【完結】さあ、振り切るぜ   作:兼六園

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加速装置(アクセル)光速粒子(タキオン)の出会いと狂気の物語。
想いは重く、彼岸の悲願は果たされず。
されど光速の粒子は、加速する事に夢を見た。


限界の、その先の、最果ての向こう側

「──ったくもー、今日も酷い目に遭った……ゴルシめ……私で黒ひげ危機一髪をするのがなんのトレーニングになるんだよ……っ」

 

 はーよっこいせ、と言って肩をゴキゴキと鳴らして席に座る柏崎は、チーム・ファーゼストの部屋と化したプレハブ小屋の中でパソコンを起動すると動画を再生する。

 

「さて……誰が録ったか()()()()()

 アクセルトライアルが最速と噂されるようになった切っ掛けのレース……か」

 

 かちりとクリックして、早速と内容を見る。

 柏崎がその動画越しのアクセルトライアルに、()()()()()()()()()を覚えるまで、あと5秒。

 

 

 

 

 

 ──その出会いを『何』と形容するべきか。それは、偶然。或いは必然。或いは……運命。

 

 たまたま歩いていた廊下で会長ことシンボリルドルフと誰かが話し合っていて、その相手が、アグネスタキオンだったのだ。

 

「……ん、君は……アクセルトライアルだったね。廊下の真ん中で話し込んでいてすまない」

「気にするな。それで……そっちは誰だ」

「私はアグネスタキオン。とはいえ、今回が最初で最後の挨拶になるだろうけどね」

「どうして?」

 

 不思議がる俺に、アグネスタキオンは卑屈そうにくつくつと笑い、目尻を緩めた。

 

「退学するんだよ。私が研究に没頭してレースに参加しようとしない、この学園の恥さらしだからさ。この前のレースも強制参加だったようだが、面倒くさいからとサボったらこの様だ」

 

「恥さらしとは言っていないだろう、それにレースに参加すれば免れた話じゃないか」

 

 アグネスタキオンの言う研究とやらは置いておくとして、シンボリルドルフは彼女の退学には反対なようだ。しかしレースをしないウマ娘がどうして学園に来たのだろうかと疑問を覚える。

 

「アグネスタキオンは研究がしたいのだろう。走らずとも、そちらの方面で結果を出せば退学の話くらいは突っ返せるのではないか?」

 

「それは『言うは易しだよ』君ぃ。なにせ、私の研究は実験体ありきなんだ。投薬も実験も相手がいないと意味がないんだぞ?」

 

「そうか。なら俺が実験体になってやろう」

 

 俺の言葉に、アグネスタキオンとその横のシンボリルドルフは、ポカンと口を開けた。

 

「アクセルトライアル、君は本気でアグネスタキオンの実験に付き合うつもりなのか?」

「乗り掛かった船だ。

 それに、研究をしているウマ娘とやらは初めて見た。その実験にも興味がある」

 

 ──それに、アグネスタキオン。彼女……否、前世では牡の馬だった彼は、実力を持つにも関わらず悲しくも屈腱炎により引退した馬だ。

 立ち方や制服の上からでも分かるくらいに体つきが実力者のそれなのだ。きっと、彼女自身も走ればかなりの速さを見せるはず。

 

 ──見てみたい。そんなアグネスタキオンの、研究とやらを。

 

「ふぅん。で、それが私になんのメリットとなるんだ? そもそもの話になるが、研究自体は、学園(ここ)じゃなくても出来るのだがね」

 

「だが……自慢じゃないが、速くて頑丈なウマ娘はここにしか居ない。俺を実験に使えるのは、今回が最初で最後かもしれんぞ?」

 

「──言うじゃないか」

 

 意趣返しのように、言葉の一部を先の挨拶から引用する。そんな安い挑発に、アグネスタキオンは面白いくらいに乗っかった。

 

「どうだ、会長。俺のサポーターとしてアグネスタキオンを雇えば、退学はさせられまい」

「……そうだな……そう言われては仕方がない。ただし、一つ条件を加えさせてもらうぞ」

 

 シンボリルドルフは、ぴっと人差し指を立てて、俺と彼女を交互に一瞥して続ける。

 

「アグネスタキオンの実験に付き合って、来週の模擬レースで1着を取れ。それすら出来ないなら彼女には出ていってもらう。どうだ?」

 

「──ふん、俺に質問をするな。1着など、そんなものは言われるまでもない」

 

 そう啖呵を切って、シンボリルドルフを見る。こうして俺は、アグネスタキオンの退学を阻止するためにレースに出る事となったのだった。

 

 

 

 

 

「──どうして私に構うんだ? アクセルトライアル、君に私の退学を撤回させる義理なんて無いはずだろう。疑問で仕方がないよ」

 

 早速とレース場に向かった俺の背中に、アグネスタキオンはそんな言葉をぶつける。

 確かにそうだろう、つい先程知り合ったばかりの俺が何故自分の味方をするのか不思議でならないのはごもっともだ。

 だが、俺が馬のアグネスタキオンを知っているから……と言ったところで理解はされないだろう。この世界に『動物の馬』は居ないのだ。

 

「そういうお前こそ、なんのために、そもそもなんの研究をしているんだ?」

「ウマ娘についての研究さ」

「……ウマ娘について……?」

「そう。人と同じ、だが人間ではない、我々ウマ娘という生き物の研究だ。

 不思議だとは思わないかい? 我々は人間の姿をしていながら、発揮するパワーやスピードが人間からは大きく逸脱している」

 

 なるほど確かに言われてみれば、俺ですら『まあそういう世界なんでしょ』と適当に結論付けて流していたが、ウマ娘ってなんなんだ? 

 

 ──そして、自分を含めた種族そのものへの疑問を抱けるアグネスタキオンは、いったいなんなんだ。これは恐らく、『人間が「人間とはなんなのか」という疑問を抱かないこと』に近い。

 

 人間のようだが人間ではない、見た目が近いウマ娘という種族だからこそ、彼女はそんな疑問を抱き、そして研究するに至ったのだろう。

 

「私はウマ娘の可能性を信じている。今でこそ車より速い程度のウマ娘だが、きっといつか、必ず──速さの果てに。限界の、その先の、最果ての向こう側へと行けることを信じている」

 

 そう言ったアグネスタキオンの爛々とした瞳には、狂気にも近い執念を感じた。

 そして──俺が()()に呑まれかけていることも、なんとなく自覚している。

 

 ──狂気は伝播する。それを理解したのは、くだんの模擬レースを3バ身差をつけての圧勝で終わらせた辺りからだった。

 

 

 

 ──アグネスタキオンの退学の件は、本人の研究と実験によって俺の実力が向上し、結果を出したという事実で捩じ伏せられた。

 どこかホッとした様子のシンボリルドルフの顔を見て、やはり退学の話は乗り気ではなかったのだと察することができる。

 

 しかしそれ以上に不思議なのが、アグネスタキオン本人だ。あれから何度も実験に付き合い、レース場を走る際の脈を測ったり速く走れるフォームに改善したりで共に居る機会が増えたことで、なんとなく見えてくる部分がある。

 

 まず、本人は走りたがらない。頑なに模擬レースには出たがらず、催促の知らせの書類なんかは即シュレッダー行きになっていた。

 

 そして、食生活があまりにも杜撰だった。今でこそ俺の作る弁当をムシャムシャ食っているが、以前までは最悪だった。あれでよく生きていたなと感心するほどだ。

 

「そういえばタキオン。お前はいつぞやに、何故自分に構うのかと質問をしたな」

「ん? ああ……そんな質問もしたかな。ついぞ君から答えを聞けなかったが」

 

 だぼだぼの白衣に身を包むタキオンが、研究室で弁当を食いながら返す。

 

「──例えば、才能を発揮できない奴が居たり、夢半ばで走れなくなったウマ娘が居るとする。そんな時、俺たちには何が出来ると思う」

 

「さあね。安っぽくて、ワゴンセールにでも並んでいそうな、お優しい言葉でも投げ掛けるのかい? ああいや、アクセルはしないか」

 

 わざとらしい、演技するような声色。俺の返答を待つタキオンは、キャスター付きの椅子に逆向きに座って背もたれに腕を乗せる。

 

 そんなタキオンに、俺は俺の持論を、俺のウマ娘への変わらない感情を吐露する。

 

「……俺はそいつの夢を背負う。

 そして、そいつの代わりに走り抜く。夢の共有──とでも言うのか。俺は、誰かのために走ったって良いと思っている」

 

「他人の夢を背負って、ねぇ。それで私を気にかけたと。それは同情と何が違うのかな」

 

「俺はお前の境遇を可哀想だと思ったことは一度としてない。ただ、もったいない……と思ったことなら、何度もある」

 

 シンボリルドルフが会長の座に居るように、前世の馬とこの世界のウマ娘は同じような才能と実力を持っている。ならば、アグネスタキオンにも、秘められた実力があるはずなのだ。

 

 ──そう、()()()()()

 

 

「……ふぅん。それなら……君は私の『果てに至る』という夢を共有してくれるとでも?」

「ああ、そうだ」

「────」

 

 その時のタキオンの顔は、今でも覚えている。驚愕と、呆れ。そして僅かばかりの()()

 この時の俺はどうしてタキオンがそんな顔をしたのかは分からなかったが──今なら分かる。

 

 タキオンはようやく、自分の夢を、願いを託せる相手を見つけたのだ。

 そんなタキオンがこんな提案をしたのは、表情を引き締めた直後だった。

 

「──アクセル、君は生物の脳の機能が1割程しか使われていないのを知っているかい? とは言っても、諸説はあるがね」

「……それがどうした」

「脳を経由した行動の際、人は無意識にブレーキを掛けている。もしこの機能をフルに使えたら、ウマ娘の運動能力はどうなると思う?」

 

 俺を見てそんなことを言うタキオンは、袖を余らせた白衣をパタパタと揺らす。

 

 ……脳の機能が1割しか使われていないという話は前世でも聞いたことがある。ただ、それにも理由があるのだ。人間が忘れることを能力の一つとしているように、何事にも限界はある。

 

 人間という生き物が脳のリミッターを外して筋力や情報処理能力をフルに使った場合どうなるか。ブレーキを無視して体を酷使すればどうなるかなど、想像に難くない。

 

「──そんなことをしてみろ、ウマ娘は確実に、自分の力に耐えきれない」

「そうかな? 我々は人間よりは頑丈な生き物だ、計算が正しいなら、数秒なら筋肉を酷使しても耐えられると踏んでいる」

「仮にそうだとして、ならば誰に実験させる? 失敗して足が潰れる可能性のあるテストをまさか俺や他のウマ娘にやらせるのか?」

 

 はは、そんなわけないだろう。そう呟いたタキオンの表情はどこか達観していて──

 

「当然私の足で実験する。そら、見たかったのだろう? 私の走りとやらを」

 

 ──挑発するように、タキオンは言う。

 狂気的な瞳が、愉快そうな顔が、俺に『そんな危険な真似はするな』と言わせることを阻む。俺は、タキオンが走る姿を見てみたい。

 

 ──脳のリミッターを意図的に外す為の投薬と肉体改造をして数日。遂にタキオンが実験のために走る姿を拝むことになるが、俺は彼女がレース場に立つ姿を初めて見ることになる。

 

「いいかいアクセル。私はレース終盤の直線で脳のリミッターを外す。十中八九走る速度から雰囲気まで変わるだろう。その瞬間から、君にはカウントをしていてもらう。質問は?」

 

「…………いや、無い」

 

「では始めよう。ああ、予め言っておくが──()()()()()()()()カウントを止めるなよ」

 

 ──なに? と聞き返す前に、タキオンはジャージ姿で駆け出す。……今でこそお互い乗り越えてはいるが、俺は今でも、この時タキオンを止めなかったことを悔やみ続けている。

 

 もっと早くに指摘するべきだったのだ。左足を庇うように僅かに重心が傾いている事について、俺は、一言タキオンに聞くべきだった。

 

 

 

 

 

 ──耳元で心臓が爆音を奏でているような気さえして、視界の端が目眩を起こしたように歪む。肺は破裂しそうな程に酷使され、ズキズキと左足から危険信号が発せられる。

 

 ──どうして走ってしまったんだ。いつ爆発するかも分からない左足の爆弾の起爆を恐れ、研究に没頭しているだけで良かったのに。

 

 ──退学だって問題なかった。だというのに、アクセルさえ通り掛からなければ。

 

 ──そう、全てはアクセルのせいだ。アクセルが実験を手伝うなんて言い出さなければ、こうして走ることも、足の痛みに怯えることも、彼女の無条件の信頼に応えたいとも。

 

 ──そして、自分以外の誰かに夢を託しても良いかもと思うことすらなかったのに。

 

 

 ちらりと、アクセルの顔を見る。ああ……あの顔だ。私が失敗するとも、私の研究が間違えるとも思わない、あの信頼を寄せる顔。あの顔が、あの表情が、私の心を狂わせるのだ。

 

 

 ──やってやろうじゃないか。もっと速く、もっと速く──もっと速くッ!! 

 

 ──足を動かせ、腕を振れ! 

 

 ──ウマ娘の脚に宿る可能性は! この肉体で到達し得る限界速度は! 未だ遥か遠くに存在する光へと追い縋れるのだから! 

 

 

 最後の直線、ここで私は、脳のブレーキを意図的に破壊する。刹那、普段よりも遥かに重く深く地面に踏み込む感触。空気の壁すら破れるのではないかという全能感。そして溶けて行く風景。

 

 そして、まるで堰を切ったダムから放水されるように、情報の濁流が溢れてくる。

 徐々に五感が鋭敏になるこの加速の中で、私は眼前に星の煌めきを見る。これが脳を100%使う者の目線かと考えて、視界が黒ずんで行き──私は自分の終わりを理解した。

 

 

 ──だが、まあ、問題ないだろう。なにせ、私なんかの夢を共有したがる、酔狂な奴が居るのだから。ああ全く、君は狂っているよ。

 

 ──ぐるんと視線が地面を向いて、そのまま私は芝の上を転がって倒れる。不思議と痛みは無いが、ただただ、左足の感覚が無かった。

 

 

 

 

 

 ──7秒、8秒、9秒。

 ぐんぐん加速して行くタキオンを見て、俺は肌が粟立つのを感じた。これがタキオンの実力。そして、運動能力を100%発揮した加速。

 

 そして、こんな力に、ウマ娘の足がいつまでも耐えられる訳がないという確信。

 

 ──続けて10秒目に到達。

 それから体内時計とストップウォッチのすり合わせでの正確な秒数が11秒を知らせたとき、タキオンの足から『ペキッ』とか、『ぶちっ』とか、そんな音が聴こえてきて。

 

 12秒目に、タキオンから力が抜け、カクンと膝が曲がり、受け身も取れずに地面を転がった。

 

 

「──タキオンッ!!」

 

 急いで駆け寄り、うつ伏せのタキオンを仰向けに起こす。右足はともかく、左足の状態が素人目からでも分かるくらいに酷かった。

 

「タキオン、意識はあるか?」

「づ、ぐ、ぅうっ、ぁぁ……!!」

 

 タキオンの表情が苦悶に歪み、激痛から脂汗を流す。ジャージの赤色とは違う別の赤色が、裾から垂れて芝を汚している。

 

「救急車を呼ぶより俺が医務室に運ぶ方が速い、抱き上げるが、痛むぞ」

「……もん、だ、いない、ゃれ」

 

 喉から絞り出すような声。俺は確実に痛むだろう足に優しく触れつつ、背中にも回してタキオンを横向きに抱き上げる。

 彼女は一際痛みを訴える呻き声を発し、息を荒らげながらも俺の持っていたメモ帳を奪うと、ボールペンで拙い文字を書き始めた。

 

「タキオン!」

「……騒ぐなよ……足に響く。アクセル、私は何秒まで耐えられていた? 体感では13秒位だったが、恐らく数秒誤差がある」

「っ……10秒だ。11秒目で骨と筋肉がやられて、12秒目で足が完全に潰れた」

「なるほど、10秒か。はははは、10秒までなら加速できる事が証明されたな」

 

 レース場を出て、学園に戻り、医務室に急ぐ俺へと、タキオンは尚も言葉を紡ぐ。

 

「私の足には爆弾があったんだ。酷くなれば走れなくなる可能性もあって……研究に没頭したのは、怖かったからという理由もある」

 

「──そうか、そうだったんだな。俺のせいか、俺が手伝いを申し出なければ……」

 

「ああ全くだ。でも、でもな、アクセル。君が夢を共有すると言った時……本当は嬉しかったんだ。初めてだった。自分の夢を託しても良いと思える相手が出来たのは」

 

 うつらうつらと船をこぎ、メモ帳に加速の計算をしていたタキオンの手が止まる。

 呼吸が浅くなり、ポタポタとジャージに染みた血が廊下に点々と跡を残す。

 

「タキオン、寝るな。起きろタキオン! なんでも良いから話せ、意識を繋いでくれ!」

 

「……ぅるさぃぞお、寝るだけだ。少し休憩、するだけだ。5分でいい。数分、だけで……」

 

 タキオンのまぶたが閉じ、動かなくなる。僅かに動く胸が、生きていることの証明となる。

 ──自分の心拍数が上昇するのを感じる。前世の記憶と結び付き、腕の中の少女と、馬のタキオンを同一視してしまう。

 

「──綺麗だったんだ。お前の走る姿は、俺が見てきた誰よりも、何よりも……!!」

 

 すれ違うウマ娘の悲鳴を聞きながら、俺は、医務室の扉を蹴破るように開け放った。

 

 

 

 

 

 ──あれから数週間後、訓練している俺の耳に入ってきた噂からして、タキオンは助かったらしい。元々頑丈な体のウマ娘ということもあって、彼女は快復したのだとか。

 

 であるならば、なぜ会長に呼び出されているのか。その理由を察せない程、俺は鈍くない。

 

「……失礼します」

「──やあアクセル、元気そうで何よりだ」

 

 最初に視界に入ってきたのは、側面に松葉杖が突き刺さっている電動車椅子に座るタキオンと、会長の席に座っているシンボリルドルフ。

 

「タキオン……」

「私が居ないときもきちんと訓練を続けていたのかい? 駄目だぞぉ、訓練はサボれば取り戻すのに数日掛かるのだからな」

「……何故お前がここに居る」

「それについては、会長が話してくれるさ」

 

 ちらりとシンボリルドルフを見れば、神妙な顔で俺を見返す。それから1枚の紙を取り出すと、その紙を俺に手渡した。それは──アグネスタキオンへの退学通知だった。

 

「──どういうつもりだ」

「私としても心が痛む。だが……分かるだろうアクセルトライアル。アグネスタキオンは走らないのではない、もう走れないんだ」

 

 ──話を聞くに、タキオンの足は筋肉断裂や複雑骨折が重なっていて、治せはしたが、左足に体重を預けたら激痛が走るらしい。

 

 走らないウマ娘への退学通知なら、実力を示せば撤回できる。だが……もう走れないウマ娘に、何が出来るというのだろうか。

 

「……アクセル?」

「どうした、アクセルトライアル」

 

 

 ──いいや、ある。タキオンには、タキオンにしか出来ないことが一つある。

 俺はタキオンへの退学通知の紙を手に取り、躊躇いなくビリビリと破り捨てた。

 

「……ほう?」

 

「タキオンは退学させない。彼女は俺の相棒(パートナー)だ、俺の走りを──俺がタキオンの代わりに果てに至る様を見届ける義務がある」

 

「それなら、どうするつもりだ?」

 

「タキオンとの実験と投薬、肉体改造で強くなった俺の実力を示す。簡単な話だが……今度はそれなりの実力者でなくては意味がないだろう」

 

 一拍置いて、俺はまるでこの流れを予期していたかのようなシンボリルドルフに提案する。

 

「──会長、いや、シンボリルドルフ。俺とレースで勝負しろ」

 

「──友のためにとその身を賭ける姿勢、私個人は敬意を表する」

 

 

 だが……と続け、おおよそ『会長』の立場に居る少女とは思えないような獰猛な笑みを作り、シンボリルドルフは俺に言った。

 

「少し速い程度で驕るなよ、加速装置(アクセル)

「それはこちらの台詞だ。皇帝(ルドルフ)

「ところで……私の意見は聞かないのだな」

 

 ……そういえばそうだったな。

 だが、俺の考えは変わらない。

 

「タキオンの特等席は俺の隣だ。それ以上にどんな理由が必要になる」

「………………それは単なる、君の我儘だろう」

 

 白衣の袖で顔を覆うタキオンと、一転して見守るような微笑を浮かべるシンボリルドルフ。果たして俺は、タキオンに居なくなって欲しくないという我儘を叶える為の勝負に挑むのだった。

 

 

 

 

 

 ──会長権限で貸し切ったレース場に並ぶ俺とシンボリルドルフは、観客席を埋め尽くす観光客やトレーナー、ウマ娘を見る。

 誰が聞いていたか、俺とシンボリルドルフが勝負をする話を広めてしまったのだ。

 

「……誰が見世物にして良いと言った」

「すまない、人の口に戸は立てられないんだ」

 

 申し訳なさそうに片手で額を押さえる彼女に同情しつつ、観客席の一番前を独占する車椅子の主であるタキオンに目線を向ける。

 そして──ウマ娘の聴力が、ざわつく中からタキオンへの陰口を聞き取った。

 

 やれ、走れないウマ娘には価値がない。やれ、ドーピングでもした後遺症なんだろう。やれ、レースに出ないからバチが当たったんだ。

 

「………………愚図共が」

「気にするな、アクセル。君がこのレースで、タキオンの研究の成果を見せつけてしまえば良いだけだ。私に勝てるかは別だがな」

「……ふん、今は、その挑発に乗ろう」

 

 そんな会話をしながら、二人でスタートラインに並ぶ。中距離で芝の一般的なレース場。

 俺もシンボリルドルフも、この距離を得意としている。故に互角──とはならない。

 

 彼女が皇帝と呼ばれる所以、その強さを、俺はレース終盤まで痛感させられることになる。

 

 

 

 ──背中を追う俺の脚は、間違いなく速い。あの七冠馬の皇帝(シンボリルドルフ)に追い付けているのだ、普通ならこれだけで十分だと褒められるレベルだろう。

 

 それだけ彼女は強く、速い。確かに驕っていたのかもしれない。俺の才能は、実力は、所詮は天才の域に至ることすら出来ないのだろう。

 

「……それがどうした……っ!!」

 

 だがそれは──タキオンから譲り受けた夢を、彼女の想いを、研究者の悲願を果たさないことには! 加速する事に夢を見た、光速の粒子(アグネスタキオン)に憧れないことには! 断じてならない!! 

 

 ──振り絞れ、全てを出しきれ。まだ足りないなら片っ端から吸い上げろ。

 今この瞬間シンボリルドルフに勝つためなら寿命を減らしたっていい。

 

 加速のタイミングはもうすぐ来る。ここで抜けなければ、俺はこの先きっと誰にも勝てない。体内時計をリセットして、思考を切り換えろ。

 

 ──最後の直線で、カチリ、と。頭の中で噛み合った歯車が回転を始めるような感覚。

 神経の末端、毛細血管の末端、骨の軋み、筋肉の収縮、その全てを感じ取る。

 

 じわりと灰色の絵の具を混ぜたように視界から色が薄れ、耳は心臓の脈打つ音だけを拾う。そして足の裏が芝をえぐり地面に深く足跡を刻むのを手に取るように理解して──自分にも聞こえていない声で、シンボリルドルフに向けて、言った。

 

「さあ──振り切るぜ」

 

 ────ドンッ!!! という衝撃。

 灰色の視界が歪み、シンボリルドルフを追い抜き、風景が一条の線と化す。

 心音と頭の時計で加速時間と現実時間のすり合わせを行いつつ脳内でカウントをする。

 

 やがて灰色から黒色へと視界が変わり、チカチカと、眼前に星が散らばる。

 

 これが、こんなものが、速さの果てだとは言わない。しかしそれでも──俺は、この光に追い付きたい。追い付きたくて、走って──9秒目で意識を切り換えて視覚を元に戻す。

 

 その直後にゴールのラインを越えて、俺は脳のリミッターにセーブを掛ける。色の戻った視覚と、音が返って来た聴覚が、静まり返る観客席の人たちの表情を鮮明に捉えていた。

 

 驚愕、恐怖、畏怖。

 あのシンボリルドルフを追い抜いてゴールした、俺という怪物への、恐れの感情。

 

 数拍遅れてゴールしたシンボリルドルフは、俺に対して何かを言おうとする。

 だが、口を開けては閉ざす。そんな彼女に、俺は敢えてこう言った。

 

「9.6秒。それがお前の、絶望までのタイムだ」

「ああ──そうだな、恐れ入ったよ。いやまったく……机仕事で足が鈍ったかな?」

「そうだろうな。後日同じレースをしたら、恐らく俺は負けるだろう」

 

 表立ってレースには出ないシンボリルドルフが、勘を取り戻したその時、俺はもう彼女に勝つことは出来ない。そんな予感があった。

 

「しかし、俺はこれからも速さを求める。タキオンのために、なにより俺自身のために、あの光を──最果ての向こう側を目指す」

 

「──ふふ、似た者同士、か。なあアクセル、君は鏡を見たことがあるか?」

 

「……なに?」

 

 額の汗を拭って、シンボリルドルフは俺の顔をじっと見ると、爽やかな笑みを浮かべて続ける。

 

「……タキオンと同じ瞳をしている。何か1つに全てを捧げた、狂人の目だよ」

「──それは、光栄だな」

 

 彼女が伸ばした手を、そっと握り返す。カメラに映り、モニターに出されたその映像を見て、我に返ったように──観客たちは手のひらを返して拍手喝采を俺たちに送る。

 

 当然だろう。恐怖が先に来たとしても、ここに居る連中は、男女・人間・ウマ娘問わず速さに魅入られた者たちだ。喉元を過ぎれば──後からやってくるのは、興奮と感動。

 

 

「タキオンっ!」

「……なにかね」

 

 気まずそうに、しかして頬を紅潮させ、この場の興奮に呑まれつつあるタキオンは、ぶっきらぼうに観客席から俺を見下ろしていた。そんな彼女に、俺は口角を緩めてそっと伝える。

 

「────勝ったぞ」

「……ずっと見ていたよ」

 

 ふにゃりと、気の抜けたタキオンの笑顔。

 ああ……ようやく、俺たちはスタートラインに立つことが出来た。

 

 タキオンへの風評被害は、俺への恐怖心は、簡単には消え去らない。だが──タキオンは考えることが、俺は走ることが出来る。

 限界の、その先の、最果ての向こう側に至るまで、俺の足が止まることは絶対に無い。

 

 ──タキオンの退学が取り消されたのは、このレースが終わった、翌日のことだった。

 

 

 

 

 

 

 ──そんな話も今は昔。車椅子生活が板に付いたタキオンは、以前と変わらず我儘だし面倒くさいし可愛いげの欠片も無い。

 

「ア~ク~セ~ル~。お昼の時間になったじゃないかぁ~。私のお弁当を出したまえよぉ」

「食堂で食おうとは思わないのか?」

「嫌だよ。好奇の目に晒されるじゃないか。それに君のお弁当は栄養バランスが良い」

「そうなるように考えているからな」

 

 タキオンに昼食を任せると、食材をミキサーに掛けたおおよそウマ娘の食事とは思えないようなスムージーを出されるのだ。あれを飲むくらいなら生のキャベツを齧った方がマシである。

 

 

「……タキオンって、アクセルのことめっちゃ好きですよね?」

「はぁ? 何を言っているんだいトレーナーくん。逆だよ、アクセルが私を好いているのさ」

 

 プレハブ小屋に集まって昼食を取っている柏崎トレーナーの問いに、あっけらかんとタキオンがそんな風に答える。

 

「いやいや、好きでもない人の弁当なんて普通食べたがらないでしょうよ」

「……別に、アクセルに対する感情なんて所詮は実験体への愛着しか無いさ」

「そうか。なら明日から弁当は作らん。あの不味いスムージーでも飲むんだな」

 

 恐らくタキオンをからかってみたかったのだろうトレーナーからのアイコンタクトに応え、俺はタキオンへとそう言ってみる。すると、彼女は面白いくらいに狼狽えていた。

 

「え──っ!? そんな、困るよアクセル! そんなことは許されない! 君には明日からも弁当を作ってもらうからな!」

「……断る」

「やーだー! 作ってくれよぉ~っ!!」

 

 車椅子を走らせて、俺が座るパイプ椅子に突撃し、腕を伸ばして掴みかかる。その様子を撮影しているトレーナーに呆れながらも、俺は冗談だと言ってタキオンを車椅子に座り直させた。

 

 これからも長い付き合いになるだろう相棒の焦りように小さく笑いながら、俺は自分の弁当のお握りを頬張る。

 当時の出会いからシンボリルドルフとの対決までを思い返しつつ、俺はこれからも、なんてことない時間をタキオンと過ごし、速さを追い求めて行くことになるのだった。




アクセルトライアル
・前世の記憶のせいで、悲劇で終わったり才能を発揮できずに終わった馬とウマ娘を重ねてしまうきらいがある。最初は、同情と気まぐれ。しかし、やがてその狂気に同調し始めた。
成り行きの関係が何時からか本気となり、アクセルはタキオンの『果てに至る』という夢を継いで走ることを決意する。
彼女の足を犠牲に10秒加速を使えるようになった後、タキオンの退学を賭けて観客・ウマ娘の集まる前でシンボリルドルフとの一騎討ちで勝利したことが切っ掛けで、アクセルトライアルは最速のウマ娘と噂されるようになってしまった。


アグネスタキオン
・退学寸前の時にトレーナーと出会わなかった世界線のウマ娘。元々はただ足が速く頑丈な肉体を持っている程度だったアクセルがどんどん実力を向上させて行く様を間近で見たが故に、『彼女になら夢を託せるのでは』という考えに至る。
足が潰れた事が原因の退学には流石に同意しようとするも、アクセルに止められて学園に残ることになる。本来はトレーナーを実験体とする関係が、アクセルとは相棒となっている。この改変は、タキオンの心に変化をもたらすだろう。
ちなみにアクセルの料理は美味とのこと。


10秒加速
・脳のリミッターを外して運動能力と処理能力が100%になるため、不必要な情報を排除しなければならない。使いこなせなければ、ただ感覚が鋭敏になっただけで終わってしまう。
視界は灰色が滲んだように染まり、耳は心音しか聴こえなくなる。やがて黒ずむ世界の中で、加速の果てに、星がごとき光へと追い縋る。
それこそがきっと、誰も観測出来ない、誰も追い付けない──超光速の果てなのだろう。

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