ACT1「セイバー」
――彼女にとって、十年前の記憶は特別なものだった。
周りを覆う赤き炎。倒れて伸ばした手を、夜天はただ見つめるのみ。
……自分がこれからどうなってしまうのか。それは嫌でも察することが出来た。
共に小学校に通う友人より少しだけ特別な世界にいることを、彼女はこの日までは誇らしく思っていた。けれど――
「なんで――?」
けれど、彼女はあまりにも無力だった。どんなに特別な力を持っていようとも、彼女が幼い子どもであることには変わりなく――今ここで、夏海市でその幼い命を散らしてしまう、そのことを覆すほどの規模の力など持っているはずもなく――彼女はただ、それを受け入れなければならないという事実を認めたくないあまり……ついに泣きだしてしまった。
泣いてもしょうがない、そうわかっていても、彼女はそれでも泣き続けた。
――そんな時だった。ついに、近くにあった崩壊寸前の建物が大きな音を立てて崩れ始めた。瓦礫は容赦なく少女に降りかかる。砂塵の如きものならばまだいい。だが――
「あ――」
彼女の視界に、大きな瓦礫が現れた。それはもう、どうしようもないほどに彼女の生命活動を停止させるに足るものだった。
思考が消える。心がからっぽになる。そして彼女は自我を放りだそうとして――
「――え」
見知らぬ誰かに抱きかかえられていた。
炎に包まれる夏海市を駆ける、見知らぬ人。けれど、その腕の温もりには何故だか懐かしさがあった。
「お父さん……?」
彼女は、見知らぬ人に、見知らぬ人であると認識しているというのに、その――赤い外套の青年に父の面影を見た。今もこの町のどこかにいるはずの、父と重ね合わせたのだ。
彼女の言葉を聞いた青年はというと、
「……悪いが人違いだ。心細いのなら他を当たれ。私と君とは、避難所までの関わり合いなのだからな」
ただそれだけを口にして、常人離れした速度で避難所まで彼女を送り届けた。
それが彼女の原風景。一度心を手放した彼女に、新たな心が芽生えた時の――特別な記憶。彼女――ツカサは、この時から今に至るまでの十年間、この記憶を片時も忘れることはなかった。
「……ター、マスター。起きているのか? おい、マスター」
自分を呼ぶ声を感じ、ツカサは目を覚ました。……場所は夏海市内のビジネスホテル。とりあえず一泊するだけと、安直に決めた安宿だった。
椅子に座っているところを見ると、どうも会話中にうつらうつらと眠ってしまったらしい――そう気付いたツカサは途端に恥ずかしくなった。
「――ぅ、ごめんセイバー。つい寝ちゃった」
向かいの席に座る赤装束の男――セイバーに、ツカサは謝罪交じりに話しかける。そのセイバーはというと、溜息交じりに自身の前髪をくしゃくしゃと軽めに掻き分けていた。
「やれやれ、そんなに私の話は退屈かね?」
皮肉交じりに、セイバーは返答した。若干ながら、拗ねているようにも見える。
「……私が悪いのは事実だけど、でもセイバー、もうちょっとだけでいいから優しく言ってくれたりはしないの?」
「悪いがそこまで真っ当な英霊ではなくてね。見ての通りへそ曲がりだ。君もいい加減諦めて、私をそういうヤツだと認めてはくれないかね」
どこまでも皮肉交じりな物言いに、なるほど確かにコイツはへそ曲がりだ――と、ツカサは流石に認めざるを得なかった。……というよりも、こんなことで堂々巡りのいたちごっこを繰り広げることに生産性を感じなかったといった方が正しい。
「……それで、セイバー」
ツカサは話の続きを始めようとしたのだが、未だ寝惚けていることもあっていまいち上手く切り出せずにいた。
「……〈聖杯戦争〉。その概要についての説明だ」
「――う、ごめん」
察したセイバーによるフォローめいた口添えによって、ツカサは再び顔を赤らめ、先ほどよりほんの少しだけ大きな声で謝罪……というか反省を口にした。
しかしながら、セイバーは別段気にした様子もなかった。それどころかむしろ、気を懸けている風ですらあった。
「別に気にしていない。君は私を召喚する際、相応の魔力を消費した。体に疲労が溜まっていることを恥じる必要などないさ」
セイバーの語気に、少しだけ温かみがこめられていた。ツカサはそれに気付くとほんのり嬉しく思ったが、段々と照れ臭くもなり、結局顔の紅潮は強まった。
「マスター、やはり疲労が大きい様だな。ひとまず睡眠を取ることを推奨する」
「でも、そんな悠長には構えていられないし……ここだって簡易的にでも工房化しないと」
「そんな状態で十全な備えが出来ると思っているのか? 中途半端な工房化では却って自分の存在を知らしめることになりかねんぞ、粗が多ければその分目立つからな」
「うぅ、ごめん……」
三回目。この短時間で実に三回目の謝罪であった。
「いいから。マスターは一旦眠れ。この場の守りはオレが――」
「うん、じゃあお言葉に甘えて――」
セイバーが言い終わるより先に、疲労の限界が来てツカサは眠り始めた。
「せめてベッドまでは自分で行ってくれないかね……」
またもや座ったままでの睡眠だったので、セイバーはやや慌ててツカサを受け止めた。霊体化を一時的に行い、一瞬で机を通り抜けたため間に合わせることが出来た。そうでなければ、今頃ツカサは顔面を机に打ちつけているところだった。
――霊体化。セイバーを始めとしたサーヴァントとは、霊体に召喚者たるマスターから魔力供給が行われることで初めて肉体形成を可能とする存在である。そういう意味では、サーヴァントという呼称が指す通り、使い魔に近しい部分もある。マスターからの力添えが在って初めて、内包した力を振るうことが可能となるからだ。
だが、セイバー自身が言ったように、サーヴァントとは英霊……つまり、人類史に名を残した英雄も同義の存在である。逆説的に言葉を続けると――人類史に名を刻むほどの存在ゆえに英霊足りえるのならば、その存在を現世に留まらせることは……本来なら困難なはずだ。魔術世界――いや、それだけではなくこの世界自体、信仰の規模が大きければ大きいほど、信仰対象は力を増す。そしてそれは同時に――たった一人の人間ごときに扱える存在からかけ離れていくということでもある。
魔術師たちはそれを、〈クラス〉という器を用いることで限定的にだが対応することに成功した。
セイバーという名も、クラスの名である。あまりに強大な力を持つ英霊。彼らを御するために、魔術師たちはクラスという器に彼らをなんとか入れ込んだのだ。
英霊たちは、さまざまな伝説や側面を有する。多様性もまた人の性質であるのだから当然と言えば当然である。クラスとは――そういった英霊の、どこか一側面を抽出して流し込むための器なのである。このような限定的現界であれば、魔術師たちでもどうにか彼らを現世に留めることができるのだ。
――ただし、その前提に更なる基盤があるからこそでもあるのだが。
それこそが〈聖杯〉である。厳密には聖杯ではなく、膨大な魔力を内包するがゆえに近い事を行える贋作なのだが。だが同質の事象を可能とするため、便宜上聖杯と呼ばれている。真贋はともかく、それは万能の願望器という扱いなのだ。
夏海市にて観測されたため、〈夏海聖杯〉と呼称されているそれは、今回で二つ目である。一つ目は十年前、燃え盛る夏海市で観測された。元は別の土地に存在した物のようだが、いつの間にか夏海市へと移動されていたようだ。
その夏海聖杯が、英霊召喚の補助を行っている。魔術師だけでは召喚するための魔力が足りない。その分の魔力を、夏海聖杯は十年かけて地脈から汲み取っていたのだ。
……本来は六十年前後かかるとのことだが、夏海聖杯が十年前にほとんど貯蔵魔力を消費しなかったことで、今回十年程度のスパンで再び英霊召喚が可能となった――と、聖堂教会のとある神父が突きとめていた。何故夏海聖杯は英霊を召喚する機能を有しているのか、何故その神父はこの件について調査していたのか。それを知る者は数えるほどしかいない。
ともかくとして、サーヴァントはこの様なシステムで現界していた。
だが、サーヴァントとて強制的に召喚されるというわけではない。基本的には何かしらの願望を持つ英霊のみが呼び出される。聖杯によって、己が願いを叶えることを報酬に。
そう、夏海聖杯もまた万能の願望器である。であればその本質的な機能は、願望の成就に他ならない。――これにより、また一つパズルのピースが嵌った。
……セイバーが口にした〈聖杯戦争〉とは、マスターがサーヴァントを従えて聖杯を奪い合う――願望成就権を懸けた戦いなのだ。
最後に勝ち残ったマスターとサーヴァントは聖杯を手に入れ、そしてそれぞれの願いを叶えるのだ。それこそが聖杯戦争の報酬。最後の勝利者にしか与えられぬ、大いなる栄光なのだ。
セイバーは、聖杯戦争についての基本的なルール、そして現代社会の知識――その双方を聖杯から与えられていた。これもまた、聖杯戦争を滞りなく執り行うため夏海聖杯に組み込まれたシステムである。セイバーが与えられたのは基本的なルールのみなので、夏海聖杯のこういった細部のシステムについては然程知り得ていなかった。
だがツカサへの説明に困らない程度の知識は持ち合わせていた。例えば、自分以外に六騎のサーヴァントがいること。そして、サーヴァントの中には、気配に関するスキルを持つ者もいること。
「気配遮断や気配察知――特にこの辺りは厄介だな」
マスターに負担をかけぬよう再び霊体化を行い――それを維持しながら、セイバーは呟く。
霊体化状態のサーヴァントは、そのサーヴァントのマスター、或いは魔力や霊体の感知に優れた者以外では、同じ存在であるサーヴァントにしか視認できないのが基本だ。
だがサーヴァントの中には気配遮断を得意とする者も存在する。これは暗殺クラス〈アサシン〉が標準装備していることの多いスキルで、スキルランクにもよるが攻撃動作に入らない限りサーヴァントですら感知できないという、マスター殺しにこの上なく有用なスキルである。
セイバーは、現状疲労状態にあるツカサにとって最大の脅威をアサシンクラスのサーヴァントであると認識していた。そのため常にツカサの周囲に待機し、瞬時に霊体化を解除する準備も整えていた。霊体状態では、現世への干渉が困難となるからだ。それは相手サーヴァントにとっても同様だが、この場合、セイバーが気にしていたのは……有事の際、自分が即座にツカサを連れてホテルから脱出するための算段だった。
とにかくマスターを優先する――それがセイバーの方針なのだ。
「……あの匣も活用できればよかったのだがな」
今より一時間ほど前、突如ツカサへと走り寄って来た
「……目的はわからないが、聖杯戦争に割り込んだヤツがいるみたいだな。そいつも何とかしないと」
素に近い声色で、セイバーは呟いた。