【完結】さあ、振り切るぜ   作:兼六園

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聞こえだけはいいけれど


大事なんだ、全部

「────うん?」

「どうしたんだいアクセル」

 

 地元の駅を出て実家に向けて歩く途中、俺は聞き覚えのある声を耳にして振り返る。

 

「いや、トレーナーの悲鳴が聞こえてきたような気がしたんだが……」

「距離的に聞こえるわけないだろう。非科学的(オカルト)な話はやめたまえよ」

 

 歩道で車椅子を走らせるタキオンが、そう言って隣を歩く俺を見上げてきた。

 

「しかし、君の故郷もいい所じゃないか」

 

 そよそよと凪ぐ風が髪をくすぐり、垂れた髪を横に分けるタキオン。その格好は普段の制服ではなく、紫の私服を着ている。

 

「──着いたぞ」

「ほぉ~ここが……大きくないかい」

「トレセン学園よりは小さいだろう」

「アレを引き合いに出せばそりゃあ大抵の建物は幼児向け玩具レベルだろうさ」

 

 タキオンはポカンと口を開けて俺の実家を見上げる。木造の小規模な屋敷。俺の実家は、数年前まで何人もの使用人が居た筈だが、今では二〜三人がローテーションで数日置きに来ている程度だ。

 

「事前に連絡はしてあるから、さっさと入ろうか。……タキオン?」

「……ああ、いや」

「──親父は仕事で居ないからなんとも言えんが、母さんはお前を見て同情するような人ではない。大丈夫だ、ほら、おいで」

 

 玄関の手前で動きを止めたタキオンに呼び掛けると、彼女はおずおずと車椅子を走らせ近づいてくる。それからインターホンを鳴らすと、奥から人影がやってきて、扉をがらりと開けた。

 

「お帰りアクセル。あら、その子がタキオンちゃん? 娘から聞いてるわよ~」

 

 中から出てきたのは、俺の紺色より明るい青──瑠璃色の髪を後ろで束ねた女性。

 一般的な女性よりもゴツゴツとした手が差し出され、タキオンは母さんと握手をした。

 

「どうも初めまして。アグネスタキオン……です。アク……娘さんとは、良き関係を築かせていただいてます。はい……」

「あーもう、そんな固くならなくていいのよ? 気軽にお義母さんって呼んでちょうだい」

 

 ……何を言ってるんだか。

 

「は、はあ……」

「ほら、さっさと上がっちゃって。ごめんなさいねぇ、うちバリアフリーじゃないから、車椅子で上がれないでしょう」

「いえ、大丈夫です。松葉杖があるので」

 

 側面に取り付けてある松葉杖を二つ手に取り、タキオンは「よいしょ」と言って立ち上がる。左足を庇う立ち方に、母さんは目敏く視線を向けていた。それから車椅子の電源を落として、玄関の隅に寄せて車輪を固定しておく。

 

 居間に通されて杖を傍らに置いて座るタキオンの隣に腰を掛けると、母さんが咳払いを一つに改めて自己紹介を始めた。

 

「私はゴコクパラディン。

 由緒正し……いかは分からないけど、代々ボディガードをやってた家系でね。昔は中央のレース場の警備員なんかもやってたのよ」

 

「ボディガードに、警備員……走らない仕事が主なウマ娘だったんですか」

 

「そうそう。んでもって旦那が当時設立した犯罪防止の特殊部隊に抜擢されちゃってね~、タキオンちゃんは『騎バ隊』って知ってる?」

 

「────」

 

 一瞬、静寂。再起動したタキオンが、凄い勢いで俺を見ようと首を曲げる。その顔は驚愕に染まっていたが、それもそうだろう。『凶悪犯罪防止部隊・騎バ隊』とは、走らない道を選んだウマ娘の膂力を国防に利用せんと作られた部隊だ。

 

 そして当然だが、この部隊を作ったのは警察である。とどのつまり、母さんの旦那であり俺の親父とは、現役の警察官なのだ。

 ついでに言えば、母さんも立ち位置的には元警察のウマ娘だったりする。

 

「アクセル……初耳なのだが」

「言ってないからな」

「君、警察の娘だったのかい?」

「そうだな」

「……私は警察の娘に度重なる実験をしていたということになるわけだね?」

「まあ、そうなるな」

 

 小声で俺に耳打ちするタキオンはどことなく怯えている。なるほどつまり、安全に配慮しているとはいえ、俺を実験体に使った事が相当不味いのではないかと考えているらしい。彼女はおもむろに、俺のシャツの袖をつまんで言った。

 

「つ、通報しないでくれたまえ……」

「自分で選んだのにするわけないだろう」

「親の前でイチャイチャしないでよー」

 

 しがみついてくるからとあやすようにタキオンの髪を撫でていると、母さんが指摘しながらテーブルに肘をついて退屈そうにしている。

 

「あっそうだ、騎バ隊時代の映像残ってるんだけど見る? てか見て。自慢したい」

「む……じゃあ、折角なので」

「ちょっと待ってねー」

 

 懐から携帯を取り出して、母さんはデータを漁ると動画を再生してこちらに見せた。

 

「大きな盾だね。武器の類いは携帯していなかったようだけど……」

「ああ、騎バ隊の武器は防弾性能に特化させたライオットシールドだけよ。警棒なんかで殴ったら大抵の人は死んじゃうし」

 

 あっけらかんとした顔でそう言い放つ母さんに、なるほどと返しながらもタキオンは口角をピクピクと痙攣させている。

 

「……ところで、なぜ訓練の映像で犯人役が5メートル以上吹き飛んでいるんですか?」

「そりゃ、訓練こそ本気でやらないと。まあ警察は仕事が無い方が良いに決まってるけどね」

 

 携帯のムービーでは、犯人役の男性が当時の若い母さんのライオットシールドにぶん殴られて、遥か後方のマットに落下していた。

 確かに警棒なんか必要ないわけだ。この力で殴られたら仮に生きていても後遺症が残るのだろうし、それなら防弾性能をとにかく向上させた頑丈で重い盾を使わせた方がいい。

 盾で殴られても最悪死ぬのでは? と思ったが、深くは追及しないこととする。

 

「……と、そろそろご飯作らないとね。アクセルが居るときは必ずカレーを作るんだけど、タキオンちゃんは辛口でも平気?」

「…………はい、平気です」

「じゃあ、お手伝いしてもらおうかしら」

「へ?」

 

 たっぷりと間を置いて答えたタキオンは渋い顔をしているが、母さんの言葉にすっとんきょうな声を出した。母さんはにっこりと笑って言う。

 

「働かざるものなんとやら。立ってるのが辛くても、皮剥きなら座りながら出来るでしょ?」

 

 母さんは立ち仕事が出来ないことを気にしているのだろうと判断したのかもしれないが、タキオンが渋る様子を見せた理由は違う。

 

「無理をするなタキオン。母さん、タキオンは甘口のカレーじゃないと食べられない」

「アクセル」

「あと、自炊も出来ない。ヘドロのようなスムージーしか作れないんだ」

「アクセル」

 

 あらそうなの~と言っている裏で、俺は執拗に松葉杖でどつかれていた。嘘をつく方が悪い。

 

 

 

 その後は恙無く料理を終え、カレーを食べ終えた。ウマ娘はニンジンが大好物なので、自然と具材の割合は7割がニンジンを占める。

 ほぼニンジンカレーとなっているそれを空にして、台所で皿を洗っていると、ふと隣で洗われた皿をタオルで拭う母さんが口を開く。

 

「あの子の足のこと、聞かない方がいい?」

「……そうしてくれ。おおよそ普通の感性の人に理解されるような話ではない」

 

 ──『速さを追い求めたウマ娘は、自分の夢を託してその足を潰しました』。理解される筈がない。頭の病院を紹介されて終わりだ。

 キュッと蛇口の栓を閉めた俺は、瞼を細めて俺を見る母さんと視線を交わす。

 

「──ああ、道理で私が昔ボコボコにして捕まえたカルト宗教の信者みたいな目をしてる訳だわ。アクセル、あんたあの子に狂信してるのね」

 

「……狂信、か」

 

「元警察関係者としては放っておけないんだけどねぇ、娘の友達なら信じるのが親の仕事なのよ。だからまあ……法には引っ掛からないでよ?」

 

 パチリとウィンクをして、母さんは締めくくった。俺は頷いて返し、時計を見て行動する。

 

「──と、風呂に入らないとな」

「そうねえ……って、タキオンちゃんはどうするの? 松葉杖を風呂に入れるわけには……」

「俺が入れるから問題ない」

「────なんて?」

 

 タオルで手を拭い、俺は台所から戻ると居間の隣の自室から着替えとバスタオルを取り出す。タキオンもまた着替えを荷物から取り出して、慣れた動きで俺に向かって腕を伸ばした。

 

「んっ」

「持ち上げるぞ。──よっ、と」

 

 背中と膝裏に手を差し込んで横向きに抱き上げ、タキオンの腹に着替えとタオルを乗せて浴室に向かう。俺のウマ娘の聴覚が──

 

「……み、見せ付けられている……!」

 

 という母さんの声を拾っていた。

 

 

 

 

 

 ──寮とは違い二人で入っても余裕のある檜風呂に、俺とタキオンは横並びに足を伸ばしていた。長い髪を頭の上で纏めるのも習慣づいてきたが、幼少期の頃は湯船に髪を浸しては母さんに痛むからやめろと怒られていた。

 前世が男だったんだから仕方ないだろう。

 

「いいお湯加減だねぇ~」

「顔が蕩けてるぞ、タキオン」

「檜風呂なんて贅沢極まりないよまったく……寮に欲しくなるじゃないかぁ」

「タキオン用に一階に部屋を移してバリアフリーの工事もしてるからな……檜風呂まで用意したら流石に怒られるから無理だな」

 

 ……しかし、風呂に入る度に思うが、ロングヘアーって不便だな。

 頭が水気を帯びた髪の質量でずしりと重い。俺でこれなら、シンボリルドルフやビワハヤヒデなんかは大変なのではないだろうか。

 

「……タキオン、風呂から上がったらお前の左足を母さんに見られるだろうが、言いたくないことは言わなくていいからな」

「私の足については話しているのかい?」

「事故で負傷した、とだけ。俺たちが危険な方法で走っていることは話していない」

「……ま、それが妥当だろうねぇ」

 

 ──私としても、レースを禁止されては困る。

 そう言って、タキオンは俺の肩に頭を預けて力を抜く。お湯の中でぐにゃぐにゃと屈折して見える彼女の左足、そこだけに、夥しい手術の痕があった。

 

 あのときの、脳のブレーキを外した無意識の力加減すらしないでの全力疾走。

 内側で骨と筋肉に掛かった負担がどれ程のものかなんて想像すら出来ないが、事実としてタキオンは走れなく──否、歩けなくなった。

 

 タキオンの夢を叶える事こそが俺の夢であり願いだ。きっと、母さんたちに仮に禁止されたとしても、俺は無理矢理にでも走るだろう。

 

「……上がるか。これ以上はのぼせる」

「そうだねぇ」

「タキオン、お前もう限界だろう」

 

 そうだねぇ、そうだねぇ、そうだねぇ。としか返さないタキオンを抱き上げて、俺は風呂を出た。檜風呂が珍しいからって、なにも茹でダコになるまで我慢しなくてもいいだろうに……。

 

 

 

「タキオンちゃん、足のマッサージしたげるからこっちおいで」

「えっ……ああ、はい」

 

 クーラーの効いた居間で涼むタキオンは、おもむろに声をかけられ、片足と両腕で畳の上を滑るように移動する。母さんの隣に来ると、ぐいっと左足を掴まれ、反射的に体を震わせた。

 

「掴まれると痛い?」

「っ──い、いえ」

「じゃあ……これくらい握ると?」

「……大丈夫、です」

「嘘。このくらいね。そうすると……問題は骨と筋肉、血管は無事。神経も大丈夫かしら。酷い怪我ねぇ、片足だけダンプに撥ねられでもしないとこうはならないわよ?」

 

 ぶつぶつと呟いて考察する母さんは、そんなことをタキオンに問い掛ける。

 

「……あー、まあ……そんな感じです」

「──なら、そういうことにしておくわね。お布団敷いておいたから、寝るならそっちよ」

「そこは俺の部屋なんだが」

「寮でも相部屋なら問題ないでしょ」

 

 そういう話ではない……が、初めてのお泊まりで疲れたのか、タキオンはのそのそと言われた通りに寝室へと向かった。

 ──俺も寝るか、と考えて部屋に向かおうとすると、俺だけが母さんに止められる。

 

「はいアクセルはストップ」

「…………なんだよ」

「あんたの歩き方、重心が変わってるのよ。あの子の怪我と何か関係があるんでしょ?」

「──わかるのか」

 

 大人しく腰を下ろし、襖が閉じられているのを確認して小声で会話を再開する。

 

「ねえ、言っちゃなんだけど、あの子の何があんたをそこまで駆り立てるのよ」

「あいつの代わりに速さを求めて走っているだけだ……他のウマ娘の夢を応援することは、そんなに変なことなのか?」

「それでアクセルまでタキオンちゃんみたいに足を潰したら世話ないわね」

 

 肘を突いて淡々とそう言った母さんに、俺はぐうの音も出ない。

 だが、それでも──俺の根底にあるタキオンへの想いは、決して軽くないのだ。

 

「……大事なんだ、タキオンの全部が」

「──あらまあ、惚れ込んじゃって」

「別に惚れた腫れたの話では……」

「問題ないんじゃない? だってあんた、精神(なかみ)はわりと男寄りでしょ」

 

 ──バレている。隠しているつもりも無かったが、こうも的確に言い当てられると、どうしても負い目が無くともドキリとしてしまう。

 

「大事なら、手放しちゃ駄目よ。ああいう子は、ふら~っとどこかに消えちゃうから」

「…………ああ、わかってる」

 

 改めて寝ようと立ち上がると、俺の背中に母さんが言葉をぶつけた。

 

「もしかしてウマ娘同士だと問題あると思ってる? 大丈夫よ~、私も騎バ隊に居たとき好みのウマ娘に手を出そうとしたことあるから」

「親の駄目な大人エピソードを聞かされた娘の気持ちを考えたことがあるか?」

 

 そういう話じゃないんだよ……!! 

 

 

 

 

 

 ──まったく、と内心で憤りながらも、何故か一つしかない布団の半分を占拠したタキオンの隣に体を滑り込ませる。

 

「タキオン……もう寝たのか?」

 

 なんとなく声を掛けるが、反応は無い。再度問うが反応は無い。無いのか。

 

「……なあ、タキオン。お前がどう思っているかとか、気になることは色々とあるが」

 

 右半身を下にして背中を向けるタキオンに、後ろから腕を回して、うなじに顔を近づける。

 

「──俺はお前を手放すつもりは無い。離れる素振りを見せたら、俺は必ず引き留める」

 

 腹に手を回して、首筋に鼻を押し当てる。

 彼女の体温を確かめながら、俺は瞼を閉じて意識を暗闇に落とし──二つの心音だけがドクドクと鳴り続ける世界に入り込む。

 

 

「……こちらの台詞だよ、バカ」

 

 

 

 

 

 翌日、俺を見下ろすようにじっと座っていたタキオンの顔が真っ赤だったのは、寝づらかったからなのだろうと、勝手に解釈しておいた。




ゴコクパラディン
・アクセルの母で、古くから続いていたボディガードの家系。パラディンもまた中央(トゥインクル・シリーズ)のレース場の警備員をしていた経験があり、その後はのちに夫となる警察官の元で『凶悪犯罪防止部隊・通称:騎バ隊』の一員として働いていた。

アクセル父
・警察官。階級は警視。アクセルの赤い革ジャンは父のお下がりで、人並み以上に頑丈。



柏崎
・肋骨数ヵ所にヒビ、全治3週間。

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