全4~5話(予定)
春
「……さてどうしたもんか」
ウマ娘ほど鋭くないにしても、人間の耳にはあちこちから届く歓声が入ってくる。
新人トレーナー・柏崎は、トレセン学園内を練り歩きながらふとそう呟いていた。
未契約のウマ娘をスカウトする選抜レース──特に人気処の出ている中距離・長距離のレース場を背にして歩く彼女は、新入り故に完全に出遅れ、コンタクトを取る機会を逃していた。
「
携帯にダウンロードした時間割を見て、次の選抜レースの時間を確認しながら歩いていると、学園内のグラウンドにある練習場を走る人影があった。それは──あまりにもお粗末なフォームでダバダバと走っているウマ娘だった。
「うわ……遅っ」
整地された芝生の坂の上で見下ろす柏崎の目に映っているのは、鮮やかな桃色の髪を汗で濡らし、『はひはひ』と口で呼吸をしている少女。
「──いや、それ以前に……」
当然だが、他にも
柏崎とは違う理由、恐らく短距離・マイルのウマ娘をスカウトしようとしているトレーナーも居るが、その殆どがウマ娘たちと同じ表情をしていた。嘲り、貶し、バ鹿にする顔。
「……わからなくはないが、露骨だな」
とはいえ、柏崎も言わんとしていることは理解している。理由はどうあれ、遅い方が悪い。柏崎とてここまで足の遅いウマ娘が中央のトレセン学園に居るとは思ってもみなかった。
坂を滑るように降りて、その輪に混ざることなく隣を通りすぎながら、彼女はようやくゴールして大の字に芝の上に倒れ込む少女に近付くとおもむろに声をかけた。
「お疲れ様です」
「はぁ、ひぃっ、だ、誰ぇ」
「トレーナーです。立てますか?」
差し出した手を掴み返した少女を引っ張り立たせ、柏崎は飲み損ねた未開封のスポーツドリンクを学生が使うようなショルダーバッグから取り出してキャップを捻る。
パキッと小気味良い音を奏で、開けたそれを少女に手渡す。瞳の奥にある桜の花びらを模した珍しい虹彩を輝かせ、少女は一気に半分ほど飲み干した。間を空けて残りを飲むと、空のペットボトルを柏崎に返して言う。
「ふはぁ~、生き返った~」
「それは良かった」
キャップを閉め直してバッグに仕舞い、柏崎は少女に向き直る。走りきって疲れていたにも関わらず、スポーツドリンクを飲み干してすぐに元気を取り戻す。恐ろしい体力をしていると内心で感心するように独りごちた。
「あっ! 私ハルウララ! お姉さんはトレーナーなんだよねっ?」
「はい」
「練習で走ったの見てた? 私ね、この後選抜レースに出るんだよ!」
元気いっぱいにそう言って、歯を光らせて笑う。そんな少女──ハルウララに、柏崎は平坦な声色で淡々と告げる。
「そうですか。それにしては……だいぶ酷い走り方でしたね。あれではスポーツを習っている普通の学生にも負けますよ」
「……ほ、ほんと?」
「皆そう思ってますよ」
ひょこりと柏崎の奥に顔を覗かせるハルウララは気まずそうに顔を逸らす観客のトレーナーや併走していたウマ娘を見た。
そんなトレーナーとウマ娘は『巻き込むなよ!』とでも言いたげに柏崎の背中を睨むも、本人は意に介さない。
「ところで、ハルウララは次のどの選抜レースに出るんですか?」
「1600mのマイルだよ。バ場は芝だけど走るの苦手なんだ~」
──じゃあなんでそれ選んだんだよ。と口を衝いて出そうになった言葉を飲み込み、柏崎は眉を僅かなストレスから痙攣させる。
「……貴女、勝つ気はあるんですか?」
「あるよ! あるけど……いっつも勝てないんだ~。でも走るのって楽しいんだよっ」
ふにゃりと笑うハルウララを見下ろして、柏崎はマイルの選抜レースが始まる時間を確認して、小さくため息をつくと彼女に一言。
「……フォームの矯正と芝を走るコツ……みたいなモノは教えられます。選抜レースまであと二時間──やる気はありますか?」
「──! 良いのっ!?」
「乗り掛かった船というやつです」
「船? どこにあるの?」
「……置いていきますよ」
脳裏に幼馴染のウマ娘を思い浮かべ、当時のレースでめくれ上がった芝を思い出す。
怪力にものを言わせて芝を荒したヤツのせいで苦労した──という当時のウマ娘の記事を読んだのも懐かしく、それをハルウララのレースに応用させてもらおうと柏崎は画策していた。
──待ってよ~! と言いながらついてくるハルウララを尻目に、ばつが悪そうなトレーナーとウマ娘を一瞥して、そのままレース場の奥へと向かう。強すぎるウマ娘への妬み嫉みも、弱すぎるウマ娘への嘲りも、そう大して変わらない。
ハルウララに向けたものとは別の、それでいて同じように呆れたがゆえに出てきたため息を、柏崎が隠すことはなかった。
──残り数十分、芝の上で行われている柏崎の最低限の指導は、なんとか形となっていた。
「……はい。フォームはそう、手の形は握り拳ではなく手刀のように、すこし力を抜いて……足は母指球で跳ねるイメージです」
「しゅとーってなに?」
「これです」
「いたぁい!?」
ピシッと伸ばした手のひらでハルウララにチョップをする柏崎は、ウマ娘がどの程度頑丈かを知っているため強めに叩くが、思ったより強かったらしくハルウララがぐねぐねと悶える。
「さて、あとは作戦ですが……走るときは『差し』で行きましょう」
「さし? ……さし──っ!!」
「ぐえーっ。──そうじゃねえよクソガキ……」
お返しのごとく指を脇腹に突き刺してくるハルウララに、柏崎の本音が漏れた。
幸いにも彼女には聞こえていなかったが、次余計なことをしたら平手打ちが飛んで来るだろうことはハルウララでも察することができる。
「それで、『差し』でどうするの?」
「簡単ですよ。芝で走るのが苦手なら、他のウマ娘が踏み荒した上をなぞればいい。だから、後方で待機する必要があるんですね」
「なるほど~。……これって作戦なのかな」
「鬼ごっこでタックルを食らわせるのを作戦と言い張れるならこれもそうですよ」
──ハルウララの疑問は、斯くしてレースを前に吹き飛んだ。後続でウマ娘たちの踏み荒した芝を作戦通りになぞる彼女を観客席で見ながら、柏崎は彼女たちのレースに圧倒される。
「流石は中央、選抜レースもレベルが違う」
たかが選抜レース、されど選抜レース。そこには観客が居て、誰とも契約していないトレーナーが居る。そんなトレーナーは、現在ターフを走る少女たちを、言い方は悪いが品定めしていた。
貴重な数年を共にするのだ。ウマ娘は使えないトレーナーとは契約したくないし、トレーナーもまた、なるべく足の遅いウマ娘とは契約したくない。誰だってそう考えるし、それは決して悪いことではない。何事にも、相性はある。
──そこまで考えて、柏崎は、隣でハルウララに声援を送る老年の男性らに意識を向けた。「うるせえなこいつ」と口に出さなかったのはせめてものプライドか、あるいは。
「すみません、もう少しボリュームを落としてもらえますか」
「あん? おう、悪い悪い! ウララちゃんを応援したくてなぁ!」
「はあ。ハルウララの。それはまた」
珍しい、とは続けなかった。
なにせ珍しいなんてものではない。
耳に届く限りで、ハルウララを応援しているのは、眼前の──恐らく商店街かどこかの店主らしい男性たちくらいだったのだから。
「ところでお嬢さんはトレーナーなのかい」
「はい」
「じゃあ、誰かと契約するのかい?」
「そうですね」
「だったらあそこのハルウララちゃんなんてどうだい!?」
「急にセールスを始めないでくれますか」
店主の男性からの言葉をのらりくらりとかわしつつ、柏崎はハルウララの動きを見る。端から見れば
そこから早くも最終直線。しかしてハルウララは、意外にもまだ体力を残している。
踏み荒らされてでこぼこな、芝よりはマシな足場を走り、彼女は残した体力でスパートを掛ける。まさしく大逆転と言う他ないごぼう抜きに、一瞬の唖然ののち、爆発的な大歓声が湧いた。
「うおおおおおウララちゃ────ん!!!」
「うるせえな……。さて、
──やっぱりダート向き。芝は駄目だな……と考えた辺りで、柏崎は手すりに寄りかかりながら、隣の店主の怒号をよそに呟いた。
「これもしかして私が契約する流れですか」
完走後にこちらへと手を振るハルウララを見下ろして、柏崎は表情を苦く歪めた。
柏崎
・パラレルの柏崎。アクセル√の方より若干心がパサついているため、ウマ娘に対する関心や愛情はほとんど無い。その辺の理由は、
ハルウララに構ったのは周りの態度が気に食わなかったのが主な理由だが、関わってしまった以上は……として契約に及んだ。口調の悪さを無理やり敬語で押さえているのでやや荒さが漏れがち。
ハルウララ
・どの模擬レースや併走でも勝ったことが一度もない全戦無勝のウマ娘。商店街の人たちからは愛されているが、トレセン内では一部のトレーナーとウマ娘からダメなやつと小バ鹿にされている。
『笑われている』と『笑顔にさせている』の違いには今のところ気づいておらず、ただただレースで走れれば楽しくて満足と考えている。