とある日の研究室。カーテンを閉めきった薄暗い室内で、神妙な面持ちをしたアグネスタキオンの眼前に、湯気の立つ黒い液体の注がれたマグカップが置かれていた。
それを手に取り、タキオンは決意したように生唾を飲み、そして──
「…………むんっ」
一気に呷った。
「………………うえぇ」
そしてえずいた。
「……あの、毎回人が入れたコーヒーを飲んでえずくのやめてもらっていいですか」
「たっ、タキオンさん! 大丈夫ですか?」
パッと室内に電気が点き、文字通り苦々しい顔をしているタキオンに二人分の声が飛び交う。青鹿毛の暗い髪色をしたウマ娘が、タキオンに低い声で文句を言い、その隣でかなりの毛量をツインテールにしているウマ娘は彼女を心配する。
別に入れていた砂糖たっぷりの紅茶を渡されたタキオンは、口直しをしながら返した。
「ありがとうスカーレット君。……そうは言うがねカフェ、きみは確かにこういった筈だろう? 『次は甘めのコーヒーを入れます』と」
「コーヒーのなかでは他より比較的甘味の強い豆を使いましたから、今までで一番甘いコーヒーですよ。きっと貴女の舌が砂糖漬けで麻痺してるんでしょう」
「い、言うじゃないか……」
タキオンが残したコーヒーを代わりに飲み干して、青鹿毛のウマ娘──マンハッタンカフェはあっけらかんと辛辣に言い放つ。
「というか、どうしてタキオンさんはそんなにコーヒーを克服したいんですか?」
「コーヒーが飲みたいなら砂糖なり牛乳なり混ぜれば良いでしょうに、なぜそこまでブラックや微糖に拘るんですか」
「……別にいいじゃないか、気分だよ気分。紅茶ばかりでは飽きてしまうからね」
はーはーはーっ、とわざとらしい高笑いをして、タキオンは紅茶を飲み干すとコーヒーのカップ共々膝に乗せて研究室の流しに向かう。
電動車椅子のレバーを操作して車輪を動かすと、カップをガチャガチャと流しに置いて水を張り、改めて二人のもとに戻る。
茶髪をツインテールにしているウマ娘──ダイワスカーレットが、ふと口を開いた。
「そういえば、アクセルさんは紅茶よりコーヒー派でしたよね? このあいだ、食堂でブラックコーヒー飲んでましたし」
「……そうだねぇ?」
すっとぼけた様子で斜め上に視線を向けるタキオンを見て、マンハッタンカフェは何かを察したのか、ああ……と言ってから続けた。
「なるほど、愛しのアクセルさんと同じ趣味を持とうとしたんですね」
「わっ、凄いロマンチック……!」
「…………ふぅン。いや、違うがね……?」
「なんでそれで誤魔化せると思ったんですか」
呆れた様子でそう言って、マンハッタンカフェはかぶりを振った。
タキオンは手をまごつかせながら、言い訳がましく二人に言葉を返す。
「まったく……なにが『愛しの』なんだ。逆だよ、逆。アクセルが私にゾッコンなんであって、私から向けた感情なんて、精々頑丈なモルモット程度さ。はっはっは」
「へぇ~、ちなみに自室ではどんなことをしてもらってるんですか?」
「あー……食事を作ってもらったり、着替えを手伝ってもらったり、風呂に入れてもらったり? あとは……まあ、色々だねえ」
「語るに落ちてますよ」
ダイワスカーレットの問いに、タキオンはしれっと全てを話す。マンハッタンカフェの指摘に口をつぐみ、それからカフェが続ける。
「アクセルさん、ほとんど親ですね。わがままな子供がいて大変そうですよ」
「誰が子供だってぇ?」
「そうですよカフェさん! タキオンさんは立派な人じゃないですか!」
タキオンを尊敬しているがゆえに若干盲目なきらいのあるダイワスカーレットが彼女を庇うが、その庇い方はタキオンに絶妙な罪悪感を与えるだけに終わっていた。
「……いや、まあ、スカーレット君。あんまりこう、無条件で持ち上げるのは……だね」
「あのタキオンさんが……良心の呵責に耐えかねている……!?」
マンハッタンカフェは小声で驚愕しつつ、脳内の手帳に『タキオンさんの弱点:純粋な子』と書き加える。そうしていると不意に扉が開けられ、廊下から中へとくだんのウマ娘が入ってきた。
「──失礼する。タキオンは居るか?」
「タキオンさん、ママがお迎えに来ましたよ」
「誰がママだ。何の話をしている」
マッドサイエンティスト──もといタキオンに反撃できるからか、珍しくマンハッタンカフェの口角は
頭に疑問符を浮かべながらタキオンたちのたむろしている奥にやって来た、カフェよりも暗い黒毛のウマ娘──アクセルトライアルは三人を見て小首を傾げながら言った。
「……タキオン」
「真っ先に私が悪いと睨むのはきみの悪い癖ではないのかね? 私は無実だよ」
「この状況を見た100人中90人は確実にお前が悪いと断じるだろうな」
「それは、ごもっともだねぇ」
アクセルの言葉に言い返せないタキオン。その気安さを見て、ダイワスカーレットは二人の間にある信頼感に、言ってしまえば年頃の恋愛観から『キュン』と来ていた。
「それで? なんの用なんだい、トレーニングの時間ならまだなはずだけど」
「フクキタルとゴールドシップが、明らかにお前が作ったのだろう謎の薬品をトレーナーに盛ろうとして締め上げられていてな。説明してもらおうということで、代表で俺が呼びに来たわけだ」
「ふぅン。その薬品、何色だった?」
「鮮やかな蛍光ピンクだ」
ぴ、ピンク……と呟く後ろの二人をよそに、タキオンはアクセルの言葉を聞いて顎に指を置きながら考えに耽る。そして、おもむろに口を開くと薬品の説明をした。
「それはたぶん、興奮剤の類いだねえ。ウマ娘に毒は効かないから無害だけど、人間には使ったことないから、チームの部屋の奥に仕舞っておいたやつだ。まさか見つけるとは……」
「なんてものを作ったんだお前は」
「ははは、ウマ娘には効かないと言っただろう。もう試したからね。
人間で試すならトレーナーくんが適任だろうと思ったのだけど、なんというかほら、トレーナーくんって麻酔とか効かなそうなイメージがあるから薬品が効くか不安なんだよねぇ」
からからと乾いた笑い声を上げて、タキオンはそう言い切る。当のウマ娘にウマ娘並の毒耐性を疑われるトレーナーを思い浮かべ、はぁ……とため息をついてアクセルは出入口の扉を指した。
「弁明は部屋で聞くから、そろそろ行くぞ。フクキタルは首から下を地面に埋められてるし、ゴールドシップも天井に頭が突き刺さってる」
「とてつもなく気になるワードが……ああ、すみません。長話してしまってて」
「いいや、気にするな。
俺としてもタキオンに友人が多いのは喜ばしいからな、これからも話し相手になってくれ。実験には付き合わなくていいぞ」
「お、お母さん……」
「やかましい」
ダイワスカーレットとの会話を区切り、タキオンを先に廊下に出して、それから最後にマンハッタンカフェと向き合い手短に会話を交わす。
「アクセルさんも、大変ですね」
「そうだな。まあ、悪くないが」
「そう言えるのは貴女くらいですよ」
「かもしれん」
「それと、そちらのトレーナー……柏崎トレーナーでしたっけ。あの人に、お祓いに行った方がいいと伝えておいてください」
「……理由は聞かんぞ」
時折目線が誰もいない部屋の隅に向くマンハッタンカフェの助言に、渋い顔を作ってアクセルが了承する。それから全員が廊下に出て、タキオンが勝手に作った合鍵で研究室を閉めた。
「どうせならうちのチームと並走でもどうだい? よりアクセルの脚を速めるには、たくさんのデータが必要だからねぇ……」
「私はいいですよ」
「……ドリンクと称して変な薬を飲ませるつもりじゃないなら、構いませんよ」
「はっはっは……そんなことするわけ……」
説得力のない返しをするタキオンを見て、アクセルは、まさにその通りの行動のせいで数回発光した過去を思い返して──黙っておくことにした。別に、犠牲者を増やそうとか、そんなことは考えていない。おそらく、断じて、絶対に。