──URAで優勝してからというもの、体を休める機会が増えた俺は、制服よりも私服の革ジャンに袖を通す回数が多くなっていた。
電動車椅子を走らせて校内を闊歩するタキオンの隣を歩き、それから階段の前に立つ。
「タキオン」
「ああ」
手慣れた動きで一度立たせると、俺は車椅子を畳んでから松葉杖で左足を庇うタキオンを片腕に乗せるように抱き上げ、片手で畳んだ車椅子を持ち上げる。両腕にずしりと掛かる重さを感じながら、研究室がある階まで駆けていった。
「ふっ、はっ……よっ、と」
「……時間をかければ一人でも上がれると言っているのに、君も献身的だねぇ」
「足を庇いながら車椅子を背負って階段を上がるのか。上りきる頃には老婆になりそうだ」
車椅子を下ろして片手で広げ、車輪が動かないようにロックしてから座る部分にタキオンを下ろす。改めてロックを外して、電源を入れた。
「俺はその辺をぶらついているが、仲が良いからといってスカーレットを実験台にするなよ。それとカフェに薬を飲ませようとするな」
「ふん、スカーレット君にはしないさ。カフェはまあ、場合によるけれどね」
「……全く」
悪びれた様子も無いタキオンはそう言って、レバーを倒して車椅子を動かす。
今度カフェに詫びのコーヒー豆でも献上するか、と考えて、俺もその場をあとにする。
「──頚椎」
「けぺっ!?」
「……何をしているんだ」
暇をもて余してチーム・ファーゼストの活動拠点に訪れた俺は、何故かトレーナーに気絶させられているゴルシを発見した。
「ああ、アクセル。いえ……ちょっとゴルシが部屋でロケット花火を点火しようとしていたので、少々乱暴ですが止めようと」
「そうか……それはこいつが悪いな」
「では私は、生徒会室に向かうので──部屋で待機させているお客の相手を頼めますか」
「客……?」
お願いします、といってトレーナーはゴルシの襟首を掴んで引き摺っていった。
「……仕方ないか」
暇なのもあってとりあえずと、俺は客の相手をすることにした。扉を開けて中に入ると──たい焼きを詰めた紙袋を抱えたまま左回りにぐるぐるとウォーキングしているウマ娘を見つけた。
「…………何をしているんだ」
「──あ、こんにちは」
「こんな敷地の端の方にある辺境に何の用だ? それとそのたい焼きはなんだ」
ピタリと動きを止めて、栗毛のウマ娘は律儀に挨拶をしてくる。私服ということは体を休めているのだろうが、その腕にあるたい焼きが異質さを醸し出していた。
「たい焼き、食べます?」
「要らん……」
「そうですか。あ、私……サイレンススズカって言います。スズカと呼んでください」
「──────。そうか、俺はアクセルトライアルだ。アクセルでいい」
サイレンススズカ──スズカは、俺が広げたパイプ椅子に腰かけると机に紙袋を置く。俺は、スズカの顔をじっと見て
サイレンススズカ。俺と同じ逃げの馬。彼女──彼は異次元の逃亡者とまで呼ばれた、いわゆる短距離の速度で中距離を走れる馬だった。
そんな馬……ウマ娘が、何故か、どういうわけか、チームの拠点でたい焼きを手にぐるぐると左回りに旋回し続けていたのである。
「突っ込みどころが多すぎる……」
「アクセル?」
「……さっきも聞いたが、そのたい焼きはなんなんだ。食べるのか?」
「いいえ? 実はフクキタルが朝、私に『たい焼きで、最高の景色を見せてくれる相手が釣れる』とお告げしていったの。でも全然駄目で……」
──それで、いっそ自分から相手の口に突っ込んでやろうと思い、紙袋に詰めて歩き回っていたら、俺たちの拠点にたどり着き、ゴルシが部屋でロケット花火を点けようとした現場に鉢合わせたと。聞いていたら頭痛がしてきたな。
「ところでフクキタルは元気?」
「ああ。最低でも2日に1回の頻度で愛しのトレーナーにプロレス技で絞められている」
「嘘でしょ……!? な、なんで……」
「フクキタルは通販で怪しい壺を買おうとしたり、風水がどうとか言って勝手に模様替えをしようとするからな……」
この間もプールに投げ込まれていたし、懲りないというよりは、気を引きたいのだろう。
「いわゆるボディランゲージというやつだ。フクキタルはそうして愛情表現をしている」
「そうなのかしら……そうかも……?」
「──ところで、スズカは走りたくて相手を探しているんだったな」
「……併走してくれるの?」
「そうではない。……まあ、その、なんだ。やはり、1着を取りたいのか?」
俺が相手になってくれるのかと勘違いして目を輝かせたスズカだが、質問に首を傾げ、少し考えるそぶりを見せてから口を開く。
「それもあるけど……私は、先頭の景色を私だけのものにしたい……のかな。ずーっと前を走り続けるのは、心地いいから」
「──そうか」
どうやらこちらの世界では楽しく過ごせているらしいスズカに、他人事ながら俺はどこかホッとしていた。サイレンススズカという競走馬の──そのあまりにも悲痛な最期を知っているから。
天皇賞秋で起きた左前脚の粉砕骨折──沈黙の日曜日と言われた凄惨な事故。
『故障の原因は分からないのではなく、ない』と語られたことから、馬としての限界を超えた速度を出したせいで脚がもたなかったのではと考察されていたが、真相は定かではない。
──もしかしたらこの世界でも足を……と心配してしまうのは、余計なお世話なのだろうか。
「──アクセル?」
「……なんだ」
「どうして、
「────」
ひた、とスズカの手のひらが頬に触れる。感傷に浸りすぎたのか、表情に出ていたらしい。
「……変なことを、聞くようだが」
「うん」
「今、お前は幸せか?」
一瞬キョトンとした顔をしたスズカは、またも考え込む。俺の頬から手を離して、それから少しだけ眉を潜めて言う。
「──友人は、何人かいるし。レースも、沢山走れているし。こうしてあなたと話をするのも、楽しいから……うん、そうね」
スズカは口角を緩めて、柔らかく笑う。
「私は今、幸せね」
「……そうか」
あまり不思議な会話を続けていると、本当に勘のいいウマ娘辺りには俺の知識が前世由来だとバレてしまいそうだが、まあ……こうして心配するくらいなら、問題ないだろう。そこまで考えて──
「──あ」
「……どうしたの?」
「このたい焼きを全て処分できて、スズカの相手も集められるいい手段があるな」
俺はそう言って、携帯を取り出した。
「……やってみるもんだな」
中身が殆どない紙袋を傍らに、芝2000mの中距離を走るジャージ姿のウマ娘たちを見ながら俺は呟く。何故かスプリンターなのに参戦してバ群に埋もれたサクラバクシンオーをよそに、ぐんぐん後続と距離を突き放すスズカを見ていた。
「『サイレンススズカと併走してくれるウマ娘を求む。報酬はレース一回につきたい焼き一つ』……まさかこれで釣れるとは」
紙袋を抱えたスズカを撮影してウマッターに投稿したところ、意外にもウケて、こうして何人もの挑戦者を連れてこられた。バ鹿とウマッターは使いよう、ということか。
「アクセル、あなたは走らないの?」
「そうだな、なら一本……本気でやるぞ」
休憩を挟んでもう一本とやる気を出すスズカにそう言って、俺は着替えたジャージの前を閉める。スズカと他に数人、たい焼きに釣られていつの間にか参加していたマックイーンとライスを交えて──合図を聞いて走り出すのだった。
なお、くだんのフクキタルは、また妙なグッズを買おうとしてトレーナーからアルゼンチンバックブリーカーを食らっていたらしい。