない。少なくとも人間の子供につける名前ではないだろう。しかし彼という人間を見分ける呼び名であることは確かだ。
だが……だが。山野はこれを聞き間違えて、彼が “マイクラヒト” という名前なんだと勘違いしたんじゃないか?
ということである。
夏油の笑顔は困惑に固まった。
「……えっと。マインクラフターくん、でいいのかな。」
クラヒト、もといマインクラフターは再びこくりと頷いてから口を開いた。
──自分はマインクラフターだ。あのモンスターのことを話しに来たのなら丁度よかった。詳しく教えてくれないだろうか?
屋内へ迎え入れようと背を向けたマインクラフターを見て、夏油は今後の困難を悟った。ちぐはぐな子供、異端の術式、他者の呪力にまみれた土地、なにやら食い違っていそうな認識と価値観──つまり意思疎通、コミュニケーションの困難。そして、依然離れた位置からこちらを警戒しているななこ・みみこ姉妹。子供の相手が苦でないとはいえ、複雑怪奇なこの現状。
絡まった毛糸を前にしたような倦怠に心を重くしながら、夏油はマインクラフターの呪力に満ち満ちた木製小屋へ足を踏み入れたのだった。