アスカ視点のみで振り返るQシンエヴァと、その後の話 作:アスキス徒
赤い海、白い砂浜。星々瞬く夜空の世界。
そこは碇シンジが始まった場所であり、エヴァを失いマイナス宇宙空間を彷徨っていた碇シンジが最後に辿り着いた場所だった。
――――もうここには誰もいない、僕ひとりだけだ。
白い砂浜に寝転がり、目を瞑る制服姿の少年。碇シンジ。
彼は首に巻かれたDSSチョーカーを触りながら、マリの言葉を信じて迎えを待っていた。
たとえ消えることになっても、この場所なら悔いはないという心境で、
静かに聞こえてくる波の音に耳を傾け、いずれ訪れるであろう運命にその身をゆだねていた。
通り過ぎていく風は寂しさを撫で、
静かな波の音は、シンジを優しく包みこむ。
―――静寂だけが残る、独りきりの世界。
そんな世界に、パシャリ――と、ひとつ。希望の音が鳴る。
かすかに。しかし確かに聞こえたその音は再び繰り返され、次第に大きくなっていく。
パシャリ、バシャリバシャリ――――、水を踏みつける音。
誰かが波打ち際を歩いて来るその音に、シンジは目を覚ます。
――――マリさんが来た
起き上がり。どこか寂しさを浮かべながら、シンジは音の方へと目を遣った。
瞳に映るのは、裸の少女。
明るい茶色の髪に、見覚えのある裸体。
赤い水にまみれ、ずぶ濡れの、砂浜に佇むアスカの姿。
「――――アス、カ」
シンジの両目は見開かれ、一瞬にして笑みが消える。
ただ呆然とアスカを、シンジは見つめてしまう。
肉体のないアスカは、この場所でしか存在できない。
次の世界に行けたとしても、シンジのように記憶を保持することができない。
それはシンジにとって、アスカが死ぬということを意味していた。
アスカに生きていて欲しかったシンジにとって、それは決して認められないことだった。
「アスカ、どうして――――、どうして来たんだよ、アスカ!」
俯いたまま一歩。また一歩と近づいて来るアスカに、シンジは叫び、訴えた。
どうやって来たのかなんていう理性よりも、心が先に動いていた。
それは紛れもないシンジの叫びだった。
「…………」
目も合わせず、無言のまま歩いて来るアスカ。
突き放さなくてはいけないと言うせめぎ合いに、シンジの涙腺から頬を撫でるようにして薄い涙がこぼれ落ちる。
もう何もかもが手遅れで、もう何もかもがどうしようもない。
ボクにはもう、アスカを救う力は残っていない。
――――なにもできない。
諦めと嬉しさから溢れだしてくる訳の分からない涙を、シンジは止めることができなかった。
しかし、そんな思いに浸るのも束の間。
目の前に迫るアスカの違和感にシンジは気が付き、思わずたじろいだ。
式波じゃ、ない――――。
アスカの両手は震えるほど強く握られ、小刻みに体が揺れる。
全身に抑えきれない程の力が入っている。
垂れ下がる前髪にその瞳は隠されているが、強い『憎悪』が全身から伝わって来る。
式波とは全く別の、今まで感じたことのない気配。でもどこかで感じたことがある気配。
それは今のシンジが初めて感じるもので、シンジの体はすぐにそれを理解した。
呼び覚まされる記憶の中の惣流アスカラングレー。
なぜ彼女がいるのか理解できない事も相まって、シンジの体は震えだす。
謂れのない恐怖に息を呑むシンジ。
気が付けばアスカとの距離は、目と鼻のところまで縮まっていた。
手を伸ばせば届く距離、互いの息がかかる程に近い。
黙り込むアスカに、何か言おうとするも――、シンジは何も言えず。
黙り込むアスカに、何かしようとするも――、シンジは何もできず。
シンジはただ佇み、アスカはそんなシンジの胸を右手で突き飛ばす。
トラウマに似た過去の記憶に支配されたシンジは、そのまま力なく砂浜に倒れ込む。
惣流アスカに引きずり出された過去の記憶は強烈で、逃げてはいけないとシンジが叫んでも、体も口も動かない。
起き上がることすらできないシンジに、アスカはまたがり馬乗りになって、シンジの首に両手を掛ける。
初めて交わる互いの視線。
濡れた髪から赤色の滴が落ちてくる中見えたその瞳は、冷たさを通り越していた。
笑ってなどいなかった。
過去の過ちが頭を過り、シンジは思った。
――――殺される。
惣流は自分に会いに来たのではなく、自分を終わらせに来たのだとシンジは悟った。
次第に込められていく力に、シンジは一切抵抗しなかった。
目を逸らすことも、決してしなかった。
視界が薄れていき、もう少しで終わる――、その刹那。
赤色の中に透明な滴が、ひとつ。
アスカの両目からこぼれだした涙、緩まっていく力。解放されるシンジ。
首を絞めることができなくなったアスカは、シンジの胸ぐらを掴んで何度もたくし上げようとするが、その力すらも流れ出る彼女の涙が奪い去り叶わない。
もはや彼女の腕にも体にも、シンジを拒絶できるほどの力は残ってはいない。
憎悪の果てに、ただ愛だけが残る。
アスカはもう、何も言うことができなかった。
アスカはもう、何もすることができなかった。
彼女はもう、壊れてしまっていた。
息を取り戻し何か言おうとするシンジの口を、崩れ落ちるアスカが塞いだ。
突然重なる唇にシンジは逃れようとするが、アスカの体はそれを許さなかった。
逃れても、幾度となく重ねられるアスカの唇。
半ば強引に、そして執拗に――――、息すら許さない程に。
やがてシンジはアスカの愛に貫かれ、瓦解。
それでも未だ。力任せに唇を押し付けてくるアスカに、シンジの瞳から涙がこぼれだす。
裏切られることを極度に恐れていた碇シンジはアスカを受け入れ満たされていき、過去の記憶に縛られていたシンジの両手は次第に上がって、少女の背中にふれた。
唇をそっと離し、シンジの胸に小さく蹲るアスカ。
牙を無くし、胸の中で弱々しく震える少女。
今にも崩れ去ってしまいそうな彼女を優しく抱きながら、シンジはその身を起こす。
「アスカ……」
「…………うっさい」
震える声で呟くアスカ。
弱々しくも黙っていろと言いう返答に、やはり惣流だと確信し嬉しくなる半面。
シンジは複雑な気持ちだった。
どうしてアスカがここまでしてくれるのか、シンジには理解ができなかった。
手にかけようとした自分を愛してくれるアスカのことが、シンジには分からなかった。
自分が本当にアスカのことを愛せているのか不安だった。
自分はどうすればいいのか、分からなかった。
やるせなさに、夜空を見上げていたシンジの瞳が赤く光り出す。
想いが定まるにつれ、世界が揺れ始める。
――――このままじゃいけない。
エヴァが無くても自分が神に近い存在であるのなら、まだなにかできるはずだ――
シンジは両目を閉じて、願い始める。
今あるモノ、それは自分自身。
自分を代償に、アスカが幸せに暮らせる世界を創り出す。
アスカの魂だけでも次の世界に送り届ける。
父親も母親も、碇シンジが必要なら碇シンジもいる世界を――――、創りだす。
元々エヴァごと消え去るつもりだったシンジにとって、それは覚悟などいらない選択だった。
消えてしまうアスカのために、唯一シンジがしてやれることだった。
それが自分を愛してくれたアスカに対する、シンジなりの答えだった。
アスカを心から愛せる自分を創りだす。それはシンジの願いでもあった。
『――――せめて、アスカが幸せに暮らせる世界にする。時間も世界も戻さずに、ただアスカが幸せに暮らせるように、そう書き加えるだけ。そのぐらいボクだけでもできるはずだ』
自分たちを縛るこの世界を崩壊させ。
自分の魂をもって、自分の願いとアスカの魂を次の世界に送り届ける。
シンジの想いは確かなものになり、その両目は力強く開かれる。
赤く光る瞳が、静かだった波を荒波に変え、撫でるようだった風を暴風に変え、重力すらも逆立たせ、世界を崩壊へと導いていく――。
マリさんには悪いけど、マリさんならきっと分かってくれる。
壊れゆく世界を見つめながら、シンジは思う。
しかしそんな想いを遮るかのように、シンジの両目を突然。
後ろから、誰かの両手が覆った。
「――――だーれだ」
暗闇の中。背中を包み込まれる感触とともに聞こえてきたその声は、アスカの声だった。